第五話 奴隷
体からあふれ出す力に溺れてしまいそう――いえ、事実私は溺れてしまっていました。でも、楽しいのだから、少しも気になりません。それに自覚があるだけましというものではありませんか。ですから、逆にもっと溺れてしまいましょう。そのほうがもっと楽しく、もっと強くなれますから。
「ジョイマス。かわいそうに。私の相手をしないといけないだなんて」
向かってくるジョイマスにそう言いましても、彼は止まろうとはしません。しかし、どこか歩みは遅いのです。恐怖で体が動かないのか、それとも本能的に私を拒んでいるのか。よくわかりはしませんが、これから私が殺す相手にかわいそうだなんて変な話ですよね。
かわいそう――だからといって殺さないわけにはいかないのです。彼は明らかに脅威であり、未来的に凛さんが一人でこの街に来てしまった時のことが心配でたまりません。それに私を何としてでも逃がさないというのなら、殺すしか道はありませんよ。
「死の雨」
黒い雨が降り始めて、それがジョイマスに触れました。すぐに私はそれを解除します。なんでかと言いますと、降らせ続けてしまいますと、私たちの戦いを呆然と見つめつつも、諦めかけていた街の人々を殺してしまう恐れがあるからです。こう見えて、私意外と考えているんですよ。それにレベルが高いボリチェには効きませんからね。
人を殺して、レベルが上がる。殺人がその人の強さとなる。もちろん、獣などを殺した時にもレベルは上がるのですが、目の前のボリチェ――彼は殺人によりレベルを上げているのでしょうね。
ま、私の言えた話でもありませんけど。
「なっ、なんだ……これは!」
ジョイマスが悲鳴を上げました。少しかわいそうだとも思いましたけど、それが現実だというよりほかないでしょう。
「あっ……ジョイマスが……」
街の人々からも悲鳴が上がりました。慕われていたのでしょうか。ボリチェの固有スキル「バインド」。これで、縛られていただけで、裏では街の人々に優しかったとか、そんなとか。そう考えると悪いことをしてしまったのでしょうか。
「でも、関係のある話ではありませんからね」
ジョイマスの体は黒いものに覆われ、次第に消えていきました。呆気ない終わりでした。
「さて、ボリチェ。続けますか?」
「ぼっ……」
「ああ、言っときますけど、これって一応聞いたんですからね。あなたがどんな答えをしようとも、結末はかわらないのですから」
「人をおちょくるのもいい加減にするぼ!」
「おちょくる……ですか? 人を人と思っていない相手に言われても何も響きませんね」
「なんだぼ! バインド!」
紐が飛び出し、私に襲い掛かりますが、それは私の体に触れたとたんに消えてしまいました。
「なっ……どうなってるんだぼ!」
「見たまんまですよ。ふふ」
ボリチェは恐怖に怯え、顔をひきつらせます。さっきまであんなに勝ち誇っていたのに情けないものです。
「さて、どうやって殺しましょうか。というかどうやって殺されたいですか?」
「バルバル、ビルビル、ブルブル、やれぼ!」
効果音みたいな名前をボリチェは呼びました。それとともに、また城壁から三人の男が飛び降りてきます。
「こいつらは最強の三人ぼ! ジョイマスと同じように行くと思うなぼ!」
なぜ、最初から全員ぶつけてこようとは思わないのでしょうか。そんなこと言ったって意味がないことくらいわかっていますけど。
「よくもジョイマスを!」
三人が三人とも長い剣を持っていて、それを豪快にふるいます。
「いい剣ですね。欲しくなってきちゃいました」
と言っていたら、相手の攻撃を避ける余裕がなくなっちゃいました。剣は無慈悲にも振るわれ、私の体を切り裂きます。
ま、意味なんてないんですけど!
「そんな攻撃じゃどうにもなりませんよ」
痛みなんて少しも感じません。体は確かに斬られたはずですが、切断面から体が滑り落ちることもなく、すぐにくっついてしまいました。
「もう、私を相手にするのやめたらどうですか?」
三人はすぐに恐怖に顔を歪ませ、呆然としていました。
「反応してくださいよ!」
ちょっと足で突っついてやったら、すぐに吹き飛んでしまってたいして強くもありませんでした。
「で、ただの噛ませ犬さん? 生きてますか?」
楽しい。やっぱり圧倒的な力が一番楽しいんですよ。祐樹の気持ちもわからないことないですね。
「さて、ボリチェさん。とりあえず殺しますね」
転がった剣を拾って、私はその剣先をボリチェへ向けました。
「わ、分かったぼ! もうお前らには手を出さないぼ! だから、殺さないでくれぼ!」
「何度言えばわかるんですか? あなたが死ぬのは決定事項で、今更変えられるものじゃないんですよ」
「なんでお前に決められなきゃいけないんぼか! おかしいぼ!」
「もう……話が通じない人ですね」
想像以上に面白くない話をしてきたせいでせっかくの楽しい感じも失われてしまいました。非常に不愉快です。
でも、この人にふさわしい終わり方かもしれませんね。
「ではさようなら」
ちょちょいのちょいと。
みじん切りにしてやりました。欠片も残らないほどに細かく切ってやったら、街の人々からは悲鳴のような歓声のような、一回聞いただけでは判別できない声が上がりました。
使った剣は激しい行動に耐えられなかったのか、ぼろぼろと崩れてしまいました。少しもったいない気がします。
それから息を吸って大きく吐きますと、なんだか気持ちが落ち着いていって、暗い何かが消えていくのを感じました。なんだかんだこっちの気持ちも好きです。
「さて、テールイ行きましょうか」
「う、うん」
残り二つの剣を拾って、倒れているさっきの男たちから鞘をもらって、腰に付けました。それから、テールイの手を引いて、門番の人に話しかけようとしますと、
「ま、待ってくれ!」
と呼びかけられました。何事かと振り向きますと、さっきその辺にいた街の人のうちの一人が走ってきています。
「あなたは救世主だ! どうかこの街にいて、領主になってくれ!」
もしかしたら、来るかなと思っていたようなことを言われました。
「みんな! この人なら文句はないだろ!」
ほかの人々も賛成しているようです。
「その獣人族の子も一緒にいていい。お願いだ!」
「一緒にいていい……ねえ」
私はため息をつきました。
「お断りさせていただきます。テールイだってこの国にいたくないでしょう?」
「えっ……うん」
「というわけなんで。さようなら」
当然のことですから。
「待ってくれよ! なぜだ!」
「分からないんですか? ま、そりゃわからないでしょうね」
呆れました。
「そうか、こんな小さい国には収まりたくないということなんだな……」
はあ。間違った解釈までして。言わないといけないのでしょうか。
「面倒なので、一回だけしかいいません。あとから聞かれても絶対に答えませんから」
「えっ……あっ、分かりました。どうぞ」
「あなたたちも所詮はあのボリチェと一緒なのでそんな街にいたくはないということですよ」
「私たちが一緒だと……そんなわけない! 馬鹿にするな!」
「もちろん、全員が全員そうではありませんよ。でも、あなたたちはまた新しい主を置いて、支配を望んでいる。そこだけ見たら、あのボリチェよりもひどいでしょうね」
「なっ……いい加減にしろ!」
「さっき、獣人族の子も一緒にいていいって言いましたよね?」
「あ、ああ。それがどうしたのか」
「一緒にいていいって何様のつもりなんですか?」
「知らないのか! 獣人族は汚い生き物なんだ!」
テールイの手に込められた力が強くなりました。怖い、悲しい、つらい。そんな感情が溢れかえっているかのように見えました。
「なんで汚い生き物なんですか?」
「それはボリチェがそう……」
「訂正します。あなたたちはボリチェと一緒ではありませんね」
「そうだろ……」
「人以下の奴隷と同じですよ」
「奴隷……だと……」
「そんな国にいる人たちのいる場所にいたくはありません。さようなら。門番さん、いい加減開けてくれません?」
「あ、ああ」
「待ってくれ! 待て!」
心まで奴隷に染まった人の言葉に耳を貸す道理はありません。さようなら。
あの国の人々はこれからどうなってしまうのでしょうか。
学びを得て、いい方向に進むか、また新しい王が誕生して、奴隷のまま変わらないのか。せっかく優しい人もいました。あの人は大丈夫でしょうか。
振り向くと、門はちょうど、閉じ始めていました。
もう関係のある話ではありません。私には叶えなければならない願いがあって、会わなければならない愛する人がいるんです。小さな一つの国に執着する理由なんてありません。
「シュワイヒナさん……これから、どこに行くんですか?」
「どこに行きましょうか……?」
東に進んで、リデビュ島に戻るのがよさそうな気はします。あてもなく、この広い大陸を探し回るのはさすがに埒があきません。桜さんに凛さんをどこへ飛ばしたのか尋ねるのが最も確実な方法と言えるでしょう。しかし、凛さんとて、飛ばされた場所にずっといるとは思えません。
凛さんのことは誰よりもよくわかっているつもりでした。だって、私は凛さんを愛しているんですもの。――しかし、いくら愛していたとしても、大好きだったとしても、知らない場所で、どう動いていくのか、そんなこと見当がつくわけありません。凛さんだって、知らない場所でいろいろ学んで、成長していく。それが私にとっていい成長になるかどうかはわかりませんけれども、それを止める術は私にはありません。成長して、考えが変わって、そして、その時に私のことを愛してくれなくなったら……。そんなことを考えるとあまりに不安でたまりません。
それでもやはり、桜さんに尋ねるほかないようにしか思えないというところが私の頭がよく回らないことを示しているのでしょうか。
と、そこでとても大切なことを思い出しました。あの島はどこの国とも通商をしていない。つまり、あの島に渡る方法がありません。泳いでいけばいいかなと少しだけ思いましたが、まあ無理でしょうね。私、泳げませんし。どうするべきか、私には見当がつきません。
でも悩む暇なんてありません。明日生きているかすらわからないような場所に放り出されたわけですから。
もう何もわかりません。一時的な危機を脱したところで当初の問題を何も解決できていない時点で何も進んでいないのですから。
まったく桜さんたらなんてことをしてくれたのでしょうか……凛さんは本当に英雄になれるのでしょうか。でも、時々思うのです。凛さんは神からの加護を受けていると。凛さんはどこか向こう見ずで、どこか詰めが甘いのですが、膠着した事態を打破する一撃を打てる人です。しかし、そう言う人と言うのは足元すくわれて、簡単に殺されてしまいます。今までだってぎりぎりで戦ってきて、何度も殺されそうな場面がありました。それは私も同じであるようにも思うのですが、凛さんはあまりに危ない線を通り過ぎています。それで死んでいないほうがおかしいんですよ。そして、祐樹に殴られそうになった時、なぜか彼の攻撃は弾かれました。あれこそ神の加護としかいいようがありません。
ですから、凛さんに未来を託した桜さんの気持ちもわからなくはないのです。あのままあそこにいたとしても、何も変わりはしなかったのですから。
さて、祐樹のことですが、私は彼の野望がリデビュ島を統一したところで終わるとは思えません。じき、大陸に進出してくるでしょう。さて、貿易が始まるまで、港がある国で待機するのと、凛さんを探しに大陸を放浪するのではどちらがよいのでしょうか。
また、このテールイなる少女はどうするべきでしょうか。彼女はどこにいきたいのでしょうか。
「ねえ、テールイはどこに行きたいのですか?」
「私は……安心できる場所に行きたいです」
「安心できる場所ですか……」
なんだかむなしいやら悲しいやらわからなくなって、とりあえずと、私はテールイの尻尾を撫でました。
「ひゃんっ! そんなとこ触らないでください!」
「へえ、ここがくすぐったいんだあ」
思ったよりもいい反応で、少し楽しいです。
「も、もう!」
口では嫌っていうわりに尻尾は振りまくってるんで、嬉しいものは嬉しいのでしょう。
安心できる場所――せめて、私の隣にいれば安心できるようにしてあげたいものです。




