第五十八話 希望
「桜さん……?」
無理して笑ってるような桜さんに私は尋ねる。
「変だとは思ってたんだ」
ラインさんが呆れたように言う。
「まあ、こんなものだろうな」
アンさんも似たようなことを言った。
「ねえ、待ってよ。何呆れてるの? 私は本気よ!」
桜さんが必死に主張するが、誰もそれに耳を貸そうとはしない。
「私の凛さんをあなたの目的のために使おうとしないでください!」
シュワイヒナが桜さんを睨みつける。
「でも、凛は神に選ばれた人間なのよ」
「何を根拠にそんなこと言うんだ?」
アンさんが優しい声色で問いかけるが、それはどちらかというと子供をあやすような声色で、大の大人に使うようなものではなかった。
「さっきの見たでしょ。見てないとは言わせないわよ」
「さっきの……?」
「ええ、祐樹は凛を殺せなかったのよ」
「それはそうかもしれないが……」
「あれこそ彼女が神に守られている何よりの証拠よ」
勝ったとばかりに言い切るが、
「神が僕たちの味方をするとは限らない」
とアスバさんが言った。
「あの力……あれこそ神が味方してるっていうべきじゃないかな」
「そうだ。アスバの言うとおりだ。あの化け物のほうが神に愛されてるって考えたほうが自然だろ」
グルスもアスバさんの意見に賛成する。
「なんなの! じゃあそれ以外に何があるっていうの!」
桜さんはヒステリックに叫んだ。やっぱり狂信者としか言いようがない。
「まあまあ落ち着いてください」
とランリスが桜さんの背中を擦ろうとするが、桜さんはランリスの手をはねのけた。
「えっ……桜さん?」
ランリスも困惑しているようだ。
「もうどうだっていいから……誰かどうにかしてくれよ……」
兵士の一人が弱音を吐いた。気持ちはわかる。
突然、私が希望だなんて言い出して、どうしたかと思えば、神の話だ。またか、って感じ。でも、確かにそれ以外の道はあるのかって思う。
なんで、こんなこと考えなくちゃいけないのか。神が私の味方なら、とっくの昔にどうにかなってるはずなのに。
「それも一理あるな」
アンさんはまた私の心を読んで、答えた。
「凛が神に選ばれたっていうのなら、今頃固有スキルもあるはずだし、今頃、こんな事態にすらなってないだろ」
「それは……」
桜さんも反論が思いつかなくなってきている。
その時だった。桜さんが天を見上げ、驚いたように目を見開いた。アンさんはそれを訝し気に見ながらも、質問をぶつける。
「それに仮に凛が私たちの希望だとして、彼女がどうやってそんな存在になるっていうんだ?」
「道ならあるわ」
「なんだと……?」
「ええ、凛には海の向こうに行ってもらうわ。私の固有スキルで」
「海の向こうだと?」
「海の向こうで凛には修行してもらうの。湊も言っていたじゃない。あなたは確実に固有スキルを持っている。だから、固有スキルが発現するまで、レベルを上げてもらうのよ」
「それじゃあ凛さんの命無視してるじゃないですか! やっぱり桜さんは凛さんを自分の目的のために使おうとしているじゃないですか。そんなこと私はさせませんよ」
「黙りなさい!」
反論したシュワイヒナに桜さんは冷たく言い放つ。
「あなたみたいな小娘に何がわかるっていうの! 口を慎みなさい!」
「なっ……あなたがそこまで堕ちてるとは思ってませんでしたよ」
睨みつけられたシュワイヒナは睨み返す。
「そうね。そうだ。シュワイヒナ。あなたにも希望になってもらいましょうか」
桜さんは微笑みながら言う。
「希望にって……まさか……!」
シュワイヒナはどうやら何かを理解したらしい。私にはちっともわからないのだが……。
「あなたも海の向こうで修業しなさい」
「いや、私は凛さんと一緒に――」
「ワープ!」
桜さんがそう叫ぶとともに、シュワイヒナがいる空間が歪み始める。
「凛さん!」
「シュワイヒナ!」
手を伸ばす。だが、もう届かない。シュワイヒナの姿は一瞬にして消滅した。
「桜さん!」
ふつふつと怒りが沸き上がる。
「シュワイヒナをどこにやったんですか!」
桜さんにつかみかかり、私は怒鳴る。
「海の向こうのどこかよ」
桜さんはなんとも思ってなさそうに答える。
「なっ……なんで……」
ふいに力が抜けて、私はその場にへたり込んだ。
信じられなかった。一瞬でシュワイヒナを奪われてしまうだなんて少しも思っていなかった。だって、そんなこと普通あるか? どう考えても邪魔だったから排除したとしか思えない。
「こんなの……」
あふれ出した涙をせき止めることはできない。
「お前……もう何も言えねえよ」
ラインさんは拳を握り締めて、わなわなと震わせたが、
「もういい。俺はもう寝る」
そう言って、どこかに行ってしまった。
桜さんの気持ちも分かる。愛する人を奪われて、自暴自棄になる気持ちも分かる。神に頼るしかないっていうのも分かる。だからって、こんなのひどすぎる。
「シュワイヒナを……シュワイヒナを返してください!」
「無理よ。私の力は人を運ぶ力で、戻す力ではないわ。諦めなさい」
「諦めろって……」
誰のせいで……。
もう何がなんだかわからなくなってきた。この怒りを誰にぶつけたらいいかもわからない。
「とりあえず、私は生存者を探してくるわ。凛、ついてきなさい」
桜さんは出し抜けに言い出し、立ち上がる。
「やめろ、桜。お前のしたいことは読めている」
アンさんが桜さんの腕をつかんだ。目で訴えかける。
「何、生きている人がいるかもしれないって言うのに、私を邪魔するの?」
「違うな。君がしようとしているのは生きている人がいるか探すことではない。私をなめるな」
「邪魔しないで」
「無理な話だな。場所を変えたって意味はない。そんなこと君はわかっているはずだ」
「じゃあ、私も行きます」
ランリスが桜さんに言う。
「いいわ。凛がいればいいの」
ランリスの手を払い、そして、アンさんにも、
「これ以上私の邪魔をするくらいなら、暴力もいとわないわ」
と脅す。
「ダメだ。私たちがするべきことは仲間割れじゃない」
「そう。邪魔するっていうのね」
桜さんはアンさんへ拳をふるう。顔を思いっきり殴った。バシンという音が響いて、音だけでも痛そうだ。だが、アンさんは桜さんの顔を見つめて、離さない。
「ちっ……なんなのよ!」
桜さんの中で何かが壊れた。両手両腕全てを使って、アンさんをめちゃくちゃに殴ったのだ。
「邪魔! 邪魔! 邪魔!」
殴られ続け、蹴られ続け、アンさんの体のいたるところから出血する。一部分だが、明らかに肉体強化を使っている。普通に人間の体が受けるには強すぎる力が加えられているはずだ。
「桜! 目を覚ませ!」
そう言ったアンさんの顔が蹴られた。眼鏡が折れて、ガラスの破片があたりに散らばる。
「桜! やめて!」
ランリスやネルべ、また兵士たちが桜さんを取り押さえ、ようやく場は静まった。
アンさんの体はぼろぼろだった。あちこちから、出血している。しかし、それでも彼は立ったまま、桜さんの顔を見つめていた。
「戻ってもらえるように説得しなきゃ意味がないわ。いい加減離してちょうだい。賭けれるものならなんにでも賭けたいでしょ」
「リスクが大きすぎる」
「そんなことわかってるわよ!」
その時だった。アンさんが目を見開いた。
「神……か」
彼はそうつぶやき、
「分かった」
アンさんが桜さんから手を離す。
「さあ、行きましょ。凛」
桜さんは私の腕をつかむ。
「必ず生きて戻って来いよ。凛」
アンさんが優しく私に微笑んだ。まるで、最後の別れみたい。
「ワープ」
またあの感覚が押し寄せてくる。
私と桜さんは砦に戻ってきた。ぼろぼろになっている城の中に入っていく。
結果から言うと、城の中には生存者は一人もいなかった。完全にもぬけの殻だ。
「次は近くの森探してみましょうか」
そう言われ、森の中へ行く。
「あ、あれ!」
人の体が見えた。私は走る。速く助けなきゃ。その一心だった。
近づいていくにつれ、はっきりと見えてくる。木にもたれかかった兵士だ。リーベルテ軍の軍服が見える。ここからは腕しか見えないが……。
すぐそばにきたので、彼の姿を正面から見ることになった。
「大丈夫ですか!」
肩をゆするが、反応がない。それに右手にねちょりとした気持ちの悪い感覚を味わった。
手を見ると、それは血だった。出血しているのかと思ったが、すぐに違う原因だとわかる。
息をのんだ。なぜ、気が付かなかったのかと自らへ尋ねた。後悔の念のようなものが生まれるが、何を後悔しているのかわからない。
私は抉れた体を触っていた。その兵士の体は左肩から腹にかけて、大きくえぐれていた。私が手を離すと、その体はぐらりと傾き、倒れる。
死んでいることくらいわかる。
「あっ……えっ……あっ……」
寄ってきたネズミがその兵士の肩から、中に入っていく。
「死んでるのね」
桜さんは私の後ろで言った。
それからも私たちは森の中を探した。肉片などは見つかるが、生きている人は一人も見つからない。
「生存者はいなかったようね」
「……はい」
絶望だった。誰か生きていると思っていた分、ダメージが大きい。
「凛さん」
シュワイヒナの声。
「シュワイヒナ!」
後ろを振り返る。
誰もいなかった。ただの幻聴だった。
そうだ。シュワイヒナはもうこの島にすらいない。海の向こうの大陸に飛ばされたから。
「凛、シュワイヒナの幻が見えたのね」
「…………」
「海の向こうに行けば、また会えるかもしれないわ」
「会えないかもしれません」
「そんな弱気でどうするの?」
「それはあなたもでしょ!」
我慢ができない。私はまくしたてる。
「神なんかに頼ってどうするんですか!」
「神しかいないもの」
「でも……」
「凛、あなたには生きていてもらわないといけないの。それが私たちの神の意思よ」
「なんで、なんで……私なんですか!?」
「分からないわ。ただ、あなたを生き残らせておけば、君は幸せになれると。そう神が言ったのよ」
「桜さん! あなたは神を信じるんですか!?」
「もう頼れるものはそれしかないのよ!」
彼女はぼろぼろ涙を流していた。こんな涙を流させてしまったことがたまらなく悔しい。
「さあ、生き残りなさい。そして強くなりなさい。いつか、祐樹を倒すために」
「私には無理です……弱すぎる。私は弱いんですよ!」
「ダメよ。シュワイヒナ――あなたの大切な人のためにも、そして死んでしまった者たちのためにもあなたは生き残らないといけないの」
ああ、理不尽だ。神よ。私はどうすればいい? なぜ私なんだ? 訳の分からないまま、この世界に来させられて、人が死んでいくのを目の当たりにさせられて、どうして、それでも尚、私は立ち上がらないといけないのか。どうすれば強くなれるかもわからないのに。
そもそもシュワイヒナの名前を出してくるのがずるい。桜さんが海の向こうにやってしまったというのに。
今更ながら、すべて桜さんが私を海の向こうに修行に行かせる――希望にして、心の支えにするためのシナリオであったことを思い知った。そして、もうそれから逃れられない。だから、アンさんは私に「生きて戻って来い」だなんて言ったんだ。まるで最後の別れのように。
「さあ、生き残って。そして強くなって戻ってきて。あなたは最後の『希望』なのだから」
希望なんて言葉は私には重すぎるのに。それでも運命は私を許しはしない。神に操られる運命か。それとも祐樹に捻じ曲げられた運命か。
私の運命の歯車は何度も捻じ曲げられてきた。あまりに神から愛されていない。平穏な暮らしを手に入れることもできない。すべて奪われて、なくしてしまう。その日々に私はもう、うんざりだ。誰か助けてくれ。そう思っても、自分を助けるのは自分しかいない。それに、私は自分だけじゃなくて、いろんな人の運命までも背負わなければならないようだ。
桜さんは私の頭に手をかざした。そして、彼女の「固有スキル」を使用する。
「ワープ。強くなって、凛」
その瞬間に私の視界は渦巻き始めた。それとともに周りを覆っていた森の葉っぱが擦れる音が消えていく。あの感覚が来る。それでも目に深くこびり付いたあの景色は――惨状は消えやしなかった。
運命がまた私に牙を剥く。




