第五十七話 終戦
沈黙は破られない。空気が重苦しい。そこにいるだけで苦痛だ。せめて、シュワイヒナが目を覚ましてくれればと思ったものの、彼女だって何も言えないだろう。
なぜ、シュワイヒナは突然倒れたのか。考えても結論が出る気はしないけれども、それを考えることにしよう。
今は私の太ももの上でぐっすり眠っているシュワイヒナだが、彼女は「死の雨」を使用しようとして、倒れた。その時の彼女の闇の紋様は薄かった。だから、闇覚醒しきれずに発動してしまったのだろう。そう考えるのが妥当ではある。今のところ彼女の表情は幸せそうだし、大丈夫そうには見えるのだが、実際に誰も体験したことのないことである以上、心配ではある。
熱はだいぶ下がってきた。もう普通の体温くらい。ただ、これだけの短時間でこんなに体温の変化が起こっていることを考えるとそれによりシュワイヒナは体温を奪われ、睡眠状態に入っている、というのが解なのだろう。
だが、なぜ闇覚醒しきれなかったのか。そもそも闇覚醒の仕組み自体わからないところだらけなので、理由の追求なんてできやしないのだが、一つ言えるとするならば、今回の事態を鑑みるに、シュワイヒナはもう二度とこんなことはしないほうがいいだろう。しかし、彼女の性格上やりそうなので、心配の種は消えない。
なんとかして、軽い話を考えようと思ったのだが、むしろ重い話になった。というか、議論すべき話題の選択を間違っている。しかし人の命が失われた後に、軽い話を考えようと思うこと自体が罰当たりだ。だが、いつまでも悲しみに浸っているのは進歩がない。
とはいっても、私とて明るくはなれない。事実を受け止めたくないから、他のことを考えないといけないんだけれども、これから先に進もうとしたって、どこかで失ったものの大きさを感じさせられる。
私たちに必要なのは事実を受け止めて、前を見ることだ。
ファイルスさんは戻ってくるはずだ。
祐樹は、諦めて、シュワナに私たちが捕まえた兵士を連れて、帰るか、死ぬかのどちらかだろう。どっちにしろ私たちが元の生活に戻ることはできるはずだ。その時は私とシュワイヒナのいる意味はなくなってしまうけれど、それも致し方ない。シュワナに戻ろう。戦争を諦めた祐樹のもとなら、私たちも帰れる。
もっとうまく立ち回れなかったのか。もっとうまく戦えなかったのか。私は誰も死なないようにしたいと願ったはずだ。でも、それはただの願望だった。実際に成し遂げることなど叶わず、私はただただ希望を信じただけで、結局私は何かをしたわけじゃない。ただ漠然と願っていただけの、足手まといだった。
「おい、これからどうするんだよ」
兵士の一人が口に出した。
「いつまでもこのままってわけにはいかねえだろ。湊のやつが死んだ。リブルのやつが死んだ。仲間が大勢死んだ。だからって、俺たちは何もしねえのか。そんなわけねえだろ」
呆れたように言う。
「でも……何するってのよ」
桜さんがぼそっと言う。
「何する……か。だがな、湊ならこんな時でも人を引っ張れたと思うぜ」
あいつはそう言う男だ、とその男は言う。
「あなたに……」
桜さんはそう言いかけてため息をついた。
「まあそうかもしれないわね。うんそうだ」
桜さんは立ち上がる。
「うん、そうね。まずは亡くなった兵士のご家族への補償からね」
「なんだかんだ、やらなきゃいけないこといっぱいあるな」
「ええ、でも守られたのよ。私たちの国は」
この戦争で私たちは何も手に入らなかった。ただただ失っただけだ。だけど、事態は収束した。
「ファイルスが帰ってきたら、労ってやらないとね。全部任せちゃったから」
その時だった。轟音が王宮に響いた。がらがらと王宮が一部崩れ始める。そして、飛来してきた何かが見え始めた。
「随分と苦労させたな」
絶望が訪れる。
「おいおい、まさか負けると思ってたんじゃないだろうな」
まさか、こんなにも早く。
「ほら、お前らの希望だよ」
祐樹は何かを投げた。きゃっと悲鳴が上がる。ランリスの声か? いつの間に来ていたのか……。いや、そんなことは今はどうでもいい。
「嘘……でしょ」
ファイルスさんの生首だった。
「さすがに首を落とせば死ぬようだな」
祐樹はそう言ってにやにやと笑う。
「俺には勝てねえんだよ。全く時間だけ取らされたぜ。さて、俺の仲間たちをよくもあんなに長い間眠らせてくれたな。それにお前らは俺の仲間を殺したな」
親指で首を斬るかのような仕草をする。
「死ねよ。お前ら」
彼は歩き始める。
その瞬間、激しい衝撃波があたりに巻き散らかされた。
「エレキチェンジ!」
ネルべさんが体を電気に変化させ、祐樹に突撃したのだ。
「それがなんだ?」
祐樹は首を傾げた。
「効いてない……だと……」
ネルべさんが驚愕する。
「邪魔だ。小僧」
祐樹が手を払った。激しい衝撃波とともにあたりが王宮がまるで巨大な獣にえぐられたかのように傷つけられる。
ネルべは体を電気に変化させ、なんとか避けきったようだ。
「あっ……」
ネルべは心臓を押さえて、肩で息をする。
「さて、改めて俺の仲間を殺したやつらを殺すとしようか」
彼は残虐な笑みを浮かべた。
「てめえが言うか!」
兵士の一人が叫ぶ。さっきの兵士だ。
「お前だって俺たちの仲間を殺しただろ!」
「ああ、そうだ。そして、お前らにも死んでもらう」
祐樹は全く動じずにそう返す。
「ねえ、凛。これが祐樹なの……?」
ランリスがそう尋ねてきた。
「うん……」
「なんで私たちが死ななきゃなんないのよ」
彼女は嘆いた。
さっきから、兵士たちからも出ていた声だ。
「なんで俺たちがお前に殺されなきゃなんないんだよ!」
「なんだ?」
祐樹はそう叫んだ兵士のほうを向いた。
「なぜ、お前らが殺されなきゃいけないのか教えてやろう。それはお前らがあの湊とか言うやつの仲間だからだ」
理不尽極まりない理由を突き付けてくる祐樹。
「じゃ、じゃあお前の仲間になるって言ったら助けてくれるのか……?」
一人の兵士がそう尋ねる。祐樹は腕を組んでしばらく考え込んだ。
「ああ、いいよ。俺の仲間になれ」
兵士は顔を輝かせ、そちらのほうへ走っていく。それを見たほかの兵士も次々に走り出した。
「ふん。湊よ。お前の人望はこの程度のものだったんだ!」
はっはっはと祐樹は笑う。
「違う!」
桜さんが叫んだ。
「あなたは恐怖で押さえつけてるだけ。湊は違う!」
私も限界だった。
「祐樹! あなたは力で人を操ってるだけ。そんなのの何が楽しいの! 見た目だけの仲間でいいの!? きっといつかそんなもの崩れるわ」
「なんだと……」
祐樹はわなわなと肩を震わせる。
「てめえに何が分かるってんだ! 恐怖は絶対だ! 俺のこの力があれば誰も俺から離れていかない!」
「だからって、人を傷つけていいと思ってんの! あなたはただ寂しがりやなだけでしょ!」
「寂しがりや……てめえ!」
祐樹は叫んだ。そのまま、走り出す。
「死ねえ――っ!」
その拳は私の顔へまっすぐ振るわれ――
「なっ……」
パンッと破裂音が響いた。それと同時に祐樹の体が吹き飛ぶ。
「くそっ、どうなってやがる!」
祐樹は叫ぶが、私とてその答えは出ない。私の目の前にバリアのようなものが一瞬出現したかのような気がしたが……。
「お前はなんで、俺に屈しないんだよ!」
まるで子供のように地団駄を踏む祐樹。
「屈するものか。お前なんかに」
私は彼を睨みつける。
「私はお前を絶対に許さない。私の仲間を殺したあなたを!」
「じゃあお前の周りみんな殺してやるよ!」
祐樹が立ち上がる。その時だった。
「ワープ!」
桜さんの声。そして、一気に視界はぐるぐると回り始めた。
ついたのは森の中。周りにいるのはラインさん、アンさん、アスバさん、ネルべさん、シュワイヒナ、桜さん、ランリス、そして兵士が数名。
「間に合ったわね」
桜さんがほっと息をつく。
「もういいわ。勝てないもの。あんなの」
「桜さん……」
「諦めましょう。死ぬよりはましよ」
「そうですけど……これからどうするんですか」
「どうしましょうか……」
その時だった。私の腕の中で動きがあった。
「う……あれ、凛さん?」
「シュワイヒナ!」
思わず、抱きしめる。
「あ……どうしたんですか」
シュワイヒナははにかみながら、私の背中をさする。
「あ、それより」
シュワイヒナは私から離れて、
「祐樹はどうしたんですか」
表情をがらりと変えて、尋ねた。
「えーっとね……」
私はここまでの経緯をざっと説明する。
「えっ……あっ……」
どうやら、必死に言葉を選んでるらしい。
「もういいのよ」
桜さんはそう言う。
「じゃあ、祐樹に負けたまま、私たちは細々と彼から隠れながら、暮らさないといけないのか」
とアンさんが言う。
「それはごめんだな」
ラインさんはため息をつきながら言った。
「もう……それ以外に道はないんでしょ」
ランリスが言う。
「生きるのが苦か、死ぬのが苦か」
兵士の一人がそう声に出した。その言葉が胸に突き刺さる。
生き残った私たちはどうするべきなのか。
これからリーベルテでは祐樹による支配がはじまるだろう。リーベルテはシュワナと統合され、リデビュ島は祐樹に完全に支配されることになる――この森を除いて。
だが、この森はリーベルテにいたときの暮らしと比べれば、先に苦難が多すぎる。それに、リーベルテに残された国民も心配だ。祐樹は自分の邪魔となるものを排除する恐怖政治を敷くだろう。それがよくないことくらい私にもわかる。しかし、力がない。
「とりあえず、どこかで休みをとりましょう」
桜さんはそう言って、立ち上がる。
「祐樹が来ない場所なんてわかるんですか?」
「さあ、わからないわ。でも、彼が森を探すかしら。ねえ、アン。城に、人いる?」
「いや、いないな。全員がリーベルテへ出発している」
「なら、いいわ。そこから離れた場所に行きましょう。みんな、歩けるわよね」
頷く。
「うん。とりあえず出発よ」
私たちはその場を離れた。
十分ほど歩いたところで、桜さんが、
「確かこの辺りだったわよね」
と言いながら、土を掘り始めた。
「えっ、何してるんですか?」
と尋ねると、
「まあ、見てて…………あ、あったわ」
そう言って、嬉しそうに笑った。
「ほら、秘密の場所よ」
そこに現れたのは扉だった。
「もしものために作っておいたのよ。さあ、入って」
扉を開けて、中に入っていく。
中は意外と広かった。人が二十人くらいは寝泊まりできそうなスペースだ。それにところどころに人が入れそうなスペースがあって、モグラの巣みたいだと思った。
「祐樹がもしものためにって作っておいたのよ。ラインとかアンとか、ランリス、グルスとかはわかるでしょ」
グルスというのは兵士のうちの一人の男の名で、先ほど、王宮で最初に口を開いた人物だ。
「まさか、役に立つ日が来るとはね」
と感慨深そうに言う。
「さて、これからどうするか考えましょうか」
私たちはその辺に座った。
「いつまでも、ここにいるってのか?」
とラインが尋ねる。それに桜さんは
「いえ、そういうわけじゃないわ。いつか私たちは祐樹を倒す。でも、今がそういうときじゃないってだけよ」
「倒すって……何か策でもあるのか?」
「無理だ! あんなのに勝てっこねえよ!」
ネルべさんが叫んだ。さっきから体の震えが止まらないようだった。祐樹の強さを目前にしたからだろう。私だって怖い。
「そうね。無理かもしれないわ。でも、私たちには希望がある」
桜さんが私のほうを見て、ニコッと笑った。
「凛、あなたよ。あなたが私たちの最後の希望よ」
そう言った桜さんの顔は憔悴しきっており、また、もう先がない、神に頼る信者のようだった。
 




