第五十四話 葦塚湊
時折昔のことを思い出す。裕福な国日本で暮らしていた日々のことを。
私は幸せだった。生まれてからずっと恵まれていた。
まず、生まれつき頭がよかったようだ。テストでもずっと高順位をキープしていたし、ちょっと学べばすぐに覚えることもできる。
それにかわいい幼馴染がいた。今の葦塚桜である。親の職場が同じだったらしく、いつも一緒にいた。その友情は成長してからは愛に変わり、私たちは晴れて結婚するまでになったのである。
大学は工学系に進み、いろいろなことを学んだ。その後は、桜とともに幸せな家庭を築けることになるのであろうと、そう私は信じていた。
実際が違ったことくらいわかるだろう。
大学四年の夏。私と桜は気づけば森の中にいた。その直前まで私は家のすぐ近くにいたはずだ。それなのにまるで記憶が抜け落ちたかのようで、混乱する。
どこか寒くて、季節を間違えそうだった。だが、それもここが深い森の中で太陽が差していないからだと考えれば自然なこと。太陽が見える場所まで行けば今が夏であることくらいすぐにわかった。
それで少し安心するのだが、依然何もわからない状況は変わらない。
桜はひどく怖がっていた。だから、私は桜を守らなければならない。そう息巻いたものの、何もわからないのであれば、対策も何も立てられない。
立ち止まっていても仕方がないので、私たちは森の中をひたすらに歩き続けた。
何時間経ったかはわからない。全身を襲う倦怠感と絶望感に襲われ、ほぼ無心で歩き続けていたからだ。
人の姿が見えた。はっきりと二つ。誰でもいいから助けが欲しい。そう思っていた時だったのだから、その時の私がどのような感情を抱いたかは想像に難くないだろう。
気づけば私は走り出していた。桜もまた走り出していた。
「あ……た……助けてください」
息も絶え絶え、私はそう懇願する。すると、その二人の男は顔を見合わせた後、笑って、
「ああ、いいぞ。ついてこい」
そう言ってくれた。
私たちは二人の家に呼ばれた。明らかに日本の家ではない。西洋にあるような木組みの家であった。そこで、シチューのようではあるが、冷たいスープを食べさせてもらった。おいしくはなかったが、食べ物を恵んでくれたというだけで十分だ。
「疲れてるだろ、寝てな」
と言われたので、それに甘え、私たちは質素なベッドの上に横になる。
それから目を覚ますまでそう時間は経たなかった。
桜の叫び声で私は目を覚ました。何があったのかと、跳び起き、隣を見れば、
「やめて!」
桜と二人の男がつかみ合っている。
「おい! やめろ!」
そう私は叫びながら、彼らにつかみ合った。しかし、彼らの力は信じられないほど強く、簡単に突き飛ばされる。
頭がおかしくなりそうな非常事態。こんな時こそ、落ち着いて対処しなければ。そう思い、深呼吸した。
周りを見渡しても武器になれるようなものはない。やはり素手でなければ、対処不能か。しかし、あの力に対して、今まで碌に運動もしてこなかった私が勝てるわけがない。だが、速く動かなければ、桜が……。
そのとき、ふとおかしな点に気づく。
なぜ、桜はあれほど屈強な力を持つ相手に対して、戦えているんだ?
「ちっ、こっちは弱いくせにお前は強いのかよ!」
「知らないわ! 早く離して!」
何が起こってるんだ? 桜は私ごときに腕相撲で負けるほど力は弱い。
火事場の馬鹿力というやつか。
なら、私も命をかけて、戦わなければ。
私はもう一度、つっこんだ。すると、今度は腹を蹴られ、鈍い痛みが私を襲った。
喧嘩などしたことがない。そんなものとは関わりのないようにずっと生きてきた。それを後悔する日が来るとは夢にも思ったことがなかった。
いや、まだ手はある。さっき、彼らは料理をふるまってくれたのだから、それに使った道具があるはずだ。つまり、彼らはほとんど間違いなく、包丁を持っている。
私は立ち上がり、包丁を探した。すぐに見つかった。調理台のような場所のすぐそばにある。そして、それを彼らに向けた。
「今すぐ桜を離さないと刺すぞ」
じわじわと詰め寄っていく。しかし、彼らは表情を少しも変えない。
「それがどうしたっていうんだ?」
にやりと男たちは笑った。そして、そのうちの一人が、
「風魔法」
私に手を向け、そう言う。すると、突然風が吹き出し、いともたやすく私が握っていた包丁を吹き飛ばしてしまった。
「……は?」
予想だにもしない展開に間抜けな声を出してしまった。今彼らが使ったのが魔法――ということか。そんなものが本当にあるのか?
ここで、私は初めて気が付いた。とんでもないファンタジーな場所に迷い込んでしまったと言うことを。
「もうお前うるさいから、死ねよ。岩魔法」
もう一人の男がそう言う。それと同時に彼の手から岩が飛びだす。
私はこんなところで死んでしまうのか。何もわからないまま、何も知らないまま――桜を助けられずに。
「そんなのはやだ」
私は目を瞑った。
その時だった。
「力が欲しいか?」
そういう声が聞こえた。くぐもったようなはっきりとしない声。
目を開けた。
「なっ……!」
全てが止まっていた。目前まで迫っていた岩は完全に停止している。そして、桜や先ほどの男たちの動きも止まっていた。私の体までもが動かない。
「力が欲しいのか?」
男の声のようだ。
「力をくれるのか?」
「ああ、君が誰にも負けないような圧倒的な力を、な」
「本当か!」
「ああ、本当だ」
そう彼が言うと、私の視界の右下に数字とアルファベットが書かれたプレートのようなものが浮かび上がった。
「なんだ、これは?」
そう私が尋ねると、彼は
「これはステータスと言うものだ。お前の力を数値化したものになる。そして、君には固有スキル『レベリングコントロール』をあげよう」
「レベリングコントロール? 固有スキル?」
「ああ。この世界はマジックポイントと呼ばれる魔法の力がある世界。そのマジックポイントを消費することにより、先ほどの魔法や、特殊な効果を発揮できる固有スキルを使うことができる。例えば、君のその『レベリングコントロール』は相手のレベルを変えることができる」
「レベル……なんだ、それは?」
「君には教えておこう。人を殺したり、動物を殺したりすれば、相手の持っているマジックポイントを吸収することができる。それらは経験値として、そのステータス画面に現れる。そして、そのマジックポイントがある程度までたまれば、レベルが上がり、ステータスが上昇するのだ」
「まるで、ゲームのような世界だな」
「そう思うだろ? だがな。ここはれっきとした異世界だ」
「そうか……」
深く考えてはいけないのだろう。だが、
「じゃあ、なぜ私はこの世界にいる?」
これだけは気になった。幸せな日々をどういう理由で邪魔されたのか知る権利が私にはあると思う。
「この世界が君の助けを求めていたからだよ、湊君」
そう神は言って、消えた。
それとともに世界はまた動き出す。目の前の岩はまた、私めがけて、突っ込んできた。
神のくれた力。それを試す場面が早速来ているということだ。私は拳を握り締め、目の前の岩を殴りつけた。
そして、いとも容易くそれは砕け散った。
造作もない。特に拳への痛みも感じない。まるで豆腐でも殴ったかのような感触だ。
「なっ……いきなり、強くなって――」
そう驚く男たちに私は「あれ」を試した。
「レベリングコントロール」
それは何とも形容しがたいものだ。敢えて言うのならば、波。私を中心に広がった波が彼らの体に触れた。
「なんだ……これは……まさか、貴様。固有スキル使い――!」
反応を見るに固有スキル使いと言うのは珍しいようだ。私は圧倒的力を手に入れたという優越感にニヤッと笑う。
「ちっ……くそが――っ!」
そう叫び、彼らは襲い掛かってくる。しかし、その動きはあまりに遅い。見切れる。攻撃も簡単に躱せる。そのまま私は彼らの腹に直接拳をお見舞いした。
「がぁ……」
まるでアニメの世界かのように吹き飛んだ彼らは家の壁に激突し、そのままぐたっとして起き上がらなくなる。
呆気なかった。歯ごたえなんてない。神の力がどれだけ素晴らしいものであるか実感した瞬間でもあった。
「あ……湊、ありがとう」
桜も驚いているようだ。
「礼には及ばないさ、さあ、行こう」
「どこへ?」
「私たちを必要としている場所だ」
それから私たちは森の中をずっと進んでいった。どうやら、桜も私と同じように神に力をもらったらしく、かなり強くなっている。私の場合、レベリングコントロールがあったから、あんな風に簡単に倒せたのであって、私と桜の力は同じくらいだった。少し悔しかったが、特に気にするようなことでもない。
割と、森はすぐに抜けられた。一日くらいだったか。そして、森を抜けた先には村のようなものが見える。
まずは情報収集だ。それがあれば今何をすべきかが分かってくる。
「ん? 旅の人かい? それにしては見慣れない服を着てるねえ」
と年老いたおばあさんのような人が話しかけてきた。
「いえ、旅の人っていうわけじゃないんです。なんだか別の世界から来てしまったみたいで」
「別の世界……?」
その人は首をかしげ、しばしの間考え込む。それから、
「本当に転移者たるものがいたとは……どうだい。首都にでも行くかい? 少し遠いが……。転移者なら手厚くしてくれると聞く」
「いえ、行きます」
特に目的もないが、私たちは首都に向かうことにした。
かなり長い道のりだった。そして、その間に、この国の抱えている事情も分かってきた。
まず、何年か前の戦争での大敗により、国家は機能を失った。一応、アン・インカ―ベルトという人とライン・アズベルトという二人の人が国家を立て直そうと動いていたらしく、それにより、普通の国家としての働きを取り戻しつつあったが、隣国のシュワナ王国に大きく後れを取っていたようだ。
この世界は文明が遅れている。それならば私の出番だった。大学で学んだことが大きく役に立ちそうだ。
また、道中仲間ができた。いや、仲間と言うよりも保護すべき相手だったのかもしれないが、その仲間――ネルべはまだ幼い少年で、親に捨てられたようだった。彼も固有スキルが使え、これが道中大いに役に立つ。というのも、彼を先ほど訪ねた村の次に訪ねた村で、保護したのだが、その後、私たちは各村の問題解決をしていた。その際に彼の電気の能力が大いに役に立ったのである。そして、私はその問題解決のたびに、仲間を増やしていった。
三週間くらい経過して、私たちは首都にたどり着いた。その時にはすでに仲間は二十人を超えていたように思う。
アンが私たちを出迎えてくれた。私の噂を知っていたようで、彼により、私はリーベルテの王になる。
そして、道中手に入った仲間たちは私の作った軍――警察組織に勤め始めた。だから、兵士たちは私の古くからの友なのである。それゆえに私は凛の提案した誰も殺さないようにするという案に賛成であったし、それを実行してほしかった。それゆえに、私は危険になりそうな状態を避けたかった。
「なあ桜、私はどうすればいい」
凛と一悶着あったあと、私は桜に尋ねた。
「さあね、私にはわからないわよ」
「冷たいな」
「そうとしか返せないの。私とてあれはダメだと思ってるわよ。でも、恋心で突き動かされる気持ちはあなたにだってわかるでしょ。あの時、助けてくれたように」
「それを言われるとはな。まあいいさ。私が言えたことじゃないってことはもうわかった」
「そう。さて、明日みたいね」
「祐樹か」
「ええ」
私はため息をつく。この力『レベリングコントロール』。これが本当に相手の固有スキルをかき消せるのならば、私は負けないはずだ。
順調にフラグを建ててしまっている。しかし、これがミスリードなどではなく、私だけが死ねば、それはそれでいいのかもしれない。
桜のおなかの子には未来があるのだから。彼を守っていかなければならない。それだけは忘れてはならないのだ。




