第五十一話 闇
目を覚ましたのは何もない真っ白な場所だった。どこまで続いているともわからない。ただただ無限が広がっているかのような場所。
「ここが天国か……」
不思議と声が出たのだが、よくよく考えれば声が出ていること自体不思議ではある。実体がある、ということなのだろうか。天国なのに? おかしい。
「やってきたな、凛」
神の声。そちらを見るが、なんだかぼやけていてはっきりとは見えない。むしろ、夢の中のほうがはっきりしているようにも感じる。
「ふんっ、死んだのか」
「だましたわね」
「だましてなんかいないさ。ちゃんと言ったではないか。信念を曲げるなと」
そう言って、神は笑う。
「で、ここはなんなの?」
「天国、ではない」
「質問に答えて」
「君にはわからない高次の世界だ。ほら、下を見てみろ」
言われるがままに、私は下を見る。そこからは、シュワイヒナの姿と、死体となった私の姿が見えた。
「下界ってこと……?」
「そうだ。ここからは下の世界で行われていること全てを詳細に見ることができる」
「何、じゃあそれで私たちのことを監視してるの?」
「見ているだけだ。私の介入は必要ない」
「どの口が言ってんの?」
「君だけは介入の必要があるからな」
「もういいわ。そのくだり。私は嫌い」
「まあ嫌いなら嫌いでいい。まあ、それより下を見てみろ。お前の愛する人が大変なことになってるぞ」
「凛さん……どうして……」
シュワイヒナは涙を拭くことすらせずに、私の体を抱きかかえているままだった。
「そんなに大事なやつだったのか。ふんっ、自己中なお前がそんなに人のことを気にするとはな」
はっはっはっははとシュベルツは笑う。
「シュベルツ」
シュワイヒナは立ち上がり、その名を呼ぶ。
「死ね」
短く、彼女はそう言った。
「もういい。全部壊すから」
彼女の体は変色を始めた。噴き出した闇はシュベルツに対し、猛スピードで襲い来る。
闇覚醒。結局それを避ける方法はなかったのだろうか。
「違うな。避ける必要がなかったんだ」
神はそういう。
「どういうこと……?」
「見てればわかる」
シュベルツは闇をよけ、後ろのほうへ下がった。
「もうそうなったら、自我を失っちまうんだろ。終わりだな」
嘲笑う。そして、
「王の裁き。すぐに楽になるさ」
空が一瞬輝いたかと思うと、大量の岩が空から降り注いだ。
このままじゃシュワイヒナも死んじゃう。もう心臓は動かないはずなのに、鼓動が早まっているかのように感じた。
激しい衝撃音。それとともに、シュワイヒナの体は砂埃に隠れる。あれが直撃してしまったのならば、体が残っていると考えるほうが不自然だ。
砂埃が去った後、そこには体中に穴が開いたシュワイヒナがうずくまっていた。服はびりびりに破けて、体の一部は原形を保っていない。彼女は私の体を守っていた。だから、避けることができたはずなのに、避けれなかったのだ。
そして、
「嘘だろ……」
その声は、目の前で繰り広げられていた突然の展開に行動が間に合っていなかったアンさんやファイルスさんの声だったかもしれないし、シュベルツの声だったかもしれない。とにかく、そこで起こったことを見たすべての人が――神を除いて――驚きの声を上げたのだ。
「この体、良いですね」
立ち上がったシュワイヒナはそう言った。細くなった布がこぼれおち、露わになった彼女の体からは血が出ていなかった。そして、空いた穴は塞がっていく。
「シュベルツ、あなたが私を殺すのは無理ですよ」
全身に浮き上がった黒い紋様は彼女がすでに闇覚醒フェーズワンに入ったことを意味している。しかし、その中でも彼女は自我を保っていた。
「どうしてでしょうね。すごくいい気分ですよ。今の私に敵なんていないですよ」
完全に穴は塞がった。
「マジックポイントも無限にありますし、どういうわけか私にはちゃんと自我があるんですよ。それに希望が持てました。この能力があるんですから」
彼女は凄惨な笑みを浮かべ、続ける。
「その前にシュベルツ。少し遊んでくださいね」
「ほら、シュベルツ。すごく怯えてる。きっとトラウマを思い出してんだろうな」
「トラウマ……?」
「まあ、いいさ。知らなくてもいいことだ。とにかく、あいつ体はぶるぶる震えて、みっともない。さて、シュワイヒナ、どれだけ遊ぶか見ものだな」
そう言って、神は笑う。
彼女はゆっくり歩き始めた。そこに、
「おい、シュワイヒナ。一体、どうなってんだ。君の心が読めない」
アンさんがそう問いかける。すると、
「うるさいですね。それ以上言ったら、殺しますよ」
そう笑いながら、返した。その目に、色はない。感情が読めない。
「うわあああああ!」
そう叫びながら、シュベルツは走った。二つの剣を持ち、加速する。そして、シュワイヒナとすれ違った。
「やった……!」
シュベルツはそう叫んだ。
シュベルツの剣は一本粉々に砕けたが、もう片方の剣はシュワイヒナの体を真っ二つに切り裂いていた。断面からは、闇が見える。
「なーに喜んでんですか」
ひひっとシュワイヒナは笑った。そして、すぐに二つの体はまるで磁石で引っ張られているかのように一つにくっつく。
「いっ……」
シュベルツはその姿を見て、尻もちをついた。
「腹を斬られたくらいじゃ死にませんよ。なめてるんですか」
そして、一発シュベルツの体を蹴った。その刹那、激しい衝撃波が巻き上がり、辺りの木はそれで吹き飛び、ファイルスさんやアンさんですら、吹き飛ばされる始末。まるで隕石でも落ちたみたいに、その場には何もなくなる。
「あら、死んじゃいました?」
首をかしげて、彼女はそう言う。
「まだ、死んでませんよね」
おそらくシュベルツは蹴られる瞬間にマジックポイントを集めて、肉体を強化し、決定的な死を免れたのだろう。ただ、その行為は彼を苦しめるだけだ。それも彼はわかっているだろう。だが、諦めたくない。殺されたくない。その思いで、彼はそうした。
「まだ生きてんですね。お強い、お強い」
シュワイヒナは子供みたいに手をたたいた。
「なめんじゃねえよ」
シュベルツはふらふらになりながらも立ち上がる。
「そんな化け物になっちまって、お前はそれでいいのか」
「化け物……」
シュワイヒナはそれを言われて、自らの手を凝視する。彼女の手には鳥のような黒い紋様が浮き上がる。
「化け物ですか……でも、この紋様かっこよくないですか……それに――」
彼女はシュベルツの顔を指さし、
「あの時も私のこと、化け物って言いましたよね。でも、私を化け物にしたのはあなたたちなんですよ」
そう言い放つ。
「だから、シュベルツ。あなたは自分の生み出した化け物に殺されるんですよ。あなたはどうやったって私を殺すことなんてできないことはもうわかりましたよね。でも、どこかに私を殺してしまう方法があるって、思ってるから――希望にすがってるから、まだ戦えるんですよね。いいですよ。楽しいですから。一方的に相手を嬲るのはすごく楽しいですから。さっきまでずっとそんな享楽を保持してきたんでしょ。だから、それを私に渡すことくらいいいじゃないですか。心が狭い人ですねえ」
心が狭いから、あんなことしたんでしょ。そう彼女はどこか悲しそうに言った。
「わ…悪かった。俺が悪かった。だから、許してくれ。命だけは奪わないでくれ!」
「は? 命だけは奪わないでくれ、ですか。残念でしたね。あなたの命を奪うのは確定しているんですよ。凛さんのために」
そう言って、彼女はその手を頭上にかざす。
「もう少し嬲られたいって言うなら、いいですけど。なんだかやる気なさそうなんで、もう終わらせますね」
どこか不安を煽るような暗雲が彼女の頭上に現れる。
「よかったですね。死は全て救いますから。そんな姿になってしまったあの時のことも、今、この瞬間の苦しみもすべてなくなります。すべてが無に帰して、あなたは救われる」
「いや……いやだ!」
シュベルツはそう叫び、走り出した。
「お願いだ! 死んでくれ!」
「それは私のセリフですよ。アンさん、ファイルスさん。速く建物の中に逃げたほうがいいですよ。これから、使いますから」
そう言われ、アンさんもファイルスさんも自分の意見を述べることもなく、建物の中に人々を逃がした。
「死の雨」
雨が、降り始めた。黒い雨だった。
シュベルツはさっきのシュワイヒナの発言を聞いて、建物の中に逃げようとする。その最中、彼の体は雨に、触れた。
「もう意味ないのに」
はあとため息をついた。
シュベルツの動きがのろくなっていく。そして、砦の中にたどり着くこともなく、シュベルツは倒れた。そんな彼にシュワイヒナは近づいて、
「どうですか、今の心地は」
彼の傍に座って、語り掛ける。
「なんだ……これ」
「文字通り死の雨ですよ。そして、再生の雨でもあります。命、もらいますよ」
シュベルツの体は闇に包まれ始めた。そして、粒子となっていく。
「死にたく――」
言い終わらないうちに、シュベルツの体は消えていった。
「さようなら、兄さん」
最後にそう言ったシュワイヒナの言葉が彼に届いたかどうかは、分からない。
「どうなってるんですか……あれ」
あまりの光景に私は神に問いかけざるを得ない。
「あれが黒いマジックポイントの力により変化したシュワイヒナの能力だ。自分よりもレベルの低い相手を問答無用で消滅させる雨を降らせる。レベル制限があるからそんなにやばい能力ではないと思うが、殲滅向きの能力ではある。そして、もう一つ特殊能力があり――」
その時だった。私の体から感覚が消え始めていく。
「おっと説明する必要はないようだ。『彼ら』に感謝しろよ。じゃあな」
ここで、私は初めて全てを悟った。
「まさか、最初からこれを……?」
「私は神だ。舐めるな」
その言葉を最後にその白い空間は消滅した。
目を覚ました時、私の上には裸のシュワイヒナが立っていた。
「凛さん!」
彼女は私に何かを言わせる間もなく、私に抱き着いた。
「凛さん! 凛さん!」
すでに彼女の体から紋様は消えていた。
私は彼女の頭を撫でながら、言う。
「ありがとう。シュワイヒナ」
すると、彼女は私の耳元で、
「凛さんのためなら私は悪魔にでも魂売りますから」
そう言った。悪魔に魂を売る――その結果があれか。だが、その力が私にとっては禁忌のように思えて仕方がない。ランのあの能力、そして、今のシュワイヒナの能力。触れた者を消滅させる光線を放つ力と、触れた者を殺害する力。この世界の能力はバランスが崩れている。どれもこれも人を殺せる力だ。その中でも闇覚醒した後の力は、殺害に特化した力のようにも感じる。自分は簡単には殺されない特殊な体をしているというのに……。記憶を消すことにより、闇覚醒をリセットできるというが、それができるのはネルべさんの能力だけ。まるで、世界がリセットを拒んでいるかのようだ。
「どうしたんですか? まだどこか具合の悪いところでもあるんですか?」
「いや、別にないよ。うん、大丈夫」
「なら、いいんですけど」
「それよりさ……」
私は上着を脱いで、彼女に被せた。
「そんな姿で城に戻るわけにはいかないでしょ」
「そうですね――凛さんのにおいがします」
「あ……なんかごめん」
「いいえ、すごく好きな匂いですよ」
そう言って、彼女は笑う。その笑顔にさっきのような凄惨な笑みは含まれていなかった。
彼女のあの力は一時的なものだろうか。それとも、また使える能力なのか。
私は立ち上がる。そして、後ろを振り向く。そこにあったのは――
「凛さん、どうしたんですか?」
「ううん、なんでもないよ」
私は砦のほうに戻っていく。
体が消えていくシュワナ軍の兵士たち、そして、まだ生きていたのに逃げれず、黒い雨の犠牲になったリーベルテ軍の兵士たちの姿から、私の命の犠牲になった人々から、目を背けて。




