第五十話 覚醒
ここで死ぬわけにはいかなかった。だから、目の前の攻撃を避けることだけに集中する。失った両手くらいどうにでもなる。回復魔法があればくっつけることくらい簡単にできるのだ。そりゃあ痛いけど。だけど、こんなことで絶望してたまるか。諦めてたまるか。私の人生はまだまだこれからのはずなんだから。
「突風!」
そう叫びながら、私は少しだけジャンプする。それにより、私の体は風に流されて、振り下ろされた剣が顔に直撃することは免れた。しかし、その剣は私の脚に当たり、切り裂く。今度は脛のあたりだ。ズボンが少し破けて、斬られた場所の皮膚が出血しているが、深い傷ではない。
とりあえず攻撃を避けられたから、今度は次の行動を考えなくてはならない。この状況から、相手を殺す方法を。
結論から言うと、全く思いつかないまま、相手の次の攻撃が来た。彼の動きはあまりに速すぎた。私じゃ対処不可能だと一瞬のうちに悟るのだが、もはやどうしようもない。
私はついに覚悟を決めた。刺し違えることすら叶わないと知った今、最後に思い浮かぶのはシュワイヒナの顔。私が死んだら、彼女はなんと言うだろうか。もう二度とあの子の大切なものを失わせまいと誓ったのに。命は大切にすると誓ったのに。
「嫌だ……」
殺す、殺すと息巻いていた私の口からこぼれたのはそんな言葉だった。
だが、彼は忽然と姿を消した。次に現れたのは幻想でも、夢でもなく、シュワイヒナの顔。
「凛さん!」
「シュワイヒナ……」
胸いっぱいに安心が広がっていく。
シュワイヒナは私の両手を手に取り、
「待っててくださいね。すぐに痛みは消えますから」
そう言ってから、回復魔法を使った。緑色の光に照らされながら、苦しみが和らいでいく。
「ちっ……てっ、てめえは!」
横からタックルを食らい、シュワイヒナの姿を見て、吹き飛ばされた彼は驚いているようだ。
「驚きたいのは私の方ですよ」
シュワイヒナはゆっくりと立ち上がり、彼を見つめる。そして、わなわなと震える拳を押さえつけて、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「死んだはずですよね、兄さん――いや、シュベルツ」
兄さん……? しかも死んだはずって……
困惑する私をよそに、シュワイヒナは話を続ける。
「先ほどの隕石、あれは父さんの固有スキルと同じ――『王の裁き』。随分と派手にやってくれましたね。どれだけの人が死んだと思ってるんですか?」
「殺すための技だ。たくさん殺せて何よりだよ」
シュワイヒナが小さく舌打ちをした。それから、また続ける。
「そうですか……で、随分と老けたようですね。あなたまだ二十一でしょ。おかしいんじゃないんですが? というかそんな情けない姿になって、生きてて恥ずかしくないんですか?」
今度はシュベルツが舌打ちをした。
「なんでこうなったか、お前は知っているのか?」
「それ以上、言ったら、殺します」
「ふっ、どうせ言わなくてもお前は私を殺すつもりだろうに。また、俺を殺すつもりか」
シュベルツがそう言い終わるか終わらないかのうちに、シュワイヒナは飛び出し、彼に肉薄していた。
「さっさと死んでくださいよ」
剣が振るわれ、金属音を響かせる。
「随分と速くなったな。頭を使うのはやめたのか?」
「使ってないように見えるなら、あなたの頭が悪いんですよ」
「ほう、じゃあお前らは頭の悪い俺の攻撃であんなに死んじまったのか。はっはっはっは。笑っちまうぜ!」
「笑ってられるのは今のうちですよ!」
そう言いあいながら、激しく剣は振るわれる。
正直に言うと、拮抗していた。ややシュベルツが優勢のようにも見える。
「大丈夫!?」
と突然声が聞こえたので、後ろを振り向くと、ファイルスさんとアンさんがこちらへやってきていた。
「城内も大変だ。今、桜と湊が救助に当たってるが、即死が多い」
「そんな……」
「私だって残念よ。それで、あいつが隕石を降らせたのか?」
「はい。シュワイヒナの兄だそうです」
「えっ……シュワイヒナの口ぶりから死んでたと思っていたんだが、生き残っていたのか」
「とりあえず、あいつを倒せばいいんだな。俺の仲間たちを奪ったのを後悔させてやる」
見れば、ファイルスさんの腹にはまだ隕石が刺さっていた。それを引き抜いて、彼は走り出す。
シュワイヒナが押し返されたのとほぼ同時にファイルスさんはシュベルツに接近した。そして、たった一回殴っただけで、彼は吹き飛ぶ。
「おっと、もうくたばっちまったか」
とファイルスさんが笑うと、
「慢心もそこまでにしろ。全然普通に生きてるぞ」
とアンさんが言葉をかける。
「邪魔しないでください!」
シュワイヒナはそう叫び、ファイルスを制すると、また剣を振るう。
「私が、私が殺すんですよ! こいつだけは、こいつだけは!」
深い深い憎しみのようだった。
「そんなに俺を殺したいのか! 奇遇だな! 俺はお前を殺したくてたまらない!」
シュベルツはそう叫び返し、シュワイヒナと剣をかわした。
ファイルスさんは呆然とするままだった。
「おい、アン。これどういうことだ?」
「どういうことも何も見ればわかるだろう……とにかくどこかでシュワイヒナを止めなければあいつはやばい」
「やばいってどういうことですか!?」
私が尋ねると、
「あれほどの強大な憎しみを持っていれば、直に闇覚醒を起こす。しかし、止めれそうにもないな。あれほどの勢いを持っていれば……」
諦めたような表情を浮かばせて、アンさんはそういう。
だが、私は諦めるわけにはいかなかった。本当に記憶を失わせるわけにはいかない。
「君が止めようにも、君が攻撃を受けてしまったら、彼女の闇覚醒を加速させることになってしまう。やめたほうがいい」
「じゃあ、どうしろって言うんですか! 指をくわえてみてろって言うんですか!」
「そうとは言って――いや、言っている。指をくわえてみてろ。ファイルスと私でどうにかする」
「どうにかするって……何か策があるって言うんですか!?」
「策は――ある」
そう言ったアンさんに私は間髪入れずに、言う。
「嘘、ですよね」
「嘘じゃない」
「じゃあ、話してみてください」
「君に話しても意味がない」
「そうですか。じゃあ私は別行動取らせてもらいます」
「いい加減にしろ!」
ふてくされた私に対して、アンさんはそう怒りの言葉を出した。
「何がなんでも君を死なせてはいけないと神から言われたのだ。頼むからじっとしててくれ」
懇願するかのように、まるで聞き分けのつかない子供に言うかのように、アンさんは私にそう言った。だが、その言葉が私の怒りを加速させていく。
「また、神ですか! 湊さんも神がどうこうとか言ってましたけど……神の言うことを信じるんですか?」
「逆にお前は信じないのか? 罰当たりだ」
「罰当たりって……信じるか、信じないかは人の勝手でしょう」
「その言葉、自分に返ってきてるぞ」
「じゃあ、人に強制させないでくださいよ。神がなんなんですか!」
あの神のぼやけた姿が脳裏にちらつく。
「神の言うことは絶対だ。それに、私の知る限り、神が一人の人間にここまで言うのは初めてだ。きっとなにかある」
期待なんて……
私は息を深く吸って吐いた。
「もういいです。じっとしてればいいんですよね」
その場に座り込んだ。
誰も犠牲者を出さないって目標を守れなかった私になんの価値があるというのだろうか。戦えば足を引っ張ってしまう私になんの価値があるというのだろうか。目の前で大事な人が戦っているというのに私になんの価値があるというのだろうか。
私のどこに生きてる価値があるというのだろうか。神の話を信じろ? できるわけがない。
「そんなこと言うことくらいなら、力をちょうだいよ」
力なんていらなかったはずなのに、私はそう願う。そんなことを願ってしまった私が恥ずかしかった。
「力が欲しいのか?」
その声が聞こえた刹那、時間が止まった。周りの誰もが、止まっていた。動き出したアンさんも、ファイルスさんも、止まることなどないように見えたシュワイヒナとシュベルツもすべてが止まっていた。
「また、神」
「私を信じないくせに力だけは願うのか」
「信じる信じないは私の勝手ですよね」
「まあ、そうだな。力か。まだ、君には速すぎる」
「でも、今あれば、私はシュワイヒナを救うことができる。死んだ仲間の仇をとれるんですよ!」
「あくまで、『力が足りないから』できないと言いたいのか。なるほど」
「なんで、私に生き残ってほしいかなんて知らないんですけど、本当にそうなら、力をくれたっていいじゃないですか」
「私へのあたりが強いのか、弱いのかわからないやつだ。だが、さて、君は力が足りないから、君の目標が達成できないと思っているのだろう。それは違うのではないか?」
「違うって……」
「一つアドバイスをやろう。シュワイヒナに教えてもらった剣術があるだろう」
「ありますけど、それがどうかしたんですか」
「今、シュベルツはシュワイヒナとの戦闘に夢中になって、今高速で何かが迫ってきても気づかないだろうな」
「そういうことですか……」
「それと、君の信念は曲げないことだな」
「信念……ですか」
「ああ、そうだ。まあ精々頑張れ」
そう言って、時間は突然元通りになる。
高速で近づき、シュベルツを斬る。いや、神は私の信念を曲げるなと言っていた。だから、なんとか殺さずに倒せる方法があるというのだろう。シュベルツを斬るのでなく、生かす方法が。
私は足りない頭でもなんとか考える。
これは答えのない問題ではない。答えが用意されている問題なんだ。勉強ができただけの私でもそう考えるだけでなんとかなりそうな気がする。
わかった。閃いた。あれはなんだか冗談と言うか子供だましのような内容だったが、それは改善の余地がある。
そうと決まれば、行動は早い。私は構えた。そして、集中を極限まで高める。体のマジックポイントの流れを意識する。最高の質で、最速で動けばいい。
私は飛び出した。風魔法を発動させ、追い風を吹かせる。少しでも足しになればいいと考えたのだ。
自分でもびっくりするくらいのスピードで私は接近した。一瞬シュベルツはこちらを見て、シュワイヒナもこちらを見た。
だが、遅い。既に私とシュベルツの間の距離は一メートルもない。
剣を振るった。あまりにうまく、私の剣はシュベルツの剣を片方吹き飛ばす。
あとは、剣の柄で、彼の腹を殴るだけ。王流剣術第壱法超加速と、第参法温情の重ね技。これくらいなら、すぐに思いつく。逆にさっきまで思い浮かばなかった私がばかだった。
剣の柄を彼の腹に接近させながら、私は思う。先ほどの信念を曲げるなというのは本当にこれであっていたのだろうか、と。彼の言った信念とはまた別のことではないか、と。
あくまで仮説だが、私の今の行動自体仮説と言ってもいい。
だが、ここで止まる必要性などどこにもない。あと一瞬で終わるのだから。
シュワイヒナの安堵の表情が見える。この顔をみるだけで安心する。
だから、その表情が驚愕に変わるだけで、安心感が消え去るのは当然だった。
鋭い痛みと、目の前にいたはずのシュベルツがいつの間にかいなくなっているというのに、私は戦慄した。
「曲げてはいけない信念を間違えたな」
そう神の声がした。明らかに手遅れ。
王の裁き。私が構えた段階ですでにシュベルツの口からそんな言葉が飛び出していたのだろう。だから、今、私の体が何か所も隕石に貫かれているのだろう。
気が狂いそうなほどの激しい痛みの中、私は気づく。曲げてはいけない信念とは神を信じないと言うこと。では、どうすればよかったのか。解答なんてなかったのか。
「凛さん、凛さん、凛さん」
倒れた私の体を抱きかかえて、シュワイヒナは大粒の涙を流す。
「ほら、治ります、私が治しますから!」
体にできた穴は治癒されない。もう塞がることはない。
「ほら、死んじまう。回復魔法じゃ間に合わない。終わりだ」
そう言って、シュベルツは笑う。笑われて当然だった。私の残り体力はゼロ。それの指す意味は死。デッドエンド。
「ごめんね、シュワイヒナ」
消えかけた意識の中で私が最後に見たのは、闇だった。




