第四十九話 転局
もう何度も味わっているのに慣れることができないいつものを感じた後、私たちは城に戻ってきた。いつの間にか雨は止んでいる。歩くと、水を吸った草が音を立てた。
「みんな、マジックポイントは残りどれくらい?」
そう桜さんが尋ねるので、
「私はもうほぼないですね」
「私もあんまりないですけど、マジカルレインくらいは打てますよ」
「私はそんなに使わないからな。半分は残っている」
と三人は口々に答えた。
「そうねえ。じゃあシュワイヒナマジカルレインお願いできる? それ自分のマジックポイントも回復させることできるんでしょ」
「ええ、いいですよ。マジカルレイン!」
光り輝く雨が降り始める。雲が去り、顔を覗かせた太陽の光に照らされ、一層輝いて見えた。
マジックポイントが回復して気分がいいのか、陽を浴びて気分がいいのかはわからないが、兎にも角にもなんだか晴れ晴れした気分だった。
「捕虜もだいぶ多くなってきたな。収まりきらなくなったらどうすればいいのか…」
と湊さんが愚痴をこぼす。そんな愚痴もなんだか普通に聞いてられる。心に迫る緊迫感と言うものがないのだ。これもそんなに長くはもたないだろうが、ちょっとの間だけでも幸せを感じることができる。そういうのが私の好み。こういうのでいいのだ。
「大丈夫ですよ。どうせみんな気絶してるんですし」
「時々、君が優しいのか冷たいのかわからなくなってくるよ」
湊さんからそんなことを言われた。……あれ、これディスられてるの?
だが、湊さんは相変わらずの優しい顔のままだった。……いや、優しい顔のまま人をディスる人だっているしなあ。一概に言い切ることはできないかあ。どうでもいいけど。
「とりあえずはまあ、今日中にあと一人行っておきたいな。祐樹の率いる部隊が明日にでも到着する可能性がないわけではないだろうし、もう一人ここから五キロだろ? かなり近い。この狼煙でもあげてもらえれば、助けに行くよ」
と湊さんが桜さんに話す。
「そうねえ。じゃあそろそろ行きましょうか」
まて、速くないか。まだ、体が完全に回復したわけじゃないのだが。それにさっき痛い目にあったせいで、恐怖が体に染みついている。
「そんなこと言ってるんなら置いていくしかないな」
アンさんがそんな冷たいことを言ってくる。だが、この場合は確かにそうしたほうがいいかもしれない。私の存在意義は敵の情報を知れるから。しかし、今回の相手については私は何も知らない。だから、必要性は失われる。なら、行かなくていいじゃないか。
そう思ったのだが――実際にアンさんは私がこう考えたことを知っている――行きたくなってしまうのが人間の性というものだった。学校でじゃあお前、もう帰れって言われて、帰りたくなくなるのと一緒だ。それくらいの感覚と思う。まあ、私は一度もそんな目にあったことがないし、今どきそんな先生がいるのかどうかも分からないから、分かりにくいたとえになっている気がしなくもない。
そんな細かいことは置いておいて、ここで最も大事な問題は行くか行かないかである。確かに心情的な話をすれば、行きたいのはやまやまなのだが、同じく心情的には恐怖が大きい。また、あんな痛い目に合わなくてはならないのかと。実際に死を直近に感じてしまう経験だった。だから、人間のシステムとして、そこに行きたくないというのも当然の心情ではある。だが、前半の話については私だけなのだが、同じくアンさんや、シュワイヒナ、桜さんだって、恐怖が体に残っているはずだ。だから、それについて私が言うのも別問題のような気がする。
「分かりました。行きません」
そう私は言い切った。確かに恐怖が体に残っているのだが、それを必ずしも克服しないといけないわけでもないだろう。あと二戦。私が情報提供できるのはあと一人のみ。ここででしゃばる必要など何もない。こういういかにも最もらしい理由で私は行かなくていいのだ。
もちろん、心配なのには変わりはない。私がどれだけ恐怖にとらわれていたとしたって、私には自分を肉壁として命を捧げる覚悟はある。そういう面では私は役に立つかもしれない。しかし、もしそれをしようものならば、シュワイヒナが絶対にそれを許さない。自分の命は大事にしなきゃいけない。とりあえず、完全に私が行く必要はなかったのだ。
「そうですね。凛さんはここにいましょう。その方が安全ですし、私も十分に戦えます」
私、やっぱり足かせだったのかなあ。そう思うと、シュワイヒナは
「でも、凛さんの機転にはかなり助けられました。凛さんがいなかったら、私もとうに死んでいたかもしれません。だから、今回もそれがないとは限らないのが本音ではあるんですけどね。でも、私の感情の中で一番大きいのは凛さんを戦場には連れていきたくないってことなんですよ。世界で一番大事な人を失うかもしれない場所に連れていきたくはないんですよ」
そう言ってふふと笑う。
「でも、それは私も同じだよ。私だってシュワイヒナには戦ってほしくないに決まってるじゃん。……一番大事だから」
そう言うと、シュワイヒナはぽっと頬を赤く染めた。
「あっ……ありがとう……ございます。いや、本当に。ははっ」
元気出ましたよお、と嬉しそうに笑った。それを見て、私も幸せな気分になる。
「絶対帰ってきますから。安心してください」
「うん」
とりあえず私は砦の補修でも手伝っておこう。そう思い、私は立ち上がった。そして、砦のほうへ近づく。ちょうど、半分以上が済んだようだ。かなりはやいペース。あと一日もすれば終わってしまいそうだ。レベルが上がり、ステータスがかなり強化されている人たちでやっているからだろうか。本当にすごい。元の世界なら機械を使ったってこんなことなかっただろう。この世界ならではのことのように思えて、少し嬉しかった。
「じゃあ、アン。今、その部隊はどこにいるの?」
そう桜さんが尋ねた声が聞こえてくる。
「ああ。ちょっと待ってくれ」
そう言ってからアンさんは目を瞑る。そして、緊迫した表情で目を見開いた。
「まずい! 君たち逃げろ!」
その声は確かに私たちのほうへ向けられていた。冗談とは思えない。しかし、こんなにも平和な状況にその言葉はあまりにそぐわない。
そして、私はここが戦場であることを思い知らされる。
最初に聞こえたのは轟音だった。まるで空気を引き裂くような音。それと、何かが燃えるような音が聞こえたようにも思えた。だが、それが何であるかなどというのは少しも見当がつかない。
それでも危険な状況にあることくらいはわかる。
私は状況の確認のために、辺りを見渡した。砦の向こうの方も見た。しかし、何もいない。危険は迫っていない。――ならば、上。そう恐る恐る上を見上げると、そこにあったのは
「嘘……」
隕石だった。直径はわからない。恐竜が絶滅したときに隕石が降ってきたとか降ってきていないとなんとかいうが、それらのイメージ映像で使われるような大きさの隕石ではなかった。バカでかいものではない。だが、ここから見れば、無数の黒い点に見えるところから、おそらくかなりの数がある。それらはますます大きさを増しているように見える。
考えるよりも先に走り出していた。あれが避けられる場所を探す。目の前の城の中なら……
そんな甘い期待を抱いたのもつかの間、激しい衝撃音とともに、降ってきた隕石は城を貫通していた。もう、逃げられない。
「ひっ……」
そんな腑抜けた声しか出せなかった。
「凛さん! 剣を抜いて!」
死を覚悟した瞬間に聞こえたのはそんな声。その声は耳をつんざくような悲鳴と、隕石がものを破壊する音にのまれて、すぐに消えていったが、それだけで十分だった。
「お願い……!」
私は神に祈るようにそう言って、剣を抜いた。そして、降ってくる岩を斬っていく。
たった一回でよかった。あとは他の場所に落ちていく。いつ私のほうへ落ちてくるかわからないという恐怖すらない。ただ呆然と私から逸れて落ちていく隕石を眺めていた。
直に音が止んでいく。全てが終わった後、そこにあったのはまさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
たくさんの死体がそこら中に転がっている。もはやそれが人であったかどうかすらわからないものもあった。ほとんどの人たちが喋ったこともない人ばかり。しかし、ほんの少し前、そこには確かに命があった。愛する人もいただろう。帰りを待つ人もいただろう。死んだ人たちにそれだけそんな人たちがいる。ただ、片付けないといけないものが増えただけであるはずがなかった。リーベルテの勝利と私たちの作戦――誰も死なせないというのを信じてきたはずだったはずだ。まだ若い人たちもたくさんいた。それなのに……
信念、またはそれに準ずる何かが私の中で音を立てて崩れていく。声を上げたいわけでもない。逃げ出したいわけでもない。受け止めた現実は体からすり抜けていったみたいだけど、大事な何かを奪ってからどこかに行ってしまったようだ。
「おっと……立っている人がいるとはな」
その声が信じられなかった。この際、誰が発したかなんて関係がない。
「お前か――この隕石はお前か?」
飛び出しそうな体を押さえて、私はうつむいたまま、今目の前に現れたと思われる相手に尋ねた。
「ああ、そうだ。これが俺の固有スキル『王の裁き』だ」
「王の裁き、だと?」
「そうだ。なんだ知ってるのか?」
「違う……」
なぜ、たくさんの命を奪っておいて、こんなふうにしていられるんだ? こんなに命を奪って何が王の裁きだ?
「お前のものじゃないんだよ!」
私は顔を上げ、飛び出した。
もう決めた。迷わない。仲間の命を奪われるくらいなら、やられる前に、私が殺してやる。
「俺に歯向かってくるというのか」
そう言った彼がおそらく最後の一人。名前も知らぬ人。禿げあがった頭と、老けたような皺があるが、おそらく年はまだそんなにいっていない。着ているのは何やら豪華な装飾品が飾り付けられたマントの下に、薄く動きやすそうなものだ。
彼は腰から二本の剣を引き抜いた。どれも太陽の光を浴びて、きれいに輝いている。
沸騰しそうな頭で考えることはできない。もう一気に殺してしまおうと思うことしかできない。だから、
「王流剣術第壱法超加速」
地面を勢いよく、蹴り、加速した。一歩一歩進むたびに、滑りそうになるが、止まるわけにはいかない。
私の剣は確かに彼の腹を切り裂くために振るわれる。
そして、次の瞬間に見たのは、
「王流剣術第陸法二刀防衛」
構えられた剣は腹の前で交差され、それと私の剣が火花を散らしてぶつかる。
だが、それはスピードに乗った体が正しく働かなかったからであって、すぐに剣の軌道を変え、首を狙う。
持ちうるすべてのエネルギーを回転エネルギーとし、私の体は回りながら、彼の首を吹き飛ばした。そういう感触があった。
やった。確かな達成感が私の心を満たしていく。
そのままぐるりと一回転すると、彼の姿が見える。
「間抜けが」
彼の口はそう発した。理解不能。
私の剣はどういうわけか彼の首を吹き飛ばしていない。
「ほら、そっち見ろよ」
そう言われて、本来はそうしてはいけないのだろうが、私の目は自然とそちらのほうを向いていた。
「はっ……?」
ますます理解ができなかった。
だって、目の前に私の両手が剣を握り締めたまま宙を舞っているんですもの。
そのまま、視線は当たり前のように腕のほうへ向く。そして、当然そこには両手がないのを確認して、そこで初めて私は痛みを感じた。
「えっ……いや、いやあああああああ!」
吹き出た血は案外きれいだった。
いや、おかしい。本来なら、私は自分の血ではなく、彼の血をみるのではないのか?
それから、初めて気づく。首を斬ろうとした瞬間に、私の両手は切り裂かれていたのだ。それなのに沸騰した脳みそはそんなことには気づかなかった。
「じゃあな。お前の負けだ。ごみかすめ」
へっへへと笑って、彼はその剣を振り下ろす。




