第四十八話 ヘイトマジック
まったくの逆方向に同時に加えられた力は打ち消しあって、受けたものをその場に固定する。しかし、それは運動だけの話であって、力は加算されて、カリアの腹に同時に加えられた。
「がはっ……」
カリアはうめいた。全力でぶつけた結果、鎧に刃が刺さっている。それに、加えられた衝撃は想像を絶するものになっているであろうことは容易く想像できる。
内臓破裂が妥当と言うところか。
剣を抜いた後、カリアは腹を押さえ、その場に倒れる。剣は深くまで刺さったようで、かなり力をこめて、引っ張らないと抜けなかった。
カリアは立てないようだった。もしかしたら、背骨もやってしまったのかもしれない。回復魔法がある以上、下半身不随になるということもなさそうだが、それでも相当の痛手であろう。
同時に攻撃を行うというのが功を奏した。同時じゃなければ、力が抜けていくかもしれなかったからだ。そこに固定できたと言うことが勝因となったのだと思う。
勝因と言ったが、まだ、これで終わりとは言えないのが現実であった。なぜなら――
「まだ……だ……」
カリアは立ち上がり始めていた。圧倒的な実力に言葉が出てこない。そして、彼女は中腰の姿勢から、跳んだ。木の上に着地して、こちらの様子をじっと見る。
「あれでもまだ倒れないとは……」
アンさんが感嘆の声を漏らす。桜さんも口をあんぐりと開けて、閉じれないようだ。
「まだ、私は終わっていない」
そう言うと、カリアはそこに立ち上がった。背筋をきれいに伸ばして。
「嘘……」
シュワイヒナの反応を見るに、やはり普通の人なら背骨くらいはいっていたのだろう。彼女が普通ではないのは今更のような気もするが、それでも驚きを隠せなかった。
カリアは鎧を脱ぎ捨てた。下に着ていた薄い黒い服が露わになる。
彼女がまだ、戦えると言うならば、今のうちに逃げておいたほうがいいだろうか。しかし、ここまで追い詰めたのならば、倒せる見込みはあるように思える。
「私はまだまだ全然いけますよ」
剣を強く握って、シュワイヒナは言った。その言葉が心強い。
「私も、いける」
マジックポイントは既に半分を切ってしまった。先ほどの肉体強化で想像以上に削ってしまったようだ。しかし、それなりの速度をもって、当たれば、彼女の体でも傷つけられることはわかった。それに彼女の強さと言うか、ステータスの高さは肉体強化に起因するものだろう。それならば、長期戦になればなるほど不利なのはカリアのほうだ。
そんな甘い考えは一瞬のうちに打ち捨てられた。
突如として、衝撃波が発生する。それもネルべさんのエレキチェンジほどではないが、それでも十分なほどの強さの衝撃だった。
何が起こったか理解できない。ただ、ぽかんと口を開けて、たたずむだけだった。
アンさんの姿が突如として消え、そこにはカリアが立っていただなんて信じられるはずがない。
破裂音にも似た音とともに葉っぱのこすれる音が強くなっていくのを感じた。否、強くなっているのではない。近づいているのだ。
木は、私たちのほうへ倒れてきていた。それすなわち、その木は折れてしまったということ。
倒れてくる木を避けながら、そこの根本部分を見る。そこにはアンさんが倒れていた。一瞬のうちにカリアに吹き飛ばされたのだと悟る。そして、次の攻撃が来ることもすぐに悟った。
私はわけもわからないままに剣を振るう。手ごたえは、ある。でも、それは肉を斬る時のような手ごたえではない。どちらかといえば、金属に刃を下したような感覚だ。そして、その感覚は手からするりと抜け落ちていく。
何が起こったかすらも分からないうちに、私は強い痛みを覚えた。先ほどと似たような感覚だった。だが、ここで吹き飛ばされては話にならない。
「突風!」
強烈に吹いた風は私の体を押さえる。そのまま、私は次の攻撃をカリアの肉体へと放った。これでマジックポイントはゼロになる。しかし、決めれれば、それでいい。
振るわれた剣は彼女の剣に受け止められる。しかし、
「王流剣術第肆法百花繚乱!」
猛スピードで放たれた斬撃はカリアの反応速度でも受けきれない。斬撃が容赦なく、彼女の体を襲う。
百花繚乱とはまさにその名の通り、花が咲き乱れているようであった。血が、赤いバラのように噴き出していく。
そして、その斬撃が終わったとき、カリアはその場に立っていられなかった。全身の失血がひどい。凄惨な姿だった。しかし、シュワイヒナには一滴も血がついていない。すべて剣にふさがれていたのだ。
「なんだ。これで終わりですか」
シュワイヒナはほっと溜息をつき、そこに尻もちをつく。
「もう疲れましたよ。本当に」
「これ生きてる? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ。時間が経てば、やばいかもしれませんけど」
だから、速く、運ばないといけませんね――そう言いながら、彼女は立ち上がった。そして、燃えた。
「熱っ!」
咄嗟の事態に彼女は激しく動揺する。それも無理はない。私とて、驚くことの連続で、感覚がだいぶ麻痺してきたというか、もうどんなことがあっても驚かまいと思っていたのをすぐに崩された気分だ。
考えられる可能性はただ一つ。カリアが炎魔法を使用したこと。
私の足元にいたカリアはとっくに離れた場所にいた。全身から大量の血を流しているにも関わらず、だ。もはや、狂気。そうとしか考えられない。だって、全身に切り傷を受けたというのに、内臓破裂や、骨折などの負傷もしているというのに、なぜまだ戦えると思う?
「私はまだ……戦える!」
カリアの力強い叫びが森の中を木霊した。
「だったら、もう死んでください!」
シュワイヒナはその叫びとともに、燃えたままの脚でカリアを蹴る。カリアの顔が焼けたようになるが、彼女はシュワイヒナの脚をその手でつかんだ。
「さようなら」
そうつぶやき、カリアはシュワイヒナの体を彼女に何かをさせる間もなく、投げ飛ばす。
その姿を見た瞬間に、私の中で何かが切れた。怒りともいえぬ、憎しみともいえぬその悪感情は私の頭を蝕み――
「ダメよ」
桜さんの言葉でふっと我に返る。手に浮かび上がり始めた黒い紋様のようなものはすーっと引いていく。
「それは、ダメ」
私は何も言わずに頷いた。そして、桜さんとともに走り出す。そうしたはずだったのに、なぜ私は今、木にぶつかっている?
激しい痛みにより、私の体はもう動かない。声を出すことすら許されない。辛いとか、そんなものは遥かに超越した何かを感じる。でも、私は死なないんだと確信できる奇妙な感覚が私のぼやけた意識をつなぎ留めていた。
桜さんの姿が遠くに見える。突如消えた私に驚いたようだった。カリアは鎧を脱ぎ、さらに速度が増している。気づきすらしなかった。いつ来ているだなんて分からなかった。これほどまでに何もわからぬままにやられるだなんて思うか? むしろシュワイヒナの攻撃を受ける前のほうがまだ対応できていた。どうして加速してるんだよ。
ああ、痛い。痛い。もうその先へ考えられない。痛みで思考が無理矢理遮断される。
「あと一人」
あの桜さんが恐怖に震えているのがここからでも見て取れた。絶望が彼女を襲っているのだろう。そして、確かに彼女は救いを願ったはずだ。
「悪いな、遅れて、桜」
その声はなぜだか強い安心感があった。
「今回は来て良かったな。なんだか嫌な気がしたんだ。さあ、カリア。君がカリアと言うんだね。じゃあ、始めようか。すぐに終わらせてあげるよ」
湊さんはまったく笑わずに、そう言った。
「私の仲間を傷つけた罪を背負ってもらおうか」
右手をゆっくりと伸ばす。
カリアは突如として現れた相手に困惑しながらも、湊さんに突っ込んでいった。そして、剣を振るう。その息の根を止めるために。
「これは、奥の手だったのだが、君はこれが必要なほどのようだな」
人差し指を向かってくるカリアに向け、そして、言った。
「レベリングコントロール」
それは波。湊さんの指から放出されたのは波のように見えたのだ。そして、それはカリアに当たると、彼女の動きを弱めていった。それは一瞬だったかもしれないし、長い時間だったかもしれない。私にはどっちだったか分からなかった。それだけ不思議な感覚だった。
振るわれた剣は弾かれる。
「どう……して……」
「教えてあげるつもりもない」
湊さんはカリアの額に指でちょっとだけ触れた。それにより、緊張が解けた子供のようにカリアはその場に倒れる。
「みんな、よく私が来るまで、耐えてくれた。ありがとう。桜、回復魔法をお願いしてもいいかな?」
「う、うん。もちろん」
終わったんだ。あれほどの強敵が湊さんの手によってものの一瞬で倒されてしまった。これが、湊さんの奥の手。本来の力。
「ほら、凛」
桜さんが、アンさんとシュワイヒナの次に私に回復魔法をかけてくれた。それで体が元通りと言うわけではないが、動くことくらいはできるようになる。
「凛、君にはもう言っておこう」
「何をですか?」
「それを今から言うんだ。固有スキルの真実と言うか、転移者の特徴があるんだ」
「はあ」
「転移者の固有スキルは全てバランスを破壊してしまうほどの強力なものになっている。確実に、だ」
「えっ……なんで、そう言い切れるんですか?」
「神だ。神がそうおっしゃった。例えば、私のこの『レベリングコントロール』にはすべての固有スキルの効果を上書きできるという特殊効果がある。カリアの『ヘイトマジック』と言ったかな、それをたった今打ち消したように、だ。この特殊効果により、今カリアのレベルを強制的に一にすることができた。そして、桜の能力『ワープ』ももちろん例外ではない。これは一度見た場所だけでなく、特定の条件を満たしている任意の場所にさえも人をワープさせることができる。だから、君も確実に強力な固有スキルを保有しているはずなんだ。そうでなければ……」
「そうでなければ、なんですか?」
「言うべきかどうか迷ったんだがな。言っておこう。神は、君を保護しろと私たちに任じられた。絶対に死なせてはいけないと。いつか、君は世界を変える逸材だって」
「逸材……」
期待されている。ここは素直に喜ぶべきところなのだろう。しかし、私にはそれが無理だった。私には重すぎると感じたのだ。
人に期待されるのは好きじゃない。私は人の期待に応えられるようなすごい人じゃないのだ。そんなことは私が一番よくわかっているのだが、だからこそ、私にはこの世界があまりに都合の良すぎる世界のように思える。本当なら私は既に何度も死んでいるだろう。確かに筋トレやら、いろいろと生き残る工夫はしている。だが、それだって本来は体型を維持するためだとか、学校の体育の授業とかで、できなくて目立ってしまうというのを避けたかったからしていたものだ。決して誰かと戦うためでも、自分の身を守るためでもない。マジックポイントの才能に溢れているシュワイヒナ。便利すぎる能力を保有する桜さん。頭の切れるアンさん。そのメンバーの中に私が入っていること自体、何かがおかしい。湊さんは私の実力を過大評価しているのではないのだろうか。「神」がなんだというのだ。そんな存在に私の運命を決められてたまるものか。
「別に世界なんて変えなくていいから、私は安心して過ごせる平和が欲しいです」
いつになく、私はしっかりした口調ではっきりそう言った。
強い力も、兵士たちを動かせる頭も、敵を倒すために使う魔法の力も、私はいらない。欲しいのは平和。何気ない日常。それがどんなに大変だっていい。私には私と一緒にいてくれる人がいる。それ以上の何かを欲しがるのは強欲と言うものだ。
「――平和、か。私も欲しいな。平和が。だが、もうすぐ来るさ。敵部隊は残り二つ。戦争なんてはやく終わらせよう。私たちの国を私たちの手で守ろう」
そう言ってから、湊さんは優しくほほ笑んだ。
「じゃあ帰りましょうよ。みんな疲れたでしょ」
桜さんとともに、私たちは砦へ戻る。




