第四十四話 不安
目が覚めた。外は雨が降っているようで、ざーざーとくぐもったような音が聞こえる。思えば、この国に来てから、雨と言うのはかなり少なかった。なかったわけではない。もし、なかったら、農作物が全く育たなくなるだろうし、この周りに広がっているような森もないだろう。
そういえば、今は六月。元の世界なら梅雨の時期だ。雨が増えていくのだろうか。それは少し嫌だ。服が濡れてしまう。いや、むしろそっちのほうがいいのではないか。汗を流せるし、工業があまり発展していないこの世界の雨なら、元の世界の雨に比べれば、幾分かはきれいだろう。
と、引っ張ってきたが、私の思いはただ一つ。お風呂に入りたかった。
シュワイヒナが目を覚ました。
「ふわあ、ん? 今何時ですかあ」
そんな腑抜けたような声を出す。
「時間ねえ。ちょっとわかんないかなあ」
空は曇っていて、太陽が見えないため。今どの辺に太陽があるのかわからないのだ。
「まあ、いいですか。とりあえず、なんか食べましょ」
「うん、そうね」
空腹でおなかが痛む。私たちは部屋を出た。
そして、すぐに食べ物を得ることができた。というのも、部屋を出たすぐ先に置いてあったのである。誰かが置いておいてくれたようだ。誰にも食べられていないうえ、ネズミや蚊も沸いていないので、治安も環境もいいことが計り知れる。そんな些細なことが私たちに安心をもたらす。
「うん、案外おいしいですね」
とシュワイヒナが先に食べて、そんな感想を漏らした。
「へえ、おいしいんだ」
彼女が言うのだから間違いないだろう。私も乾パンを一口、口にする。
結論から言うとおいしかった。見た目もきれいでお菓子のようでもある。味が甘いというわけではないので、お菓子というのは語弊があるのかもしれないが。
同じく置いてあった牛乳をすすりながら、ぼーっと壁や天井を眺める。
装飾品などは一切ないのだが、どこか品性を感じる作りだ。清掃も行き届いていて、文句のつけようがない。ただ、雨が降っているため、少し暗い。しかし、それほど気にはならなかった。
「なんか戦争中とは思えませんね」
「うん……すごく静かだし」
「まあ、今だけかもしれませんけど」
「それは……うん、そうかもしれない。否定はできないよ」
「なんかごめんなさい。キスで許してください」
「別に謝ることないのに……あ、さては――」
「よくわかりましたね。凛さんも鈍感女卒業ですか」
「なに、少し煽ってんの」
「褒めてます」
「特異な褒め方だね」
はあ、とため息をつく。そして、少し顔を見合わせて、私の方から、口づけをした。
少しびっくりしたようで、シュワイヒナの動揺が唇越しに伝わる。
「なんだ、凛さんもしたかったんじゃないんですか」
口を離した後、そう笑ったシュワイヒナはあまりにも可憐で、二回目をするのに考える隙はなかった。
桜さんの分もあると思い、半分くらい残して、私たちは部屋に戻った。桜さんはちょうど目を覚ましたようで、欠伸をしている。
「ふわー、おはよう」
その横で眠っているミルアは当然のごとく、眠っている。本当に目を覚まさないようだ。覚ましそうな気配すら少しもしない。
皮膚を眺めると、昨日一瞬浮き出ていた黒い紋様のようなものは全くない。やはり闇覚醒は止められたと言うことだろう。しかし、また目を覚ました時、どうなっているだろうか。正気を保っているか、もしくは――
「この子もかわいそうよね」
桜さんがそっとミルアの髪の毛を撫でた。不思議と彼女は微笑んだような気がする。
「見て、こんなに髪痛んでる」
言われた通り、彼女のピンクの髪を見ると、なるほど触ってみると、ぱさぱさだ。
「これ、一応言っとくと、地毛よ。地毛でこんなになってるの。彼女の仕事は惚れさせること。そんな彼女にこれは痛手じゃない?」
ふうと息を吐いて、それから言葉を紡ぐ。
「まあ、それもこれも守ってもらいたいがための作戦だと言えば、そうなのかもしれないけどね。でも、それはそれで自らの髪を痛めてまで、戦わなきゃいけなかったんだと思うと、やっぱりかわいそうだわ」
何がために幼い少女が肉体強化まで鍛えさせられて、戦わされるのか。苦しそうだ。ああなるのもしょうがないように思える。きっと彼女だって幸せな何不自由ない生活を送りたいと思っていただろうに。
「それが生き残るための道ならしょうがないですよ」
シュワイヒナは冷たくそう言い放つ。彼女も何かそんな経験があったのだろうか。あの魔王襲来の時に。聞かないほうがよさそうではあるが。
「なんだかこの世界おかしいわよね」
そう桜さんが愚痴をこぼす。
「もうわかんないの。なんだか嫌な予感がして、震えるの。夢を見れば悪夢だし……」
悪夢か。そういえば私のあれは悪夢にはいるのだろうか。
「どうして戦わなきゃいけないの。プライドとか人民のためとか、そんなのどうでもいいじゃん。私は湊と一緒にいたいだけなのに」
これが桜さんの本音。そう確信できた。
この時間帯の桜さんのテンションと言うか、そう言った類のものは見たことがない。たまに、朝、愚痴を洗いざらい吐き出してから、心機一転、その日をきちんと過ごそうという人もいる。私は、彼女はそういった人種の人のようだと思った。だから、本音だとすぐに確信が持てたのだ。
「ごめんなさい。こんなとこ見せちゃって、朝は弱いのよ」
そう言って、桜さんは立ち上がる。
「勝てばいいだけの話だもの。頑張らなきゃ。きっとこの力は神がこの時のために与えてくれたのよ。さあ、行きましょう。戦場へ」
部屋を出て、外に出ると、やはり、雨は降っていて、外に出るのが億劫になってくる。それをどうこうだなんて、言っている場合じゃないのはわかっているのだが、やはり、嫌なものは嫌だ。ポジティブに捉えたとしたって、事実は何も変わらない。こんな時だって、敵はこちらに向かっているかもしれないのだ。
「あ……これ……今日の分です」
玄関で待っていたリブルさんがそう私たちに渡してくれた。
「雨の日は効果がそこに残るのは少しの間だけなんで、注意してください」
と早口で喋って、それからまた城の中に入っていった。
「あの、性格どうにかならないんかなあ」
と桜さんが困ったように言う。
「個性だから、いいじゃないですか」
なんだか自分のことも言われているような気がして、私は反論した。
「まあ、別にいいけどね」
桜さんはふっと笑った。なんだか無理して笑っているようだった。
「君は大丈夫なのか?」
そう声がして、振り向くと、アンさんがそこに立っていた。
「うん、大丈夫よ」
桜さんが微笑みながら、そう答える。アンさんはそれに対して、はあとため息をつく。
「なんだか、私もだんだんどうすればいいかわからなくなってきたな」
そう言ってから、
「じゃあ行こうか」
そう言った。
やはり、桜さんは無理しているのだろう。そして、それを私たちに隠そうとしている。だから、心が読めるアンさんに絶対にバレてしまう嘘までついたのだろう。でも、さすがにあんなことを聞いて、そして、アンさんのため息を聞くと、もうわかってしまった。
私は、桜さんに戦うことをやめさせるべきなのだろうか。それとも彼女の意思を組んで、戦いを続行するべきなのだろうか。わからない。このまま、桜さんが壊れてしまったら、もし死ぬなんてことがあったら、あのとき止めておけばよかったと後悔するだろう。しかし、ここで戦いをやめさせてしまえば、アリシア、カリア、そして、未だ名もしれない相手、さらには祐樹と同時に戦うことになってしまう。それを避けるために、私たちが桜さんの能力に頼らずに、シュワイヒナやアンさんと一緒に走って、戦いを始めるべきだろうか。しかし、それを行えば、帰りすら保証されない。いや、そんな頼りっぱなしでいいのか? よくないはずだ。頼らずとも戦っていけるようにならなきゃいけないはずなんだ。
「桜さん、休んでてください」
私は意を決して、そう提案した。
「休んでって……私に戦うなって言いたいの?」
少し怒り気味に、彼女はそう言う。だが、ここで退いてしまえば、やはり彼女に無理をさせてしまうことに変わりはない。だから、ここは意地を張ってでも、止めないといけないのだ。
「桜さん、メンタル的にも、肉体的にもかなり来てるんじゃないんですか?」
「別に、全然大丈夫わよ! そんなに心配される道理はないわ」
彼女は一歩も引き下がらない。なにがために、そんなに。
「凛、彼女の気持ちも分かってやれ。自分がいないがために、仲間を失いたくないのだ」
「でも、それは私たちだって――」
「もちろん、私もそうだ。だが、桜。大丈夫なんだろ」
「ええ、全然大丈夫よ」
「なら、心配する必要はない。いや、心配するな。もしものときは私たちが守ってやればいい。それだけのことだ」
「別に、守られるだなんて……」
「そんなこと言わなくていい。助け合いだ。全員、生き残るんだろ」
言い返すこともできない。確かに、そうかもしれない。けれども、怖い。不安を持たせるような要素は消えていっているというのに、なぜだか不安は増え続ける。雨が降っていると言ったって、今は六月だ。この震えも寒さのためじゃない。ましてや、風邪でもない。ただ、直感的に体が拒んでいるような気がする。
桜さんの手を見ると、かすかに震えていた。そして、暑くも、寒くもない気温だというのに、汗をかいていた。鳥肌もたっていた。やはり、怖いのだろう。
ふと、シュワイヒナが私の手を握る。
「凛さん、大丈夫ですよ。私がついてます」
そして、桜さんの手も握る。
「桜さん、ここにはアンさんも、私も、凛さんもいます。そして、なにより、あなたには力があるんです。神に与えられたその力、人のために使わないといけないだなんて、誰が決めたんですか」
桜さんはそれを聞いて、笑った。今度は本心のように見える。
「そうね、私も欲張っていいのかもね、あなたみたいに」
「最後は余計ですよ」
少しだけだが、場が明るくなった。
「アンさん」
私は彼の名を呼んだ。そして、手を伸ばす。
アンさんはそれを見て、何も言わずに頷き、私の掌に手を重ねた。
「ワープ」
また、目の前がぐるりと回りだす。奇妙な感覚。これでしか味わえないような感覚。これを良いと言った湊さんの気持ちは未だにわからないけれども、なんだか不思議と悪い気分はしなかった。
目の前に広がったのは、薄暗い森。降り注ぐ雨は容赦なく、私たちの体に打ち付ける。
前を行く桜さんを追いかけて、私たちはゆっくりと前へ進む。まだ、昼間と言う時間ではないとは思うのだが、朝というには暗すぎて、いつもなら見える距離が見えない。それが不安を掻き立てるのだが、シュワイヒナの手から伝わってくる温かさで、それと打ち消しあって、おつりがくるくらいだ。
耳を澄まして、音を聞く。雨音と、風の音が一番大きく聞こえるのだが、それ以外にも聞こえる音がする。
足音。私たちのそれとは違う。そんなに耳が良いわけじゃないから、どんな状況下の足音かはわからないが、どこかせわしない音だった。それと、急かすような声。人を小ばかにしているかのような声だ。
知っている。こんな声を出す人物を私は知っている。
近づくにつれて、姿がぼやけてだが、見えるようになってきた。
その体躯に似合わない大きな弓を背負い、姿は幼く、緑色の髪をした少女。
アリシア、彼女がそこにいた。




