第四十二話 その全てを
「アイス・ダンス」
アスバはその手に氷の剣を出現させ、ビラスに斬りかかった。それをビラスは容易く避ける。
「まあ、そうかっかすんなよ。笑って死のうぜ」
笑いながら、ビラスはアスバへと斬りかかる。それを寸でのところで受け止めたアスバは一旦離れる。
「笑って死ぬだと?」
沸き起こる怒りを抑えながら、彼は尋ねた。
「そうだ、笑って死のうぜ」
「母さんは! 笑って死んでたか?」
その言葉にビラスの笑みが消える。だが、すぐにそれを取り戻し、
「だから、君たちには笑顔で死んでほしいんだ」
「てめえ……」
口調を荒くしたアスバはもはや怒りを隠すつもりもないようだった。
「アイス・ダンス」
今度は地面に氷をひき、移動スピードを高めてから、斬りかかる。だが、それも簡単に避けられ、無駄な行為に終わった。
「馬鹿か、お前は。能力が同じの時点で俺もこれに対抗できるに決まってんだろ」
嘲笑いながら、ビラスは言う。
「うるさい!」
そんな言葉など聞きたくもないと言うかのように、アスバは走る。
「もう面倒だな」
ビラスはそんな言葉を吐いた。そして、
「アイス・ダンス」
その言葉とともに彼の周りに氷の塊が大量に出現する。
アスバはビラスの持っているマジックポイントの量に驚愕した。先ほど、あんなに氷の塊を出現させたばかりだというのに、間を置かずにあれほどの量を出現させるとは、それほどまでに早く終わらせたいということだろうか。
あの氷をすべて避けるのは不可能に近い。ならば、受け止めるしかない。
「アイス・ダンス!」
氷を放ちながら、彼は踊るように、動きながら、氷を避けていく。いくら強力でも当たらなければいい。
そうアスバは思考していたのだが、彼の中に突破策があったわけではない。何も考えていなかった。考える必要がないと判断したか、考えるだけの余裕がなかったのか、もしくはそのどちらもか。そんなことはわからないが、兎にも角にも、彼はビラスに近づいていくという発想しかなかった。それをすればよいという根拠があるわけでもないのに。接近戦を仕掛けようとしていたのだ。
「なんでまだ勝てると思ってるのか、俺には不思議でたまらないな」
ビラスはそんな言葉を吐きながら、もうすぐそばまで接近していたアスバを見る。
その言葉に自信をそがれながらも、この距離までくれば、首を刈れるのはほぼ確実であり、止まる理由もなかったので、アスバは攻撃を続行しようとした。
「悪手」
ビラスはそう傍に来たアスバの耳元でささやいた。
理解不能だ。いつのまに、耳元にまで回られている?
アスバは剣を振ろうとするが、それよりも先に、悪寒を感じ、自分の身が置かれている状況を悟った。
ビラスはいつの間にか、剣を出現させていて、アスバの腹を引き裂こうとしていたのだ。おそらく、氷同士が激突していた時の音で、彼の「アイス・ダンス」という詠唱はかき消されたのだろう。
そんなことを考えたとしても、事態の解決にはつながらない。今すぐに、この場を離れなければ、命を失ってしまう。
だが、もはや、手遅れであることをアスバは知っていた。この至近距離でよけるのは不可能。ならば、先ほどと同じように受け止めるしかない。
しかし、どうやって? 今から、「アイス・ダンス」を発動するのは不可能。攻撃を受けるまでの秒数は一秒を切っている。
死を身近に感じ、体の震えが止まらない。これはきっと寒さのためではない。地面に敷いている氷のためではない。
地面に敷いている氷……?
アスバは自分の頭の中で電流が流れるかのような感覚に襲われた。そして、防ぐ方法を、一か八か試してみることにした。
防ぐことのできない剣なら、いらない。
彼は固有スキルを解除した。それが意味するのは彼の氷の剣が消えること。そして、足元にある氷が消滅すること。
今、アスバの姿勢は前向きに傾いている。そして、足を出した瞬間だった。その時に、地面を消滅させることにより、前向きにかけた体重をさらに前向きにかけて、ちょうど跳び前転のような姿勢をとった。さらに、ビラスは突然、地面が消えたことにより、体が全体的に前に傾く。それにより、ふるった剣は本来の位置よりも斜めに向かって、下がっていく。これにより、前に体を傾けたことにより、避けることができる。さらには、
「アイス・ダンス!」
アスバは後ろを向いているビラスへ叫んだ。途端に、空気中に大量の氷が創造され、それらはビラスの元へ飛んでいく。
「なっ……!」
一瞬のうちに行われたそれらの行動にビラスは驚き、目を見開く。しかし、彼はすぐに後ろを振り向き、飛んでくる氷を剣で叩き落した。
もちろん、全てを叩き落せたわけではない。いくつかは体に当たっていく。しかし、距離が近すぎた。十分な加速を伴っていないためか、体を傷つけたり、痛みを与えたりはできたりするものの、体を貫くことはできない。
「甘い!」
ビラスはそう叫び、前進する。いくら十分な加速を伴っていないといっても、その威力は十分で、当たれば、それだけで骨を折るなどして、ダメージを与えることはできる。その状況下であっても、ビラスは前進した。もはや、彼の顔に笑みなどは浮かんでいない。あるのは覚悟の表情だった。
アスバは空中で体を捻りながら、ビラスのほうを向いて、着地できるように努力した。それだけを見れば、悪い結果にはなっていないのだが、悪い結果を招いてしまっている。だが、それについては、そこで何かをしたところで、解決できる問題ではなかった。
その問題が何かと言うと、ビラス目線では、アスバが着地したときの、死角が分かると言うことだった。死角が分かるのならば、そこに行けば、相手の反応を遅らせつつ、攻撃を送ることができる。
そんなことなど頭の片隅にもないアスバは突然、横向きに走り出したビラスの行動に戸惑った。場数の数が圧倒的に違うアスバはそのような基本的なことに弱い。突然の発想ができても、それができないのであれば、意味がないのだ。
「がっ……」
背中を斬られ、アスバは苦しみの声を出した。背中から出血を感じ、意識が朦朧とする。
その時だった。アスバの視界に映ったのは、仲間たちだった。
彼らは、今、ミルアに対して、決定的な攻撃を仕掛けようとしている。彼らは既に勝利をつかむ目前にいるのだ。なのに、自分はせっかく、ビラスの腹への攻撃を避けることができたというのに、背中への攻撃を受けてしまい、ピンチの状況。恥ずかしかった。顔向けができなかった。そして、彼は自分がここで倒れると言うことの意味を考える。自分が倒れるということはビラスを向こうへ行かせてしまうと言うこと。そしたら、また誰かが傷つくかもしれない。自分のせいで。大事な仲間が。
「そんなの……」
彼のマジックポイントはもう残り少ない。悪い状況だった。今から、これを突破できるとはとても思えなかった。それでも、諦めるわけにはいかなかった。――たとえ、命を失ったとしても。自分を受け入れてくれた仲間たちのために。そして、母を実質殺した父を倒すために。
「アイス・ダンス」
全てのマジックポイントを使って、ここで、倒す。
地面に氷を敷き、さらには氷の剣を出現させ、空気中に氷を出現させる。
「父さん――ビラス!」
アスバは後ろを振り向いた。ビラスはちょうど、剣をもう一度、振るおうとしていた時だった。
痛む背中を気にしている余裕なんてない。
――終われ、ここで全て。
アスバは剣を振るった。速く。速く。速く。
気づけば、髪は浮き上がっていた。肉体強化を使用していた。それには彼は気づかない。ただ、もっと速く動けと、体が訴えていたがための、状態だった。これで、彼の残りマジックポイントはゼロ。
「もっと、もっと!」
剣を振るう。あまりの速度で動かされ始めた剣にビラスは対応できずに後ろへ下がっていく。そんなビラスを追いかけるように、氷が空気中を滑空する。
「負けるか!」
ビラスも負けるわけにはいかなかった。息子に敗北すると言うことがなんたる屈辱か。それは想像を絶するだろう。
ビラスはその剣のスピードに対抗するために、気づけば、肉体強化を発動させていた。ビラスの青い髪の毛が浮き上がり、夕暮れの中に映える。
その姿は美しい舞いそのものだった。氷の上を二人が剣技で競う。白く輝く剣が光を反射して、煌めいた。舞いのスピードはもはや、誰にも到達できないところまで来ていたかもしれない。これほどに美しく、これほどまでに苛烈に争われていることがほかのどこにあるというのだろう。
激しい戦闘は案外すぐに決着がついた。
空中を滑空していた氷はいつの間にかビラスの後ろに回っていた。それにビラスは目の前の剣を受け止めるために、そして、沸き起こる激しい感情のために気づかなかった。
「がっ……」
それは奇しくもビラスがアスバを斬ったときと、同じ反応だった。
十分な加速を終えた氷はビラスの体を貫いた。噴き出した鮮血はそこが戦場であったことを見るものに思い出させる。
「今だっ!」
アスバの剣はビラスの剣を弾き、吹き飛ばした。そして、融けた。
ビラスは後ろ向きに、倒れた。あとは、アスバがとどめを刺すだけ。
「じゃあな、父さん」
今、彼はその剣をビラスの首へ――
突き刺さらなかった。ビラスのすぐ首のすぐ横に剣は突き刺さり、融けていく。それとともに地面に敷かれていた氷も融け、二人は湿った地面の上に戻ってきた。
「どうした、とどめを刺さないのか?」
ビラスはアスバに尋ねる。そこがアスバの限界だった。
どっと涙が溢れだし、彼は泣きじゃくった。
「無理だよ……父さん、殺すだなんて……無理だ……」
できなかった。その剣をビラスの首元に据えたとき、彼の中に激しい抵抗が沸き上がった。自らの手を見たとき、そこにはさきほどの氷により噴き出したビラスの血がついていたのだ。
このまま、剣を刺せば、自分は父親と一緒だと彼は思った。命は奪えない。彼に人の命を、ましてや、実の父親の命を奪うような覚悟はなかったのだ。
「どうすればいいんだ……父さん……父さん!」
悲痛な叫びが木霊した。
「なあ、アスバ……俺、怖かったんだ」
がはっと血を吐き出しながらも、ビラスは話す。
「なんとしてでも、生き残りたかった。……結局は俺はその程度の男だったのさ……でもさ、不思議と、今、怖くねえんだよ」
無理して笑いながら、ビラスは続ける。
「人は幸せなまま、死ななきゃな……俺はお前に負けちまった……でも、俺、お前が俺を超えて嬉しいんだ……なあ……殺してくれよ。俺の気が変わっちまう前にさ」
「そんな……自分勝手だ」
「確かに、そうかもな。はっは。わりいな。こんな父親で」
ビラスはため息をついた。
「今までしたことが今になって、俺に回ってきてんのか……このまま、失血で死ぬ。それが俺の運命か」
そう言われたら、なんだか自分が責められているような気がした。だが、それはビラスが自分自身の希望通りに最後を遂げようとしているためであるとも思える。ならば、自分は彼の期待に応えるべきだろうか。それとも自業自得だと見放すべきだろうか。見放してもいい。でも、それは良心が許さない。また、殺してもいい。しかし、それもまた、彼の良心が許さなかった。
こんな葛藤なら考えなければいい。しかし、タイムリミットは刻一刻と迫っている。止まってる場合ではなかった。
「なあ、父さん。父さんは俺に殺されたら、幸せなの?」
「幸せさ」
短く、答えられ、彼の中で何かが弾けた。迷いたくないのなら、迷わなければいい。最初から、それだけのことだった。
「父さん、ごめん。そして、さようなら」
もうなくなってしまったマジックポイントのせいで、魔法で殺すことはできない。だから、彼は痛む体をおして、ビラスが壊した砦の破片をとってきた。破片と言っても、そのサイズはかなりのもので、重い。
「じゃあな、アスバ」
ビラスはそれだけ言って、目を瞑った。
アスバはその岩を彼の頭に落とした。そのとき、最後に見えたビラスの表情は確かに笑っていた。




