第三話 森で
森の中はまるで私が初めてこの世界に来た時の森のように鬱蒼としていた。
「リーベルテまでどれくらいかかるのでしょうか……」
シュワイヒナが声を震わせながら言った。
「ごめんね、シュワイヒナは何も言われてないんだから、戻ってもいいんだよ」
「いえ。凛さんについていくって決めましたから」
「ありがとう……」
なんだか泣けてくる。自分と一緒にいてくれる人がいる。ただそれだけですごくうれしい。
「とにかく食料と水は少しもらいましたし、先をある程度見通してから行動を考えましょうか」
「そうだねえ。とは言っても、この森の情報なんて紙でしか見たことないからな」
「そうですね……」
確か森を二十キロくらい進んだところからは開け始めて、動物もたくさんいるらしい。川も流れているそうだから、そこまで行かないといけない。
「二十キロといったら大体五時間くらいかな」
「五時間ですか。思ったより遠くなさそうですね」
そうそこまで行くくらいなら大した問題ではないのだ。問題は
「リーベルテまでは六百キロか」
東京から京都までよりも少し長いくらいかな。かなりやばいと思うんだが。まずい気がしてきた。はっきり言ってその道程で自分がどんな目に合うのか、どうなってしまうのか全く想像できない。
「まあ、こんだけ広い森だったら人もいると思いますよ。そんなに心配しなくても多分大丈夫です」
シュワイヒナは笑って言ったが、本当にそんなにうまくいくものだろうか。私にはそうは思えなかった。というか人がいるって方が怖い。人っていうのが一番恐ろしいってよく言うし。
一時間位歩くと、足が痛み始めた。魔王の時にそのくらい歩いたはずなのだが、あの時はこまめに休みいれてたからか、今回は疲れる。それに精神的な物もあるのだろう。
というかかなり進んだと思うが、全く景色が変わらないせいで、進んでいるようには思えない。心も疲れてくる。
そして、シュワイヒナもおそらくかなり疲れているだろう。それも私以上に。彼女は魔王の時にはいなかったし、ずっと王宮にいたのだから慣れていないのだろう。ひどくかわいそうに思える。
「私は大丈夫ですよ。ほらまだまだ頑張りましょう」
そう言って、シュワイヒナが笑いかけてきた。それにドキドキしてしまう自分とシュワイヒナにこうさせた自分が情けない。
とその時だった。ガサッという音がした。落ち葉を踏む音。私たちの音じゃない。そのあとに足音が二つ。振り向くと、
「よう、お前ら」
「良い感じだな、その顔」
男が二人、そこにいた。恐怖で心臓がバクバクする。叫びそうになった口を押え、その隙間から空気を深く吸った。それから、私は声を震わせながら言った。
「あなた達は……誰です……か……?」
「すぐに分かるさ」
と男はにやにやしながら言った。そして
「ん……んんっ!」
男は私とシュワイヒナの手と口をそれぞれ抑えた。
「さて、おとなしく気絶してもらおうか」
そう言って男は高らかに笑った。
息が出来ず、苦しい。頭が回らない。はやく何とかしないといけないのは分かっているのに、何もできない。どうすれば……どうすれば……
ドゴっという鈍い音がした。音がした方へ目を動かすと、男が宙に浮いている。
何が起こったのか、理解できなかったが、シュワイヒナの様子を見て、それを理解する。シュワイヒナが男の腹を蹴り上げたのだ。
「はッ――!」
シュワイヒナの脚が男の腹部のほうへ行ったのが目に留まる。
「凛さん! 逃げますよ!」
その声は大人しい――勝手に私がそう思っていただけだが――彼女からは考えられない鋭さと強い意志を持っていた。男の手から離れ、まともに呼吸ができるようになったが、その喜びに浸る間もなく、彼女に腕を引っ張られ、私たちは走り出す。
「くっそ! てめえら待て!」
男が叫んでいるのが聞こえ始めた。
「土魔法! アースロック!」
もう一人の男が叫んだかと思うと、私の目の前に大きな岩が飛び出した。
「嘘……」
シュワイヒナはそれを避けるが、そこにも岩が飛び出してくる。と、その間に
「うっ……」
「シュワイヒナ!」
シュワイヒナが殴られた。
「てめえ、さっきはよくもやりやがったな!」
「止めろ!」
私の中にふつふつと怒りが湧き上がる。私は殴っている男に掴みかかって、顔を殴った。しかし、男は動じない。
「うわあああああ!」
私は叫びながら男を殴り続ける。
「てめえ! うっぜんだよ!」
男に殴りつけられた。頬に鋭い痛みが走る。地面に倒され、腕を掴まれる。
「てめえ、自分の立場が分かっていないようだな。ここで分からせてやるよ!」
そう言いながら男は私の服を……
「いやだ、いやだ、いやだいやだいやだいやだ!」
その時だった。目の前がいきなり光りはじめ、目を瞑る。光りが消え始め、目を開けると私の目の前に男が一人いた。顔は良く見えない。だが、激しい既視感が私に襲いかかる。
「戦え、そして生き残れ」
男はそれだけ言った。そしてまた目の前が光りはじめる。
また元の場所に戻ってきた。戦わなきゃ。そう決意できた。
と視界の隅に数字が見える。だが、そんなことは気にならない。私は今この状況を何とかしないといけないのだ。
私は下半身を持ち上げ、男の上半身に絡み付け、そして男の上半身を倒した。足を少し痛めたが、なんとかその場を抜けられた。
男は小さく舌打ちをしてまた襲いかかってくる。
その時、視界の端に目が行った。視界の隅に書かれている文字を読む。
魔法属性:風 使用可能魔法:つむじ風 そよ風 突風
そう言えば、さっきの男は「土魔法 アースロック」と叫ぶと岩が飛び出していた。だったら、それに則って考えるのが自然だろう。
「つむじ風!」
私が叫ぶと男の体が持ち上がり始めた。
「あ……な、なんなんだ!」
それは落ち葉を巻き込んで巨大な渦を作り始める。
「う、うわあ!」
男の体に落ち葉が擦れ、切り傷を作り始める。
と視界の隅の数字が変動しているのが見えた。項目は「Magic point」初期値は二十だが今は十五まで減っている。だが、そんなことを気にしている場合ではない。
私はシュワイヒナの元へ向かった。そしてシュワイヒナを殴りつけている男を蹴り上げた。そして手を男の方にかざして、念じると、男の体がもう一人の男と同じように持ち上がり始める。
「今のうちに逃げましょう!」
「待ってください」
シュワイヒナは自分の頬に触れた。触れた場所が光り始める。
「失礼しますね」
シュワイヒナが私の頬に触れる。すると痛みが消えた。
「回復魔法です。それとマジックポイントを確認してください」
「え……あ、うん。分かった」
その項目を見ると、数字は現在残り五。
「5って書いてるけど……」
「え……最初は何だったんですか!」
「20だったかな」
シュワイヒナが男たちの方を見る。二つのつむじ風は現在合体して、一つになり、大きくなり続けている。そして突然、つむじ風は消えた。
「え……」
「マジックポイントがゼロになったんですよ!」
シュワイヒナが叫んだ。男は落ちた。大した高度に達していなかったためか、頭からは落ちていない。
そして男が立ちあがる。
「凛さん、もうあの人たちを殺すしかありません」
「え……なんで……」
「殺さなければ、いつまでも追ってきます。そしたら安心して寝ることもできないですよ」
「そ、そうとも限らないじゃん。ほら、諦めるかも……」
「いえ、私たちとあの人との間にあまり実力差はありません。それに寝ている間は大変ですよ」
「そ、そうかもしれないけど……」
男は頭を振って、私たちの方を見た。
「行きますよ! マジカルレイン!」
シュワイヒナが叫んだ。するとシュワイヒナを中心に半径三メートルあたりに光り輝く粒子が降り始める。
「それに触れるとマジックポイントが一定量回復します。それでまたさっきのが使えます! さあ早く!」
「う……うん。分かった……」
男は私たちの方へ歩きはじめる。シュワイヒナは片方の男を蹴り上げる。と、男はポケットからナイフを取り出した。ナイフは森に差し込んでいる少量の光に反応して煌めく。
「死ねええええ!」
ナイフはシュワイヒナの方へまっすぐ動き、シュワイヒナの腕を突き刺した。
「あああああああああ!」
シュワイヒナが絶叫する。
私はもう何も考えらえれなかった。
「つむじ風!」
片方の男を宙に浮かし、私はシュワイヒナをナイフで刺した男の方へ向かう。
「ああああああああ!」
私は叫びながらシュワイヒナの腕に刺さっているナイフを引き抜き、男の腹に突き刺した。かなりの勢いを持って刺したからか深くまで突き刺さる。
「が……ああああああ!」
男は痛みに悶え、その場に倒れる。
「シュワイヒナ!」
シュワイヒナに呼びかけると、彼女は
「大丈夫ですよ」
そう言いながら自分の腕に触れる。そこは光り、傷口が埋まっていく。
「私の回復魔法はなかなかに強力なんです。だから、大丈夫です。それより……」
シュワイヒナの視線を追うと、男が立ちあがろうとしていた。
「とどめを刺さないと」
シュワイヒナは立ち上がって男の腹に刺さっているナイフを抜き、男の首を掻き切った。鮮血が吹き出し、シュワイヒナの顔に鮮血がつく。そして血は私の方へも飛んできて、私の服を濡らした。それは生暖かく、さっきまで生きていた人間から出たものだと、すぐに体が理解した。そして、それを理解した途端、自分の目の前で人が一人死んだという事実が突きつけられた。
「あと、もう一人ですよ」
男は呻きながら私の方へ手を突き出した。すると石が飛び出す。
「避けてください!」
呆然としていた私はシュワイヒナのその言葉で我に返った。
「わ、分かった!」
そうは言ったものの石を避けるのは難しく、容赦なく私の体にぶつかってくる。一発一発がすでに限界を超越していた体を痛めつけ、それのもたらす苦しみは今まで受けた何よりも強かった。
「凛さん!」
シュワイヒナは私の腕を引っ張った。
「いい加減にしてください!」
「え……」
「その男たちの命と自分の命のどっちが大切なんですか!」
風は止み、男は地面に落ちる。
「あなたのために私がどれだけ頑張ってもあなたに生き残る気がなかったら意味がないんですよ! 私たちは生き残らなきゃいけないんですよ!」
「でも……でも……」
男の死体が目に映る。
「覚悟を決めてください!」
シュワイヒナはそう言って、人を殺め、先が血で濡れているナイフを持って、男の方へ飛び出した。動きが鈍くなっている男はもはや抵抗することも難しい。そして、シュワイヒナはいとも容易くナイフをもう一人の男の喉に突き刺した。シュワイヒナの服は元の色が分からないくらいに真っ赤に染め上げられていく。それに加え、シュワイヒナの顔には血がこびりついた。
「人は一人じゃ生きていけないんです。それに人の犠牲なしには生きていけない。いつだって人の犠牲のおかげで生き残っているんです」
その言葉には説得感があった。シュワイヒナは確か、魔王襲来のとき父を失った。そして、あ、母には一度も私は会っていない。ということは……
「私の母も父も、みんな私を生き残らせてくれたんですよ。私はみんなに生かされているんです。それはあなただって一緒のはずですよね」
シュワイヒナはぼろぼろと涙を流している。それなのに私は……私は……
私は生かされているのか? そう自分に問いかけた時、多くの記憶が頭の中に流れ込んでくる。私は親のおかげで生かされ続け、そしてこの世界でも祐樹がいなければ私は間違いなく死んでいただろう。でも……
「それはあの人たちだって一緒なんじゃ……」
「どうして人のことばっか心配するんですか! あなたは自分を大事にしなきゃいけないんですよ! 生き残らなきゃいけないんですよ! じゃあ聞きますけど、あの人のためにあなたは死ねるんですか! あの人たちのためにあの人たちの思い通りになっていいんですか!」
「それは……」
「私は許しませんよ、そんなこと。あなたはあなたのために生きてください!」
シュワイヒナの言葉は胸に強く染みついた。そうだ、私の人生なんだから私のために生きなきゃいけない。私は一人じゃないんだから、シュワイヒナを一人にしないためにも。
「分かった。もう躊躇わない。生き残るためだったら人殺しだってやってやる。でも、私は私のために生きることがあなたのためになるようにする」
「だったら私も凛さん、あなたのために生きていきます。二人で生きていきましょう」
それを言ってから、そして、シュワイヒナからその言葉を言われて、私は初めて自分の頬を涙が伝っていることに気が付いた。
次回九月二十二日更新です