第三十八話 予想外
それから、私たちも砦に戻った。砦では捕虜の移動が行われている。そして、その隣ではリブルさんが地面の解毒をしていた。迂闊に近づけば、味方までも毒で眠ってしまう。そうなってしまうのはさすがに大変だ。
「予想以上にポイント使っちゃったから、しばらくは出れそうにもないわね」
桜さんは、マジカルレインを浴びながら、そう言った。また、隣ではシュワイヒナも一緒に浴びている。
「えっ、でも桜さんもう満タンですよね?」
とシュワイヒナが尋ねる。
「いやあ、まあ満タンっちゃあ満タンだね」
「なんで、ずっと出しとけって言ったんですか……」
シュワイヒナがぐちぐち言いながら、マジカルレインを止めた。
「いや、なんだか体がだるいからさ」
どうやらマジックポイントの消費量が激しくなると、体に倦怠感が生まれるようだ。私は基本的にマジックポイントの消費が激しいときは、倦怠感など気になってられないほどの激しい戦闘の最中だったため、今まで分からなかった。もうこの世界で魔法を発現させてから、二か月経つのにこんなことも知らなかったなんて自分が情けない。
「言い訳にしかならないでしょうが。倦怠感ぐらい」
シュワイヒナは、はあとため息をついた。よっぽど彼女のほうがだるそうに見える。
「まあいいですよ。もう少しゆっくり休んでください」
いつになくシュワイヒナが桜さんに優しい。おそらく気づいているのだろう。
この倦怠感はまた、別の原因があるであろうことを。
気になるので尋ねる。
「やっぱり桜さん、無茶しないほうがいいんじゃないんですか」
「えっ? 別に無茶なんてしてないけど」
「そうですか……ならいいんですけど」
対応があまりにけろっとしていたので、なんだかこちらの心配が削がれたような気分だ。
「まあいいわ。さて、次、どこにいく?」
「うーん、順当にいけば、リブスですよね。一番近いですし」
「ただ、リブスの能力よりも、ミルアの能力で攻め込まれた時が痛すぎるのよね。単独行動をされた途端にやられちゃう」
「それは……言えてますね。じゃあ先にミルア行きますか」
「うん、そうと決まれば、さっそく出発だ」
決断が速い。確かにこのような場ではそれも重要だろうが、圧倒的アドバンテージを得ている今、それほど大事なことだろうか。
まあいい。桜さんの決断は間違っていないものだろうと思われる。
「そうだな。ただ時間には気を付けないといけないだろうが……」
どうやらアンさんと私は全く別々の考えを持っていたようだ。やはり経験者の意見と聞くと、かなり頼りがいがある。何の疑いもなく、なにも分かっていないくせに、私はアンさんの意見に賛同した。
「そう? まあいいわ。行きましょうか」
みんなで桜さんに触れる。それから、桜さんの合図とともに私たちは本日四度目の空間転移を迎えた。
辺りを見渡すが、そこには誰もいない。
「あれ? おかしいな。そろそろこの辺に来てるころだと思ったんだけど」
桜さんが首を傾げる。ここは砦から八キロメートル地点。既にここを通っていった、もしくは動いていないのか?
「とりあえず、ミルアたちがいた地点まで行こうか。走るよ」
二キロ程度なら全力で走れば五分もいらない。
私たちは走り出した。
走りながら、森の様子――特に足元を見ていく。人が通ったような痕跡はない。ともなると、やはりまだ動いていないようだ。それについては納得できる。一度に包囲を完成させなければ、いけないだろうから。また、近づきすぎてしまえば、そこに攻撃を当てられ、包囲の意味をなさない。
だから、動いていない。
はずだった。
「えっ……」
困惑の表情を最も如実に表したのは桜さんだった。
そこには誰もいなかった。だが、人がいた痕跡は残っている。
「もしかして、すれ違った……?」
その可能性は十分に考えられるだろうが……
「いた。感情の塊がある」
アンさんがそう言った。
「先ほどの時点で確認しておくべきだった、すまん」
「で、どこにいるの?」
「砦から、二十メートル」
「なっ……」
「今、砦に入った」
んなわけ……待て、いや、どういうことだ。どうなってるんだ? なぜ、砦に入れている? なぜ、ミルアの隊は包囲を完全に無視しているんだ?
足りない頭で精いっぱいに考える。可能性は……
「包囲陣は、私たちを惑わせるためのデマ?」
「そういうことになるだろうな」
アンさんが言うのだから、間違いない。
「つまり、祐樹は包囲陣をわざと敷いて、同時攻撃のみが作戦であると、私たちに認識させた。だが、本当の作戦はそれを認識させることにより、ミルアの軍を到達させた。彼女の固有スキルならば、砦の内部に入ることは可能であろう」
「じゃあ、なんでシトリアはあそこにいたんですか!?」
シュワイヒナがもうわからないとばかりに頭を振る。
「分からないのはここにいる全員が思っていることだ。だが、今ここでやるべきことは悩んで立ち止まることではない。相手の作戦を阻止する。それだけだ」
アンさんはきっぱりと言い切る。
「え、ええ。そうね。じゃあ行きましょう」
ワープ。五度目。
砦の前に来た。やけに静かだ。しかし、異様な雰囲気が流れていた。何かがおかしい――すでにミルアの固有スキルを受けている。
私たちの姿を砦の前にいた守衛は確認すると、剣を向けた。
「ミルア様の言いつけ。殺す」
目をトロンとさせ、口から涎まで垂れている彼らは、そんな言葉を吐きながら、襲い掛かってくる。
「邪魔です」
真っ先に動いたのはシュワイヒナだった。一瞬だ。守衛たちは一瞬の後に気絶した。
「さて、入りますよ」
彼女が入り口をこじ開ける。
「ありがとう」
彼女の頭に手を二回ぽんぽんと乗せてから、私は砦の中へと入っていった。
中に入ると、大量の兵士が倒れていた。見た目からすると、シュワナ軍だ。その辺りの草が変色しているのを見ると、リブルさんが毒を浴びせたのだろう。ならば、すでにミルアの率いた軍は討伐されたのか?
「まずい、屈め!」
アンさんが叫んだ。突然の発言に体が動かなかった私の体をシュワイヒナが地面に落とす。
「ファイヤーブレス!」
「アクアシュート!」
「突風!」
「アースロック!」
多種多様な魔法の詠唱が聞こえてきた。突然の事態に何も考えられないし、何も思わない。ただ呆然とするのみ。
「アースロック」
アンさんが大量の岩を私たちの周りに出現させる。魔法の波が岩にぶつかり、爆発四散させるが、それだけでそれらすべての魔法の威力を打ち消したようだ。
その中で、ようやく思考と、感情が戻ってくる。
ミルアに操られている兵士が魔法を放って攻撃してきたのだろう。だとすると、聞こえてくる詠唱の数を考えると、その数は半分を超えている。いや、すべてか?
死んじまう。激しい命の危険を感じる。そのせいか体の震えは止まらないし、頭はがんがん痛むし、手はもうびしょびしょだ。
「とにかく、走るわよ!」
桜さんの叫びに反応して、体は走り出した。走らなければ、死ぬ。その本能的理解だけが、私を走らせていた。もっと、もっと。速く。速く。
気づけば、城の中に入っていた。力が抜け、どっと疲れを感じる。動悸が止まらない。
「いたっ……」
それから数秒遅れて、痛みが体を襲った。見ると、体のあちこちに岩の破片やら、炎魔法で焼かれたあとやら、弓矢が刺さったあとやらがある。
「回復魔法」
シュワイヒナがそれをいち早く確認すると、すぐに回復魔法をかけてくれた。
「非常にまずい状況ですね」
彼女の口からそんな言葉がこぼれた。
「こんなに静かな中でいきなりこんな攻撃を受けたところを見ると、おそらく全滅ですか。しかも、こんな短時間で」
「アスバさん、ファイルスさん、リブスさん、湊さんがどこにいるかですね」
私もそう口に出す。
「ええ、そうね。入口のところを見た感じ、リブスがすぐに行動を起こしてくれたみたいだけど」
「もし、してなかったら今頃死んでましたね」
と、そこでアンさんが
「アスバ、ファイルス、リブス、湊は今ミルアと戦闘中だ。というより、湊が一人で相手をしていると言ったほうが正しいか」
と言った。
湊さんが一人で……ということは他はやられた? 戦闘中と言うことは他は既に固有スキルを受けてしまったということだろうか。
「とりあえず、行きますか」
六度目。
ある扉の前に来ていた。中からは激しい戦闘音が聞こえる。そして、湊さんの必死そうな声も。
何も考えず、私たちはその中に突っ込んだ。
そこは長い廊下であった。横側には灯りが並んでおり、明るい。中心にはカーペットのようなものが敷いていたのであろうが、原形をとどめていない。また、窓もところどころ割れている。きっと激しい戦闘があったのだろう。
「新しいお客様なの」
わーいとこちらに手を振った少女がミルア。
その後ろでは湊さんが、ファイルスとともにアスバとリブルさんを取り押さえていた。
あまりの空気の違いに風をひきそうだ。
「ねえ、なにしにきたの?」
とミルアは口に手を当てて、かわいらしく尋ねた。なんだかあざとい。自然体に限りなく近い感じではあるが、どこかにあざとさが残っているように見えるのだ。
「なにしにもなにも、あなた、分かってるでしょ」
桜さんは明らかにいらいらしていた。今にも飛びかかりそうな勢いすら持っている。
「ええ、分からないよ。教えてぇ」
上目遣いでこちらを見てくる。
「この腹黒女。遊ぶ余裕があるんだな」
アンさんはジト目でミルアを見つめていた。心から蔑んでいるようだ。
「来てくれたのか! そいつが出すピンクの煙に気をつけろ!」
湊さんが叫んでくれる。
「食らった時は、痛みでごまかせ!」
ファイルスさんまで的確なアドバイスをくれる。その様子が気に食わなかったのか、ミルアは
「うるさい人たちいますね」
そう言いながら、二人のほうへ顔を向ける。
チャンスだ。こちらに背を向けた。
シュワイヒナが飛び出す。だが、
「肉体強化」
それは、シュワイヒナの声ではなかった。ミルアの声だった。髪は浮き上がり、そのうえで、驚くべき動きをする。
「エナジードレイン」
飛び出してきたシュワイヒナに対して、ミルアはバックステップで後ろに飛び出していった。最高速度でぶつかった二人の間に衝撃波が起きる、
「うあ……あ……」
その場に倒れたのはシュワイヒナだった。
「えっ……」
その場にいた全員が絶句した。
シュワイヒナだぞ。肉体強化の精度は圧倒的なものがあるし、今のスピードは普通は反応できる速度じゃない、なのに、一瞬で、シュワイヒナが倒された? そんな馬鹿な。
ありえない。
頭がおかしくなりそうだ。目の前にはシュワイヒナが倒れていて、それで、それで……
「あ、あ、ああ」
考えたくない。嫌だ。嫌だ。
「もう、全く、突然襲い掛かってくるからびっくりするじゃない」
彼女の髪がはらりともとに戻った。
「それじゃ、殺しちゃおうか」
やめろ。
「じゃあね」
「やめろ!」
気づけば、肉体強化を発動し、飛び出していた。
「止まれ!」
後ろからそんな声が聞こえてくるが、それに従うほど、私も余裕がないんだ。
「あ、凛さんなの」
ミルアはとぼけたような声を出した。そして、私の視界から消える。
「どこ――」
気づけば、私は心が満たされていくような不思議な感覚を覚えていた。既に満たされているはずの心が一度ゼロに戻されて、再度別のもので満たされていくような感覚。
私は腹のあたりに体温を感じた。すごくいい匂いがする。そのうえで、視界は薄い赤色に染まっていた。
「ねえ、凛さん。誰が好きですか?」
ミルアの声。どこか上ずっている。また、頭の中に直接語り掛けてくるようで、それ以外考えられなくなる。
視界の先に倒れているシュワイヒナが見える。彼女は必死に起き上がろうと、必死にこちらへ来ようと動いた。
「だから、誰が好きなの?」
「シュワ――」
その刹那、始めての感覚が私を襲った。
次回投稿は十月二十七日です
 




