第三十六話 開戦
投げられた瓶は軍の中心部に落ちて、割れた。そして、現れた液体は蒸発を始める。
桜さんはその時にはすでにワープを使っていた。そして、私たちがいたのとは反対方向に出現する。
「なんだ!? これは!?」
と困惑の声が聞こえてくる。
「早く離れて!」
そうシトリアは叫んだが、時すでに遅し。その場にいた兵士は次々と倒れて行った。突然の出来事にすでに騒然となっていた現場はさらなる混沌を極めていった。その間にも兵士たちは次々と倒れて行った。三十秒も経過すれば、立っている人間のほうが倒れている人間よりも少なくなっていた。
シトリアは桜さんのほうへ向かっていく。それを確認すると、私たちも飛び出した。事前に言われていた通り、兵士たちがいたところを避けた。兵士たちは私のほうを見て、動こうとしたが、もう意識は混濁としているようで、目は虚ろで、そのうち倒れた。眠ったようだ。
気づけば、兵士はもう誰も立っていない。それほどに強力な毒なのか。だからこそ、数に限りがあるということなのだろう。見ると、瓶が粉々になったところに生えていた草は茶色くなっていた。その辺りだけが、変に茶色になっていて、気味が悪い。それに倒れた兵士を放っておくのは悪い気もした。
それから私と、シュワイヒナ、アンさん、そして桜さんの三人でシトリアを囲んだ。
「さあ、投降しなさい。今なら、眠らせるだけで済ませるわ」
そういわれると、シトリアはニヤッと笑った。
「なんで、自分たちが有利みたいに思ってるの?」
「数が違う。こちらは四人。君は一人だ」
「へえ、数が違う。そう。じゃああなたは認識を間違えてるわね」
余裕たっぷりだった。腰に手をあて、髪の毛をさらっと流した。
ひゅーっと風が吹く。彼女の金髪はこれほど暗い場所でもきれいだった。それそのものが光を放っているかのようだった。
「認識を間違えてる? どういう意味よ」
「コネクトハート」
固有スキルを使用した。誰かが発動条件を満たしているとでもいうのか。突然の固有スキルの使用に構えた。
がさっという音がした。誰かが、動いた音。しかし、視界の中の誰も動いてない。ということは――
「後ろ!」
振り向くと、兵士が確かにそこに立っていた。
「なっ……」
パニックになりそうな頭で考える。状況的には間違いなく、シトリアの固有スキルの使用によるものだ。だから、彼女が動かしているのは間違いない。
兵士は目を閉じていた。そして、走り出した。手にはしっかり剣を握っている。私は腰に差していた剣で対処しながら、周りを見渡す。
二百五十人規模の軍隊。そのすべてが動き始めていた。彼らは次々とこちらのほうへ斬りかかってくる。さらにその動きは異常なまでに早かった。それに力強い。
「シュワイヒナ! シトリア本体を!」
そう叫ぶと、彼女は目の前に来ていた兵士を蹴り飛ばしたのちに、シトリアのほうへ向かった。とにかく彼女に任せていれば、シトリアくらいならすぐに仕留められるだろうと思ったのだ。
しかし、状況は違った。シトリアのほうへ駆け出したシュワイヒナに兵士が次々ととびかかったのだ。そのせいでシュワイヒナはなかなか先に進めない。
「突風!」
考える間もなく、私は風魔法を使った。それにより、兵士たちは吹き飛び、一時的にだが、余裕ができる。
「えっ……」
だが、シトリアはいなかった。いつの間にか消え失せていた。
逃げられたか? いや、さすがにそんなに足が速いわけないだろう。だとすると――
「上!」
シュワイヒナが木のほうを見上げると、シトリアが木の上に立っていた。
「残念ね。あなたたちのお相手はできないわ。さようなら」
そう言い残して、彼女は逃げていく。
「私が追うわ! みんなはこっちお願い!」
桜さんはそう言って、消えた。「ワープ」を使ったのだろう。それくらいのことは特段考えずともわかる。
ともなれば私たちも目の前の兵士たちの相手をしないといけないのだが……
相手の数が多すぎる。実際に前にしてみるまで、二百五十人というのがどれほどのものか理解していなかった。殺すわけにもいかないし、ただ蹴っていくだけなのだが、次々と襲い掛かってくる兵士にそんなことで対抗できるわけもなく、私の体には次々と切り傷が刻まれていった。
痛みがどうこうとかよりも、先に進めないといういら立ちが勝っていた。それはこの場にいる三人全員に共通すること。
「邪魔!」
もはやいらいらを隠そうともしないシュワイヒナはそう叫んで、視認できないほど素早く兵士を同時に蹴り飛ばした。しかし、それは全体から見たら微々たる効果でしかない。
私は数を分散させるために、円弧を描きながら下がっていった。小手先だけの術ではあるが、シトリアは向こうにいる以上、有効だと判断し、またそれは間違っていないようだ。
完全に落ち着いて行動ができるようになっていた。最近は異常なこと続きで慣れてしまったのかもしれない。それに相手の固有スキルを既に知っていることも功を奏している。
視界の右下のほうを見ながら、後ろへ退いていく。ただただ攻撃を避けていきながら、ステータスを確認した。体力はまだ一割しか減っていない。剣により皮膚が切られているが、あまり痛みを感じない通り、ダメージはそんなにないようだ。それに体のどこかに不調があるわけでもない。
マジックポイントは先ほどの突風を使ってなお、八割残っていた。肉体強化を三十秒でも使うと半分は亡くなってしまう量だったが、風魔法はまだもう一発は大技を打てそうだ。
さて、ずっと攻撃を避け続けているのだが、いくら落ち着いていると言ったって、剣先が自分に向けられているという恐怖感が抜けるわけもない。一度ミスを犯しただけで私の命はジ・エンドだ。それに今はかなり集中力が研ぎ澄まされているから避けれているのであって、また相手も徐々に私を取り巻くようになってきた。さすがにまずい。潮時か。このまま一斉に切りかかられれば、避けられない。
「アンさん! シュワイヒナ! 一旦切り抜けて、シトリアを追いかけましょう! 一瞬でいいのでそこに堪えてください」
私はそう叫んだ。アンさんもシュワイヒナも私の矛盾した発言に首を傾げる。だが、信じてくれたようで、深くうなずいた。
私にだってできることがある。それを示すのは今、この時。
「風魔法、超突風」
落ち着いたまま言う。すぐに次の行動へ切り替えられるように。
私が叫んだ瞬間に私を中心として、風が吹いた。それは単なる突風として片付けてよいものだろうか? そんな疑問が浮かんでくるような風だった。風速がどれだけのものかは知らない。だから具体的な表現はできない。
異常なほどに激しい空気の流れができた。そして宙を舞う大量の人は私を中心に放射線状に広がっていく。それには得体の知れぬ快感があって心地よいものだった。劣等感、そんなものも一緒に風に吹き飛ばしてしまったようだ。
そんな中に酔いしれていたいものの、行動を速やかに起こさなければいかない。幸運なことに――というより、そうなるように私がしたのだが、風を受けた兵士たちはかなり遠くまで吹き飛んでいた。それにかなりの衝撃も受けたのだろう。だから、放っておいても追いかけてくることはできない。そう思った。
シュワイヒナもアンさんも走り出した。私もマジックポイントを大量に使った反動で少しだるい体に鞭を振るい、走り出した。
走った。走った。何も口には出さずに走った。どこに行くべきかはみんなわかっていたから。それに喋る余裕なんてなかったから。
向こうのほうに声が聞こえる。女性の声が二つだ。近づくにつれ、声はより明瞭になっていく。
「あなたそんななんだあ。弱っちい」
「そんなって……」
「動きは鈍い。力も弱い。悲しい生き物だね」
彼女はまるで子供をあやすかのように桜さんの頭を撫でていた。桜さんは無抵抗――というより抵抗が出来ないようだった。
「あれ? もう来たんだ。早いねえ」
「さあ、早いかどうかは知らないけど。まあいいや」
「覚悟してください!」
シュワイヒナは剣をかたく握り、構えた。
「王流剣術第参法――」
その時だった。がさっという音が聞こえたのだ。すぐにそれがどういう意味かが分かる。
「温情」
シュワイヒナは走り出す。それとともに髪は浮き上がり、溢れるエネルギーを受けて、暴れる。
「温情、だなんて優しいわね。でもね、受けるわけにもいかないの。桜」
前と後ろに同時に驚くべきことが展開された。
まず一つ目、桜さんがシュワイヒナの行く手を阻むかのように動いたのだ。攻撃を受けて弱った桜さんが固有スキルの効果を受けてしまったのだろう。
そして、もう一つ、私たちのすぐ後ろに、すでに兵士たちが戻ってきていた。
彼らは私の風で吹き飛ばされて、全身に打撲を負ったはずだ。それからすぐに立ち上がったとしても、彼らのレベルはまだかなり低いはずだから、ここまでこんな短時間でこれるわけがない。
「――ッ!」
シュワイヒナは桜さんを避けて、回ったときに、私たちの後ろに来ていた兵士たちを見たのだろう。あまりの衝撃で動きが一瞬遅れた。そして、
「ふんっ!」
腹に直接、シトリアの蹴りを浴びた。それだけで数メートル吹き飛び、木に激突する。
助けに行きたい。でも、後ろに来ている兵士たちの相手をしなければ、殺される。いや、シトリアを倒せば、彼らの動きは止まる。ならば、
「超突風!」
残りのマジックポイントをすべて使い切り、魔法を使う。だが、
「なんで……」
彼らは風魔法に耐えた。
おかしい。そのレベルじゃ無理だ。レベルが突然上がっているのか?
「違う。肉体が限界を超えて動いているのだ」
アンさんがそう言った。
「シトリアは五感を使えるのだろう。彼らの脳のリミッターはおそらく外れている。だから、こんな動きができるのだ」
「じゃあどうすれば……」
「それを考えるのが君の役目だろ!」
そうかもしれないけど……こんなの……どうすればいいかわからない。打つ手が消えた――いや、まだ打つ手はある。
シトリアを倒せば彼らの動きが止まるのならば、彼らを吹き飛ばさずともいいじゃないか。
「アンさん! ついてきてください!」
「言われなくても分かってる」
私は兵士たちに背を向けて走り出した。ただシトリア一人だけを目指して。
すると、シュワイヒナも動き出し、横からシトリアの方へ走っていく。
別に考えるまでもない。シトリアの周りにずっといれば、兵士たちの攻撃は受けない。なぜならば、シトリアが兵士を動かしているからだ。彼女が兵士たちを自分に攻撃するように仕向けられるはずがない。また、自分に攻撃が当たる可能性を、彼女が使うか?
そして、マジックポイント。同時に二百五十人を動かして、その時に使われるそれの量は底知れない。それが長時間持つとは思えない。おそらくもう限界だ。
なんだか自分たちが追い詰められているかのように思えていたが、こうして見ると、追い詰められているのはシトリアの方だ。戦闘が長期化すれば、当然数が多いほうが有利になる。しかし、その利点を自身のシステムで崩してしまっているのだ。彼女の勝ち筋はもうない。
そのはずだった。
「いいことを教えてあげようか」
シトリアは動き出した私たちを見ても、微動だもせずに、妖しくほほ笑みながらそう言った。
「いいこと……?」
突然の発言に、私は特に理由もないが、危機感を覚える。私の考えたことのどこかに誤りがあるのか? それとも忘れていることが……
「私のほうがずっと有利なんだよ」
彼女は桜さんの首をつかんだ。そして、剣を引き抜き、首にあてがう。
「この人の命は私がつかんでる。そんなことも忘れちゃったのかな?」
足が止まった。速度を持っていたため、完成の法則を感じる。だが、止まれば、後ろから兵士が来てしまう。それを避けることもできない。
「さて、私を攻撃すれば、この人を殺すわ。どうする?」
彼女は人とは思えないほどの意地悪い笑顔を浮かべた。
次回投稿は十月二十五日です
 




