第三十五話 幸せの先
清々しい朝だった。太陽の光が部屋に差して、心までもが浄化されそうな気分だった。
「凛さぁん……」
隣で寝ているシュワイヒナがそんな嬉しい寝言を吐いてくれた。私は彼女の頭を撫でて、あくびをした。
顔を洗面所でさっと洗って、脳を覚醒させる。今更のようだが、やはり湊さんの技術力はすさまじい。この国のほとんどに水道が通っているらしいし、しかも、蛇口をひねると水が出ると来た。シュワナ時代にそんなものは当然なかったし、これは驚くべき事実だ。あの頃みたいにわざわざ井戸に水くみに行くのは面倒だ。そのすべてを一瞬で解決してみせ、しかもそれをどんどん普及させていく湊さんが評判がいいというのはわかる気がする。シュワイヒナも初めて見たときにはだいぶ驚いていた。もう慣れているようだが。順応力が高すぎる。
脱ぎっぱなしにしていた服を拾って、そのまま着た。それでなんとなく昨日の晩のことを思い出していく。シュワイヒナはまだまだ欲望を隠し持っていた。終始、攻めに徹していて、私も何度天に昇ったことか。彼女だって初めてのくせになんであんなにうまいんだよ。反則だ。結局、私もハマっちゃって抜けれなくなって、寝落ちするまで抱き合っていた。自分の知らない何かを開かれたような気分だ。それを思い出すと、なんだか体が快楽に震えた。
私ももう彼女からは離れられそうにはなかった。不可能だ。あんなに良いものを教えてもらって、もはや彼女は私の心の支柱となっていた。
だから、私も彼女を支えなくてはいけない。いつまでも彼女に守ってもらっているままの弱い少女であるわけにはいかないのだ。
というわけで筋トレを始めた。筋トレ大事。うん。やはり目的意識は大事で、それだけでやる気が出る。
「凛さん、早起きですね」
ふあーとあくびをしながら、シュワイヒナが目を覚ました。上半身だけ起こしていて、布団が大事な部分を隠しているのだが、それがまた淫靡な雰囲気を纏っている。
「そうでもないよ」
なんて言いながら、時計を見ると、その針はは七時を指していた。
「もう一回戦行っときますか」
と彼女は戯言を抜かした。
「いや、さすがに朝からするのは……」
今から始めたら、絶対一回戦どころか二回も三回もしてしまう。ていうかシュワイヒナ、性欲強すぎませんかねえ。
「まあいいじゃないですかあ」
彼女は私の首に手を絡ませてきた。
「流されないからねっ!」
「そんなこと言って、体は正直ですよ」
「――!」
その上に彼女は私の耳を咥えた。頭の理性の糸が切れた音がした。
結局、そのあとは会議に遅刻して、桜さんに説教された。
そして、その次の日、
「さて、準備はできたか?」
「まあ、って言ったって心の準備ですけどね」
「それはそうだな。着替えがいるってわけでもなかろうし、向こうの飯の準備は既に持っていかれてるからな。それはそうとして、そろそろラインやファイルスも着いた頃だろ。彼らは足が速いからな。アスバが少し心配だが、彼の能力を考えれば、まあついているだろう。私たちも合流するぞ」
「ついに始まるんだな」
とネルべさんがいつになく真剣な表情をしていた。
「で、作戦はどうなんだ?」
とのアンさんの問いかけに桜さんは
「ええ、大丈夫よ。シュワナ軍は私たちの砦がある場所から前方五百キロメートルのところから、各隊の分裂させたわ。全部で二千三百の兵がいるみたいだけど、一部隊あたり二百五十の部隊になっている。それらのうち、祐樹が指揮していない六部隊が砦を囲んで、包囲陣を敷いてるわね。同時に砦を攻めて、局所的に崩れるところを複数にして対応を遅めて、一気に終わらせようとするのが作戦らしいわ」
「なるほど、で、今奴らの位置はどこだ?」
「祐樹の率いる第一部隊が砦の前方七十キロメートルのところにいるみたい。昨日から比べてだから、分からないけど。シトリアの率いる第二部隊が前方四十キロメートルにいる。アリシア率いる第三部隊が北北東五十キロメートル、カリア率いる第四部隊が北北西五十キロメートル、ミルアだっけ、あの子が率いる第五部隊が北東十キロメートル、アスバのお父さんが率いてる第六部隊が前方五キロメートル、で、あの名前知らない人、おっさんぽかったけど、その人が率いている第七部隊が今、第五部隊の後ろをぐるっと回って、東南東十キロメートルにいるわ」
「かなり接近されてるな」
「ええ、今、シュワナの砦というか城が完成して、中には兵が三千の規模で存在してるの。だから、包囲戦は向こうからすると最善の作戦かもしれないけど、相手が悪かったわね」
「だが、一部隊あたり、二百五十だと毒の散布が完全にならないな」
「そこは大丈夫よ。ね、リブル」
「はい……毒は二百四十まで効くようにした……」
「あとの十人くらいならレベル差があるからね。なんとかなるわよ」
「そうか、それならいいんだが」
「さて、行きましょうか」
そして、皆で桜さんの体に触れた。私と、シュワイヒナ、湊さん、アンさん、ネルべさん、リブルさん。六人。全員無事で、戦いを終えられますように。そう祈った。
「ワープ!」
目の前の世界がぐにゃりとした。ここにいたという感覚が失われて、浮遊感を味わった。そして、その浮遊感は体全体に作用して、次第に内臓までもが浮き上がっているかのように感覚に襲われる。それが三半規管を狂わせて、眩暈を起こし、吐き気をもたらす。もう限界。そう思った直後に、重力の感覚が戻ってきて、地に足がつき、気づけば、目の前には森が広がっていた。
そして、絶句した。
森の中にあったもの。それは巨大な城だった。世界史の教科書で見たことがあるような城。周りを巨大な砦がかこっていて、その圧倒的な防御力は見てわかるものだった。
「すごい……」
シュワイヒナもこれにはびっくり仰天だった。ここは首都でもなく、森の中なのだ。そんな場所にこんなものが作られていたとは。
「これは元は魔王軍対策に作ったものなのだが、よくよく考えたら彼らはここを避けて、我らの領地に来ることに気づいて、製作途中で放棄していたんだ。だが、戦争が起こるとなってな。制作を再開して、やっと出来上がったというわけさ。だが、さすがラインだな。こんなに早くここまで完成させてしまうだなんて」
と湊さんが説明してくれた。
すると向こうから、おーいとラインさんが来た。
「よっ! 完成したぜ。俺が作ったからにはここはそう簡単には落とせないはずだ。それに向こうだって、ここを落とさないとリーベルテへの足掛かりを失う。これは完全勝利だな」
確かに既にリーベルテの方が圧倒的優勢だった。それはそう簡単に覆せるものでもないだろう。
「あ、ライン。申し訳ないんだが、今から、すぐに帰ってくれないか?」
「えっ!? どうしてだ?」
「ネルべ一人しかいないんだ。アンを連れてきたんでな」
「アンを……まあいい。あいつも経験者だし、仲間を失う痛みは一番分かってる。いいぜ、すぐに戻ってやるよ。ネルべ一人だと心配だしな。あいつもまだ十四だし」
え、十四歳だったんだ。初耳だ。
「じゃあな、ビーストモード」
そういうと、ラインさんは一瞬にして、獣へと変化した。毛むくじゃらの体に、巨大な牙が生えていた。体毛は茶色でちょうど熊のようであった。
「さて、シュワイヒナ。マジカルレインお願い」
「あー。しなきゃダメですか」
「これしないともしもの時に対応できないでしょ」
「そうですね。マジカルレイン」
すごくめんどくさそうだった。どんだけ嫌いなんだよ。
「さて、まずは第二部隊ね。シトリアをどうにかしないとその前に別部隊を攻撃したときに情報がばれるかもしれないからね」
「そうですね。え、もう行くんですか」
「あったりまえよ。ミルアの軍なんてもうあと五キロのところまで接近してるのよ」
「でも、包囲陣完成されるまで動かないですよ」
「そうね。それにまだ開戦してないからね。両方通知をしていないし……」
「向こうはこちらの城の存在を知っているんですよね。これを兵の武力だけで突破するのは無理でしょうし。補給を絶って籠城戦に持ち込むとしか、考えられないですよ。普通は。でも、向こうには砦を突破する戦力を保有しています。祐樹――彼は己の魔法と腕だけでこの砦を破壊できるでしょう。となると彼らはおそらく祐樹の到着を待ってからになりそうですね。布陣はそれをごまかすための策でしょう。となると直にシトリアの軍と祐樹の軍は合流するはずです。その時、倒れている兵士を見つけたとき、彼はどう思うでしょう。こちらから捕虜を回収するよりも先に、彼はそこに到着するはずです」
「それは言えてるわ。彼に一気にこちらに持ち込まれたらそれは負けを認めるしかない――」
「向こうも戦力を警戒しているでしょうから、そう簡単にそういう手は打たないでしょうけど、怒ったら彼ならやりかねません」
「そうね……だったら、動けないじゃない!」
「向こうの宣戦布告を待つつもりですか? 向こうは陣を完成させるまで宣戦布告はしませんよ。だとするならば、こちらから宣戦布告をしないといけないのはわかりますよね」
「うん……」
「それで、危険を冒すわけにはいかないから、仕掛けを作るしかありません。桜さん、向こうは進み続けているんですよね」
「ええ、ねえ。もしかしてだけど、トラップか何かを作る気なの?」
「トラップっていうほどでもありませんよ、大事なのは仕掛けすらいいんです。向こうからしたら合流するまでは襲撃を受けたことはわかんないんですよ。それに私の考えた案を使えば、一気に事態を有利に運ぶことができます。じゃあ言いますね。その案というのは――」
三時間後、「準備」を終えた私たち――アンさん、シュワイヒナ、桜さん、そして私――は一斉に一か所に集まった。荷物は私が全部持っている。
そして、リブルさんも少し遅れてやってきた。
「これ、毒薬……です。一回分しかないから……大事にして……ください」
そうやって桜さんが渡されたのは瓶の中に入った液体であった。
「うん、分かった。ありがとう。リブル」
桜さんに感謝されてなんだか嬉しそうだった。そして、また城の中へと戻っていく。
「これで準備完了ね」
「そうですね。さて、張り切っていきましょうか」
「うん、頑張ろうか」
みんなで、桜さんにつかまった。そして、
「ワープ」
彼女が叫んだ。それとともに例の感覚が押し寄せて、吐き気を催すが、それもすぐに終わり、気づけば、また森の中にいた。
森の中は鬱蒼としていた。先ほどまでいた森はかなり、木々も少なく、太陽が差していたのだが、今度はまるでない。それははじめ、この世界に来た森を想起させたが、なるほど、シュワイヒナとともにこの森に初めて入った際はこれほどの暗さだった。だから、不自然ではない。
木々は風に揺れ、ざわめき、それがあたりに響く。それ以外の音は少しも聞こえやしない。
「桜さん、シトリアたちはどこにいるんですか?」
「この辺だったと思うけど……あ、隠れて」
そう言ったのに従って、私たちはしゃがむ。すると遥か向こうのほうに人がたくさんいるのが見えた。彼らはどんどんこちらから近づいていく。
「迂回ルートで行くわよ」
そういう桜さんの指示に皆が頷いた。
そして、走り出す。私も日々鍛えていたおかげでついていくのは容易だ。ただ一歩一歩踏み出すたびにこれから戦いが始まるのだという危機感と恐怖感、そして緊張感が増加していった。
桜さんが跳んだ。たったひとっとびで枝の上にのったのだ。それに合わせて、シュワイヒナ、アンさんも次々と木の上に飛び乗っていく。
もちろん、私も跳んだ。枝の上に着地はしたのだが、それで枝がぐらついて、ふらっとして落ちそうになったが、すぐにまた次の木に飛び移ることでバランスを保った。
「そこで待ってて」
桜さんの指示に従い、私たちはその辺りで止まった。葉っぱが作った茂みの中にいて、なんだかこそばゆい。
その時だった。
「敵襲よ!」
シトリアの声だった。葉っぱの隙間から、目を凝らすと、すでに間の距離は半分を約五十メートルほどになっていた。そして、たくさんの――桜さんの話通り、二百五十人くらいだ――人たちの中に桜さんが突っ込んでいく。そして、手に持っていた瓶を投げた。
戦争が始まった。
次回投稿は十月二十四日です




