第三十二話 目的
「待て、シュワイヒナ。早まるな。凛をいつまでも修行に付き合わせていたのは悪かった。謝るからな。落ち着け」
「ええー。アンさん、私の心読めるんですよね。そしたらそんなの意味がないってわかりますよね」
あ、あれだ。この子。敬語使ってても、心の中では敬意を持ってないタイプの人間だ。いつかバレるぞ。いや、もうバレてるか。
「でも、それはやりすぎだ。せめて肉体強化を使うな」
「いいですよ。ま、これ知らないからそんなこと言えるんでしょうけど」
「えっ、肉体強化使う技じゃない……?」
「さすが、アンさん。よく心読めてますね」
「シュワイヒナ、やめよう。ねっ。アンさんに悪いよ」
「ええー。凛さんはいいかもしれないですけど、私はよくないんですよ」
「ほら、えっと……戦争が終わったらずっと一緒にいよう」
それを聞いたシュワイヒナは腕を組んでしばらく考えた。何を考えてるのだろう。
彼女は私のほうをまっすぐ見て、
「そうですね。それは当たり前ですよ。でも、凛さんのほうから言ってくれたことが嬉しかったので、不問にします。ありがとうございます」
「えっ……あ、うん。どういたしまして」
「あ、今の凛さん、すごく可愛かったですよ。ちょっと困惑し、且つ恥ずかしいみたいな表情すごくなんかそそられます。押し倒したいです」
この子大丈夫か。一応元王女様だよね。発言がひどすぎるんだけど。
まあ嬉しいから別にいいけど。私ちょろいな。
「ええー。じゃあ代わりの人探さないといけませんね」
「なんで人で試すこと前提なの」
「だって大きい動物とかだとこれ効かないんですもん」
「オオカミとかでも?」
「忘れたんですか。なんで私があの時、これ使わなかったかって言ったらこれが効かないからってのも一つあるんですよ。あとは刃が短いのじゃ難しいていうのもありますけど」
あの時というのはリーベルテに来た時の森の中での戦闘のことだ。
「じゃあさ、またあの木にやってみればいいじゃん」
「そしたら本当に気絶するかどうかわからないじゃないですか」
「まあ、そうだけど。ねえ、シュワイヒナ。もしかしてイライラしてる?」
「え、してませんよ」
「嘘つけ。こいつイライラしてるぞ」
それで、そんなに人に当たりたがってたのか。
「そういうの。良くないよ」
「私だって本気じゃないですよお」
「嘘つけ。こいつ本気だぞ」
ん? と彼女は笑いながら首を傾げた。その笑顔はこれ以上言うなよと主張しているようでもあった。キレてる。キレてるぞ、この子。
「じゃあもういいですよーだ。えっとですね、これミスったら相手殺しちゃって意味がなくなっちゃうんで注意してくださいね。手順的にはまず、相手を切りつけます。すると、相手の意識はそちらの剣のほうに持っていかれますよね。そしたら、脛を蹴ってください。それから剣の柄のほうで相手の顔を殴ってください。すると相手はバランスを崩して後ろに倒れそうになります。そしたら、剣で腹を軽く切ってやってください。大丈夫です。内臓が飛び出たくらいじゃ死なないですし、そんくらい治せますよ。それで倒れたらあとは剣を突き付けて降伏を申しださせましょう。それか、腕を押さえつけて首あたりをトンとしてあげてください。これも結構難しいんで、あれですけど」
「ん? ちょっと待て。お前、それを私にするつもりだったのか?」
「はい」
「しかも降伏させるのでもなく首あたりをトンと?」
「はい」
「そうか……」
アンさんは頭を抱えた。
「なぜだ。ここまで悪意を持たれている理由が少しも分からない」
私もです。なぜ、アンさんがそんなに悪意を持たれているのか……
「じゃあ凛さん、アンさんにやってみましょう」
「やれるか」
「やっていきましょう!」
ガッツポーズで提案してくる。なんでそんなに楽しそうなんだよ。
「でも、実際の人の反応で型が変わる物なんで、本物の人で試さないと大変ですよ」
「じゃあさ、かくいうシュワイヒナはどうやって特訓したの?」
「えっ……それは……聞かないでください。私だって人には話せないこともあるんですよ」
「そう……」
地雷踏んだっぽい。
「ていうか凛さん、あれですよ。相手を殺さないで良いときだなんてめったにないですよ。正直、剣を持って戦っている時点で命のやり取りは始まってると思うんですよね。それを殺さないだなんて失礼じゃないですか?」
「失礼って言ったって……」
「まあ私は凛さんがあくまで不殺を貫きたいのなら、私もそうあろうとは思いますけどね」
「それは……ありがとう」
曖昧な返事しか返すことができなかった。私の言っていることは願望であり、真実になりえることはないのかもしれない。そう思ってしまったのだ。
それに彼女の言葉は妙に説得力があった。どこからそれが湧き出ているかはわからないが、彼女はどこかわかりきっていた。そして、諦めていた。
「彼女の過去は固く閉ざされている。まるで自分でカギをかけているかのようだ。思い出そうともしない。その話をしているときでさえだ。彼女は何かがおかしい。それは精神的なものであるだろうが、一般人の思考をしていない」
「どういうことですか?」
「ってなんの話してるんですかあ?」
私とアンさんで小声で話していたのだが、気づかれてしまったようだ。
「昔の話なんてしなくたっていいじゃないですか。そんな話して何になるんですか? それよりも未来の話をしましょうよ。今するべき話は凛さんがどうやって強くなるかですよ。まあ、私が一生守ってあげてもいいですけど」
「でも、そういうわけにはいかないじゃん」
「どっちがですか?」
「どっちもだよ。私はシュワイヒナがどういう人なのかも詳しくわかっていないし――」
「それは私もですよ。何自分だけみたいなこと言ってんですか? 私の場合、凛さんがいたって世界がどうなっているかも知らないですし。まあいいでしょう。私の目的だけ話しておきましょう。なんで凛さんについてきたか」
「なんでって……」
「私は凛さんのことが好きだったからついてきたって言いましたよね。それとは別にほかにも理由があったんですよ」
その目は、かわいらしい顔の少女がしていい目じゃなかった。人を殺せるような目だった。
「まずい」
そう口について出してしまったのはアンさんだった。
「読めない。いや、読めるはずなのにあまりに常識からかけ離れている」
「え、それってどういう――」
「そうですか。心が読めちゃうアンさんならすぐにわかっちゃいますよね。でも、凛さんはわからないでしょうね。だって私の目的はシュワナ王国が地図上から消滅することなんですから」
「……!」
「驚いてますね。凛さんのその表情は好きですよ」
言葉が出なかった。シュワイヒナはあの国の元王女なんだぞ。そんなわけ……
「私のシュワナはあんな部外者が統治していい場所じゃないんですよ。唯一の生き残りの私が統治しなきゃ意味がないんです。でも、それはもうできない。なら、地図上から消すしかないですよね」
あの国は私の国なんですから――そう彼女は言った。本当に楽しそうな笑顔を浮かべながら。
「だから、私は凛さんが離脱すると聞いた瞬間にこれが契機だと思いました。戦争が避けられない中、リーベルテにつけば、強い人たちを味方につけて、戦える。当時の私はレベルも低くて、とてもあんな奴には適いませんでしたからね。それに私は桜さんがシュワナ国内にいたのを知っていました。だから、国の情報を知っている私たちを必ず、リーベルテは迎えに来るだろうと思いました。それに警戒心も解いてもらわないといけません。だから、森で大きなオオカミと戦った時に肉体強化は使わなかったんですよ。まだ完全には使えなかったというのもありますけど」
「それでお前は自分の目的を達成するためにリーベルテの懐に忍び込んだと」
「はい。それに犠牲者を出さないようにするのを提案したのは私の国民を傷つけてほしくなかったからです。私の話せることはこれだけですよ。なんてことなかったですよね。この情報が人を左右させるわけでもなく、それにごく一般的な考えでもあることは聡明な凛さんとアンさんならわかりますよね。ならなんでアンさん。私のことを常識からかけ離れているって言ったんですか?」
「…………」
アンさんは黙りこくった。何か理由があるのなら言えるはず。なのになぜ黙った? ただの思い違いだったとでも?
アンさんは私のほうを見て、首を横に振った。思い違いじゃないというのか。
アンさんが前を向くように首を動かした。それで彼女の表情が目に入る。
それはなんと表現すれば良いのだろうか? 私にはその答えが分からない。なぜなら、その表情が表しているのは同時に存在することのないような『常識からかけ離れていた』表情だったからだ。
その顔は憎しみに満ちた笑顔だった。
「ねえ、アンさん、なんでですか?」
答えさせまいという強い意志が感じられた。
「へえ、答えられないんですか。じゃあ間違いだったってことですか。それなら報いを受けてもらいましょうか。人を疑った罰です」
何を疑ったというのか? シュワイヒナの感情がアンさんに伝わって、それをアンさんが理解してるからそのようなことが言えるのだろうが、一体何を?
「待て、シュワイヒナ。そんなこと凛は望まないぞ」
それを言われて、シュワイヒナは一瞬キョトンとした。そして、私のほうを見て、
「ねえ、凛さん。怒らないでください」
「えっ……それってどういう……」
「この人の命よりも大事なことが私たちにはあるんですよ――私たちは幸せにならないといけないんです。だから、私たちの幸せを邪魔するやつは消さないといけないんですよ。この人は悪い人です。言わなくてもいいことを言おうとして、何が楽しいんですか?」
「言わなくていいわけじゃない。君は危険だ。君はいつか君自身のみならず、この国を、それに大事な人を傷つけることになるぞ」
「うるさいですね。私の思い通りに事が運べばそうはならないんですよ」
「その思い通りになることはないと言ってるんだ! 現に今この状況はお前の思い通りか? 君は私の存在がまだ必要だったから手にかけていないだけで、今までずっと私を殺そうと思ってたんじゃないのか?」
「仮にそうだとしてなんなんですか! 問題が解決されなきゃ意味がないんですよ」
「お前は何がしたい? 独占か? そんなに不安なのか? そんなに自信がないのか?」
そうアンさんが言った瞬間に、シュワイヒナの髪が跳ね上がった。
肉体強化を使っている。さすがの私でも何をするつもりかは分かった。
「シュワイヒナ! なんでそんなことしようとしてるの!?」
「凛さん、分からないんですか。まあ別にいいですけど。これは必要なことなんです。凛さんは一生わかることはないと思いますが、それこそが幸せなんです。知らないことが大事なんですよ」
「知らないことが……そんなの……」
「今からお見せするのが王流剣術第肆法百花繚乱です。ちゃんとその目に焼き付けてくださいね」
加速した。一瞬の動きだった。
アンさんは既に横へ走っていた。しかし、スピードが明らかに違いすぎる。シュワイヒナの肉体強化の精度が段違いなのだ。
肉薄した。剣が振るわれる。目が追い付かない。
その刹那、強烈な光が来たかと思うと、辺りは一瞬のうちに気温が上昇し、また、それを感じる暇もなく、私は吹き飛ばされた。
それはアンさんや、シュワイヒナとて例外だったわけではなかったようで、彼らも距離が一気に離れていた。
そして、その中間の場所に立っていた男、彼こそがネルべ・セイアリアスだった。
「ネルべさん……」
「ったく、これはあんまり使いたくなかったのに、何やってんだか」
首をぼりぼりとかきながらそんなことを言う。
「邪魔しましたね、あなた」
シュワイヒナは立ち上がって、ネルべを睨みつけた。それにネルべは怯まずにじっと顔を見据える。
先に動いたのは、シュワイヒナだった。また、それと同時に、
「エレキショック!」
先に倒れたのはシュワイヒナだった。
次回更新は十月二十一日です




