第二十九話 種の向こう
エリバが咥えさせられていた布を取って、彼が話しやすいようにする。
「凛さんですか――裏切者」
「あ……えっ?」
まさか開口一番裏切者だなんていわれるとは少しも思っていなかった。でも、彼の視点からならそうであろう。一言も言い返せない。
「僕たちが、祐樹様のもとで働いて、幸せになるために必死に自分の手を汚していたというのに、あなたはこんな平和そうな国でぬくぬくと過ごしていたんですね」
「別にぬくぬくとだなんて……」
「それを言ったら、僕も目的のために頑張ってましたよ。でもね、おかしいとは思っていたんですよ。ランとかルンとか、ミルアとかは本気で幸せになれると思っていましたが、僕は違います。僕も最初は幸せになるためにあなたの言うことを正しいと信じ切って、行動してました。けど、ある日のことです。あなたのいなくなった国――といよりシュワイヒナさんのいなくなった国で、代々受け継がれてきた血をここで絶やすのかと抗議が起き、それは市民運動に発展しました。祐樹様はそれをたった二日で治めてしまいました。どうやったと思います?」
「え……シュワイヒナを戻すと約束したとか?」
「そんなわけないじゃないですか。抗議のリーダー――元シュワナ軍大将を殺したんですよ。僕たちを使って。大将と言っても、あの魔王軍の戦いを生き残ったと言っても所詮は無能力者でした。その次は、また新しくリーダーになった人。……そうやって殺していって、最後、三人目で抗議は完全に終わりました。今や、シュワナ王国の国民のほぼすべてが、祐樹があの魔王を倒したことを知っています。その彼が抗議を止めるために暴力を使った――それは国民の抗議を抑えるのに十分な事柄でした。その時点で、僕は思ったんです。世界が敵なんじゃない、祐樹様の思い通りにならないのが敵なんだって」
長いセリフを吐き終え、エリバは一回、深呼吸をした。
「祐樹様は天才かもしれません。今までシュワナはシュワナ王家による優しい政治で、繁栄しましたけど、リーベルテには適わなかった。でも、今は戦争で勝機がある。僕たち三人だけで、ここまで壊滅する軍を落とせないはずがありません。リーベルテは間違いなく負けます。僕ももしかしたらこの人たちなら勝てるかもしれない。そう思って、来ました。でも、祐樹にかないそうなやつなんてまるでいません。誰もあの人には勝てないんですよ。だから、凛さん、あなただけでも逃げてください。きっと彼はシュワイヒナを差し出せば、それだけで満足する。だから、逃げて」
「そんなこと――」
「できるわけない」
シュワイヒナはいつの間にか部屋から出ていた。そういえば、先ほど断末魔のような叫びが聞こえたような気がしたのだが、あれはなんだったのだろうか。
「ふーん、私を差し出して、『逃げて』ねえ」
「ひっ……」
あの時のシュワイヒナの姿を思い出したのか。あれはさすがの私でもめちゃくちゃ怖かった。いつか見た悪魔もあれほどのものではなかった。
彼女はエリバのすぐそばまで歩いて行った。そして、髪の毛を引っ張り上げた。
「痛い!」
そう叫んだエリバに、彼女は言う。
「もう一回、言ってみてください」
「あ……いや……」
「あなた、凛さんには生きててほしいんですね。なんでですか? そういえば、凛さんの首に刃物突き付けてた時、だいぶ手が震えてましたね。なんで、人殺しを経験しているあなたがそんなことで手が震えてたんですかね。それにあなた目が覚めて、すぐに見たのは凛さんでしたね」
「それは……」
「あなた、凛さんのことが好きだったんですね。自分をこんな目に追いやったはずの凛さんなのに、あなたは憎むこともない。まあ、確かに凛さんに恋するのはわかりますけど、私を排除しようとしないでくださいませんか?」
「わ……分かったから。離して……ください」
「え、嫌です」
「えっ……」
「なんだかむかつきますし、すごくあなた殺したいんですよね。なんでか聞きたいですか?」
「いや、その……」
「私たちをなめないでください。祐樹に勝てない? 残念ですけど、あなたたち三人だって、私が本気で殺しにかかれば、殺せてたんですよ。凛さんが犠牲者を出したくないって言ってるから、殺してないだけなんですよ? そんなことすら分からなかったんですか? 確かに祐樹は強いかもしれないですけど、私たちは精鋭ぞろいです。あなたたちの固有スキル保有者は残り、七人。そのうち、シトリアの能力はわかっていて、ミルアの能力も割れています。あとどんなメンツがいるのか、私は知らないですけど、この国の固有スキル使いは確実にあなたたちより強い。レベルが違うんですよ。頭もです」
そういって、シュワイヒナはエリバの髪から、手を離した。そして、腹を蹴る。
「祐樹の力を思い知ったとか言ってますけど、あきらめてる時点であなたの負けですよ」
「だからってどうやってあんなんに立ち向かうんだよ! 君たちはあの強さをまるでわかってない」
わかってない? なんだかその発言により、頭に血が上っていくのを感じた。
「エリバ、悪いけど、この世界にいる人の中で、一番祐樹と一緒にいたのは私なんだよ。あなたたちよりは間違いなくあいつのことは私が分かってる。性格も、強さも。化け物みたいな強さを持ってるかもしれない。でも、でも……」
その先の言葉が思いつかなかった。あの理不尽の塊みたいな存在をどうやって倒す? レベリングコントロール。それがうまくいかなかったら、どうする? あれに勝つ方法があるのか? いや、あるはずだ。そんなバランスの崩れた世界であってたまるものか。
「勝てないなら! なんで立ち向かおうとするんですか! おとなしく負けを認めればいいじゃないですか!」
「それは違うな」
私は声がしたほうを振り向いた。部屋は開けられ、部屋の中にいた湊さんが出てきていた。
「レルズは処刑した。あの能力で、あの性格は国家が崩壊する危険性がある。しょうがないことだと認めてくれ凛」
「あ……わ、分かりました」
「それで、なんで立ち向かうか――だったな、エリバ」
エリバは頭をゆっくり下に下げて、頷いた。
湊さんの威厳がなんだかおかしいことになってる。もしかして怒ってる? そう言えば、湊さんは死ぬかもしれないって状況で真っ先にレルズの固有スキルの謎を解こうと飛び出した。湊さんなら「奥の手」を使えば、どうにかできそうだったが、やっぱりそれをここで使うのはシトリアの固有スキルを受けている可能性がある以上、使えなかったのかな?
「黙って自分の国を引き渡すような輩がこの世のどこにいる? 話はある程度聞かせてもらった。それを離せるということは君はシトリアの固有スキルを受けていないようだな。まあ、それはそうとして、私は恐怖政治など絶対に認めない。恐怖に支配される世の中ほど悪いものはないと思っている。それをわが愛すべき国民に受けさせるわけにはいかないだろう。そういうことだ」
「そういうことって……」
「分かったな。君はもう人殺しなどできないだろう。恐怖の中にいないからだ。この国では恐怖に怯えた毎日を送らずに済む。大丈夫だ。私たちが君の恐怖を取り除いてやる。だから、約束してくれ。この国では犯罪はしないと」
「……はい」
返す言葉もないのだろう。確かにエリバはもう人殺しはできなさそうだ。
泣いているから。
ボロボロ涙を流してる。声は我慢しているけれども、そんなに経たずに、声を上げて泣き始めた。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
何が彼をそうさせたのだろう。安心だろうか。それとも人殺しに手を染めたことがあることへの反省なのだろうか。
まあどちらでもいい。これで若い人が死なずにすんだ。また、やり直せる。それだけだった。そんな「それだけ」が彼に幸せをもたらしますように、そう思った。
「さあ、凛、シュワイヒナ会議に戻るぞ。それと、エリバ、あとはこの国で暮らすといい。この街には孤児のための施設もあるし、冒険者ギルドたるものもある。どの道に進むかは自由に選べばいい」
私は湊さんの後を追いかけて、会議に戻ろうとした。その時だった。
「……凛さん」
エリバの声だった。
「凛さん、ちょっと話聞いてくれませんか?」
彼は泣きはらして真っ赤になった目で、私を見上げた。すると、シュワイヒナが
「情に絆されて、変な選択しないでくださいね。信じてますから」
と言ってから、会議の部屋に入っていった。
鈍い私でも大体わかった。だから、言われることも、言わなきゃいけないことも分かってる。
「凛さん、勘違いはしないでください。僕が好きだったのは今のあなたじゃないです。いつしか僕に毎日のように『希望』を与えてくれていたあなたなんです。あの時は本当に嬉しかったんですよ。助かったって思いました。思春期だったからか、僕みたいな年の男はあんな風に優しくされただけで簡単に恋しちゃってしまうんですよ。……まあ、シュワイヒナさんはなんだか僕へのあたり強いんで、恋なんてしなかったんですけどね。でも、僕はもうあなたが好きなわけじゃないです。僕は幸せになります。チャンスくれましたから。ただ、一つだけ言っておきたいんです」
エリバは少し恥ずかしそうにトマトのように頬を赤く染めた。
「死なないでください」
それだけ言った。エリバは立ち上がった。そして、玄関のほうへ歩いて行った。その背中はなんだか少し強くなったようだった。いつかの恐怖に怯えていた少年とは違う。いや、今だって恐怖に怯えているのだろう。こんな短時間でそんな簡単に心が変わるわけがない。
でも、それでも彼は少したくましくなったし、成長したのだろう。だから、私の言うセリフなんてたった一つで良い。簡単なたった一つの言葉。
これからがどうとかそんなことに触れるわけでもなく、ただ、返事をすればいいだけだ。
「ありがとう」
そう言った私のほうをエリバは少し驚いたように振り返った。そして、私のほうを見て、ちょっとだけ笑った。
「信じてます。あなたは絶対に生き残るって」
そうエリバは言った。私はただ、頷くだけだった。
部屋に戻ると、
「凛、エリバはどうだ? 幸せになれそうか?」
と湊さんに尋ねられた。そんなこと聞かれても、答え方に困るというものだ。
私は首を傾げて、しばらく考えた。
「それはエリバがこれからどうするかによるんじゃないんですかね。でも、今のままなら、きっといい道に進むと思いますよ。いい道なんてわかんないですけど」
「そうか……そうだといいな」
と湊さんはどこか遠くを眺めながら言った。湊さんなりに心配しているのかもしれない。まあ、彼がどう思っていようとそれが直接エリバに影響することはないだろう。杞憂だ。
「まあ、エリバがどうこうというよりも大事なのはこれからだ」
湊さんは集まっている全員を見た。いつもと同じような何を考えているのかわからないようなニコリともしない顔で座っているアンさん――気持ち、いつもよりも表情が険しい――、いつもは見ているだけでこっちも元気になれそうな笑みを浮かべているのにも関わらず、机の一点を見つめているネルべ、端っこのほうで暗い顔をしているリブルさん、湊さんのすぐそばでこれまた険しい表情をしている桜さん、そして、私の顔をみて、国宝か、いや、それよりも人類の保護すべき最高峰の微笑みを見せたシュワイヒナ。いつの間にかレルズの死体は片付けられていた。
なんだか、シュワイヒナだけ場違いのような気がするが、この子はいつもこんな感じだから別にいいだろう。
「現在、この国にいるシュワナ出身の固有スキル使いはボブラ、エリバ、ラン、あとは――あいつは森に行ったから、この三人だけだ。それ以外の国内に潜入していた固有スキル使いは全員国に戻ったようだ。ラインたちから、人間との戦闘が発生したという話は聞いていないからな。これがどういうことかわかるか?」
そう湊さんは私の顔をじーっと見つめて言った。
私は命の危機を感じる時しか勘はそんなに働かないのだが、この時ばかりはさすがにわかった。いや、命の危機を感じていたかもしれない。
私は頷く。
「この場にいる全員が分かっているだろう。これは祐樹が戦争への準備を整え始めた明らかな証だろう」
つまり、
「戦争が始まる」
次回更新は十月十八日です




