第二十七話 毒
「エナジードレイン」
その言葉が聞こえた直後、私の体は途端に崩れ落ちた。つまり、私を拘束していたエリバが私の体から離れたのだ。しかし、なぜだ? シュワイヒナはその場から動いていないし、彼女も驚愕の表情を浮かべている。
後ろを振り向きたいが、体が動かない。力が入らないのだ。
「凛さん!」
シュワイヒナが駆け寄ってきて、傷口に触れる。それだけで痛みは軽減され、傷口はふさがっていく。
「もう、大丈夫。ありがとう」
「いえ……こんくらい、いくらでも」
まだ、全身に倦怠感が残っているが、体はうごかせる。
後ろを向くと、エリバの上に人が覆いかぶさっていた。明らかに見覚えがある。よく目を凝らしてみると、顔が見えた。リブルさんだ。ちょうど山から毒の材料を取りに行った帰りなのだろう。
「吸収魔法ですね」
シュワイヒナがそう言った。
「吸収魔法? なにそれ?」
「それはまたあとにでも。それよりさきにあっちを」
そうシュワイヒナが指さしたほうを見ると、レルズがリブルさんのすぐそばまで来ていた。
「…………」
何も言わず、リブルはレルズを見つめる。
「リブルさん! その人が出す針に触れないでください! 毒です!」
私のできること。情報を伝えれば、味方は有利に戦える。
「…………!」
リブルさんはそれを聞いて、走り出した。
「挙動を見るにマジックポイント回復したみたいですね」
「本当に?」
「はい。どうやら近接戦闘は苦手でありそうなのに近づいてきたということは打つ手があるってことじゃないですか。とはいっても、時間はそんなに経ってませんから、あと一回か二回程度でしょうね。だから、今のうちに凛さんは倒れた人たちをどうするか考えておいてください。私は行ってきます」
シュワイヒナは弾丸のようなスピードでそうしゃべった後、地面を蹴った。
リブルさんは倒れているアンさんのすぐそばに来た。レルズとリブルさんの走る速度は同じくらい。だから二人の距離はそんなに変わっていない。さっきアンさんが言っていたレルズの攻撃可能範囲内にリブルさんはいないようだった。
そのレルズのすぐ後ろからシュワイヒナは攻撃を始めた。
レルズが後ろから突然現れた彼女の攻撃を間一髪でよけるが、追撃がすぐそこまで迫っていた。
「やめて!」
と、突然リブルさんが大声を出した。それにびっくりしたシュワイヒナはレルズの肩を蹴って、攻撃範囲外に行く。
「ちょ……邪魔しないでください!」
シュワイヒナが叫ぶ。
「こっち……来て」
と苦しそうに大声を出すリブルさん。
シュワイヒナは首をかしげながらも、リブルさんのもとへ行く。
その間にレルズは立ち上がり、走り始めていた。
リブルさんはそれを見て、アンさんの手首を持っていたバッグから取り出したナイフで切り、そこに口づけをする。
「「な……なにやってんですか!」」
と私とシュワイヒナの声がそろう。
ついにリブルさんはレルズの攻撃範囲に入った。
「ポイズンニードル」
そして、リブルさんはアンさんに覆いかぶさるように倒れた。
それを見て、シュワイヒナははあとため息をつく。
「結局これですよ」
そう言ってから、シュワイヒナは構える。
「レルズ。逃げないんですか? いや、どっちにしろ逃がしませんけど」
そう尋ねかける。
「逃げれないと思ってるから逃げないんだ。当たり前だろ? それにここまですれば私たちの勝ちだ。あの毒を解毒できるわけがない。直、衰弱死する」
「そうですか。じゃあ殺してもいいですよね」
「思う存分」
「わかりました」
そう言って、シュワイヒナは地面を蹴った。
「ポイズンニードル」
レルズは確かにそう言った。シュワイヒナの顔が驚愕に満ちる。
「なっ……」
正面から突っ込んだシュワイヒナは宙にあり、その攻撃をよけることができない。
「シュワイヒナ!」
私のその叫びに意味はなかった。ただただ危機に瀕した愛する人への言葉だっただけだ。
彼女はそのまま、空中を滑空し、レルズのすぐそばに落下する。
言葉にならない怒りと悲しみだった。リブルの邪魔がなければ勝てていた。いや、それよりもレルズに対する怒りが、憎しみがこみあげてくる。
私は走った。もはや今立っているのはまるで役に立たなかった私とレルズだけだ。血に塗れた剣でレルズに切りかかる。
レルズは後ろによけた。
それはさぞ簡単だっただろう。怒りに身を任せただけの私の剣が避けられないはずがなかった。
だけど、そんなこと頭の片隅にもなかった。何もかもがわからなくなっていた。
「落ち着いて」
そんな優しい声が聞こえた。思わず、振り向くと、リブルさんは、立ちあがっていた。
「えっ……」
リブルさんは私のほうへ向かい始める。
「貴様、なんで立っている!」
レルズも状況が理解できていなかった。
「…………」
リブルさんは答えない。
そして、レルズの首をつかんだ。
「エナジードレイン」
レルズのつかまれている首は発光をはじめ、レルズの体は生気を失っていく。
リブルさんが手を離すと、レルズはその場に崩れ落ちた。
私も呆然とするしかなかった。
呆気ない終わりだった。
それからシュワイヒナの口を開いて、指の先をその上にぶら下げる。
「ポイズンボディ」
彼はそう言った。それに合わせて、リブルさんの指の先からおぞましい色をした液体のようなものがしたたり落ちる。
それをシュワイヒナに飲ませる。
すると、彼女は唐突に目を覚ました。
「あ……え……どうなってるんですか、これ」
そうオロオロし始めたシュワイヒナにリブルさんは
「あの人……治して」
とアンさんを指さして、言った。
「え……はい」
シュワイヒナはアンさんに回復魔法をかけた。すると出血はすぐに収まった。
そして、アンさんにも先ほどと同じような処置を施した。
「リブル……来ると思っていた。ありがとう」
その言葉にリブルさんは少し頬を緩ませた。
それらと同じ要領でほかの人たちを目覚めさせていく。その各々から感謝されていたがそれはみなリブルの能力を知っているうえで成り立っているようなものであった。
なんだか疎外感のようなものを感じた。私たちは未だ異物であるのだろう。
「吸収魔法はいわゆる特殊魔法です。あの極稀にってやつですよ」
「ああー。いつかシトリアが言ってたやつか」
「そうなんですか? まあ、それはそうとして、あれは人のエネルギーやマジックポイントを吸収するものなんですよ。だから、エリバもレルズもエネルギーを一気に失ったせいで気絶しただけであって、まだ生きてますよ」
「そうなんだ……よかった」
「まあ、アルズは私が殺しちゃいましたけど……ごめんなさい」
「ああ……うん」
ごめんなさいで済む問題じゃないけど。でも、私を思っての行動だったんだと信じたい。
戦場になった庭を見渡すとそれは今ほとんどがこうやって立っているのが不思議なほど悲惨な状況だった。顔が二つに割れている人が横たわっており、その周りには赤い肉塊もある。また、あちらこちらに血が飛び散っており、私の体やシュワイヒナの顔もあちこち血まみれだし、服が一部破けている。
「とりあえず、血がちょっと気持ち悪いですね。お風呂入りましょうか」
「うん、私もそうしたい」
湊さんが倒れているエリバとレルズの体を持ち上げた。
「リブル、こいつらはいつまで眠ったままなんだ?」
「十二時間……です」
「そうか。わかった」
湊さんは倒れている彼らを壁に立てかけた。そして、兵士の一人に炎魔法を死体にかけるように指示した。それを兵士は特に疑問を抱いた様子もなく、それを受け入れて実施する。
芝生が焼け始めたのを見て、ランリスが水魔法をかけて、鎮火した。
私の気分によるものかもしれないが、彼はひどくつらそうな表情を浮かべているような口元だった。
しばらくしてアルズの肉体はなくなり、骨だけになった。
そして、ランリスはその骨を集めていく。
「とりあえず、今日はみんな疲れただろう。掃除は明日だ」
湊さんがそう言った。
それから私たちは女子寮に帰り、血を洗い流したかったから、お風呂に入った。桜さんも一緒に入ってきた。
血で汚れた服を洗う係の人もかわいそうだと思った。結構大変そうだし。やっぱり服をもうちょっと買っておいたほうがいいかなとも思った。そういえば、この間の会議で風呂に入りすぎないようにと注意された。たまーに一日にたくさん入ってる時があるくらいで、そんなに入ってるつもりはないんだけどね。私の一番の楽しみはお風呂なんだし、それを奪われるのはつらい。ていうか汗だくで寝れるわけがない。……一番の楽しみがお風呂って、別に下心とかないからね。
「明日何時から会議ですか?」
と桜さんに尋ねると、
「え……九時からだったかな」
「あの……八時ころに下の服屋さん、空いてますかね?」
「ああ。空いてると思うよ。買いに行くの?」
「はい」
「そしたら、私も行きます!」
とシュワイヒナが会話に参加する。
「あ、一緒に行くの?」
「え……嫌ですか?」
「嫌じゃないよ。むしろうれしい」
「私もそういわれて嬉しいですよお。今度こそ本当にデートですね」
「デートかあ。そうだね。うん、はは」
「ここでイチャイチャすんのか」
と桜さんからあきれられたようなことを言われた。
「そんなこという桜さんだって昨日は湊さんとお楽しみだったんですよねえ。もう妊娠しちゃってるくせにい」
とシュワイヒナがにやにやしながら言う。
「な……なんでそれを!」
「だって、この間の会議の時の会話を聞いてたら妊娠しているなんて簡単にわかりますよ。女の勘ってやつです」
えっ。じゃあ気づかなかった私は女の勘がないってこと……ちょっと考えるのはやめよう。
「それに昨日アンさんのところで凛さんが修行つけてもらってるときに、あなたたちの部屋の前歩いてたら、あなたの嬌声が聞こえたんですよ」
「そんな、聞こえるくらい大きかった?」
「はいはい。随分と激しかったみたいですね」
「そ、それを言うならあなたたちだってさっき女の子同士でやってたじゃない!」
「そ……それくらいいいじゃないですか!」
「ていうかよく女の子どうしでしようと思うね」
「そんなこと突っ込むんですんか? 最低ですね」
「先に行ってきたのはどっちよ!」
「あなたでしょ! おとなしく私と凛さんの幸せを眺めてればよかったんですよ!」
「う……」
どうやらシュワイヒナの勝ちだったようだ。
「ふふーん。どうですか、凛さん。やっぱりさすがの私ですね」
「あ……うん、そうだね。さすが」
なんだかここで褒めてはいけない気がするのだが、こんなにかわいい顔で言われてしまうと褒めざるを得ないのは悲しい運命。
と、一人で感傷に入り浸っていると、
「ふっ、まあいいわ。思うがままにイチャイチャしてればいいわ」
そう言って、桜さんが脱衣場からお風呂に入っていった。
「私たちもいい加減入らないと」
「そうですね」
ということで私たちもお風呂に入った。
体をシャワーで洗い流すと、下に赤い液体が流れていく。その赤い液体は止まることなく、向こうの排水溝のほうへ流れていく。
体にこびりついた血を流していっても、人を傷つけたという事実は心にこびりついたまま離れない。
誰も傷つけずに生きるなんて不可能だ。そんなことわかっていても心にこびりついた焦げはとれるものではない。
「ふあ~」
お湯につかると我ながら情けない声が出てしまった。
これだけで疲れが全部とれてしまいそうだった。アルズがもう享受できなくなった幸せをかみしめた。
その時、浴場の扉が開き、ランリスが入ってきた。
「あ……ランリス。なにしてたの?」
と私が尋ねると、
「ああ、骨を墓地に埋めてきたのよ」
「そう……」
彼女は椅子に腰かけ、体を洗い始める。
「迷惑な人たちだったよ。一時はどうなっちゃうかと……」
「まあ確かにね……」
私はお風呂の端に腕を置いた。すると、シュワイヒナも近づいてくる。
「本当ですよ。凛さんを傷つけるなんて私は許しません」
「かといって殺すのもどうかと思うけどね」
と桜さん。
「それは……」
「ふん。まあいいわ。よくあることだし。今更どうだって言ってられないわよ」
「よくあることって……」
最近思ったことだが、いくらなんでもこの世界の人々は人を殺すのが簡単すぎる。レベルを少し上げてしまえば、それだけで普通の人には不可能な身体能力を手に入れることができる。
「まあ、ここの人たちは相対的に優しいよ、凛」
「それって元の世界のことですか?」
「シュワイヒナ。あなたには話してないわよ」
「まあまあ、そういわないでくださいよ。っていうか前の世界の人々はそんなに酷かったんですか?」
「別にひどくはないわよ。ただ、この世界の人たちが優しすぎるってだけ」
「そうでもないと思いますけどね。私とか大変だったんですよ。魔王が攻めてきたとき、殺し合いとか普通にあってましたよ。私も何度巻き込まれたことか。まあ逃げるだけだったんですけど。当時は今みたいに肉体強化使えませんでしたから」
「そっか……」
危機的状況におそわれた人々がなにするかはわかんないってことか。
「だから、凛さんは優しいんですよ。人のことばっか考えて」
そう言いながら、シュワイヒナは私の頬をつんつんとつついた。
「そう……ありがとう」
「あ、今のすごくよかったです! もう一回!」
「え……ありがとう」
「うーん! いいですよ! やっぱり凛さん最高です」
「え、へへ、そうかな? そういうシュワイヒナのほうがかわいいよ」
「またまた、凛さんは私をいい気分にさせるの得意ですね」
こんな時間が私はたまらなく好きだった。
次回投稿は十月十六日です。




