第二十六話 また一人
桜さんは遠くから回復魔法を湊さんに向けて、放つが、一向に湊さんが起き上がる気配はない。
それで、訳が分からなくなってしまった桜さんはアルズから離れ、感情に突き動かされて、レルズのほうへ向かう。
「だめです! 桜さん!」
そう私が叫んだが、もはや聞く耳を持っていなかった。
と、突然、桜さんのいた場所に倒れた湊さんが出現する。それが意味することはここまでくると私たちにもすぐにわかる。だが、それの当事者である人が瞬時に対応できるわけもなく、
「やばっ……!」
桜さんはわが身に起こったことを理解した。そして
「ワ――」
固有スキル「ワープ」を使い、その場を逃れようとした。だが、どう考えても遅すぎた。
レルズの口が動き出したのはまだエリバの固有スキルを受けるよりも前のこと。唱えなければ発動できない固有スキルの打ち合いにおいて、早く言い始めたほうが勝てるのは自明の理だ。
「――――!」
桜さんは言い切る前に倒れた。
「そんな……」
仲間が五人も倒れた。その事実が作り出した私の感情は怒りでも、憎しみでもなかった。
――恐怖。それだけだった。このままでは全滅してしまう。いくらなんでも相手は連携プレイがうますぎる。
「エリバをどうにかしろ!」
アンさんが叫んだ。ちょうどアルズの連続攻撃をすべて躱しきり、代わりにアルズの肉体を大きく切り裂いた時だった。
「がっ……!」
アルズが苦痛に悶え、その場に膝をつく。だが、ランリスはもう一人のアルズの猛攻をよけるだけで精いっぱいのようだった。
と、そこでアンさんに切られたアルズは剣を持ち上げ、自分の首に向ける。
「何をする気だ!」
そうアンさんが言ったが、アルズはそれに対して、ニヤッと笑っただけだった。
そして、彼は自分の首にその剣を、突き刺した。
「なっ……!」
まさかの光景だった。そして、首に剣が突き刺さったアルズの肉体は発光を始める。
「なんですか……あれ……」
シュワイヒナも困惑の表情を浮かべる。そういいながら、彼女は私を突然、抱え、後方にとんだ。
驚き、前を向くと、レルズが近くまで迫っていた。そのことに私はアルズの発光に気を取られ、気づいていなかった。
ダメだ。大局を見切れていない。これじゃ軍の指揮なんてとれっこない。
だが、倒れた兵士の胸が少し動いたのを見ると、呼吸はしているようだ。だから、まだ生きてはいる。しかし、時間が経てば、それも直に止まってしまうかもしれない。そう考えると、今の状況はあまりに厄介だ。相手の情報がわからないことがこんなにも戦闘を左右してしまうのか。
ただ、レルズが指から何かを出しているのが見えた。それが何であるかはわからないが、固有スキルと関係するものであろうと思う。
発光を続けていたアルズの肉体は光の粒子となり、その光の粒子はまだランリスから一歩離れたアルズのほうへ飛んでいく。
「レプロダクション」
アルズがそう言った。そして、完全な状態でもう一人のアルズが出現した。
ほとんどが困惑の表情を浮かべるが、一番の被害者はどう見ても、ランリスだった。
目の前に二人のアルズがいる。その状況から逃れられない。
アンさんがそれを見て、助けに行こうとする。しかし、アンさんのいた場所に今度は桜さんの体が出現した。またエリバの「チェンジ」が使われたのだ。
だとするとアンさんの身が危ない。
しかし、レルズの前に移動させられたアンさんは落ち着いていた。
レルズの前に移動した瞬間に、アンさんは勢いよく地面を蹴ったのだ。まるでそれを予期していたかのように――見透かす目の力か。
そして、レルズからある程度の距離を取る。
「シュワイヒナ! 凛! アルズを頼む! ネルべ! エリバを頼む!」
そう全体に指示を出す。
「言われなくてもわかってらあ!」
ネルべは既にエリバのほうへ向かい、戦闘を始めていた。それに対し、エリバは攻撃をよけるだけで自ら攻撃に転じることはしない。
「アルズ!」
レルズが口を開いた。それを聞いたアルズは頷き、レルズのほうへ向かい始める。
また、私たちもランリスのところへちょうど到着したころで、シュワイヒナはアルズのほうへ走り出す。
「マジカルレイン!」
そう叫んで、シュワイヒナは一瞬にしてアルズに追いつく。
その時、アンさんがやめろ、と叫んだのだが、遅かった。
シュワイヒナは彼の首元に回し蹴りを加えた。
「がっ……!」
アルズの体は一気に吹き飛ぶ。その方向はもちろんアルズが向かっていたレルズのほうだ。
「ネルべ! 構えてろ!」
「何をだよ!」
そう言った直後に、ネルべが消え、そこに吹っ飛んでいたアルズが出現した。
「エレキ――」
遅い。さすがにわかる。
ネルべは言い切るよりも先に倒れた。
そして、吹っ飛んでいたアルズの肉体はまた発光をはじめ、消滅した。
あまりの恐怖に体がちゃんと動かない。だからかランリスを助けに剣を抜いて、アルズとの戦闘を始めたのだが、押されている。
その一方で頭を全速力で回転させている。もはや私とランリスとシュワイヒナとアンさんしかいない。それでも相手の固有スキルがわかれば、状況を変えれる。
「レルズ!」
アンさんが私やシュワイヒナ、ランリスにも聞こえるくらいの大きな声を出す。
「レプロダクション」
アルズがそういい、もう一人のアルズが出現し、アンさんのほうへ向かうが、シュワイヒナが止めに行く。
「お前の固有スキルは『ポイズンニードル』。そうだろ?」
とアンさんがまたもや大声で言った。
そういわれたレルズは走り出す。だが、それと同じくらいのスピードでアンさんは私たちの方向とは別の方向に走り出す。
「お前は指から毒が先端についた針を出している。それを相手に刺して、気絶させているのだろう。そうじゃないのか!」
そういうことだったのか。というかそんな即効性の毒があるのか。それともそれ自体が固有スキルの力なのか。
「血流に毒を流しているのだな。それで回復魔法も効果がなかったのか。リブルがいれば簡単に倒せそうな能力だな」
「…………」
レルズは何も言わない。だが、表情から追い詰められていることはわかる。
一方、エリバは遠くに離れて、全体の状況を見ていた。早く倒さなければいけない相手なのだが、あの能力がある以上、そもそも簡単に近づくことができない。だが、先ほどからあの能力を使わない。マジックポイントを使い切ってしまったのだろうか。
おそらくアルズの固有スキルは自分を二人に増やすという能力なのだろう。増えたほうが剣を持っていることや服もちゃんと着ていることなどを考えると、その状態をそのまま引き継ぐというのが正しいのだろう。それに意思はその時点で二つに分かれて、それらは共有されていると考えるのが自然なようだ。
その時、激しい力に押し切られ、私は剣を手放してしまった。剣は宙を舞い、私の体は後ろのほうへ倒れていく。
「終わりだ!」
剣のリーチはかなり長い。あれで突かれれば私の肉体はあまりにも簡単に貫かれてしまう。
だが、死ぬわけにはいかない。
私はぐいっと体をひねらせ、私の心臓を狙っていた剣をよける。そして、宙を舞っていた剣を手に取り、息を思いっきり吸った。
そして、息を吐きながら、剣を振るった。
それはアルズの剣に防がれ、金属と金属のこすりあわされる耳障りな音が響いた。
すると、後ろからランリスがアルズの背中を殴りつけられる。それで、アルズの体は大きく前に傾く。
アルズは足を踏み出した。
それに合わせて、私は剣を横に動かした。それはアルズの体を真っ二つにした。
生暖かい血が私の体を濡らす。
アルズの体は光の粒子になり、消滅した。
それとほぼ同時にシュワイヒナはアルズの腹を蹴った。アルズの体は吹き飛び、エリバのいた場所のすぐそばの宮殿の門の近くの壁に激突する。
さらにアンさんがレルズに岩魔法を放つ。
「お前のその能力の範囲は狭いのだろう。それなら遠距離攻撃には対応できない」
レルズはそれをなんとかよけていく。
「範囲が狭いだと? それは間違いだ。ポイズンニードル――マックス」
そうレルズが言った瞬間、大量の針が飛び出した。それは非常に細いが、さすがにこの量が飛び出してくると視認することができる。
「えっ!」
窮地を脱した私たちはその光景に驚愕する。
アンさんはレルズの思考を読むことができる。それにアンさんは絶対の自信を持っていた。しかし、彼らはその能力自体を知っていたのだ。だから、レルズはそれを逆手に利用したのだろう。遠距離範囲の攻撃を完全に隠しきっていたのだ。
空中に浮きあがっていたその針は放射線状に広がり、飛び出した。
アンさんは岩魔法を使って、それを防ぐが、あまりの量に防ぎきることができない。
かくいう私たちも直線的に走って、それをよけようとするが、針はずっと追いかけてきて、これでは千日手だ。
「凛さん!」
シュワイヒナが私の体をつかんで、飛ぶ。そして、エリバやアルズがいる場所に向かう。
「こういうのは人の盾しかないですよ」
えげつないことを考える人だった。エリバたちの後ろに彼らが反応するよりも先に回り込む。
そして、私を下す。
針はアンさんやランリスを襲った。やはりよけきることは不可能なのかもしれない。
アンさんやランリスは倒れた。それで針は動きを止めた。
エリバやアルズはそれを見てから、動き始める。
アルズはどうやらさっきのシュワイヒナの蹴りを食らって、骨がいくつか折れているようだが、まだ動けるようだった。
「レプロダクション」
そして、アルズがもう一人出現する。だが、その出現したアルズもダメージを負っているようだった。
アルズはそれでも剣を持ち、私のほうに襲い掛かる。そして、もう一人のアルズはレルズのほうへ向かう。それをシュワイヒナが追いかける。
アルズの猛攻を防ぎながら、考える。
固有スキルがなんでもできると考えるな――アンさんの言葉だ。先ほどの針の攻撃、あんなのができるなら最初からやっておくべきだ。だが、最初からやらなかったというのは理由があるはずだ。それに加えて、針はエリバの後ろに回り込んだとたんに追いかけてこなくなった。
おそらく精密操作ができない。それに私はこの攻撃を一度避けられてしまうと決定的に敗北の要因になるから最初から打たなかったのではないかと思う。その決定的な敗北の要因、それは――
「マジックポイントの全消費」
私はそう結論を出した。つまり、今のレルズに固有スキルは使えない。
だから、今固有スキルを使えるのはアルズのみ。そのはずだった。
「風魔法。突風」
そういう声が聞こえた。その直後、私の体は吹き飛ばされる。
「凛さん。ごめんなさい」
エリバは吹っ飛ばされた私の体に後ろからつかみかかった。
「倒さないで帰るわけにはいかないんですよ」
腕をつかまれ、身動きが取れない。その間にもアルズの剣が突っ込んでくる。
「エリバ! やめて!」
いつの間にこれほどまでに力が強くなっていたのだろうか。あの時よりもずっと力が強い。それともこれが本気なのか。
「凛さん!」
シュワイヒナは私の声が聞こえたからか、すぐにこっちに戻ってくる。今ならレルズを仕留められるのに、こちらに向かってくる。
「だめ! 今なら倒せ――!」
そう言いながら、体を上に動かした。すでにアルズは目と鼻の先。今からじゃシュワイヒナでも間に合わない。
その時、エリバの腕から解き放たれ、体が自由になった感覚に包まれた直後に、強烈な痛みを味わった。
「……!」
声が出せなかった。心臓の下のほうに痛みが広がっていく。
体を上に動かしたからか、心臓には刺さらなかった。だから致命傷ではない。それでもこのまま放っておかれたら死んでしまう。どうすればいいのか。頭が回らない。痛みに思考が阻害されてしまう。
剣がゆっくりと抜かれた。それとともに腹から夥しい量の血が噴き出す。
「凛さあああああああああん!」
シュワイヒナはアルズの頭をつかんで、引きちぎった。そして、私に回復魔法をかけようと近づく。
「そうはさせねえ!」
もう一人のアルズがすでにシュワイヒナのすぐそばまで迫っていた。
「邪魔!」
シュワイヒナが宙に舞い、まるで背なかにワイヤーがつながっている道化師のように動き、アルズの頭を蹴った。そのままもう片方の足で首を挟んで、一回転した。アルズの体が回って、地面に叩きつけられる。目は一瞬にして虚ろなものに変わり、反応がない。気絶したのだろうか。
シュワイヒナはアルズの剣を奪い、それを目に突き刺した。アルズの体がビクンとはねた。それと同時に血が噴き出し、シュワイヒナの顔を真っ赤に染めていく。
彼女は雑に剣を扱い、アルズの頭を切っていく。数秒もかからない。短い行為だった。気づけば、アルズの目から耳にかけて、アルズの顔は切られていた。
そして、彼女は立ち上がる。立ち上がった時に、アルズの顔の上半分を踏み潰した。ぐしゃっと嫌な音がする。中からは脳みそやら、なんやらが外に押し出された。
剣を握ったまま、彼女はエリバのほうを向いた。
「ひっ……」
エリバは恐怖に顔をひきつらせた。
彼女はまるで悪魔のようだった。顔いっぱいに血を浴び、鬼のような形相を浮かべており、浮き上がっている銀の髪は白蛇のようであった。白蛇は縁起がいいといわれているが、どうもエリバにとってはこれからは縁起が悪いものになるだろう。これからも生きていればだが。
血どころか肉までついている剣を振るう。肉が飛んで、地面にこびりつく。
エリバは私の首をつかんで、ポケットに忍ばせていたナイフを私の首に突き立てた。
「シュワイヒナ! それ以上近づいたらこいつが死ぬぞ」
それを聞いてシュワイヒナはそこに立ち止まる。
「それにレルズに手を出しても、こいつを殺す」
レルズがシュワイヒナに一歩一歩近づいていく。
出血が多いのか、私は意識が朦朧としはじめた。指すら動かすことができない。
と、その時だった。足音が聞こえた。




