第十九話 掌の上で
やはり疲れが溜まっているのだろうか。あまり、体がちゃんと動かなかった。こんなんでも修行の効果はあるのだろうかと少々疑う。
「まあ、効果があるかどうかは分からないが、とりあえず、今日はダウンの意味も含めているからな。明日は筋肉痛にならないようにと思ったんだ」
なんだ、この人。優しすぎて感動してしまった。
こんなにやさしくて、顔も完ぺきに整っており、体も悪いところはどこにもない。というかこの人自体悪いところがほとんどない。思いつかない。この人は好きになるには十分すぎると思った。
だが、ときめいたことなんて一回もない。それは昔からそうだ。男にときめいたことが一度もない。やはり、私はレズなのだと今更のように思いつつあるが、私の心はそれを受け入れたくなかった。
アブノーマル――それはいつだって人の心を劣等感で真っ黒にしてしまう。劣等感というのはおかしいかもしれないが、他人から珍獣を見ているかのように見られるのはそれこそ劣等感を覚えてしまう。自分から目立ちたいだなんて思いたい人は多くないだろう。普通ではないことを人は願ってみるものだが、いざ自分が普通ではないと知ると、今度はそれを手放したくなってしまう。そうしないと孤立していくからだ。孤独を感じてしまう。そんなことは実際に自分がそういう目に合わない限り、分からない。だから、普通ではないことを願ってしまうのだ。
私は普通でないことを願っていない。入る高校が合っていれば、私は普通だったはずだ。それなのに、変わってしまったばっかりに孤独を感じてしまった。それが最たる例であろう。
また、私は孤独を感じてしまいそうになっている。いや、既に感じてしまっていた。
「私はずっと前から知っていたよ。君がそういう感情を持っていることはな」
「えっ……」
「君は孤独が嫌いなようだな。確かに孤独を願う人間はそういないさ。それに君はここリーベルテでも孤独を感じているだろう?」
「…………はい」
「やはりな。しょうがないかもしれない。君はよそ者だからな。私は君にどうしろということはないよ。ただ、君にはしなければならないこともあるだろう」
「そうですけど……」
「そうだ。ランの父親がこの国にいるらしいな」
「なんでそれを……?」
「さっき、下の街に来た少女の名前を湊から聞いてね。それで思い出したんだ。この国の固有スキル使いに桜が話したような固有スキルを使うものがいると。ランも行く場所がないのだろう。だから、彼に預けるというのは一つの手かもしれない。それの交渉をしてくるといい」
「私がですか?」
「ああ、そうだ。きっと大切なことを知れるだろう。彼の住所なら桜がおそらく知っていると思うよ」
「はあ……」
それから私は一人でまたお風呂に入った。また洗濯物を出してしまうのは少し悪かったが、お風呂に入らないと汚い。
「ああ~」
いい湯だった。さっきもいい湯だったけれども今もまだいい湯だった。湯に肩まで浸かる。
と、その時、戸が開けられた。一瞬、構えたが、ランリスだった。
「あ、凛ちゃーん!」
相変わらず、かわいらしい声だったが、入ってきた瞬間に私は驚愕した。
大きかった。あえて、何をとは言わない。それは私やシュワイヒナのものとは比べ物にもならないくらい、というか比べることすら必要ない。確かに服着てた時もすでに大きかったけれども、あんなに大きかったか? 桜さんもかなりの大きさを誇っていたし、この軍のバランスはいくらなんでもおかしいのではないのだろうか?
揺れている。お風呂の中を走るなよ。足滑らせてこけるぞ。いっそこけろ。
「うん? どうしたの? そんなびっくりしたみたいな顔して。あ、もしかして、私のかわいさに驚いちゃった?」
かわいくなさにおどろいたわ。特にそこ。
「うん。そうだよ」
と当たり前のように嘘をついた。すると、ランリスは頬をぷくーっと膨らませて、
「え、かわいくないんだ」
と言った。ばれてた。
「いや……かわいいよ。ランリス。うん、すっごくかわいい」
「ふーん。じゃあシュワイヒナよりも?」
ぎくっとした。一瞬体が震えたかもしれない。
「あ、シュワイヒナの方がいいんだ。やっぱりシュワイヒナのこと好きでしょ?」
またぎくっとした。
「アンさんほどじゃないけど、人の心読むの得意なんだよね。特に好意とか。あんなにいい男のアンさんに修行つけてもらって振り向きもせず、いや、それだけなら普通にある話なんだけど、なんか君とシュワイヒナの関係、濃すぎというかさ。思ってたんだよ」
あんな短い時間にそこまで読んでいたのか。怖い。
「とりあえず、あなたちょっと体いじらせて」
もっと怖いこと言われた。なにが、とりあえずだ。脈略なさすぎるだろ。おかしいって。
「いいからあ」
とランリスは湯船に入ってくる。私は後ずさっていくが、ランリスはその分距離を詰めてくる。
「ほらほら、はやくいじらせてよお」
「なんで!」
「いや、それはちょっと言えないかな。よーっと」
ランリスは私に飛びついてきた。そしてずけずけと私の体を触ってくる。
「ちょ……やめてよ……あ……」
ここで豆知識。私はこしょこしょに弱い。
「ほらほら――」
ランリスの手が止まることはない。
逃れようと思ったからか、目の前で顔を見るのが恥ずかしかったからか――どっちが原因かは分からないが、とにかく私はドアの方を見た。それから「あ」と声に出てしまった。
「凛さん……何やってるんですか……?」
シュワイヒナだった。服は脱いでいないようだったから、お風呂に入りに来たわけではないようだった。だから、なぜここにいるかは分からない。
「あ……シュワイヒナちゃんじゃん」
ランリスは呑気な声を出すが、私とシュワイヒナがそんな気分であるはずがない。
「凛さん……そうですか、結局はおっぱいが大きい子の方に行くんですか。ああ、そうですか。私じゃなくてランリスのほうがいいんですか……へえ」
シュワイヒナの表情は庇護欲を煽るようなものだった。でも、今の私が何を言っても耳に入らないであろうことは容易に想像できることだった。
「そうですか、そうですか……はははははははははははは」
それから、彼女は口を大きく開けて、笑い始めた。ただただ笑った。腹を抱えて、笑った。そして、突然それを止めると、こちらをじーっと見つめた。
「ランリス、覚悟してください」
そう言って、ゆっくりと後ろを向いて帰っていった。
「え……なに、あの子。怖いんだけど」
とランリスは言う。確かに怖かった。狂気に満ちていた。まともな人間がする行動じゃなかった。おかしくなっている――そう確信した。なぜだ? 私が悪いのか? 今ランリスが私の体をいじっているのがそんなに気にくわなかったのだろうか。
「な、なんかごめんね。うん。桜さんに言われたことは終わったから。もういいよ」
そう言って、ランリスは上がっていった。桜さんに……? そのことに疑問を抱いたのはそれより後のことだった。その時の私はただただ呆然とするだけだったのだ。
お風呂を上がって、私は部屋にまっすぐ戻っていった。
「ねえ、シュワイヒナ。ごめんね」
「なにが、ごめんねなんですか。凛さんが謝るようなことはないですよ。悪いのはランリスなんですから、いいんですよ。でも、今はそっとしてください」
シュワイヒナは私の方を見ずに、そう答えた。きっとあれ以降少しは落ち着いたのだろう。
「夕食、行かなくていいの?」
「いや、いいです。もう寝ますから」
「そう……」
何かを言うことも出来ず、アンさんにもらった剣を部屋の左側のほうの空いている壁に立てかけて、私は一人で食堂に向かった。
久々のぼっち飯。いや、まあ食堂に来ている人のほとんどは一人でご飯食べているので、そんなに特殊感がないため、寂しくは無いのだが、どうもいろいろな思いがこみあげてくる。シュワイヒナと一緒だったのはなんだかんだ楽しかったし。なんだかんだ? いや、違うな。とても、素晴らしく楽しかった。そのことが私の日々の楽しみだった。文句なんて何もなかった。
私はそもそも食べるの早い方だが、いつもよりも早く食べ終わってしまった。やっぱり喋らないからだろうか。楽しみも薄れたような気がする。
やることやら、考えなきゃいけないことが山積みだ。犠牲ゼロで戦争を乗り切る方法なんて存在するのだろうか? それにランリスの行動も分からずじまいだった。確か桜さんがどうとか言っていたが、やはり情報が漏れていたことについて疑われているのだろうか? そしてこの世界は何なんだろう? 異世界と一息に説明するのは良くない。そもそも私たちがどうしてこの世界にいるのかも分からない。分からないことばかりで頭が痛い。この生活にだいぶ慣れてしまったから、日本に戻ったら、贅沢すぎて、感覚が狂ってしまいそうだ。いや、既に感覚が狂っている。勉強まったくしてないし。
それを考えた時、自分が日本にいたら今は高ニの始まったばかりだったはずだということを思い出した。戻っても勉強ついていけるかどうか分からない。人生狂わせられている。親も心配してそうだ。私、元気ですよ。毎日大変ですけど。伝わってください。
そんなことを思いながら、私は部屋に戻った。シュワイヒナは既にすやすやと寝息を立てていた。私は溜息を吐いて、桜さんの所へ向かった。
「桜さん、いますかあ……?」
桜さんの部屋には鍵がかかっていた。まだ、帰ってきていないようだ。
それで私はいつもの会議室に向かった。ドアノブに手をかけたとき、中から声が聞こえた。そこでそれを聞きたいという衝動に駆られた。そっと扉に耳を当ててみる。
「情報が漏れてしまっているということは隊長たちの固有スキルもばれているのか?」
「たぶん、ばれてるわ。どうする湊?」
「いや、どうするもこうも……情報の面で見れば、今私たちは負けている。しかも向こうの情報の提供者が情報を漏らしているとなると、もう信用もできない」
えっ……それって私のこと? 私は情報なんて漏らしてないのに。というかもし漏らしたとして、どうやって伝えるんだ? ここからシュワナ王国の首都ライゼルツまで千キロ以上あるんだけど。
「とにかく今後もあいつらの監視にあたってくれ」
「いいわよ。湊も頑張って」
「ああ」
そう言って足音がこちらに近づいてくる。聞いていたことがばれたらなんだかやばい気がした。だからごまかす方法を考える。真っ先に思い浮かんだのは、今ノックをして、いかにも私が今来ましたよ感を演出することだ。
私は意を決して、ドアをノックする。その直後、ドアが開かれる。
「凛、どうしたの?」
「え……えっと……ランの父親がこの国にいるって聞いたんですけど、どこにいるのか教えてくれませんか?」
「誰から聞いたの?」
「アンさんです」
「そう。それならいいわ。でも、なんのために?」
「ランを引き取ってもらおうと思って」
「本当にそれだけなの?」
「はい。本当です」
「分かったわ。ついてきなさい」
そう言って、桜さんが歩き始める。その時、湊さんの顔が一瞬見えた。彼は笑っていた。
桜さんが自分の部屋から紙を持ってきてくれた。その紙には地図のようなものが書かれていた。
「その地図に従えば、彼女の父親に会うことが出来るわ。今日はもう遅いから。明日にしなさい」
「はい。ありがとうございます」
それから私はそれを持って部屋に戻った。そして、今の反応について思考する。明らかにおかしいところがあった。桜さんの持ってきた紙は普通の紙だ。「普通」の紙だ。しかも即席で書いたかのような地図である。何が言いたいかというと渡した地図は今作ったかのようであるにも関わらず、部屋に入ってすぐに持ってきたのだ。普通少しは探したりするだろう。それなのに探す時間もないまま、持ってきたのだ。これには他に地図などはのっていないのに。まるで誰かに渡すために予め用意していたみたいだ。
アンさんか。私の動きが決められている。いいように扱われている。良い気分はしない。
だが、もしかしたらそれが事態の収束につながるという可能性もある。でも私やシュワイヒナに被害が及ぶ可能性もある。
シュワイヒナだ。彼女は間違いなく何かを知っている。だが、アンさんの能力はシュワイヒナの考えていることも見通すことが出来るのだろう。やはり、アンさんが私たちの行動を操っている。
私はぐーっと背伸びをした。とりあえず、考えるのは疲れる。特に今日は頭を使いすぎている。あの戦い中は過去最高レベルで頭が回っていた。でもやりすぎたみたいだ。
ベッドの上に寝転がると、私の意識はすーっと消えて行った。
次回投稿は十月八日です
 




