第一話 始まり
人生というのは基本的に山があるものである。私の人生は途中から山が続きすぎているような気もするが、まあいい。そんな愚痴に意味はない。
私は今から十七年前、都内の病院で生まれた。母は昔は医師だったが、今は普通の専業主婦だ。そして、父は大学の工学部でなんかしてるらしい。詳しくは知らない。が、まあなかなかの収入があるようで私の家は裕福だった。それで私は幼いころから親の影響で幼い少女にはとても理解できないような本などにばかり触れて育った。まったくもって理解はできなかったが、それもまた面白かったのである。ということで幼いころから理系の道に進むのは当たり前のようだった。数学が得意で国語が苦手な(苦手と言っても人並み以上にはできる)優等生に育っていった。自分で言うのもあれだが、物覚えが良くて、理系教科が取れる女子の成績が悪いわけない。
ここまで見て自尊心が高いなあって少し悲しくなったのだが、しょうがない。事実だ。ここまで来たら全て言っておこう。私は手先が器用なので家事も出来るし、運動神経も悪くはない。それもこれも努力の証である。苦手なことと言ったら、良い人間関係の構築くらいか。
そして、私の人生の歯車が大きく狂い始めたのは間違いなく二年前。親が願書の提出を間違え、私は本来行くはずだった都内でもトップクラスの高校から普通の高校に入ってしまった。私の母はいつもはそんなミスするタイプの人間じゃないのになぜこの時だけ、しかもこんな大事な時にミスをしてしまったのか疑問は深まるばかりだ。親を責めても仕方ないのは分かってはいるのだが、責めるしかなかった。怒りと、虚無感が私を襲い、まるで心にぽっかりと穴が開いてしまったみたいで、親に裏切られたかのようにも感じた。それが原因で私は人を避けるようになる。元から友達は少なかったし、仲が良かった子もみんな別の高校に行ってしまったし、まあどうしようもないことだった。
それを変えてくれたのが、祐樹だった。
高校では私はクラスメイトから意図的に避けられていた。いつからだったか。私は自分の顔を鏡で見て、怖いって思ってしまうくらい、きつい目をしていた。私的には別にクラスメイトを遠ざけようとはしていなかったのだが、なぜだか、私はそのように見られるようだ。
一人ぼっちは寂しかった。だからそれを打破してくれた祐樹には感謝している。
「なあ、そんな睨み付けんなよ。傷つくだろ」
そう、彼が初めて私の前に座って、私の顔を見つめた時、私は無意識に彼を睨み付けた。
「君みたいな天才がこんな学校に来るなんて、もったいないなー」
その発言は私の苦しみをじかに刺激するようなことで、既に沸点の近くまで到達していたものを一気に押し上げ、それを上回った。
「うるさい」
自分でもびっくりするくらいの冷えた声。そんな声を出してしまったことがつらかった。
「まあまあ、佐倉凛って言うんだっけ? なにがあったんだ? 力になるぜ」
「は?」
この反応はおそらく間違っていない。こんないかにも遊んでいそうな男の発言をまともに聞く方が頭がおかしいと言うものである。
「うーん。傷つくなあ」
「勝手に傷ついてれば」
傷ついてたとしても私には少しも関係ない。そうやって私は彼を突き放そうと思ったのだ。
「ま、いいけどよ。いつでも相談に乗るからな」
「……そう」
私はまさか彼が諦めずにそう言ってくれるとは思っておらず、そう返すほかなかった。
それからというもの彼は毎日私に話しかけてきた。はっきり言ってうざかった。けど褒められるのは悪い気分はしない。ただ、いつまで私に構ってくるのか疑問に思っていた。
「ねえ、いつまで構ってくるの?」
ある日のことだった。私はついに口を開いた。
「え? なんでってそりゃクラスの奴らには皆笑ってて欲しいからな」
「は?」
「だから笑ってて欲しいって――」
「それが私に何か関係あるの?」
「え……いや、ほら皆笑ってたら気持ちがいいだろ?」
「それは……そうかもしれないけど、私一人位どうだっていいでしょ。それに他にも笑ってない人いるでしょ。なんで私に構うわけ?」
「それは……」
「じゃあもう構わないで。うざいから」
酷いことを言ってしまった。でもこれだけひどいことを言ったならもう構ってこないだろう。そう思った矢先だった。
「俺はお前の力になりたいんだ」
「そんなの君の身勝手じゃん」
「でも一人は寂しいだろ?」
「……」
思わず目を逸らしてしまった。図星だ。
「当たりだな。なあ、俺は絶対にお前を裏切らない。約束する。話してみないか? 辛いこととかさ。話せば楽になると思うぜ」
悔しいが、私の中には彼に頼りたいという気持ちが芽生えてきた。コミュ力の違いを思い知らされたようで、それもまた悔しかった。
それから私は彼に自分の心の内を打ち明けた。親への不満、周りの人が怖いこと、などなど。
彼はそのすべてを受け止めて一緒に考えてくれた。それが私にとっては嬉しかった。そして、結局は日に日に仲良くなっていった。
そんなある日、私の誕生日の日、7月2日だった。彼は私の誕生日がその日であったことは知らなかった。教えていないのだから無理もない。いや、はっきり言ってそんなことは微塵も関係ないのだが。
彼と二人で学校から出た時、突如として私の意識は途切れた。
そして目を覚ますと私は森の中にいた。制服のまま、祐樹と二人っきりで。
何が起こったか分からなかった。あまりに不可思議な事態に出くわし、思考が完全に止まってしまう。
体のどこにも異常はない。どこか体が遠いところにあるような気がしたが、それもまたすぐに消えた。
間違えた。体のどこにも異常はないというのは嘘だ。体の震えが止まらない。
どうすればいい。全く思いつかない。
私はここで初めて思い知った。学校でどんなに知識を学んでも、それを全て覚えて、ただの紙で測られるもので良い結果を残していたってそれはこんな場所では、こんな人気のない場所に突然放り込まれたなんていう理解に苦しむ状態においては役には立たないこと。所詮、用意された世界においてでしか役に立たない。そんなことを私は思い知った。
「とにかく人を探そう」
そう言ったのは祐樹だった。こんな場においてはそれが最も正しい判断だっただろう。
「……うん」
ただ、その話で一つ問題があるとするならば、人がいるかどうか確証がないということだった。だが、それはある意味杞憂で、ある意味当たっていた。
鬱蒼とした森は日差しが少ししか入っておらず、また、薄着だったためか肌寒い。時折、鳥が飛ぶ音、風が吹き、葉っぱどうしが擦れる音がするが、それもまた私の恐怖心をかき立てていた。
遠くに二つの人のような影が見えた。思ったよりも早く見つかるものだと私は思い、少しホッとする。
私と祐樹は走り出した。
「おーい!」
祐樹が叫んだ。その影は動きを止めた。間の距離がどんどん縮まっていき、そして影がどんどんはっきりしていく。
それは人のように見えたが、背中から生えているそれは人のものとは思えなかった。
私は祐樹の腕をつかみ、止まった。
「なにかおかしい」
彼に私の覚えた違和感を極めて簡潔に伝えた。
「え?」
祐樹が首を傾げ、もう一度前を注視する。
それはゆっくりとこちらへ近づいてくる。私の鼓動と祐樹の鼓動が早くなっていくのを感じる。
姿がはっきりしてきた。ここまで来ればそれは明らかに人の形ではないということがはっきり分かる。背中から生えた羽と口から生えた長い牙、そして青い体。
それはよくRPGなどで描かれる悪魔の姿そのものだった。
驚くべきその状況に私はまたもや完全に思考が止まってしまう。祐樹はそんな私の手を取って、
「逃げるぞ!」
と叫んだ。そして、後ろに駆け出す。私も足にはというより体力には自信があった。だから、祐樹と同じくらいのスピードで走れる。が、後ろを一瞬振り向くとその悪魔は驚くべきスピードで飛んでいるのが確認できた。
まずい。このままじゃすぐに追いつかれる。そうしたとき、どうする? 私は死んでしまうのか?
嫌だ。こんなところでわけわからないまま死ぬだなんて絶対に嫌だ。しかし、今の私には、無力な私には、勇気のない私には、どうすることもできない。
そんな状況を確認した祐樹は一瞬、私の手を握る力を強くしたのち、
「凛! 先に行ってろ!」
と叫び、私の手を放した。
「え、ちょ、何をする気なの!」
動揺と不安が隠せない。
「俺が食い止める」
そう言って、祐樹は悪魔に掴みかかった。悪魔は重さに耐えきれず、地面に落下する。祐樹は悪魔の頭を殴りつけるが、悪魔も祐樹の顔を殴りつける。そのまま馬乗りのような姿勢になり、悪魔は祐樹にかみつこうとした。
「祐樹!」
私は叫ぶが、私には何もできない。もう一体の悪魔から逃げるだけで精いっぱいだった。
あんなのに敵うはずがない。だから逃げるしかない。しかし、彼を置いてなど……
彼の目を見た。信じられる目だった。
彼なら大丈夫。根拠のない自信が生まれ、祐樹から目を離した瞬間、パンッっという破裂音がした。そちらの方を見ると、祐樹の体に、赤いものが降り注いでいた。そして、先ほどの悪魔は足しか残っていない。
祐樹は立ち上がり、その光景を見て呆然としている私を追いかけていた悪魔の方を見た。
「てめえ! 何をしたんだ!」
悪魔が叫んだ。日本語で叫んだこともびっくりだが、今はそんなこと気にならない。何が起こったか私も理解が追い付いていないのだ。
「俺も知らない。殴っただけだ」
祐樹は答える。そして、
「お前にも死んでもらう」
祐樹はまっすぐ悪魔を見つめ、言った。そして薄ら笑いを浮かべる。
「な……調子に乗ってんじゃねえよ!」
悪魔が叫び、祐樹に飛び掛かる。心配の必要はない。そう私は確信していた。そしてそれは当たりだった。文字通り、悪魔は粉々に砕け散った。そのとき、祐樹は妙に楽しそうな表情を浮かべていた。
「大丈夫か。凛」
祐樹は私のそばに来た。手は血で真っ赤に染まっている。その手を凝視していた私の顔をみて、祐樹は
「手、洗わなきゃいけないな」
と言った。
「そ、そうね。ありがとう。祐樹」
そうは言いながらも私の中には二つの感情が混在していた。安心と恐怖。
「なんてことないって」
祐樹はちょっと照れ臭そうに言った。
「今のは何が起こったの?」
「どうやらこの世界は俺たちの住んでいた世界とは違うみたいだな」
「それは、まあ薄々感づいてはいたけど……」
「あの悪魔に殺されそうになった時、俺の視界が光って、そしたら自分を神って名乗るやつが現れたんだ」
「は、はあ」
冗談のように聞こえるが、私はそれが本当のことだとなぜだか確信した。
「で、そいつがお前は選ばれた人間だから力を授けるって言ったんだ。そしたら視界の右下に俺の名前とレベル、体力、攻撃力、魔力、防御力、速さって文字とそれぞれに対応する数字が出てきて、それで悪魔を殴ってみたら粉々になったってわけ」
意味が分からない。いや、言ってることは分かるのだが、はっきり言って理解しろと言われて理解できるものじゃなかった。
「だからさ、俺たちは多分、学校から出たところで何かが起こって、違う世界に来ちゃったんだよ」
「何かって何?」
「え……それは分かんねえけどさ」
「はあ」
私は溜息をついた。なんでこんな目にあってるのか。夢なら早く覚めてほしい。
「とりあえず、この森を抜けようぜ」
「そうね。はやく抜けられたらいいね」
これは本心だ。こんな森の中で食糧も水も無しには生きていけないし。
「そうだな」
祐樹の声は優しかった。でも、私はどことなく強烈な危機感を覚えた。
私の時間の感覚が合っているとは限らないのだが、おそらく1時間ほど経過した。木の量は段々と減ってきているのだが、空は曇っているためか暗かった。が、それは夕方と言うには明るかった。それに私たちが学校から出た時には空は晴れていたはずだ。学校から出て、何者かに襲われ、しばらく気絶していて、起きた時には日をまたいでいて、天気も変わっていて、日本のどこかにあの悪魔のようなものがいて、そこに放り出されたという線も残っていなくはないのだが、それはおそらく、というよりほぼ確実にないだろう。となるとやはり祐樹の言った通り、違う世界、異世界に来てしまったのか。なぜ? どうやって?
そんなことを考えながら歩いていくと、不意に祐樹が
「ほら、町が見えてきたぜ」
と言った。指さした方を見ると、確かに見える。少しだが。
「あそこに人いるぜ」
「え、また悪魔でしたーみたいなことないよね」
「ああ、大丈夫だ。はっきり見える」
「そう。ならいいんだけど……」
歩を進めるにつれ、徐々に町の全貌が見えてきた。しかし、それを町と呼ぶのは些か抵抗があった。というのもそこには人がほとんど、というより一人を除いて誰もいなかったのだ。生活の跡もない。町全体が荒んでいた。
「あ、あの……」
とりあえず、一人だけ外に出て農作業をしている男の人に話しかけてみる。
「どうしたのかね」
日本語で返答が返ってきた。これには少しびっくりしたのだが、とにかく話を続ける。
「これはどういう状況なんですか?」
「ああ、私以外の住民はもう二週間前にリーベルテへ逃げたよ。で、君たちは誰なのかな?」
「俺は祐樹だ」
「私は佐倉凛と言います」
「そうか、まあいい。どうせまた悪魔がここにも来る。命は大切にした方がいい。早く逃げなさい」
「悪魔って……どういうことですか」
「知らないのかね」
「ええ」
「そうか、びっくりだな……ならば教えてあげよう。悪魔と魔王についてを」
男が言った話をまとめると、四ヶ月前、自らを魔王と名乗るものが現れたそうだ。それが国を西から攻めていき、住民たちは殺されていったそうだ。最初の村でのただ一人の生き残りが首都へ行き、王に伝え、王は軍を出動させた。しかし、皆殺された。そして、王は遺言状を残していた。
「魔王を倒したものを次の王とする」
それを王の娘が発表したが、魔王を倒しに行った勇気ある若者たちはみな殺された。そして、魔王軍の悪魔たちは徐々に国を侵略し始めた。
「もうみんな諦めてるさ。あんな化け物には誰も勝てない。だからみんなこの国を離れてリーベルテに移住してる。まあリーベルテがやられるのも時間の問題かもしれないがな」
男は悲しそうだった。それも仕方のないことだろう。私なら心が折れてそうだ。すると突然祐樹が
「安心しろ。俺がその魔王とやらを倒してやるよ」
と不敵な笑みを浮かべて言った。
「全く、何を言ってるんだい。君も逃げた方がいい」
まるでたしなめるかのようだ。しかし、祐樹は真剣な面持ちで言う。
「いーや、その必要はねえな。俺はこの世界で最強なんだ。負けるはずがない」
「また、随分と自信があるようだな。だが、やめた方がいい。そこまで言うなら、レベルはいくつだ? 百を超えてるって言うならまだ分かるが……」
「いや、そんなもんじゃねえ。俺のレベルは九百九十九だ」
「なに? そんなはずがない。あの王が五十だったんだぞ!」
「嘘じゃない。まあいいや。魔王の死を楽しみに待ってるんだな。凛、行くぞ」
「え……う、うん」
そう言って、祐樹は歩き始めた。
「ね、ねえ。倒せるの、その……魔王とかいうの……」
「ああ、倒せるさ。絶対倒してやるよ」
「で、来た道引き返してどうするの?」
「あの男の話を信じたら、あの町にはまだ、悪魔が来てないんだろ。っていうことは悪魔がいた方に進めば魔王のところにたどりつけるんじゃねって思っただけだ」
「ああ、そっか」
「まあ、黙って俺についてきな。俺が絶対に守ってやるからな」
「うん。分かった」
単独行動は危ないし、それをする理由もない。だから、私は彼についていくことにした。彼なら魔王は倒せる、そう信じることにした。そして、それは間違いではなかったようだ。