第十五話 幼き少女達よ
気づけばランリスも戦いに復帰してはいるが、膠着状態は解けていない。それどころか私たちには疲れが存在し、徐々に動きが間に合わなくなってきているが、ランにはどうやらそれがないようで、常に獣のような動きを見せ続けている。
だが、シュワイヒナは完全に一線を画していた。
シュワイヒナは信じられない速度でランの間合いに入った。ランもその動きには反応していたが、シュワイヒナはただ単純な攻撃――ただの殴打を加えただけだったにも関わらず、ランはその動きに間に合っていなかった。ランはそのまま数メートル吹き飛ぶ。だが、意識は失われておらず、その場所にゆらゆらと立ち上がる。しかし、立ち上がった時には既にシュワイヒナはランの目の前にいた。そして、シュワイヒナがどのような動きを取ったかすら、私の目には捉えることが出来なかった。ただ、気づけば、シュワイヒナの足はランの頭があった場所を通っていて、ランはその場に横向きに倒れて行った。
シュワイヒナが足を地面につけた時、シュワイヒナの体は崩れ落ちた。
「シュワイヒナ!」
私と桜さんとランリスは急いで駆け付ける。ランはその場に倒れて動かない。
「シュワイヒナ! シュワイヒナ!」
「う……」
シュワイヒナは意識は留めていたが、体のあちこちが痛むようで苦しそうだった。
桜さんが、足に触れ、回復魔法をかける。
「全身、いろんなところが骨折しているようね。体に負荷がかかりすぎている。ランリス、凛、ここは私がどうにかするから、ランの方を見てきて」
シュワイヒナのことが心配で離れたくはなかったが、言われた通り、私とランリスはランの方へ行った。
ランはまだ意識があるようだった。だが、ランも全身に大きいダメージを負っているようで、もう体を動かすことは出来ないようだった。
ランリスがランの首筋に触れる。ランリスはふうと息を吐いて、手を離し、首に手刀を入れようとした。
その時だった。ランの体から黒い何かが噴き出した。それはランリスの腕に纏わりつく。
「何、これ……」
ランリスが手を引っ込めようとしたが、動かない。そうこうしているうちにランが体を起こす。そして、黒い何かはさらに噴き出していく。
「ああああああああああ!」
強引に手を引き抜こうとしたランリスが悲鳴を上げた。見ると、ランリスの肘から下が――ない。
ランリスはすぐに平静を取り戻し、後ろへ退く。黒い何かからランリスの肘から下が落下する。
ランは立ち上がった。そして、黒い何かはランの体中に纏わりつき始める。
「何が起こってるの!」
桜さんが言うが、誰もその質問には答えられない。ただ一つ、心当たりがあるとするならば。
闇覚醒フェーズツー。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
長い叫び声を上げながら、ランは体を震わせる。恐ろしい速度で「闇」が吹き出し、それは膨張をつづけ、ランの体中に纏わりつく。さっきのランリスの様子を見ていると、迂闊に近づくことは出来ない。
ランリスの腕からは夥しい量の血が噴き出していて、目を塞ぎたくなる。
「ランリス、とりあえず腕、かして」
桜さんはそう言って、腕に魔法をかける。
「自動回復魔法よ。これでとりあえず失血死はしないわ。少しの間だけ我慢して。それと、シュワイヒナの回復も済んだし、凛、ランリス、私は一旦退くわよ」
「え……でも、それじゃランは……」
「この状態になると、もう道は一つしか残ってない。ネルべを連れてくる。ファイルスも連れて帰るわ。ランリスと凛はここにいてちょうだい」
「ネルべさん……?」
「ええ、彼ならこの状況を突破できる」
そう言って、桜さんはランから離れて行く。
ランの苦しそうな表情が黒い何かの間から見えた。胸が締め付けられる。
「それじゃ、凛。時間を稼いでてくれない?」
「え……でも……」
「ランリスもシュワイヒナも負傷中だからね。もうあなたしかいないの。お願い」
そう言って、桜さんは「ワープ」と叫んで、消えてしまった。
怖かった。私は無力だ。体が震える。なんで私がこんな状況に追い込まれないといけないんだ? 私がどんな悪いことをしたっていうんだ? 言われた通り、勉強していただけなのに、人の間違いで、全然違う高校に行かされて、それで、こんなわけが分からない理不尽な世界に突然放り出されて、意味が分からない。理解したくない。シュワイヒナみたいな人に出会えて、良かったかもしれないけど、実を言うなら、早く家に帰りたい。なんだかんだ言って、あったかくて、そして、平和だった家に帰りたい。こんなに物騒でいつ死ぬかも分からない世界で私は何をすればいい?
ただ、目の前の人を助けられればいいのか? だが、そんなことは私には出来ない。なぜなら、無力だからだ。弱いからだ。私ではランに指一本も触れられなかったじゃないか。
大体桜さんだって、どうかしてる。私一人にこんな状況を任せるなんて、どうかしてるとしか言いようがないだろう。
いや、私だって分かってる。しょうがないのだ。ランリスは腕を失い、シュワイヒナは全身怪我してる。だから、もう私しかいないんだ。私はマジックポイントも完全に溜まってるし、ダメージだって負ってない。一人だけ、完全に戦える状況だ。だから、私がやるしかないのだ。
「あああああああああああああああああああああああああ!」
ランがまた叫んだ。その声にびくっとする。徐々にランを纏っていた「闇」は減っていた。
私はじーっとその様子を見つめる。
「凛さん」
シュワイヒナの声だった。シュワイヒナは立ち上がっていた。
「もう私は大丈夫ですよ。桜さんが戻ってくるまで時間稼ぎしないといけないんですよね。私ももう行けますよ」
「でも……シュワイヒナ、肉体強化はもう……」
「私の体なんて、回復魔法使えば、治るんですよ。そんなこと心配しないでくださいよ」
「でも……回復魔法すら使えなくなったら……」
「いや、そんな状況は起こりませんよ」
「え……なんで……」
シュワイヒナはにっこりとほほ笑んで、
「マジカルレイン!」
そう叫んだ。
「自動回復魔法をかけつつ、マジカルレインの効果でマジックポイントを回復させ続ければ、永久に肉体強化を使い続けれます。体が壊れても、回復し続ければいいんですよ。痛みに耐えれば、それだけで私は戦えます」
「そんなことダメ!」
その声はランリスだった。
「痛みに耐え続けるだなんて、頭おかしくなっちゃうよ。私はもうこの腕だけで、頭おかしくなりそうなのに……それに痛みを受け続ければ、気を失う」
「私は、痛みには強いんですよ」
「そんなこと言ったって……」
「痛みに強くさせられたんです。苦しみのには慣れてますから」
「苦しむのに慣れてるだなんて、そんなこと……」
全くの同感だ。苦しむのに慣れてるのがいいわけない。
その時だった。ランが歩き始めた。黒い何かは、ランの体に戻っていく。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ランが叫ぶと、体に現れていた黒い文様が、徐々に体に入っていく。すると黒い文様は面積を拡大していく。そして、足、腕など、見えている範囲の部位は大半が黒いものに覆われていった。顔に現れていた黒い文様も濃くなっていき、占有面積を増やした。
これが闇覚醒フェーズツー。
禍々しい見た目だった。私も正直ちびってしまいそうなほど怖かった。十年前だったら間違いなくちびっていた。目は私のそれよりもきつかった。そして、立ち姿はなんだか落ち着いていた。
私たちの方を見た。ゆっくりと歩き出す。
全身が震える。明らかに相手にしてはいけないタイプの化け物だと、私の本能が訴えかけていた。
表情は怒りに満ちたものではなかった。全くの無表情だった。
シュワイヒナが構える。ランは手を上に向けた。
「削ってあげる」
ランはそう言って、にやっと笑った。そして、黒い光線を出す。その黒い光線が、空中で分離し、地面に降り注いだ。その様子をひたすらに見ていたのだから、避けるのは難しくない。
分離したもののうち、最も太い黒い光線はランとシュワイヒナの間に落ちた。そして、その黒い光線は地面に落ちる前に消えた。そして、すぐそこには、
「な……!」
ランがシュワイヒナの目の前にいた。
「肉体強化!」
綺麗な銀髪が荒ぶりはじめる。
ランの右手がシュワイヒナのすぐ腹に来る。シュワイヒナはすぐにそれに反応して、上へ跳ぶ。ランはそれを見て、跳んだ方へ、黒い光線を打ち続ける。
シュワイヒナの体は現在、肉体強化で大幅に強化されているはずだ。だから、一度跳べば、十メートル近く跳ぶことができる。実際、今シュワイヒナはそれだけの距離を跳んだ。
黒い光線はランとシュワイヒナの間を通った。ぐにゃっという音がした。
目を疑う光景だった。信じられないし、何を言っているか分からないかもしれない。ただ、それが実際に起こったのだ。
空間が歪んだ。黒い光線が通った個所が、白くなり、それが縮み始めた。それに合わせて、黒い光線が通ったところよりも上の部分が下の方へ落ちて行く。
これらのことが、一秒もかからないうちに行われた。一瞬といってもいいほどの時間だった。それゆえ、シュワイヒナはその場所からあまり動いていなかった。
つまるところ、何が起きたかというと、ランとシュワイヒナの距離が縮んだ。
「そ……そんな……」
この距離まで縮むと、黒い光線を避けるのは容易ではない。
黒い光線が断続的に発射される。
「突風!」
私が叫んだ。それと同時にシュワイヒナのすぐそばで突風が吹く。それでシュワイヒナは飛ばされ、遠くに着地する。だが、ランはすぐにそれに反応し、シュワイヒナの着地した方向に黒い光線を放つ。
しかも、私の方にも打ち始めた。体を信じられない速度で動かして、私や、ランリス、シュワイヒナの方へ黒い光線を放つ。
それを避けながら私は考える。さっきのランの発言。「削ってあげる」 それを考えれば、おそらくランのあの能力は対象を削る能力なのだろう。それで、黒い光線が当たった対象物を削り、また、それが触れたものを削り続けたのだろう。また、さっきのシュワイヒナとの距離を一気につめた二回の行動。あれは空間を削ったのだろう。だから、一気に距離を詰めることが出来た。そう考えるのが妥当ではないか。だとすると、いつ、どんな時に空間を削ってくるか分からない以上、いくら警戒していても攻撃を完全に避けることは出来ないかもしれない。
それにアンさんのあの発言を思い出した。フェーズツー以降はどうすることもできない――それならもう私たちに打つ手はない。ここで食い止めないと皆が避難しているところに危害が及ぶ。
やっぱり私は無力だった。私はランを救うことが出来なかった。
「う……あ……」
涙が溢れそうだった。それをぐっとこらえて、飛んでくる黒い光線を避ける。なんだかその黒い光線も早くなってきているようだった。
シュワイヒナが黒い光線を潜り抜け、ランの後ろへ密着する。その瞬間、ランの髪も荒ぶりはじめた。
そして、ランはすぐ後ろへ密着したシュワイヒナの方を一回も見らずに、足を後ろへ回した。
「が……!」
ランの足はシュワイヒナの腕へ当たって、シュワイヒナを吹き飛ばした。その際にに、バキッという嫌な音がした。
「シュワイヒナ!」
シュワイヒナはなんとか地面に足をついて着地したが、バランスを崩し、屈みこむ。
私もシュワイヒナの方へ向かおうとするが、黒い光線が飛び交い、全く近づけない。ランリスも避け続けているが、腕の一部分がないとやはりバランスが悪くなるのか、動きが鈍い。
ランは黒い光線を乱発するのをやめ、シュワイヒナの方へ向かった。
フェーズワンの時、ランは獣のようにただ、向かってくるものに反応するだけかのように動いていたが、今度は逆に獣のような動きを全く見せていない。知性を持ち合わせて、動いているようだった。
今、ランは私には背中を見せている。桜さんは、ネルべさんならなんとか出来ると言っていた。それまで、私は希望を捨てるわけにはいかない。それにこれ以上犠牲者を出すわけにはいかない。それも誰よりも、何よりも、大事なシュワイヒナを――
私はかけ始めた。シュワイヒナが回復するまでの時間稼ぎが出来れば、それでいい。
ランは私の方へ反応した。しかし、一瞬ちらりとこちらを見ただけで、シュワイヒナへの歩みを止めることはしない。きっと私に反応したところで意味がないと思ったのだろう。舐められている。私はその程度の人間ということだろう。
だが、私にだって出来ることがある。今の私にしか出来ないことだ。私だけが動けるのだから。
風魔法を使い、私は加速した。
「はああああああああああああ!」
気合を入れるため、私は叫び、体を回転させた。ちょうど回し蹴りのような姿勢になる。足がランの頭へ一直線に向かう。ランもそれに反応して、体を前に傾ける。
だが、そんな動きは分かっていた。ランの最適の反応はおそらく前に体を傾けてから、右手を私の方へ向けて、黒い光線を放つことだろう。
だから、私は左足を上げなかった。右足のみを上げたのだ。左足でランの背中を蹴って、もう一度体を回転させる。ランは前に倒れながら、体を回転させ、私の方へ、体を向ける。そして、その右手を向ける。それとほぼ同じタイミングでもう一度回転していた私は右足でランの右手を蹴った。ランの右手から放たれた黒い光線は私のいる方向とは全然違う方向へ飛んでいく。私は風魔法を使って半回転し、ランのすぐそばに着地する。
出来るかどうか分からなかったが、どうやら上手くいったようだ。ただ、私は大きなミスを犯していた。時間稼ぎを出来ればいい、ただそうとだけ考えていたため、この行動をとった後、どうするか考えていなかったのだ。
ランはすぐに私の方へ右手を向ける。私は走って、黒い光線を避けるが、それは着ていた服にかすった。かすったところから、服が削られ始める。
今頃、恥ずかしいだなんて考えてはいられないが、動揺はする。その隙をついて、黒い光線が私の方へ放たれた。
まずい――そう思った時には遅かった。黒い光線は私のすぐ目の前に迫っていた。
その時、私を突然、浮遊感が襲った。
次回更新は十月四日です
 




