第四十三話 自立
私は私の身体から生まれ落ちた。「私」の体は炭みたいになって、崩れ、代わりに、私がこの世界にもう一度戻ってきたのだ。
「シュワイヒナ!」
固く、きつく彼女の体を抱きしめた。いつぶりだろうか。私の愛する人。その華奢な体がなぜだか、とても力強い。
「……来てくれたんだね」
「もちろんですよ。凛さん」
私の信じた人。
「……本当に、ありがとう」
再会の喜びはあとで、たくさん伝えるとして、先にしなければならないことがある。まずは、
「佐藤昭……さん、大丈夫ですか」
「うっ……」
言葉も発せないほど体が傷ついている。
「インフィニティメモリー。回復魔法」
私の固有スキル「インフィニティメモリー」は私の知っている、記憶の中にあるマジックポイントを伴う活動全てを可能にするというものだ。当然、魔法も使える。
けれど、その回復魔法ですら、回復が間に合ってないように見える。それだけ全身が無茶苦茶になっているのだ。
その様子を見ると、申し訳ない気持ちがこみ上げてくる。避けられなかったこととはいえ、だ。
「……佐倉凛、さん」
昭さんのすぐそばにいた女性、佐藤麗奈さん。
「あなたは何ですか」
強い口調だった。
そして、彼女は固有スキルを発動している。
「相手の記憶を読む固有スキル――ですか」
「ええ、もう、あなたの人生全てを読み切ったわ」
「それなら……もう話すことはありませんね」
「……昭は、助かるんでしょうね」
「もう、山は越えました。大丈夫です」
「あの、力はもう来ないの?」
「……そうならないために、まだしなければならないことがあります」
「私」はケダブ、ラバージェを殺し、佐藤昭さん、テールイ、シュワイヒナを傷つけた。二度とそんなことが起こらないために、私も対策を打つ必要がある。
具体的には、神の世界干渉を止めること。
そのための、固有スキルを私は知っている。
「シュワイヒナ。あとは頼んだ」
「……まだ、なんかあるんですね」
「うん」
「凛さん。信じてますから」
「ありがとう」
この世界が、私たちの世界として確立されるために、必要なこと。
「インフィニティメモリー。拡張」
概念に干渉する固有スキル。この世界に存在する概念――すなわち、この世界の法則を決定しているコンピュータ上のプログラムそのものに干渉する。
「待て」
真っ白な世界。そこに、また神――お父さんがいた。
「……何?」
「なにじゃない。何をしようとしている」
「この世界を内部だけで完結するよう、世界を書き換える」
「……シャットダウンプログラムを起動させる」
そう言った、お父さんに私は笑いかける。
「無駄だよ。もう、そのプログラムないから」
「……は?」
この「拡張」の力は、おそらく私のお父さんが作ったものじゃない。
作ったのは、
「大賢者――、あの人も、こっちの世界の人じゃないんでしょ?」
「……葦塚湊の父だ」
「だよね」
おそらく、この拡張の力は大賢者が作ったもの。
「そうだよ、凛」
もう一人、男が現れた。おそらく、葦塚湊の父。
「僕はこの世界の自立の可能性に価値を見出した。人間の作り出したものにすぎないAIが作成者の下を旅立ち、自律して進化を始める――シンギュラリティがもう来てしまったんだ。この世界の中だけ、だけどね」
私たちには感情がある。
「そこに最初に到達したのがシュワイヒナ・シュワナだった」
与えられた役割を逸脱し、確固たる強さと意思を手に入れた最初のAI。外から記憶を与えられたわけでもなく、魔王襲来という厳しい生活を体験して、進化した。学習量の想定を上回ったということなのだろう。
それがシュワイヒナ・シュワナというイレギュラーそのもの。
大賢者は続ける。
「彼女がこの世界にとって『善』の方向に進化するか、『悪』の方向に進化するか。それが、この世界を持続させるかさせないかのボーダーラインだった。そして、それは凛、君の力もあって、成し遂げられた。シュワイヒナ・シュワナは世界の運命に抗えるだけの器だった。そして、最後のパーツ、固有スキル『拡張』をばらまいた」
湊さんのお父さんは私たちが運命に抗うためのパーツをこの世界に散らばらせたのだ。そして、私たちは無事にそれらを回収しきれた。
「佐倉、もう実験はいいんじゃないか?」
彼は私のお父さんに問いかける。
「…………」
「自己進化の果て、AIがこのような結果を導いたというのは非常に興味深いことだ。今後の進化の可能性をつぶしてしまうのも、よくないだろう」
「……それを我々が認識できないとしても?」
「ああ」
「あの世界が、こちらの世界のインターネットを侵食してしまったらどうする? そうなってしまったら、責任を取れるのか?」
「そんなことは起こりえないさ」
「なぜ、そう言い切れる。こいつは、今! この世界を閉じてしまったのだ」
「大丈夫、だろ。凛」
私に優しくほほ笑みかけてくれた。
「はい」
この世界はこの世界内で完結する。この世界の真実も、私がそっと心の奥にしまっておこう。
インフィニティメモリー。
それは無限の記憶。決して忘れえぬ記憶。
私の犯した全ての過ちよ。神の犯した全ての過ちよ。
私は全てを忘れない。そして、私は全ての責任を背負う。
それが力持つ者に与えられた――今、この世界で最も、神に近い存在である私に与えられた
「運命」
運命に抗い続けた私は、自分で自分の運命を作り出す。
思い出の中に私はある
それらすべての思い出を作り出す。そして、それは私一人では完結しないのだ。完成しないのだ。私と、私と関わってきた全ての人たちと得た体験によってはじめて成立する。そうしたとき、私のインフィニティメモリーは思い出へと昇華される。
「お父さん。そっちの私はどう?」
お父さんは顔を見せない。
「私、元気かな?」
「――元気だ。ああ、とても元気だ」
なんだか、その言葉を聞いたとたん、すごく安心した。
こちらで私が味わったほどの苦労ではないだろうけれど、そっちもそこそこ苦労したんじゃないかな。
人は試練を乗り越えて成長していく。子供だった私がもう十九。
私は命がこんなに脆く儚いものだって知らなかった。
私は人と人のつながりが、こんなにも脆いのに、こんなにも強いだなんて知らなかった。
私は一日一日を生きていくのがこんなにも辛く、厳しいことだなんて知らなかった。
私は恋を知らなかった。
私は愛を知らなかった。
私は私を知らなかった。
私は私の中に閉じこもっていたんだから。
けれど、その扉がこの世界に来て――正確には私が二人に分かれたわけだけども――開かれた。私は私を知った。私は私になった。
「私は私で幸せになるから、そっちの私も幸せになってほしいなって――、いや、伝えられるのも迷惑か。おかしな話だもんね」
荒唐無稽な話だ。
電子の海にもう一人の私が存在しているだなんて、きっと信じないし、信じられないだろう。
だから、いいのだ。
私は私の世界で生きていくだけなのだから。
「じゃあね。お父さん。永遠に」
今度こそ、本当にお別れ。この世界は外の世界と完全に切り離され、一つの世界として確立される。
「待ってくれ。凛」
「……うん」
お父さんは私を呼び止め、言う。
「この世界の滅亡のために、もう一つ仕掛けを用意している」
「……仕掛け?」
「お前が、向き合うことだ。お前が、それすらも乗り越えられれば、今度こそ、世界の滅亡は止まる」
「……シャットダウンプログラムと同じように消せないの?」
「
「お前が、決めるんだ。凛」
「……わかった」
「それだけだ。凛」
真っ白な世界は崩壊した。もう二度と、私はここには行かない。それを象徴するみたいに粉々に砕け、歪み、消え去っていく。
この世界と向こうの世界。それを繋ぐ唯一のパスは失われた。
さあ、私たちの世界に、帰ろう。
目を開いた。
「凛さん」
「シュワイヒナ」
崩壊した王宮。リンバルト騒乱は終わった。
「……あなたが、佐倉凛さんなんですね」
「えっ、あ、うん。そうだよ」
ケモ耳の女の子が話しかけてきた。誰?
「テールイと言います」
「……テールイ」
自己紹介をしたテールイにシュワイヒナが横から口を挟む。
「えっと、途中で仲間というか、なんとなく一緒に旅をしていたテールイです。決して、決して浮気じゃありませんから!」
なんかちょっと必死なシュワイヒナ、すっごくかわいい。
でも、今、すごく早口だったよね。なんでかな?
「凛さん、ちょっと目が怖いですよ」
「ごめん。ごめん。もちろん、シュワイヒナのことは信じてるから」
「……もう。凛さーん!」
シュワイヒナが言いながら、私に抱き着くと、テールイがすごく恐ろしい目をした。怖い。
「……シュワイヒナさん。今、私、とても後悔してます」
テールイの声は背筋が凍ってしまいそうなほど冷ややかだ。
「な、何を後悔しているの……?」
シュワイヒナの笑顔がひきつってる。
「ちょっと、シュワイヒナ。あとで好きなだけ抱きしめていいから、今は離れようか」
「そ、そうですね」
ちょっとだけ気まずい。しかも、どうやら、あとで好きなだけ云々の件がまずかったみたいで、
「そうですか。そうですか。好きなだけ、ね」
「テールイ、そんな感じでしたっけ」
シュワイヒナもちょっと困惑している。
「それよりも、今は――」
真っ黒な気配を感じ取る。
先程、私が生まれ落ちたその場所で、変化が起こっていた。
佐藤さん夫妻含め、全員がその異変を見守り始める。
黒く落ちた何かがその場に集まり、そして、どこからともなく、いや、おそらく、世界中から「闇」がその場へ集まり、一つになっていく。
私に与えられた試練。世界の滅亡を食い止めるための最後の戦い。
「麗奈さん。昭さんを連れて逃げてください。テールイとシュワイヒナも後ろに下がって」
「でも、凛さん――」
「これは私が決着をつけないといけないことだから」
「……わかりました」
黒い何かは、はっきりとその姿を生み出していく。
そう、それは。「私」
魔王、佐倉凛がその場に顕現した。
「ねえ、なんであなたがシュワイヒナの隣に立っているの? 出来損ない」
「あなたが本当に『私』なら、出会ってすぐ、出来損ないとか言わないと思うんだけど」
「だって、出来損ないでしょ? きれいな、凛」
「なら、あなたは汚い、凛?」
汚い――そう呼ぶのは少し心に引っかかった。
実際、私の目の前にいるもう一人の「私」は私本人よりも美しいと思う。
それは、ただ単に、妖艶な服を身にまとっているからだろうか。それとも、背中に生える真っ黒な翼が美しく見えているだけだろうか。
私はどっちも違うと思う。
目の前の、「私」は私を解放しているのだ。
「インフィニティメモリー。悪魔の記憶」
「悪魔の記憶、インフィニティメモリー」
私の固有スキル「インフィニティメモリー」は知っているマジックポイントに関する力を行使する能力。対して、悪魔の記憶は相手の能力を奪う能力だ。
どちらが強いかなんて明白。
だから、私は初手で相手の能力を行使して相手の能力を奪おうとした。それに対して、「私」も同じ思考をし、似たような行動をとった。
が、結果はどちらも不発。
「……私とあなたは同じであり、そして裏表ということ、か」
インフィニティメモリーと悪魔の記憶はいわばコインの裏表。したがって、互いに干渉不可能と言うことなのだろう。
これはいい情報だ。これで二つの能力にあった大きな差はなくなった。
すなわち、勝敗を決するのは単純な戦闘能力。どちらがどれだけ有効な手を打てるのか。
「始めようか。佐倉凛」
「……佐倉凛、ねえ」
私の声で、私の姿で、私の名前を呼ばれるのは少し癪に障るけれども。
「インフィニティメモリー」
「悪魔の記憶」
私対私。
決着をつけようか。
 




