第四十二話 天使顕現
「天使顕現」
大賢者が私に与えてくれた力。それが、今、この場所で発現しました。私の背中に生えたのは白い羽根。
天使は私でした。私が、天使となって顕現するのです。悪魔をこの世から駆逐するために。運命のしがらみにとらえられた愛する人を救うために。
私の背中に現れた真っ白な羽根を見て、魔王化した凛さんが口を開きます。
「シュワイヒナ。やめて、こっちにおいで」
「凛さん。こっちに来るのは凛さんですよ」
「大丈夫。シュワイヒナ。大丈夫だよ」
ゆらりと凛さんは手を上げました。そして、人差し指をまっすぐ私に向けて、言います。
「悪魔の記憶、ミリタリーオブデッド」
今、凛さんが殺したケダブさんの能力。一瞬のうちに出現した数多の死者の軍勢。
「テールイ!」
「わかってます! 本能覚醒」
しかし、それらはテールイの敵ではありません。いとも簡単に次々と屠られ、道が開いていきます。
「凛さん。救ってあげますから」
「私が、シュワイヒナを救ってあげるんだよ」
そう言った凛さんの腕全体から、真っ黒な、本当に真っ黒なものが噴き出しました。闇――全てを覆い隠し、何もかもをなくしてしまう力。
けれど、そんなの今の私には効きません。
天使の力を纏った私の体に触れる度、闇は消えてなくなっていきました。全て光によって打ち消されているのです。
「……もう。シュワイヒナを傷つけたくないのに。悪魔の記憶、エレキショック」
電撃。ネルべさんの固有スキル。さすがに受けるわけにはいきません。すんでのところで躱しつつも、どんどん凛さんとの距離を詰めていきます。
「ていうかさ、シュワイヒナ。その女、誰?」
「テールイです。大丈夫ですよ、凛さん、私が好きなのは凛さんだけですから」
「信用できないなあ! 殺さなきゃ! ブラッドシクル!」
瞬間、凛さんの手元に血塗られた斧が出現しました。そして、それを凛さんが思いっきり、振ると――
「テールイ、避けて!」
さすが、テールイ。獣人族最強は伊達じゃありません。
私の言葉に咄嗟に反応したテールイは目にもとまらぬ速さで飛んでくる赤い光線をさも当然のように避けきり、逆に凛さんのすぐ傍へと肉薄しました。
そして、打撃。渾身の一撃が凛さんのみぞおちに入ったように見えました。
が、
「そんなもん?」
凛さんはけろっとしていました。まるで少しのダメージも負っていないように見えます。
「あのね、テールイちゃんだっけ。みぞおちっていうのはさあ、こうするんだよ!」
「テールイ!」
音速にすら迫ろうというテールイの移動速度。それをもってなお、
「がっ……」
明らかに人の身で受けてはならない攻撃。あのテールイですら避けられない速度で繰り出された殴打は周りの何もかもを吹き飛ばしてしまいそうな衝撃波を巻き起こして、テールイを吹き飛ばしてしまいました。
そのままの姿勢で一瞬で吹き飛び、ただでさえぼろぼろになって崩壊しかけている王宮にクレーターを作って、テールイの体は止まりました。
私も駆け寄り、彼女の体を抱きかかえると、具体的に状況を記述するのも難しいくらいの重傷を背負わされていました。しかし、私の回復魔法ならなんとかできます。
ただ、今のこの状況は。
「なんで、その女を見殺しにしないの?」
回復魔法をかける私の下に凛さんが歩み寄ってきます。その様子は恐怖そのものと形容するほかありません。
やはり、本物の魔王。私の国を襲ったあの魔王のことを私はよくは知りませんが、おそらくそれよりもずっと、ずっと強いでしょう。櫻井祐樹すらも圧倒しています。ええ、今のこれすら本気ではありません。本気を出せば、この世界ごといとも簡単に崩壊させられる化け物。
それが、私の愛した人だったんでしょうか。
いいえ。違いますよ。
「凛さんはそんなこと言いません」
「言うよ。だって、今、こうやって私が言っているじゃん」
「あなたが、凛さんの何をわかるんですか?」
今、目の前にいる相手は私の信じた佐倉凛じゃない。
「迷惑なんですよ。私の凛さんの評価を地に落とさないでください」
「私を評価するような奴はみんな消すから大丈夫だよ」
「全部消して、私と二人っきりの世界、ですか?」
「そう」
「私は嫌です」
私は強く言い切りました。
私だって、昔はそんなこと考えていました。今だって、たまには思います。しかし、それじゃだめなんです。そう、私は気づきました。私は力ある者として、そして、シュワナ王国最後の王族として生を全うしなければなりません。それは、はたから見れば運命かもしれませんが、私にとっては違います。
私にとって、これは自分で定めた運命なのです。それを誰かに邪魔されるわけにはいきません。
凛さんと幸せになるためにも。
「私の凛さんを、返してください」
「私が、あなたの佐倉凛だよ」
「この期に及んでまだそんなことを言うんですか……!」
この魔王を、倒さなければなりません。
この命に代えても、とは言いません。だって、生きて幸せにならなければならないんですから。
「マジカルレイン」
光り輝く雨が降り始めました。これが、私の固有スキル。触れたらマジックポイントが回復するという効果があります。雨という形で出現するため、全体にかかってしまうのが、悪いところですが、今、私が相対しているのはマジックポイントを無限に持つ魔王です。その欠点はなしと考えていいでしょう。
テールイの傷は治しましたが、あれだけの重症でしたので、しばらく戦闘には参加できないでしょう。私よりもテールイのほうが圧倒的に強いですから、今のこの状況、かなり、向こうに分があるように思われますが、私には「天使顕現」、魔王特効の力があります。
「肉体強化」
私の肉体強化は練度が非常に高く、固有スキルを除いた人の身で出せる身体能力の限界地点にあります。しかし、それは私の肉体強度を度外視したものであるために、たった一度の行動で骨は砕け、肉は裂け、自滅してしまうのです。それを、全身に常に回復魔法をかけることで、防ぎます。そして、その分のマジックポイントをマジカルレインによって供給するのです。
痛み。
この一点だけを完全に無視すれば、ほぼ無限に最高練度の肉体強化をかけながら、戦い続けられる戦法です。
私は、一瞬のうちに凛さんに接近しました。
「悪魔の記憶」
瞬間、発生する違和感。
しかし、今更止まらずにはいられません。
私の狙いはただ一つ。「天使顕現」による魔王化の中和。
私の背中に生えていた羽根が凛さんを包み込みました。そして、その効果をみるみるうちに発揮していきます。
「……やめてよ。デリート」
凛さんはそう発言しました。その刹那――
「いっ……!」
私は咄嗟に中和活動を中断し、距離を置きました。さっきまで私がいたところを黒い光線が通り抜けていきます。
固有スキル。闇覚醒したランが発現させたものです。
その証拠に、黒い光線は王宮を次々と侵食し、崩壊させていきました。
廊下にひびがはいった。そう思った次の瞬間には王宮は崩れ落ち、私たちはそれに飲み込まれました。
意識が朦朧としていました。天から雨が降り注いでいます。
王宮は先ほど、凛さんが発した固有スキル「デリート」の効果によって完全に消滅してしまっていたのでした。
回復魔法をかけようと思ったその時、私は違和感に気づきました。
マジックポイントがない。
マジカルレインで回復していたはずです。それなのに、ないなんてありえません。
天よりの雨――そこに光り輝く雨は存在していませんでした。
「わからない? 私の悪魔の記憶は固有スキルを奪う能力。シュワイヒナ。今この瞬間、シュワイヒナの能力は消滅している」
「…………」
他者の能力を使うだけではなく、奪う力。
詰みました。
さすがにマジックポイントがからっきしの状態じゃどうしようもありません。近づくことができないのなら、中和作用を発生させられないのです。
その時でした。
「――佐倉、凛か」
現れたのは男女二人でした。そして、私はその二人に会ったことがあります。
「サトウ・アキラとサトウ・レイナ」
この国の王と妃。その二名がそこにそろっていたのです。
しかし、それは何の助けにもならないであろうことは目に見えていました。むしろ、犠牲者が増えるだけ。
「さっきは、ひどい目に合ったからな。ぶっ飛ばしてやるよ! 創造!」
アキラさんの手の内に鉄製の何かが現れました。それは、いつかの盗賊が使っていた銃なるものに酷似しています。
「悪魔の記憶」
が、それも一瞬で消滅しました。凛さんにその固有スキルを奪われたのです。
「――は?」
アキラさんが素っ頓狂な声を上げた次の瞬間、
「逃げてください!」
私の叫びは間に合いませんでした。次の瞬間には凛さんはアキラさんの顔面を蹴り上げていました。
テールイが受けたそれすらも格段に上回る衝撃波が巻き起こり、アキラさんは一瞬のうちに遥か上空へと吹き飛ばされ、落下しました。ぐちゃ、という気色の悪い音が響き、私は思わず目を背けました。
死んでしまったのでしょうか。あれだけの攻撃を受けて、まともに生きていられる人間なんてそういないでしょう。
それは凛さんだって、わかっているはずです。それなのに、
「水魔法極みトライデント」
追い討ちをかけようとしていました。
「やめてください!」
魔法も肉体強化も固有スキルも封じられた私ですが、それでも走り、凛さんの体にしがみつこうとしました。
それを凛さんは距離を取り、一旦はここから、離れます。
「私はこんなにもシュワイヒナに近づきたいのに、それのせいで、できないなんて困るんだけど。ねえ、シュワイヒナ。それ解除してくれない?」
「できません。これが、私の最後の希望なのですから」
後ろでうめき声がしました。アキラさんは、一応、まだ生きてはいるようです。しかし、もう戦えないでしょう。しかも、早く治療をしなければ死んでしまうかもしれません。
「じゃあさ、先に、この国、滅ぼしちゃおうか?」
世迷いごとにしか聞こえない一言も、今の凛さんが発せばあまりに現実味を帯びていて、背筋が凍りました。
「……わかりました。解除します。ですから、それはちょっと待ってください」
羽が消え、私の体は少しだけ軽くなりました。
そうして、私は凛さんの下へ歩いていきます。
「ありがとう。シュワイヒナ。ねえ、シュワイヒナ。私をだまそうとは思ってないよね?」
そう言って、凛さんは髪をかきあげました。
「見透かす目」
アンさんの固有スキル。相手の考えていることが分かる能力。
「……ふふ。そうやって、私に近づいてその天使の力で一気に中和しようと。シュワイヒナ、そんなこと考えるんだ。かわいい」
そう言って、凛さんは微笑みました。
「しょうがないからさあ、その力、消しちゃおうか」
そう言った途端、凛さんの全身から「闇」が噴き出しました。
「ちっ……天使顕現」
私の背中から、天使の羽が出現し、それが私に向かってくる闇を次々消していきます。
「ああ、なるほど。大賢者、あいつが作った力なんだ……消さな――え?」
突如、攻撃が止まりました。そして、凛さんは自らの身体をぺたぺたと触って、何かを確かめています。
好機。
一気に接近し、凛さんの体を羽で包み込みました。確かに凛さんの身体から闇が失われていきます。
「……なんで。何が起きてるの」
そう口走りながら、凛さんは一切の抵抗をしてきませんでした。
確実に、凛さんの中で何かが起こっている。そして、それは本当の、私の信じた凛さんによる抵抗なんだと私はそう、感じました。
「シュワイヒナ!」
その声は、私の脳みそに直接、響き渡り、それは高速で私の全身を駆け巡り、今の私に必要な全てを考えさせ、私は、気づきました。
「凛さん!」
手を伸ばす。あなたのために。凛さん、私の信じたあなたのために。
世界の滅亡が、今、この手で止められる。
凛さんの身体を覆っていた闇は次々と砕け、風に飛ばされる砂のように消えて行きました。
そうです。今、ここにいるのは魔王ではありません。悪魔でもありません。
救世主が再度、この世界に生まれ落ちたのです。
 




