第三十八話 リデビュ島
鬱蒼と茂る森の中を、黄色い髪の少年が走っていた。
「俺に、追いつくだなんて、一生無理だよー、だ。ベー」
そう言いながら、笑う少年だが、その心には少し焦りがあった。
櫻井祐樹と会敵すれば、終わり。自分の一生はたった一瞬で消し飛ばされてしまう。その前に、逃げ切らなくちゃいけない。
「エレキチェンジ!」
奥の手。彼の固有スキルだ。
電気を操る能力を持つ彼は電気そのものとなれる。空気を引き裂き、無理矢理、進んでいけるのだ。
「じゃあね!」
笑いながら、ネルべ・セイアリアスはどこかへと消えて行った。
ネルべがわざわざ危険な場所に出てまで、街に繰り出したのには理由がある。リーベルテで祐樹の圧政に対し、反乱を起こし、即鎮圧され、数人の仲間とともに逃げ出した少年を救いに来たのだ。葦塚桜さんにも来てほしかったが、赤ん坊の世話で忙しいらしく、簡単には動けないらしい。それでも、途中までは彼女の固有スキル「ワープ」によって送ってくれた。
エリバ。
それが少年の名前。まだリーベルテという国が存在していたころ、シュワナ王国からの刺客として、リーベルテにやってきた。佐倉凛のおかげもあって、祐樹の下を離れ、リーベルテで暮らしていたのだが、戦争により、リーベルテは敗北し、シュワナ国王祐樹は、リデビュ島全土をその手に収め、その影響で苦しい生活を余儀なくされ、勝ち目のない戦いを起こしてしまったのだという。
彼の固有スキルは「チェンジ」。ある二つの対象について、それらの場所を入れ替えることができるという能力だ。シンプルで強力。だが、最強の能力を持つ祐樹には全く歯が立たないし、それどころか、配下のカリア、シトリア、アリシアの三人にすら劣るだろう。
カリアの固有スキル「ヘイトマジック」の効果は能力の無効化。
シトリアの固有スキル「コネクトハート」の効果は他者の五感の支配。
アリシアの固有スキル「チェイスアロー」の効果は必中の矢を放つこと。
どれも強力だ。エリバの力では全く適わない。
「俺なら、行けるんだけどなあ」
ネルべはそう思う。カリアはまだしも、それ以外ならネルべは勝てる。それだけネルべは強い。それは他者も認めるところだ。
「……にしても、ひでえ」
農村は貧困にあえいでいた。戦争を進めた祐樹はお金の工面をお金の生産という形で解決しようとした。当然、それがうまくいくわけもなく、一円の価値は暴落し、リデビュ島全土に貧困の波をもたらした。
それでも、圧倒的力を持つ祐樹には誰も逆らえない。最近は、少しは自分の政策の失敗に気づいたみたいで、大陸から招待した頭のいい政治家にいろいろ頼んでいるらしい。そいつはそいつで金にがめついらしく、やっぱり腐ってんなあなんてネルべは思う。
英雄、佐倉凛。
ネルべはそんなことは起こらないと確信している。桜さんによって、大陸へと送られたシュワイヒナ・シュワナと佐倉凛だが、こんな地獄みたいな場所、普通はわざわざ戻ってきたりしないだろう。戻ってくるとすれば、よほどのいかれた野郎くらいだ。
シュワイヒナ・シュワナなんて元々はシュワナ王国の王女だったくせに、そんな感じは全然しない、凶暴な奴だし。戦い方も常軌を逸している。
「俺も逃げ出したいけど……」
けれど、希望はある。
それが、葦塚湊の残した子供だ。きっとあの人の能力を引き継いでいれば、まだ可能性はある。
レベリングコントロール。
それが、葦塚湊の持っていた固有スキル。相手のレベルを操作するというずるい能力だ。湊はそれを後から、祐樹に上書きされて、負けてしまったけれど、祐樹の力を知っている今なら、あるいは。
といっても、遠い話。まだまだ湊さんの残した子供――海輝は一歳にも満たない。その間、自分たちは長く厳しい生活を強いられることになる。
ネルべにとって、それは何よりの憂鬱だった。何が悲しくてこんな人生を送らねばならないのだろうか。すべては祐樹がこの世界に転移してきたこと、いいや、すべてはシュワナ王国に「魔王」が現れたのが悪いんだ。自分は何も悪くない。
けれど、悪くないのは他の人だって一緒だ。自分だけがひどい目に合っているわけじゃない。それならば、せめて命だけでも救っていかなくちゃいけない。
「こんちは」
街を抜け、ついたのは小さな家だった。ここに、エリバと、もう二人。
ボブラとラン。
ボブラ、ランともに固有スキルは「ザ・ストライク」。対象の内部を攻撃する光線を放つという能力だ。
ランはルンという双子の妹とともに、シュワナ王国に洗脳され、リーベルテを襲った。その戦いにはネルべも関わっていた。ルンが死に、闇覚醒したランを止めるために、ネルべは自信の電撃でランの記憶を消した。その後、その身柄をリーベルテに住んでいたランの父親ボブラが引き取ったのだ。
その親子がエリバをかくまっているという話――というか予測だ。身を寄せれる場所があるとするならば、彼らだろうとネルべは思っていた。というのも、二人は特に目立つような生活を送っていないし、固有スキルを日常的に使っているわけでもない。二人は特に目をつけられることもなく、暮らしていたのだ。
「……誰だ?」
「ネルべ・セイアリアスです。まあ、祐樹への反乱を企てている人だと思ってくれれば」
「……ネルべ? ああ、わかった。中で話そう」
多分、こうして出てきてくれた人がボブラ。
「何しに来たんだ?」
「エリバっていますか?」
「ああ」
「……彼の様子は大丈夫ですか?」
「今のところはな。ここにエリバがいるという情報が向こうに回っているという風には聞かない」
「それなら、いいんですけど」
行って損した。特に問題がないなら、放置で良い。問題なのは誰かを失うこと、それだけだ。
「とりあえず、やばそうだったら、俺たちを頼ってください」
「頼る? どうやってだ」
「シュワナ王国とリーベルテの旧国境になっていたあの森、わかりますよね。あそこに俺たちの隠れ家があります。そこまで来てくれれば」
そう言って、地図を渡す。
「わかった。ありがとう」
「では、失礼します」
帰って、報告。
「やっぱり、エリバはボブラのところにいるみたいっすよ。もちろん、ランも一緒です」
「そうか、安全なんだな」
「はい」
アンはため息をついた。
アン・インカ―ベルト。固有スキル「見透かす目」。相手の考えていることを見通せるという能力だ。索敵にも使えるから、優秀ではあるが、もちろん戦闘には不向き。
「いつまで、これも続くんだろうな」
アンの漏らした言葉にネルべは共感する。が、あんまり気にしちゃいけない。
「英雄、か」
「英雄の帰りを待つだけじゃあ、ダメだ。俺たちも手を打たなくちゃいけねえ」
アンのつぶやきに対して、そう言ったのはライン・アズベルト。
固有スキル「ビーストモード」は獣の姿になれるという効果を持つ。一応、ここにいるメンバーじゃ一番の怪力。
「ミルア、だっけな。あいつは祐樹陣営についているんだろ」
「ああ」
ミルア。催眠効果のある空気を操る固有スキル「キュートブレス」は強力だった。元から、祐樹陣営についていたが、やっぱり、向こうにいる。
「祐樹陣営、女の子多すぎだよねえ」
そう言ったのは赤く、短い髪を持つ少女、ランリスだ。固有スキルは持たない。
ネルべは彼女の笑う姿を見ると、どうしても頬が緩んでしまうのだが、それはまた別の話。
「…………」
端っこの方で一言も喋らない少年が、アスバ・アイス。固有スキル「アイス・ダンス」は氷を操る能力だ。
元から、喋らない少年だったが、戦争で、自身の手で自らの父を殺めて以降、いっつも、あんな感じで、放心状態でいる。ご飯くらいは食べるけれども。
残りのメンバーは兵士が数名。
実際、ここでの生活は精神がすり減る。もうそろそろ慣れてきた頃合いだが、慣れたからいいってもんじゃない。
「桜さんは、どこにいるんだよ」
「外で海輝をあやしてる」
「……まあ、そうだよな」
赤ちゃんには厳しい環境だし、外に行くしかないのはまあわかる。
桜は魔王の襲撃で崩壊した村に半分くらい住んでいる。祐樹が農村開発の一環で、そこにも手を伸ばそうとしているらしいが、向こうは桜の顔を覚えていない。だから、紛れることもできるし、桜には固有スキル「ワープ」がある。
知っている任意の場所に移動できる能力。逃げには持って来いのチート能力。
まあ、今のところ、葦塚家の子供が無事育ってほしいというのが、ここに住む皆の共通の願いだった。いつだって、若者は希望となる。そう信じている。
死んでいった人たちのためにも。
戦争でネルべたちは多くの仲間を失った。その中でも、名前を挙げるのなら、以下の三人。
葦塚湊。
ファイルス・リスタ。
リブル・スカイイア。
湊の固有スキルは先ほど説明した通り。
ファイルスの固有スキル「ペイン」は痛みを強さに変換するという能力だった。それを駆使して、祐樹と戦ったが、殺された。
リブルの固有スキル「ポイズンボディ」は毒を作り出したり、毒に対する抗体を作ったりする能力。湊を殺した祐樹は真っ先にリブルを殺した。
むしろ自分たちが生き残っているのが奇跡。そう、ネルべは捉えている。だから、その命を無駄にしたくはない。
ネルべが湊の子供に希望を託したいのには理由があった。話はネルべが湊と初めて出会った時に遡る。
ネルべに両親はいない。物心ついたときにはもういなかった。おそらく、捨てられたのだろう。それから一人でずっと生きていた。
苦しくはない。自分には最強の固有スキルがある。これさえあればみんな自分に悪いことなんてしない。
ネルべは孤児院にいた自分に意地悪をしてくる少年を殺しかけた。力の出し方を一歩間違えれば、簡単に人を殺してしまえるような能力。それを振るったネルべは悪人だった。
自分を刺すような目が痛くてたまらなくて、ネルべは孤児院を飛び出した。
罪悪感を初めて感じた瞬間だった。力があっても、人を幸せにするために使えない。お前はいらない人間なんだって、突き付けられたみたいで。
逃げ出したその先、小さな村で、ネルべは一人だった。
この国は最悪だ。海の向こうのリンバルト王国との戦争で大敗して以降、この国の住民は苦しみ続けていた。
そう思っていた時だった。
「ネルべ、私のところに来ないか?」
黒い髪の黒い目の男だった。その時、ネルべは運命を感じたのだ。
自分を救ってくれた湊を殺した祐樹が許せない。それに、湊の子供だけは絶対守り抜いて見せる。
そういう覚悟も、圧倒的力を前にして意味を為さない。
「英雄、か……」
もし、本当に、佐倉凛とシュワイヒナ・シュワナが戻ってくるとしたら、その時はこの生活も終わるのだろうか。期待しても、良いのだろうか。
「佐倉凛は必ず、戻ってくる」
アンはいつだって、そう言い切る。その言葉にネルべはついつい反論したくなるのだが、けれど、ネルべにそんなこと言う資格はないと、彼はそう思っていた。
第一に、ネルべは凛のことを良く知らない。一緒に戦ったことはあるけれども、たったそれっきりじゃあ、人柄まで詳しく掴めない。その分、アンは凛に剣を教えていたというだけあって、それなりに彼女のことは知っているのだろう。
ネルべが凛について知っていることと言えば、シュワイヒナと恋愛関係にあるということだけだ。ネルべの頭には凛よりもシュワイヒナのほうが残っている。シュワナ国王女にして、魔王の侵略を一人生き延びた化け物。
むしろ、彼女が救世主と言われたほうが自然だ。けれど、ネルべも凛が祐樹の攻撃を弾く瞬間を見ている。
だから、もしかしたら、本当に凛は英雄として――。
「んなわけねえや」
希望的観測。期待はしない。裏切られた時に、きっと辛くなる。悲しくなる。やっぱり普通は逃げるはずだ。
だが、結局のところ、全く動きようがないというのが、現状だった。
 




