第三十六話 竜王
「話が聞かれないように、ですね」
「話が早くて助かる」
私たち二人は移動した。誰の目にもつかないような荒れ果てた路地裏。そこで、彼はフードを外す。
端正な顔立ちをしている。整った鼻筋に、横に細い目。けれど、獰猛さが隠しきれていない。笑えば、鋭い八重歯がむき出しになる。顔全体が少しだけ細目に作られていることや、髪の毛がとがっているのもそういう印象を与える要因の一つかもしれない。
「佐倉凛だろ。あのオオカミを連れているんだし」
「……そういうあなたは竜王山にいたドラゴン、ですか」
あの大賢者の使者を名乗るオオカミには後をつけてもいいけれど、目立たないように距離を置いて身を隠しながらにしてほしいと頼んでいる。それが分かったと言った時点で、目の前にいる男を私は完全にドラゴンだと断定した。
「そうだ、俺が、竜王だ」
自らを竜王と言い、その八重歯を覗かせた。
「モイメって名前の女、知ってるだろ?」
「……はい」
大陸に来た頃、最初の村で出会った少女。優しくてかわいらしい人だった。よく覚えているとも。
少しだけ思い出を振り返っていたところ、鎌みたいな言葉が私の心を抉り取った。
「そいつが、大賢者を殺した」
「…………」
声にならなかった。あの、モイメさんが大賢者を殺した? そんなはずがない。あの子に人は殺せない。それくらい優しい子だったはずだ。なんで。
「シュワイヒナ・シュワナとテールイ。竜王山頂上に大賢者に連れられてその二人とモイメはやってきた。そして、ひとしきり話をした後、モイメが大賢者を刺した」
「…………」
「大賢者は抵抗しなかった。すぐに大賢者は果て、俺は大賢者を殺したモイメを怒りに任せて食った」
「…………」
「シュワイヒナ・シュワナとテールイはそのまま逃げ、俺は一人ぼっち。なんだ、これ」
「……」
「わかるか、なんでモイメが大賢者を殺したか?」
「……わかりません」
何もわからない。シュワイヒナはやはり大賢者に会った。そして、目的を達成したのだろうか。ただ、テールイって誰だ? いや、今はそれはいい。モイメが大賢者を恨む理由なんてないはずだ。なぜ、モイメは……。
「簡単だよ。神の現実介入だ」
「……」
「性格を変えたのではなく、記憶をねじ込んだ。または強迫観念だな。意思が弱かったり、存在がゆらいでいたりすると、簡単に付け込まれる」
突然、人が変わったみたいになった葦塚桜さんのことを思いだす。
私を大陸に送ったあの行動は、今思えば神のシナリオ通りだったのではないだろうか。大陸で私を魔王化させて、世界を滅ぼすための。
あの時の桜さんは湊さんを亡くしたばかりでそれこそ意思が弱かった。だから、神の精神侵略を許した。
「……それで、あなたの目的はなんですか?」
「あ?」
切り返す。
「私にわざわざ説明しに来たってことは、私に説明して得があるってことですよね」
「……まあそりゃあそうだな。ああ、俺の目的も教えてやる。いや、むしろ本題はそっちだ。お前に手伝ってほしいからな」
一拍置いて、竜王はまたもや衝撃の一言を発した。
「神の息がかかった転移者、その全滅だ」
その言葉を完全に理解するのに、いや、受け入れるのに時間がかかった。
だって、この言葉を真正面から受け止めれば、それはすなわち、私を殺すってことじゃないか。
「そこでだ。佐倉凛。お前に頼みがある」
思わず身構える。ドラゴンに、竜王に私がたった一人で対抗できるのか?
いいや、対抗しなければ私が死ぬんだ。
「そんなに怖がるな。なーに、お前を今すぐに殺すというわけじゃない」
それから、また一拍置いて。
「佐倉凛。今、お前の仲間になっている四人の転移者、全員を殺して自殺しろ」
「……何を言っているんですか」
自殺しろと言われて、はいそうですか、じゃあ死にますだなんて言えるわけないだろ。しかも、仲間を殺せだなんて、私には絶対にできない。
「もし、お前がそれができないなら、この国ごと、お前らを潰す」
私たち五人の命と天秤にかかるのは、この国。
「一択、だろ」
何も言えない。今、目の前にいる敵は間違いなく、この国を潰せるだけの存在。それに抗うのはあまりに危険すぎる。しかし、かといって、簡単に死ねるか。
「気づいたんだよ。あのなあ、神はこの世界にとっての悪だ。そんなやつが力を持つ転移者を操ってみろ、世界が滅ぶ。そんなの止めなきゃいけねえよなあ」
「…………」
「お前だって、世界が滅ぶのは嫌だろ? じゃあ、死ね」
「…………」
今、私一人じゃ、ドラゴンの相手はできない。
逃げ道は――
「今すぐに自殺を決断できるような人間じゃありません。ですから、一週間後、町はずれの森で返事をします」
頬をつーっと汗が滑り落ちた。表で聞こえる喧騒も遠くに思えてくる。
「わかった。一週間後、お前らがいる場所に行ってやる」
そう言って、竜王はにやりと笑った。
「いいぜ、一週間くらい気長に待っててやるよ。なんてたって、俺は竜王だからな」
「ありがとうございます」
そう頭を下げると、竜王はまた、フードをかぶり直し、路地裏から出ようと歩き出した。
ほっと一息をつく。とりあえずは逃げおおせた。あとは、どう倒すか――。
と、いきなり竜王は歩みを止め、振り返った。
「せいぜい、一週間、頑張れよ」
獰猛な笑みを見せる。それからは、人ごみに紛れて、どこかへと行ってしまった。
私はというと、
「…………」
何も言えず、その場に座り込んでしまった。
見抜かれている。私がわざわざ町はずれを指定した意味。そこで私たちが竜王を奇襲しようと、私は考えていた。それを見抜かれていた。
だから、「お前ら」か。
あれに、私たちが勝てるのか? チート能力ぞろいの味方なのに、倒せるビジョンが全く浮かばなかった。
けれど一週間で無理矢理にでもひねり出さなくちゃいけない。
なんだか、寿命が縮んでいるような気がした。
敗北は許されない。私だけが生き残っても意味はない。全員生存。それだけが私たちの勝利条件だ。
「竜王と会いました」
私はあったことを素直に報告した。それから、
「一週間後に、森で奇襲します。そのための作戦をある程度考えてきたので、みなさんとのドラゴンとの戦闘経験をもとに、作戦を洗練させていきましょう」
「……一週間、か。もうちょっとなんとかならなかったのか?」
ドライさんが言う。そこで、天上翔真さんが
「いたずらに長くしたって意味ないだろ」
と言う。それから続けて、
「早く、その作戦を話せ」
と急かしてきた。言われなくてもわかっている。
「とりあえず、仮の案ということで、お願いします」
と断っておいて、
「まず、初動はドライさんとファインに担当してもらいます。人間形態の竜王に対して攻撃を仕掛け、本体をおびき出します」
ドライさんの吸収魔法により、主導権をこちらが握り、ファインの炎魔法の攻撃力で一気に攻め切る。
「次に、ドラゴン本体にレインの水魔法、私、アドニスの風魔法、メイの炎魔法で攻撃を仕掛けます。敵を錯乱するためにラングスにはゴーレムを出現させてもらって、敵がどこから攻撃すればいいか、わからないようにします。また、この際にどこかで命の危機が生じた際に、天上翔真さんの固有スキルで時間を止めて、救命をしてください。また、アネモネは後方待機で、回復と他に人が近づかないようにしてもらいます」
攻撃力の高い魔法を使える私、レイン、アドニス、メイは森で身を隠しながら、攻撃を行う。また、ラングスは錯乱、天上翔真さんとアネモネは支援を担当する。
「ここで、天上美月さんの出番なんですけど、いいですか」
「なに?」
少々、言葉にとげがこもっているような気がする。気にせず話を進める。
「美月さんの能力はマジックポイントを人から人へと移せる能力なんですよね。それで、私の無限大のマジックポイントを魔法を打つ人に移してください」
「えっ、どう――」
「待て」
美月さんの言葉を遮って、瀬戸雄介さんが口を出す。
「無限大のマジックポイントだと、どういうことだ?」
「私は魔法構造が二つあります。その片方に無限大のマジックポイントがあるんです」
「魔法構造? なんだよ、それ」
「魔法を打つのに必要な機関です。それで使える魔法属性が決まります」
「つまり、お前は魔法を二つ使えると」
「風魔法と回復魔法です。けれど、後者は自発的に使えません」
「なぜ、自発的に使えない?」
「わかりません」
質問攻めが続く。瀬戸さんの私を見る目が、前をもう忘れてしまいそうになるくらい、違うものに変わってしまっていた。
「もう瀬戸さん、話しいいですか?」
そう言ったのは美月さんだ。
「私も話したいので。佐倉。私は認識ができないマジックポイントを操作できない。そして、私はあなたのマジックポイントを認識できない。本当に、あるの、無限のマジックポイント」
「魔法が行使されれば、認識できるんですか?」
「ええ、そうよ」
「じゃあ、見といてください」
別に、悩むほどのことでもない。
服の袖をたくし上げ、二の腕を露出させる。
「できるだけ、大規模にマジックポイントを行使させたほうがいいですよね」
「それは、そうだけど……。何をする気?」
「二の腕に剣を刺します」
「は?」
天上翔真さんが口を開く。
「おいおい、女の子が自分の体を傷つけるなんて絶対にやっちゃいけないことだよ」
「だから、なんなんですか。別にあなたが傷つくわけじゃありませんし、私は傷つきませんから」
「だからって……」
「とりあえず、汚したら悪いので、外の路地裏に行きましょう。美月さん。あ、見たい人は見たい人でどうぞ」
メイの話によれば、私の痛覚はショック死を避けるために多少、鈍くさせられているらしい。もちろん、痛いのは嫌だけど、作戦のためだから仕方ない。
美月さんと二人で、外に出ると、天上翔真さんが後を追って、やってきた。
「お前と僕の大切な人を二人っきりにするわけにはいかない」
らしい。信用されてないのかな。
「翔真君……」
そこ、キュンってするな。
「では、しますね」
奇異の視線に晒されるのは嫌なので、人目のつかない場所を選んだ。
そして、さらけ出した二の腕に剣を突き刺す。
鋭い痛みが走った。直後、血が噴き出し、少しだけクラっとする。やっぱりあんまり慣れたくない。
「どうですか」
傷は塞がり始める。回復魔法が自動で発動している。みるみるうちに血は止まり、もとのきれいな肌になった。
「マジックポイント、わかった?」
「……はい」
それは良かった。さすがに私といえ、何度も自分の体を痛めつけるのは好きじゃない。
「じゃあ、戻ろうか」
そう言って、さっさと戻って話を進めようと動いた時、
「待て」
天上翔真さんが私を引き留めた。
振り返り、彼のほうを見る。暗い夜。しかも路地裏。彼の表情は、見えない。
「いや、なんでもない」
じゃあ、なんで引き留めたのか。
でも、まあ何もないなら、それに越したことはないか。
部屋に戻り、話を進める。
「あとは簡単です。どこかで隙を作り、相原絵里さんと、瀬戸雄介さんにとどめを刺してもらいます」
相原絵里さんの固有スキルでドラゴンの動きを止めれば勝ちだ。すべてはその一瞬のためにあると言っても過言ではない。
そして、そこに瀬戸雄介さんの「勝利の剣」が効果を発揮する。相手を確実に切り落とす特殊効果は、とどめを刺す能力としてはもってこいだ。
けれど、問題が一つ。
「ドラゴンにレベルの概念があって、俺よりも高かったら、って話だろ」
「はい」
「怪しいな。魔獣にレベルという概念があるのかどうかは、わからない」
「そこなんですよね……」
「もしもの時の策を考える必要があるな」
ドライさんが言う。全く持って、その通りだ。
「その前に」
手を挙げ、発現したのは天上翔真さん。
「僕は一つ、提案がある」
良い感じの案でもあるのだろうか。そのような私の期待を裏切る一言が飛び出した。
「僕は、悪魔とは手を組めない。佐倉凛」
 




