第三十二話 閑話
「どうやら、大賢者様が亡くなられたらしい」
その後、ユフライから発せられた一言に一瞬で空気が凍り付いた。
大賢者様と言えば、シュワイヒナが私のために会いに行っている相手だ。その彼が死んだなんて……。シュワイヒナに会った後だろうか、会った前だろうか。そして、一体、何が原因で亡くなったのか。
「それゆえに彼が縛り付けていた頂上の竜王が動き始めた。麓におり、辺りを食らいつくしているらしい。そこで、君たちに討伐任務を与える」
ユフライは満足そうに笑った。
間違いない。こいつはドラゴン討伐を私たちにさせて、向こうの国に恩を売ろうとしているのだろう。
あの時、フレイムに対して感じた恐怖。ドラゴンは相手してはならないと悟った。けれど、もしかしたら、この八人なら、それも倒せるかもしれない。そういう期待がある中、同時に誰一人として欠けさせてはならないという使命感もあった。ここで安易に承諾して仲間が死ぬのはいけない。
「既にアイタリアとテラムスアは休戦協定を結び、この未曽有強敵に対抗するために行動を開始している。しかし、おそらく彼らでは勝つことはできないだろう。現に、大量の死者が出ている。君たちが行かねばならない、というのは言わなくてもわかるな」
釘を刺された。
断れない。私たちが行かねば死者が増え続けるという事実が私の胸を刺す。
「わかりました」
「というわけで、一週間で装備を整えて、出発することにする」
そう、私は計画し、発表した。異論はなかった。
相当な長旅になることが予測される。それだけ準備も入念にやっておきたいというものだ。もし一週間で足りなかったら、一応出発は延ばすつもりだけれど、期限を設定しておいた方が、やる気がでるっていうものだろう。
もちろん、竜王山麓までの最短ルートを通る予定だ。難所はモルト山脈。通称、光のない山。ほとんど陽の差さない森が長く続いている地域になる。凶暴なオオカミが多数出現するというから、非常に危険な区域だ。けれど、ここを迂回すれば向こうにつくまでの日数がかなり変わることになる。それの方が大きな問題だし、このメンバーなら余裕だろうということでここを通ることにした。
あとは――。
考えなければならない問題は山積み。
私は自室でためいきをついた。
買い出し。みんなで話し合った結果、私はアドニスとアネモネとともに王都で食料と馬車の調達をすることにした。モルト山脈を通るにあたり、一人一頭の馬では迷子になったり、離れ離れになったりしてしまう危険性があるということで、大きな、そしてできるだけ速い馬車を調達しなければならない。
「先輩とアドニスと三人だけって初めてっすね!」
「せんぱーい!」
なんだこの二人。こんなキャラだったか? 私の記憶に存在しないというか、そもそもこの二人に関することで覚えているのが少なすぎる。遅れて入ってきた二人だから、私たちのことを先輩と呼んでいるのだけれど、もう一緒になって長いこと経つのだから、先輩だなんて言われるのは少し歯痒い。
アドニスなんて抱き着いてきた。私のタイプではないが、かわいらしい子だとは思う。私のタイプじゃないが。
「せんぱーいって」
滅茶苦茶甘ったるい声を上げながら、上目遣いで見つめてきた。こういう仕草っていつでも刺さるものだけれど、作り物感が強すぎる。
「好きな人とかいるんですかぁ」
聞いてくることが強すぎないか? そんなに深い仲じゃないだろ、私たち。こうやっていきなり距離感を詰めてくるの、いくら、必要性に駆られて、コミュ障も改善してきた私といえ、少し刺さる。この間のメイの件があるし。
「いるよ」
でも答えた。適当にはぐらかすのもなんだかなーと思ったからだ。
「どんな人なんですかぁ」
なんでこの子はいちいち喋るたびに空気を色っぽく吐こうと頑張っているのだろう。何がしたいのか。
「それは教えられない」
ここが上限だろうと思っていた。さすがに自分の彼女のことなんてそう簡単に話したくない。
「ええー、なんで教えてくれないんですかぁ」
面倒になってきた。
「そういうアドニスは好きな人いるの?」
「いますよー」
「誰?」
「誰だと思いますかぁ?」
「ええ、わかんないなあ」
「もうー」
なんだこの会話。急に恥ずかしくなってきた。逃げ出そうかな。
「もう、朴念仁ですか」
「なんで?」
すごく悪口を言われた気がする。ひどくないか? なんで私が悪口言われなくちゃならないんだよ。自分の発言振り返っても、悪いところないだろ。
「ねえ、アネモネ」
「……俺はお前も悪いとは思うけどな」
「なんで、私が!」
「いいか、俺が恋愛とは何か教えてやる。心して、聞け。アドニス」
お前、まだ十五にもなってないだろ。なんで、恋愛マスターみたいな口ぶりをしているのか。
とは言わず、黙って彼の発言を聞いていた。
「まずな。恋愛っていうのは相手にちゃんと自分をわかってもらうのが大事なんだ。仮初の自分を作って、それで何とか付き合えたとしても、それは本当に好きになってもらったってことじゃねえ。長続きしねえぞ。お互いに歩み寄り、自然と手を取り合える。そんな関係が理想なんだ」
アネモネはそこまで喋って、満足そうにうんうんと頷いた。得意げな顔だ。なんか、かわいらしいなって思った。
「そういうアネモネは恋人いたことあんの!」
「えっ、え……い、いるさ。いたぜ、すっげえかわいい子がよ!」
いなかったな。案の定。いや、案の定とか言ったら、失礼か。
アネモネはしばらく、アドニスと目を合わせないようにしながら、空のかなたを眺めていたが、アドニスがジト目で見つめ続けるのがついには耐えられなくなったようで、
「わ、悪かったな! でも、いいだろ。俺にだって、理想を語る権利くらいあるはずだ!」
「実行できるとは限らないけどね」
「……それは」
「そもそも、恋愛なんて簡単だよ。いくら仮初でも好きになってもらえれば勝ち。あとは脅しでもなんでも、やりようはたくさんある」
アドニスさん、発想が恐ろしすぎやしませんか。
「お前、そんなの本当の恋愛って言えるのかよ……」
対してアネモネ君は純粋すぎる。君のような若者はこの世にいっぱいいたほうが良いと私は個人的に思うが、はて。
「隊長はどう思いますか!」
「へっ?」
いきなり私に話題を振られるもんだから、びっくりした。
「僕は……アネモネ君に賛成かな」
「ですよねえ」
「おい」
なんでアネモネに賛成って言ったら、アドニスが喜んですり寄ってくるのか。意味がわからない。前後の論理性、破綻したが?
「それはそうと、もうすぐ到着だよ」
こんなペースで二人は話し続けるものだから、私はもうだいぶ疲れた。人数が多くなると途端に口を開く回数が減る二人だから、正直、ずっとそうであってほしいと思う。なんだかテンションが私とは合わない。
「わーい!」
アドニスがはしゃぐ。そんな喜ぶことか?
「とりあえずはユフライのところに行って、馬車を調達してくれないか聞いてみようか」
で、結果から先に言うと、王都外れにある馬小屋に千里どころか二千里、三千里を行く名馬があるらしい。その馬と王宮が保有している馬車を使えばよいだろうということだった。果たして馬車に適応できるのかと尋ねたら、前に遠方まで行ったときに実際にお世話になったから、大丈夫だろうということらしい。
というわけで渡された地図をもとに三人でそこに向かった。
「……なんだ?」
随分と人相の悪いおじいちゃんだった。じろりと私たちのほうを睨むと、
「用事なら早く言ってくれ」
と言われたので、
「対固有スキル使い用ユフライ様直属少人数制特殊部隊隊長リクと言います。竜王山のほうへドラゴン退治に行くことになりました。私たちに馬を貸していただけないでしょうか」
馬鹿長い正式名称さんよ。
「いくら出す?」
「とりあえずこんな感じです」
ユフライからもらっていたお金を見せる。
「ほほう、あの男もこれだけ出すのか。相変わらず豪勢やっちゃろのー」
私もこの辺りに住み始めてまだまだなので、あまりお金の感覚にも慣れていないが、そんな素人目の私からしても多いと思う。ユフライには金の感覚がないのか? それとも事を重大に見ているのか。
「ええ。ええ。うちの大事な子、もらっていき。ちゃんと元気で返せよ」
最後の言葉はとても力強く聞こえた。きっと、すごく大切な馬なんだろう。
それならば、私もそれだけの誠意をもって応えねばならない。
「もちろんです」
強く言い切ると、おじいちゃんは私から目を背け、帰るように手を払った。
馬車の用意もできて、私たちは帰路についた。帰ったら、二日休んでその後出発だ。正直ハードスケジュールだとは思うけれども、まあ仕方がないとは思う。受け入れるほかない。
「はっはーひっれえ!」
早速馬車の乗り心地を試しているのだが、アネモネ君がやけにはしゃいでいる。どうした?
「ちょっ、先輩、そんな怖い顔しないでくださいよー」
あんまり私がジト目で見つめるものだから、怖がられてしまった。でも、こいつなにやってんだって思うことはあるだろう。しょうがなくないか?
「先輩もテンション上がんないんすか! こんなに広いんですよ」
「…………」
「だから、その目怖いっすって」
いうほどか?
「そんな先輩もかっこいい!」
お前はなんなんだ、アドニス。
「先輩、ここを二人の愛の巣にしましょうね」
「は?」
「冗談ですって、そんなに強めに言わないでくださいよ」
だって、なんとなく言い方が、がちっぽかったし。
「それはそうと、二人とも休み、二日で大丈夫だった?」
「余裕っす」
「大丈夫ですよー」
元気だなあ。
「対ドラゴン。自信ある?」
「そうっすねえ。俺にできることはみんなを治してあげることくらいな気もしますけど」
「私は……」
アネモネは的確に自分の役割が見えているらしいが、アドニスはどこか自信なさげに俯いた。
「……アドニス。何が不安?」
「その……」
「いいよ、なんでも話して」
「私、所謂、必殺技みたいなのないんです」
「必殺技?」
「はい。私は今まで体術でなんとかしてきた節があるんですけど、」
とてもそんなふうには見えない。確かに人は見かけによらないし、戦闘も弱いと思っていた相手がめちゃくちゃ強かったりするものだから、一概には言えないけれど、それにしては体術なんて向いてないくらい小さく見えるし、筋肉もほとんどないように見える。
「でも、ドラゴン相手だとやっぱり魔法が使えたほうが得ですよね」
「……まあ、そうだね」
「だから、先輩。私に風魔法を教えてください!」
そう言って、アドニスは勢いよく頭を下げた。あまりの勢い良さにずっこけてしまいそうなほどだ。
「……僕に、風魔法を?」
「はい。確か、先輩。イーリアの英雄って言われているんですよね。風魔法で敵兵をすべて吹き飛ばしたとかいう」
「……ああ、確かにそう言われてるけど」
「ってことはやっぱり先輩、風魔法を極めているんですよね! 私も風魔法を極めたいです!」
極めている――のかな? 正直、わからない。魔法は奥が深いし、私よりも理解している人だっているだろう。例えば、レインなんてそうだと思う。
これは私の見立てだが、おそらく、レインはメイの次に強い。
あの時、見せた水魔法極み海神の咆哮。そして、扉を貫いていた水。そのどちらも本来の水魔法では発現できない力だ。それはすなわち、レインの水魔法の圧倒的センスを意味する。そして、あれだけの力を連発できたのを見ると、保有するマジックポイントの量も多い。
メイは固有スキルが器用で、なんでもできて強いって感じだけれど、レインはむしろ対戦闘、特に魔獣が相手の時などにその力を発揮する。実際、ここ最近の魔獣討伐戦の戦果が一番高かったのはレインだし、そして、一番低かったのはアドニスだった。
「……わかった」
ただ、それでも私はこの申し出を受け入れることにした。私が力になれるなら、力になりたい。風魔法奥義風神が使える人数が増えたら何かと楽だろうし。
「ありがとうございます!」
アドニスは本当に嬉しそうにほほ笑んだ。
 




