第二十六話 表裏一体
「おい? それが挨拶の言葉ですか?」
なんだか嫌な予感がして、急いで来てみればこの有様。脇腹から血を流して倒れているのはバービル・エゴエスアだろう。おそらく、ラングスが倒したのだ。
けれど、ラングスとファインの二人をもってしても、もう一人の男――空間系の能力者には勝てなかったのだろう。よほどの実力があるように見える。
「メイ、行ける?」
「余裕」
メイは笑った。
「行こうか」
「私一人でいい」
メイは地面を蹴った。途端、衝撃波が巻き起こる。
瞬きの間にメイは男を殴り飛ばしていた。どれだけの力が込められたのか、男は何メートルも吹き飛び、遠くの壁にぶつかって、ぐったりとする。
完全に相手にすらなっていない。
「あれ? 弱っ」
煽るメイに返答すらできないほどのダメージを敵は負っていた。
「バグダー!」
そう叫んだのはバービル。小刻みに体は震えていて、力を振り絞って叫んだといった具合に見える。
「相手が悪い! 逃げるぞ!」
その言葉にバグダーと呼ばれた男は答えようと立ち上がろうとする。
が、衝撃波をまき散らしながら、移動するメイに今度は上から殴られ、バグダーを中心に地面にクレーターができる。あれだけの攻撃を受けていたら、死んでもおかしくない。というより死んでいないほうがおかしくない。
自身を最強と呼ぶ固有スキル使い、メイはやはり格が違う。効果に多少制限がついていたとしても、私の見立てでは強さはおそらく、楽山玲子に一歩劣るか、拮抗するかくらいだと思う。
メイの固有スキル「拡張」の最たる利点は一度拡張した対象は拡張されたままであるという点にあると思う。というのも、大きな効果を得るには当然、それだけ多くのマジックポイントを必要として、彼女の大幅な身体能力の拡張はどう考えても、シュワイヒナの肉体強化ですら比にならないほど完成されているうえ、概念の拡張なんて言う大それたことをすれば、マジックポイントは空になってしまうだろう。
それでいて動けるというのはすなわち、拡張しっぱなしになっているということだ。普通の日常を送るためにはそれの解除もしなければならないときもあるだろうが、そういうのは欠点にすらなっていない。
普通の相手なら敵なしなんだろうから、自分を最強と呼ぶ所以もわかるが――そう思いながら、バグダーと呼ばれた男に若干の同情をしたとき、私は違和感を覚えた。
「……どこに行った?」
上から殴られたはずのバグダーの姿がない。あまりの威力に潰れてしまったのか? いや、それはおかしい。確かにメイの拳には血がこびりついているが、本当につぶれているのなら、あれだけの出血量で収まるはずがない。
なら、考えるべきは。
私は倒れているバービルの下へ走り出した。
バグダーの固有スキルは空間系。葦塚桜の「ワープ」と似たような形になっているはず。転移者に与えられる固有スキルの規則性からあれよりも下位の能力を持っているとは思うけれども、逃げることくらい容易だろう。
だったら、今、一番に考えるべきはバービルを逃がさないことだ。少なくとも、一人を捕えておけば、目的の半分は達成されたことになる。
逆に逃がしてしまえば、ファインやラングスの頑張りを無駄にしてしまう。それだけは絶対に避けなければ。
「拡張」
メイがつぶやいた。そして、
「知覚をマイナス方向に拡張する」
走り出す。バービルへの距離は私よりもずっと離れていたというのに、私よりも遥かに早く、バービルの下へたどり着き、バービルの後ろを殴った。その後ろにあった家がただの一撃でがらがらと崩れ落ちていく。
「痛っ」
メイは手をぶらぶらさせながら、目の前の空間を見る。
「出てこい」
静寂が空間を支配する。
「バグダー……」
そう言ったバービルにメイは
「ああ、そっか」
そう言って、笑った。ひどく残酷なことを思いついたかのような凄惨な笑みだった。
倒れたバービルをメイは首をつかんで、持ち上げる。
「バグダーだっけ? その辺にいるよね? 見てて」
そう言って、メイはバービルの腹を殴った。
「げほっ!」
呻くバービルに何度も、何度も、何度も。
「今、内臓潰れた音したよ? 大丈夫? このままじゃ死んじゃうよ」
一向に手を緩める気配はない。敵である私ですらバービルに同情してしまうほどの痛ましい光景に思わず目を背けたくなる。
「ああ、かわいそうに。仲間が助けに来てくれないせいで、バービルは死んじゃうんだ」
そう言って、メイは大きく、拳に力を込める。あの一撃はまずい。遠巻きに見ている私ですらわかる。あの一撃は確実にバービルの命を刈り取りに来ている。
「ふざけるな!」
叫び声は突如として裂けた空間の中から聞こえた。メイのすぐ後ろ、裂け目が発生し、その内側にある真っ白な空間からバグダーが出現する。
「やめろ、バグダー!」
バービルの目は赤く光っていた。この先に起こる未来を見た。そして、それは悪手だとバグダーへ叫ぶが、もう遅い。
メイはバービルを投げ捨て、現れたバグダーへ拳を向ける。どう足掻いても避けられない一撃は――
「バービル、ここまで見てましたたか?」
バグダーは避けようともしなかった。飛んでくる命をも奪える拳を受けながら、メイの右腕を巻き付ける。そして、衝撃を活かして、彼女を裂けた空間へと引きずり込もうとした。
「まずっ……」
思わず、メイが顔をしかめ、そして言う。
「バービルはここまで見てたんでしょ。炎魔法」
「なっ!」
その圧倒的身体能力を活かした攻撃ばかりを受け続けてきた彼らにどうして、メイの高火力の魔法の使用を予測できようか。
燃えていく。バグダーの体が燃えていく。
それでも、バグダーはメイの腕を離さない。
「掴んでりゃ……あなたも燃えますでしょ……!」
炎がメイに燃え移っていく。
「ちっ……」
メイはバグダーの手を無理矢理振り払った。途端、メイは大きくのけぞる。バグダーはメイが力を込めたのにタイミングを合わせ、手を離したのだ。
そこが「隙」だった。
「バービル!」
「バグダー!」
バービルは走る。依然、炎の消えないバグダーの腕をつかみ、
「じゃあな!」
「逃がすか!」
メイは手を伸ばすが、届かない。空間の裂け目は閉じ、バービルとバグダーがそこにいた痕跡は完全に消え去った。
「大丈夫、二人とも?」
「ま、たぶん、大丈夫っす」
「同じく」
ラングスとファインはそこまで大きなダメージは負っていないようだった。バービルは大けがを負っているようだったから、ラングスとファインの勝利とは言えるけれども、
「あの能力……」
「x軸とy軸が虚数値をとり、z軸は実数をとるマイナス空間とこちらの空間を行き来できる能力。知覚領域をマイナスに拡張したら、向こう側も見えるようになるけど、そしたら脳の過負荷で反射的な対応しかできない」
滅茶苦茶早口だった。メイは随分と悔しそうだ。かといって、私が悔しくないかと言われたら、それはもちろん悔しい。私なんて何も出来なかったし。
バービルやバグダーと戦えない、というよりメイについていけない。彼女の戦いに無理についていこうとするのは逆に足を引っ張ることにつながりかねない。
それも手出ししなかった言い訳でしかないが。
「拡張」
メイは一度解除した能力を発動した。そして、辺りを見渡す。
「もうこの辺りにはいない。完全に逃がしちゃった」
メイはため息をついた。
「何が逃がしちゃっただよ」
ラングスがキレる。
「俺はしっかりバービルを倒した! なのに、何が逃がしちゃっただよ。てめえ。余裕じゃなかったのか?」
その発言に、メイはしばらく、ラングスの顔を見つめると、
「雑魚が口きくな」
吐き捨てた。ラングスの発言で緊張感が漂っていた場所に油を注ぐも同然。ラングスは声を荒げ、言う。
「何が、雑魚だよ! ふざけんな!」
「待って、ラングス」
ラングスをなだめるが、
「隊長! あんただって何にもしてねえだろ! てめえも力があるから、隊長なんだろ! なんで戦わなかった!」
「それは……」
私には力が足りないから。そう言えばいいだけの話だった。けれど、ちっぽけな自尊心が、そんなものないとは思っていたのに、その時、それが私の邪魔をした。
「だんまりかよ、とにかく、この馬鹿野郎どうにかしとけ」
「私としては雑魚が歯向かってくる方をなんとかしてほしいんだけど」
「メイ、いい加減にして」
私の言葉もどこか弱い。けれど、
「隊長が言うなら、いいけど」
あっさり従ってくれた。先ほどといい、やけにしおらしい。やっぱり何か企んでいるのではないだろうか。
「とりあえず、今日は一旦、帰ろう。ラングスとファインとメイは回復に努めて。明日は僕が一人で行く」
「……ああ」
「了解」
ラングスとファインは返事をしたが、メイはせずに、私を見つめて、それから笑った。そして、言う。
「隊長の言うことなら何でも従います」
「私は乙女心というのを理解してないように思うね」
「は?」
夜、自室にて。「私」が現れ、そう言った。
「乙女心? 私が乙女だっていうのに?」
「自分で自分を乙女だっていうのきついよ」
「うるさい」
「恋する女の子の気持ちをよく理解してないんじゃないの?」
「私が恋してるのに理解してないわけないじゃん」
「私がどうとか関係ない。メイちゃんのことよ」
「…………」
「そもそもな話さ、たまってるんでしょ? 一晩くらい抱いてあげなよ」
「逆に聞くけど、あんた私なんでしょ? シュワイヒナ以外を抱ける?」
「……それは抱けないけど」
やっぱり、私はシュワイヒナにしか恋心を抱かないのか。
それは今は関係ない。
「性欲と恋は別物だよ」
「……それはそうかもしれない」
今度は私が納得させられた。けれど、私はやっぱり好きでもない相手とは寝れない。それは私が特別とかそういうんじゃなくて、大体の人はそうなんじゃないのかなと思うのだけれど。
「あんなに、私のこと好きなんだよ? かわいそうだとは思わない?」
「かわいそうとかそういう同情で寝るほどちょろくないから」
「まあいいや。それには私も同意する」
「……あ、そう」
じゃあ何しに来たんだ。不用意に私の下へ来ないでほしいものだが。
「いやいや。私の優しさ、好意で私のその性格直してあげようかと思って」
「……直してって……」
「未だにメイのことを敵か何かだと勘違いしているんじゃないの?」
「メイには裏がある。それに私のこと襲おうとしたんだよ?」
「ただの欲望の暴走じゃん」
「ただのって片付けるわけにはいかない」
「そう言う問題じゃなくて、メイは私を貶めようと思ってああいう行動をしたわけじゃないってことだよ」
「それは……そうかもしれないけど」
私だって不必要に怯えていると言われればそうかもしれない。けれど、それだけで済ませていい問題じゃないだろ。
怖い。
何もなかったかのように普通に接していられるのは私が忘れようと徹しているからだ。けれど、私の心の奥底には既にこいつには隙を見せちゃいけないと深く、深く刻み込まれているわけで、それを無視するのは絶対にできないし、メイはそれだけのことをしたと私は思っている。
幼いからって、かわいいからって許される問題じゃないんだ。
「性格を直そうだとか、そんなの余計なお世話。私は私の中の大切な何かを失いたくはない」
「大切な何か?」
「私」は笑う。嘲笑っているように見えた。
「殺人は大罪だよ。レイプよりも大きな罪だよ。いくら生き残るためとはいえ、自分から首を突っ込んでいって、自分から人を殺したのは違えようのない事実だよ。それなのに、自分がまだ大切な何かを失っていないとでも思うの?」
「……私は不必要な殺人はしていないし、私の行動はより多くの命を救えた」
「そうだね。そうだよ。でもね、これは少し先の私からの忠告。あなたは既にこっち側に沈みかけている。あなたは私になるよ。間違いなくね」
そう言って、「私」は言う。私のすぐそばまで顔を近づけて、言う。
「本当はあのまま犯されても良かったって思ってるんでしょ。メイはシュワイヒナに似ているから。小さくて、あんなに乱暴なのにすごくきれいな肌してる。いつも無表情なのに、私と話しているときだけ、感情が表情にあふれ出てる。そんな瞬間が、あなたの欲望を刺激して、汚い独占欲を抱かせるんでしょ。わからない? 違う。分からないふりをしているんだよ」
何を言っているんだ、こいつは。わけがわからない。それなのに、目を離すことができない。
「いつもはそうは思わないよね。本当の佐倉凛なら、シュワイヒナ・シュワナを心から愛している佐倉凛ならそんなことは絶対思わないよね」
「……何が言いたいの」
絞り出した声に、「私」は滞ることなく答える。
「限界なんだよ。その身に余る重責を破壊しなきゃ、あなたが破壊されてしまう」




