第十五話 地獄
「は?」
どう答えるべきだろうか。瞬間、様々な思考が頭の中を駆け巡る。
突如として現れた美しい女性が目の前で危機を救ってくれて、私を探してやってきているという事実。私は有名人でもないのだから、私の名前を知っているということはすなわち、私の知人と知り合い関係にあるのだ。
しかし、だからといって、危険視しないのはまた別の話。
いや、違う。今、この事態で最も重要なのは私のことではなく、この人の目的ではなく、
「東の方でも戦いがあってるんです! 助けてください!」
「ん? 男? 女? 女の子のような気がするけど。かわいそうに。徴兵されているの?」
「いや、その……」
「ああ、東の方ももうやっつけたわよ」
「え?」
「だから、もう心配はいらないわ。それより、佐倉凛って知っているの、知らないの?」
強すぎる。信じられない。明らかに私たちとは別次元の強さを持つ存在。黒い髪に、日本人らしい顔立ち――異世界人か。
「あなたは、異世界から来た人ですか?」
「ええ、そうよ」
だからって、私を知っている理由にはならないけれども。いや、同じ異世界人だから、探しているのか? 何のために? 敵――という可能性はあまりなさそうに思える。
それに、この事態を救ってくれた人だ。信じよう。
「私が、佐倉凛です」
「あら、そう」
聞いたとたんに、彼女は妖しく笑った。そして――
「じゃあ、死んでちょうだい」
は?
反応するよりも、先に激痛が走った。サバイバルナイフと思われるもので、首に流れる大動脈を切り裂かれたのだ。視界が真っ赤に染まっていく。意識が急激に遠のいていく。
「ふん、呆気ないわね」
倒れた。治癒が始まる。
「あいつは危険。逃げて」
「私」が珍しく、命令口調で言う。そんなの、私だってわかっている。
女が向こうを向いたとたんに、体をひっくり返して、立ち上がり、走り出そうとする。が、
「何やってんの!」
今度は背中に激痛が走った。背中にナイフを突き刺してきたのだ。
「どうせ、死ぬんだから、大人しくしてたら」
そう言って、彼女はナイフを抜き、私の体をひっくり返して、顔色を変えた。
「治ってる?」
「そよ風!」
驚いている間に砂を回復した少しのマジックポイントを用いた風魔法を使って、巻き上げて、彼女の目に当てる。そのまま、彼女の体を蹴り上げて、距離をとった。
周りの兵士は目の前に現れた突然の救世主と彼女の凶行を見て、驚愕しているが、ぼーっと見ているだけだった。私が距離をとったところで、ようやく動き始めて、門を塞ぎ、住民の保護と暴徒化した人々の鎮圧にあたり始めた。
私を助けようとする人間など一人もいない。まるで、関わりたくないかのように。
「もう、闇覚醒してんの?」
女は尋ねてくる。
「……してません」
「じゃあ、それなに? 固有スキル?」
「それは……話すと長くなりますけど。そんなのどうでもいいんですよ。なんで、私を殺そうとするんですか」
「なんで? なんで、私がそんなの教えないといけないの?」
「……なんなんですか、あなた」
「回復する力――考えるの面倒だから、どうやったら、死ぬか教えてくれる?」
「私だって、わかりません」
「は?」
「じゃあ、話を変えよう。私の目的、話してあげるから、どうやったら、死ぬか教えて?」
「わからないって言って――」
「百回、殺してあげる」
目の前にいた。攻撃を避けられない。
「一回目」
首を斬られた。
「二回目」
心臓にナイフが突き刺さった。
「三回目」
両太ももにナイフが突き刺さった。
「四回目」
頭にナイフを突き立てられた。
「五回目、六回目、七回目、八回目――」
何度も、何度も、何度も。
「逃げて、本当に死んじゃうよ!」
「私」はそう叫ぶ。けれど、こんな状況から、どうやって逃げ出せばいいんだ。どう考えたって、無理だろ。再生は壊れてから、コンマ一秒とかで行われるわけではない。次の攻撃を受ける時までに体が動けるようにならないのだ。エンドレスで痛みだけが押し寄せてくる。ずっと、ずっと、ずっと。いつになったら、終わりが来るのだと、心から願って。
「百回目」
その頃にはもう私は仰向けに地面に倒れていた。体が動かない――動かしたくない。
「まだ死なないのね。なんで?」
「…………」
女は私の傍に座って、私の顔を覗き込む。
「きれいな顔ね。羨ましいわ」
「…………」
あんたの方が。そう思ったけれども、口に出すだけの気力がない。
「ねえ、教えてよ。面倒」
「…………」
「さすがに百回もナイフを振るうのは疲れるの」
「だったら、しなければ」
ぐさっ。
反論したら、口にナイフを突っ込まれた。それから、引き抜かれる。
「佐倉凛、あなたが喋れる内容は一つ。死ぬ方法。早く教えて」
「…………」
万策尽きた。完全に詰んでる。
「……なんとかしてよ」
「誰に言ってるの?」
そう尋ねてくる女を無視して、「私」が答える。
「死ぬには処理落ちしかない」
処理落ち?
「魔法構造は死を感知して作用するのではなく、死に瀕している状況を感知して作用する。もし、ずっと死に瀕している状況が続けば、ずっと回復能力が発動し続ける。そのスパンはどんどん、短くなっていって、いつかは間に合わなくなる。もちろん、間に合わなくなったからと言って、発動しなくなるわけではないんだけれど、それがあまりにも長く続きすぎると、想定を超えてくるために、処理落ちして能力が発動しなくなり、死ぬ」
どうして、そんなのが起こるのかは不明だが、言わんとしたいことはわかる。
だが、そんなの余計に苦しむだけだ。できるならば、避けて通りたい。そう、最善の、最高の選択はこの女に私を殺すのを諦めてもらうことである。
そう思って、何か実行に移そうとした瞬間、男の声がした。
「我が同胞に何をしている!」
トールさんだ。馬から降り、私の傍でナイフを握って座っている女を見る。
「だれ?」
「我輩はトールという。先ほどの件は心の底から感謝している。しかし、我が同胞に対してそのような行いを働くのは決して許されない。早く、彼から離れたまえ」
「彼? 彼女じゃなくて?」
「どっちでもいい。離れろ」
「はあ。面倒。力の差を見せつけてあげる」
女は立ち上がる。
「私だって、無益な殺生はしたくないの。わかるでしょ? それなのに、なんで楯突くのか、私にはわからないわ」
女は走り出した。その初速から見ても人間を遥かに超越した動きだ。トールさんは反応したが、行動が間に合わない。次の瞬間にはトールさんは吹き飛ばされていた。
壁に激突し、動かなくなる。周囲がどよめいた。あのトールさんが一撃でダウン。本当に信じられない。
しかし、彼は完全に倒れたわけではなかった。少しずつだが、立ち上がろうとしている。
「……よくやるわね」
そう言って、彼女は振り向き――
「えっ?」
私は彼女がトールさんを吹き飛ばしたのとほぼ同時に動き出し、肉薄していた。ほとんどゼロ距離のまま、彼女の体に渾身の一撃を浴びせ――
「遅いって」
られなかった。なぜか、次の瞬間には顔面を蹴り上げられていた。意味がわからない。身体能力が私とは違いすぎる。それとも、何かの能力か?
そのうえ、攻撃力もレベルが違う。頭ががんがん響いて、吐き気がする。鼻が痛いだとか、口の中が切れただとか、そんなのが同時に押し寄せてきて、反撃のチャンスすら与えられず、私は倒れた。
が、その隙にトールさんは動いていた。ほとんど不意打ち――私と同じ攻撃手段。身体能力は私よりもはるかに上のトールさんが、
「無理だよ」
女に顔を掴まれていた。握力も桁違いなのだろう。こめかみ辺りに指を添えて、トールさんをつるし上げていた。
「あなたは何も知らないでしょうね。この女は、悪魔なの。いずれ、魔王となって世界を滅ぼす存在なの。だから、殺すしかないわけ。理解して」
「……世迷いごとを」
「リンバルト王国、およびその周辺。異世界から来たサクラ・リンが世界を滅ぼすという神話がある。それが現実になろうとしているの」
神話――初耳だ。やはり、神の中で私がいずれ世界を滅ぼすというのは確定事項なのだろうか。
そんなの、許せない。私は世界を滅ぼしたくないし、自分が魔王になるだなんて絶対に嫌だ。それに、私には私の人生がある。私の運命を誰かほかの人に決められるわけにはいかない。
「ま、そういうことだから。理解して」
そう言って、女はトールさんを投げて、私の方を向く。
「はい、というわけで。どうやったら、あんた死ぬの?」
「……死ぬわけにはいかない」
「はあ」
頭を刺された。そして、ぐりぐりと脳みそをほじくるみたいに何度も何度も頭をいじられる。
「気持ち悪い。こんなんで死なないなんて。シュワイヒナ・シュワナは流石にここまでじゃないと思うよ」
今、シュワイヒナって。
「お、ぴくっとしたね。やっぱり、シュワイヒナには反応するのね。恋人なのかしら?」
「…………」
「喋れないか。シュワイヒナ・シュワナは闇覚醒を使っても私には勝てなかった。佐倉凛、あなたはシュワイヒナより弱いの。勝てるはずないでしょ。諦めて、どうしたら死ぬか教えなさい」
いやだ。死にたくない。私は神に思い知らせてやるって思った。思ったのに。
「いやなんだって!」
叫ぶ。もうどこから出てるかわからない声で、叫ぶ。
「魔王とか、悪魔とか、神話とか、どうでもいい! 私は私なんだ。誰かに指示されて生きていかなきゃいけない人間じゃない!」
私とはなんだ。少なくとも、この世界の神のためにいる人間じゃない。そうだ。それだけで十分だ。
私には愛する人がいて、守りたいものがあって、ささやかな未来が欲しいっていうごく当然の願いがある。それだけだ。世界のためとか、そんな大義のために働いているわけじゃないし、ましてや世界を滅ぼすとかなおさらだ。
周りの人々が戦争の終結に喜び、燃え盛っていた火も消え、しばらくは静かになりそうもない街の外れで、一人の女が、少女が泣き叫んでいた。
なんのために。
私の存在意義を神のためだとか、そういうところに見出したくない。
「どうでもいい? 私にとってはどうでもよくないわ。私は魔王の出現で悲しむ人を減らすという使命があるの。いい加減にして。早く死ねよ!」
知らない。そんなの、私は知らない。
また、刺された。救世主は来ない。だって――女はようやく自分の正体を明かし始める。
「私は楽山玲子。世界で二番目に強い人間よ。強さは正義。その正義があなたという悪を排除しようとしているの。死んで」
その言葉にはなぜか、説得力があった。黒い何かに包まれながら死なない私と、圧倒的強さを持つ女――玲子。この女はこれだけの戦闘力を発揮しているにもかかわらず、おそらく、まだ固有スキルを使っていない。しかも、東西あわせて一万はいたであろうヴァルキリア兵をたった一人で、しかも一瞬で倒しきっているのだ。
湊さんはこの世界に来た日本人は皆、固有スキルは所謂「チート」のような能力を与えられていると言っていた。それはおそらく玲子も同じ。これだけの圧倒的な力を誇ってなお、まだ力を隠している。奥の手があるのだ。
シュワイヒナが負けた。その言葉が頭の中でぐるぐると回る。絶望。それこそ祐樹ほどの強さを持っていなければ、こいつには勝てない。
それでも、諦めたくはなかった。自分が死にゆくのを受け入れられなかった。欲が私を支配する。
「半分」
「何を言っているの?」
「半分、力を頂戴。私」
「ついに気でも狂った?」
「私」が現れる。不気味な笑みを浮かべて、私を見つめる。
「半分? 半分なら操れると思ってるんだ」
「私は死にたくない」
湧いた感情は自然に受け入れられた。私は私が嫌いだったのに。ただの負けず嫌いで、私は生きたいと願っている。こんな相手に負けっぱなしなんて嫌だって訴えてる。だから、私は力を求めた。今、目の前にある死――敗北から逃れるために。
「いいよ。あなたの、私の中の恨みは、生きたいという衝動は十分だから」
「私」が私の胸に触れる。
そして、
「なに?」
闇が噴き出した。全ての光を遮断し、暗闇が覆っていく。
こんなのに頼ってしまう私が情けなかった。けれど、すぐに楽な方に手を伸ばすのが私だった。
だって、与えられたものだもの。だって、目の前にある選択肢の中で一番手に取りやすいのだもの。
私は地獄にいる。普通の世界で普通に生きて、普通に人生を全うする。そんなのはもう手に入れられないのだから。だから、せめて、せめて、未来を掴ませてはくれないだろうか。ここでは楽をさせてくれないだろうか。
「半・闇覚醒」
黒い私がそこにいた。
 




