第十四話 風神
「私」と話した後、すぐにトールさんに深夜、ヴァルキリア軍が攻めてくることを伝えた。
「わかった。すぐに指示を出す」
その二つ返事でトールさんは準備を始めた。あんまり、すんなりいくのは私も「私」も思っていなかったことで、
「嘘でしょ。あのおっさん、私のこと信用しすぎでは?」
と「私」はいきなり現れてそんなことを言う。
「トールさん、なんでそんなすぐに信用してくれるんですか」
私とて気になる。まさか、事情を知っているんじゃないかという疑念がわき始めて、すぐに尋ねた。
「なぜ……。同胞の言葉は信用するように決めているからな」
それはあまりに危険すぎるのではないか――そう言おうとしたが、ためらった。きっと、これがトールさんなりのやり方なのだ。実際、全ての兵士がトールさんを信用しているように見えるし、私も彼を信用している。信頼してくれる人だからこそ、信頼できる――ということなのだろう。
「……おい」
呼ばれて、振り返ると、そこにいたのは一週間前揉めたあの人だ。
「い――、こんにちは」
生きてたんですね。なんて言おうとしたが、どう考えてもよろしくない。失礼だ。大体、私が彼の大事な人を戦地に立たせるような真似をしたのだから。その人は生き残ったらしいが、それはあくまで結果論であり、それでよかったね、なんて私は言える立場にない。
「……謝ろうと思ってた。すべてがしょうがないことだった。お前だって、あんな作戦言うのは辛かったんだろ」
想定外の発言をされて、驚く。もちろん、冗談ではない。彼の目はどこか悲しみに満ちていて、その口調は何かに絶望しているかのようにも見えた。
おそらく、その絶望は今から行われるであろう戦闘について。
事前情報では数は三千。さらに大規模な戦闘が行われるであろうことが予測されていいる。対して、こちらの数は二千。迎え撃つにはあまりに心もとない。だからこその、私には「奥義」を完成させる必要があるのだが……。
「いえ、わ――僕に能がなかっただけです。僕こそ謝らせてください。本当にすみませんでした」
「……そうか。次の戦いもよろしく頼むな」
「はい」
二千百対三千。絶望的状況ではあるが、まだひっくり返せる。そんな気がしていた。あの激しい戦闘を多くの仲間が生き残っていたのだから、兵士一人一人の実力はおそらくこちらの方が高いのだろう。もちろん、途中で加えられた別部隊の実力はわからないが、たぶん、大丈夫。
そういう希望的観測はあえなく崩れ去った。
「敵兵、二万!」
そう伝えられたのである。
「イーリア内に行け! そして、戦争の事実を伝えて、有志を募るのだ!」
「イーリア内で暴動が起こっています! とてもそんな状況ではありません!」
見れば、高い壁の向こう側で煙が立ち上っていた。おそらく、向こうから二万のヴァルキリア兵がこちらへ向かってきているのが確認できたのだろう。それでイーリア国内で戦争の事実が知れ渡ったのだ。
今夜、ヴァルキリア軍の襲撃があるという「私」の発言は当たっていたが、当たらなければよかった。しかも、二万。冗談じゃない。こちらの戦力の十倍じゃないか。そんな相手と戦えと? 流石に無理がある。
けれど――その無理をひっくり返す方法が一つだけある。
風魔法奥義風神。
名前は自分でつけた。かっこよくない? えっ、ださい? まあそれはそれでいいけれども。
私はついにマジックポイントの扱いの全てを完全に理解した。今、体にある二つの魔法構造。その決定的な違いは有限か、無限か。その一点に集中すれば二つを見分ける、もとい感じ分けるのは簡単だ。それができれば、次のステップへ。
魔法の理解。これ自体は難しくはなかった。風魔法は空気を押し出す魔法。それを実現するためにマジックポイントを外に押し出しているのだ。だから、さらに大きな魔法を打ちだすにはより多くのマジックポイントを押し出すことになる。威力が純粋に使用するマジックポイント量に比例すると考えれば、すべて押し出した時の火力は災害級。人間が恐れる、私たちではどうすることもできない自然災害を人力で生み出す。
そんなの起こせるのは今まで神くらいだっただろうという意味で風神と名付けた。
名づけるのも意味はある。有限と無限を感じ分けて、マジックポイントを押し出すという一連の作業は非常に集中力を使う上に、時間もかかる。だから、それを言葉と結び付けて、発動しやすくしているのだ。
理論は完璧。あとは打てるかどうか。発動すれば二万の兵だろうと圧倒できる本当の必殺技になれる。
「トールさん」
「……早いな。さすがだ」
「……ありがとうございます」
「任せた」
最前線に一人立ち、深呼吸をした。
目の前には二万の兵士が迫ってきていた。時間があまりない。距離は二キロメートルほど。何かの叫び声とともに彼らは走り始めた。広がる鬱蒼とした森の間を駆け抜け、私たちの命を奪おうと走る。その顔は実に楽しそうだった。
だからなんだ。
私はもう苦しみたくない。私にこんな地獄を与え続けるこの世界はくそだって、何度も何度も思ってきた。
「本当に欲しいものがあるなら、ちゃんと自分で手に入れに行かなきゃ」
「私」は私にそう囁く。
「そうだね。私もそう思うよ」
だから、もう苦しまないために、苦しむ罪のない人を見ないために、私は魔法を使う。
「風魔法」
目を閉じた。肉体下に存在する二つの魔法構造。無限と有限。無限と有限を同時に感じ取るから、意識的に風魔法を選択できない。二つの間に存在する明確な違いを大事にして、完全に分ける。
「奥義」
マジックポイントが外に流れ始める。圧倒的力の渦。それを完璧に制御下において、全てを吹き飛ばす魔法を発動する。
目を開いた。敵との距離は一キロメートル。横ばいに広がった敵軍は最前線に立つ一人の少年――少女の姿を気にはしない。
それがお前らの敗因だ。
「風神!」
私の肉体内にあるすべてのマジックポイントが一気に外部へ放出され、広範囲にわたって、自然災害級の暴風が吹き始める。空気のかたまりを押し出していて、その速度も馬鹿げているのだから破壊力は十分。木々は一斉に薙ぎ倒され、何もかもが吹き飛ぶ。
地面がえぐれ、地形が変わる。鳥が羽ばたき、一斉に逃げ惑う。範囲内全ての生命の命を脅かす力の対象から、人間が外れられるはずもなく、二万の兵士は異常事態から逃げ始めてももう遅い。後ろから迫ってくる時速八十キロの空気のかたまりに轢かれ、次々と吹き飛び、倒れて行く。
私が想像していたのよりもはるかに酷い破壊がそこで行われていたのだ。
私の目の前にはもはや何もなかった。ただただ一面の何もない場所が広がっていた。二千対二万の戦争はただの一撃で決着がついたのである。
けれど、胸を痛めるよりも先に私の中では高揚が巻き起こった。これが私の全力。非固有スキル使いの最高到達点。悪魔の力なんて借りずに、私は――
「それは違うよね」
「……」
「私の助言がなかったら、こんなの絶対できなかったよ。それなのに自分のおかげだと思ってるの? 傲慢だね」
「……」
「それに……」
「私」は含みを持たせた笑みを浮かべて、消えた。直後、
「リク、ありがとう」
「……いえ」
私が振り向くと、二千の兵士は私へ溢れんばかりの拍手を捧げていた。
――英雄。
その言葉が今の私には一番当てはまる。圧倒的満足感。味方の犠牲を出さずに最善の結果を手に入れられた。
それで終わればよかったのに。
「伝令です! イーリア東部、イーリア西部にてヴァルキリア軍が門を突破!」
一瞬で興奮は冷めきった。その時になって初めて気づく。敵は三つに分裂して、それぞれイーリアを襲ったのだ。私たちは二万という兵を見て、その可能性は完全に捨てていた。相手は何もかもが規格外だったのだ。
それでも行かなきゃ。
私たちはイーリア内へ突入した。
惨事。その言葉はあまりにもよく似合う。西と東、それぞれの門から入ってきた兵士たちと暴徒化した街の人々。目を瞑りたくなるような惨状だったが、だからといって逃げ出すわけにはいかない。
「二手に分かれろ! 犠牲をできる限り減らすのだ!」
トールさんは東へ、私は西へ向かった。全速力で走っても間に合わないから、馬に乗り駆けた。あちこちから、泣き叫ぶ声が聞こえる。年端もいかぬ少女がちっちゃなぬいぐるみを抱えて泣くのを見ると、胸が痛む。けれど、それを無視して、私たちは門の方へ向かった。
到着すると、既にそこでは虐殺が行われていた。あちらこちらに血が飛び散って、目を覆いたくなるような無残な死体が転がっている。
ヴァルキリアの兵士たちは実に楽しそうな顔をしていた。抵抗するも弱い街の人々を圧倒的な物量でねじ伏せて、さぞかし気持ちいいのだろう。
「楽しいに決まってるじゃん」
「…………」
「それが自分の力の証明になるんだから。私だって、さっきしたでしょ」
「うるさい」
マジックポイントは使い切って、体には力が入らない。それでも、戦わなくては。
「行くぞ!」
一人のレベリア兵の叫び声とともに私たちは走り出した。
殺人を殺人で抑制する。そんなのが平気でまかり通るのだから、やっぱりこの世界はくそだ。殺人なんて私たちは本能でやっているんじゃない。人間として大事な何かを捨てながら、何度も何度も罪を犯し続ける。
正当化される理由はどこにもない。
「争いなんて簡単に終わらせられるのに」
「……」
「絶対的強者は、恐怖は争いを止めれるんだよ。悪が世界を支配すれば誰も敵対したりしない」
「…………」
「それか、世界を終わらせるか。人がいなければ、争いも生まれない」
「…………」
「私にはそれができるのに、どうして受け入れないの」
「……そんなの本当の平和じゃない」
「きれいごとだよ。それだけで世界が平和になるならだれも苦労しないね」
「……でてくんなよ」
激痛が走った。右腕を切られた。落ちてはないものの、深くえぐられ、血が止まらない。力が入らない。地獄かと思うほどの苦しみのあと、治癒していく。
「……なんだてめえ」
「うるさい」
首を斬ると、血が噴き出して、私の体を赤く染めた。生暖かい。生きている人間だ。
「くそっ!」
風魔法奥義風神。その余波が体に残っているようで、まだ体が重い。全然思うように動かない。
けれど――私はここでは死なない。私はどうせ生き残る。地獄と化した街の中でただ一人生き残る。そんな地獄、
「嫌だ!」
――本当に欲しいものがあるなら、自分で手に入れなきゃ。
もっと、もっといっぱい。全部、全部を私が守り切れるように。そのために力を、世界をぶっ壊すためじゃなく、全部守れるために。
「違うね。全部を思い通りにする力だ」
「それでもいいから!」
マジックポイントが足りない。魔法も打てない。肉体強化もできない。だから、絞り出す。
一瞬、私の頭に浮かんだ策は他人が聞いたら、狂っているとしか思えないようなぶっとんだ策だった。けれど、今の私にはそれが最善策のように思えた。
私が苦しめば、他の人は苦しまずに済むから。それだけの話だろう。何を今更、考える必要があると? 何を今更、躊躇する必要があると?
だって、苦しむ人が減れば、きっと私の苦しみも救われるから。
手に持った剣はあちらこちらで起こる火を反射していた。ところどころ血がべっとりとついていて、少しだけ汚く見える。
視界いっぱいに広がる地獄絵図。大量の仲間が次々と殺されるその中で、
「私が救うから」
その剣を私の左腕に刺した。そして、じっくりと、長く腕を引き裂いていく。
私の中にある無限のマジックポイントを持つ魔法構造が作動して、傷を癒していく。けれど、私はそれを否定する。あふれ出したマジックポイントをもう一つの魔法構造につぎ込んで、もう一度、風魔法奥義風神を放つ。
それが、私の考えた作戦。激痛に耐えながら――そんな激痛で、複雑な思考と繊細な感覚を必要とする風魔法なんて放てない。
「くそが!」
失敗だ。無駄な時間だった。こんなするくらいだったら、一人でも多くの敵兵を殺せばよかった。馬鹿だ。馬鹿な私だった。
「くそ!」
叫んで、見上げた先――信じられない光景が目に映った。
全ての戦闘中だったヴァルキリア兵が倒れていた。そして、その隣に一人の女が立っていたのである。
「いつの世も、戦争なんて馬鹿げたことして、何がしたいのかしら」
そう言って、彼女は呆然と立ち尽くす私の前に立った。
「それはそうと、あなた佐倉凛って知らないかしら?」
 




