第十二話 「私」
夜が明けるみたいに目の前がクリーンになっていって、私は馬車に乗っているのだなと自覚できる。視界の先にテントに置いてきた馬の姿も見えた。
名前をつけてあげようかななんて思っているとき、声をかけられた。それから、周りを見渡す。私の乗っている馬車にはほかにトールさんだけが乗っていて、トールさんは椅子状のものに腰かけて、毛布をかぶせられて眠っている私の顔を覗き込んでいた。
「おはよう」
隊長、トールさんだ。
「……私、どれくらい寝てたんですか」
「二日だ」
心配そうな表情と嬉しそうな表情が同居していて、ちょっと面白い顔になっているトールさんだ。
「ってことは……今日は七月三日ですか?」
「そうだ」
誕生日は過ぎてしまっている。これで私も十七かと思うとともに、この世界に来てちょうど一年。別に戻りたいなんて言う気持ちはないけれども、少しだけ寂しくはある。母や父は元気にしているだろうか。長い間家を空けて――しかも、もう元に戻れそうにないのだから、申し訳なく思う。そんなに愛情を感じて育ったわけではないが、良い暮らしはさせてもらったから。
「とりあえず、七月十日にはイーリアに到着できそうだ。それと……一つ聞いてもいいだろうか」
トールさんは改まったような態度を取って、私を見つめる。イーリアというのは街の名前だろうか。たしか、レベリア最後の街とか……。
「はい」
「これから、イーリアでヴァルキリア部隊と戦闘があるだろう。おそらく最後の戦いになる。しかし、我々は数も力も足りない。そこでだ。君に協力してもらいたい」
「……協力ですか」
「今回と同じようにともに戦ってほしい」
「……むしろ、そうだと思っていたんですけれど」
「ありがとう。君には感謝してもしきれない」
「……いや、私なんかいてもいいのかなって」
「――君の気にしていることはわかる。しかし、あれはしょうがないことだ。結果論的な話にはなってしまうが、味方を分散させていたことで敵の一点突破という戦略に対して最もいい反応が取れた。いつも通り戦っていれば、きっと目も当てられないことになっていただろう」
「そうだといいですね」
深く考えたくない。考えれば考えるほど「佐倉凛」という人間に対してその存在意義が疑わしく感じてしまう。今はただ、力を手に入れるために戦い続ければいいのだ。
どうせ、死ねないのだから。
そういえば、神は力の代償があるとか言っていた。一体全体なんなのだろうかと自分の体をあちこち触ってみるが、異常はない。所謂ステータス――私の能力値を指し示す数字――を見ても、なんら変なところはなかった。
ハッタリか? と思ったが、嘘をつくメリットが私を怯えさせるということだけだ。価値がなさすぎる。もちろん、ないならないでそれが一番なのだが。
それか二日も眠りこけていたのが代償なのかもしれない。激しくダメージを背負ったのだから、それなりの休養期間が必要になる。確かに戦闘できなくなるし、副作用としてはちょうどいいのかもしれない。
と、その時、ぐーっと腑抜けた声が私の腹から響いた。
「リク、お腹を空かせているだろう。これを食せ」
それを見かねたトールさんが私に食べ物を渡してくれる。
「あ、ありがとうございます」
乾パン。この世界でこれから食べそうなものランキング第一位。正直、現代社会の日本ではほとんど食べないものだが。味の薄いクッキーみたいな感じである。
こんなんだが、二日間飲まず食わずの私からしたら滅茶苦茶おいしくて、自分でもよく生きていられたななんて思いつつ、生を実感した。
しかし、若干の貧血はあるし、体に力は入らない。エネルギーがないのだから、当たり前と言えば当たり前だ。元通り体を動かせるまでかなり時間がかかりそうだ。生憎、腹にたまる食べ物も、なさそうだし。
食べながら、気になっていたことを話す。
「……私が男装しているわけとか聞かないんですね」
「気にしていない。君の好きなようにすればいい」
「ありがとうございます。……あの、できればこれからも男として扱ってくれればうれしいです」
「すべてがそうというわけにもいかないがな。ある程度カバーはしておこう」
「ありがとうございます」
トールさんは見た目こそ、怖そうに見えるが、中身は優しい。微妙に変な喋り方をしているが、慣れれば悪くない。
と、何かが視界の端に映った。気になるから、顔を上げて、見てみると
「――ッ!」
絶句した。手に持っていたパンの欠片を手放してしまう。
「どうしたのだ?」
トールさんが声をかけてくれて、「それ」が幻であることに気づく。だって、そうだろう。
私と全く同じ顔の人間が目の前に立っているのだから。
「こんにちは、私」
私と同じ顔なのだが、服装はまるで違うし、髪の長さも違う。
黒くストレートに伸びた髪はやけに艶がよくて、最近の、というよりこの世界に来てからの生活では絶対に達成できない思わず見とれてしまうような美しさだ。
そして、服装。私は絶対に着ない服だ。
黒いドレスで、少し透けている。角度を変えればパンツも見えてしまいそうな短さだ。胸元は思いっきりはだけていて、私の胸はほぼ皆無に等しいので見ごたえはないものも、色っぽい雰囲気を纏っているのは間違いない。これも、いつもの私とは違うのだから、少し気持ち悪い感覚がある。
また、一番目につくのは背中に生えている黒い羽根だろう。馬車の横幅よりも大きくて、透けて外に飛び出している。あまりいい姿とは思えない。全身に浮き上がっている何を表しているかわからない紋様も嫌な感じだ。
私の顔は正直中性的で女と言われれば女だし、男と言われれば少々悩んだ後に頷くようなものだ。けれど、こんな姿をされると、今の私の格好と正反対のせいで正直言って、気持ち悪い。
「隣のトールさんだっけ、ずっと私のこと世話してたんだね。二日間も」
「…………」
「まあ喋れないかあ。ねえ、男がさあ、十七の寝たきりの女を前にして我慢できると思う?」
何を言っているのかわからない。
「しかも、その娘は肉体回復の影響で全身の肌つやつや。ねえ、触ったらすべすべしてそうだよね。男みたいな格好しているせいで、胸も触りやすい。顔だって悪くはないよね。むしろ、シュワイヒナは私の顔も評価していたわけだし」
「…………」
言いたいことはわかる。けれど、そういうことをされた感触はないし、トールさんはそんな人じゃないと思う。きっと、彼から見たら、私なんて娘みたいなものだ。
「でもさ、自分が女である自覚をしたほうが良いよ」
イライラしてきた。叫びだしそうな声を必死で抑えて、私は私を睨みつける。
「ふん、よく私にそんな目できるね。私はこの世界の覇者、魔王なんだよ」
「…………」
魔王。私が魔王になったら、こんな見た目になるのか?
そもそも、こいつは何がどうなって生まれた?
「その疑問に答えてあげるのも。私の役目。能力が使われた時点で魔王化への道は止まらない。佐倉凛という存在は物質的には不可能だけど、精神的には大量にコピーを作れる。今ある私を改変させることはできないけれど、今のあなたじゃない、私を作ることもできる。そして、私は超回復能力というトリガーにより生み出されたコピーであり、能力の代償」
は?
正直、話しの半分しか理解できなかった。
「人の話を本質的に理解するというのは難しい。誰かが話しているという時点でそこにその人間の意志が介入し、真実は歪められる。伝言ゲームみたいな話だね」
「…………」
「もう一つ重要なことを教えてあげよう。私――あなたはどうやって自分が魔王化するというのを疑問に思った。それに答えを与えてあげる。魔王化は私というもう一つの佐倉凛の人格があなたの体を乗っ取ることにより発生する。心が変われば、体もそれに引きずられて、あっという間に今の私みたいな姿になるんだよ」
私が私に乗っ取られる?
意味がわからない。そんな現実にありえないような話――いや、そう言うのを考えるのはこの世界では間違っている。何が起こるか私には全く想像のつかないとんでも世界だから、私はこの発言すらも受け止めなければならない。
「だからさあ、精々強くあることだね。あなたがあなたでいられるように」
そんなことを言って、最後に悪魔のような誘惑をした。
「魔王化したとたんに佐倉凛は本当に世界の覇者になるんだけどね」
瞬きをすると、その姿は消え、情けない顔をさらけ出す私と、不思議そうな顔をするトールさんだけしかその場にはいなかった。
現状、「私」は三人いる。
今の私。シュワイヒナ・シュワナの姿をとって、現れた私。そして、魔王化した私。
三つの人格がそれぞれ別の意思を持っているように見えるのは正直、気持ち悪い。私じゃない他人というのが一番しっくりくるが、シュワイヒナの姿として現れた「私」ははっきりと「私」だと理解できたし、自らを魔王と名乗る「私」はその喋り方、性格、顔以外の全てが私と異なるものの、他者だと認識することができない。他者じゃないというのはすなわち、自分なのだと結論付けていいのだろう。
だが、認めたくない。あんなのに、私はなりたくない。
にしても、私の無意識化で発動した超回復の力はあまりに副作用が大きすぎるように感じる。
一つに、長すぎる睡眠。仮死状態にでも陥っていたのだろうか。起きたばかりは多少の貧血こそあれど、それ以外の症状はなかったから、何も思わなかったが、考えれば考えるほど恐ろしく感じてきた。戦闘で死にかける度、というか致命傷となる攻撃を浴びる度、二日も寝ていたんじゃ話にならない。
そして、あの気持ち悪い「私」に隙あらば話しかけられて、あることないこと吹きこまれたんじゃまともな暮らしは営めない。
面倒だ。
「どうした、いきなり目を開けて前を見つめたかと思えば、暗い顔をして」
「……いえ、特に何も」
「能力は別に代償ばかりじゃない」
今度は後ろ。耳元で「私」に囁かれていた。一瞬、体がぶるっと震えて、トールさんが私を怪訝そうに見てくるが、それを気にしている暇もないほどの大きな情報が付け足された。
「今、私は回復魔法と風魔法を同時に持つ」
驚きの声を必死に抑えながら、私はトールさんに、
「大丈夫です。ちょっと寒かっただけなんで」
実際、気温は相当低いから、寒いのは真っ当な意見だと思う。それも気にせず、「私」は話を続ける。
「無知な私に解説してあげる。四属性魔法、炎、風、水、土と特殊魔法、回復、吸収の違いについて」
まるで、私に慈悲の心でも持っているみたいな声で、「私」は語る。
「四属性魔法と特殊魔法ではそもそも、魔法の発動の仕方が違う。体の魔法構造でそれは既に定まっているんだよ。その道のプロになれば、風魔法使いは、炎、水、土を扱えるようになれるけれども、特殊魔法である回復、吸収は身に着けられない。けれど、闇覚醒すると、その条件は変わる。闇覚醒すれば、魔法構造は回復へと強制変換される」
だから、リーベルテで闇覚醒を起こしたランと戦った時、そして、シュワイヒナが発動した闇覚醒では超回復能力を発動していたのか。
「そして、今の私は悪魔の力と人間の力を併せ持つ。ゆえに、回復魔法と風魔法を同時に操れるってわけ。強い魔力を持っているほどより即死攻撃への体勢が強くなり、不死身へと近づいていく。そして、魔王になる私の超回復能力は洗練されているからね。さらには回復能力を発動している方の魔法構造の中にあるマジックポイントは無限大だから、私は死なない」
この説明を真に受ければ、一つの体に対して、一つ存在しているはずの魔法的構造が、今の私には二つある――ということになる。
「そ。二つの魔法構造が佐倉凛の中に重ね合わさっている」
じゃあ、魔王と名乗る「私」はその魔法構造に由来してきているということだろうか。
「それは違う。私はあくまでコピーでしかない」
コピーって……それが何なのかよくわからない。
「この世界の真実――それも含めて、全てを理解するにはやっぱり固有スキルが必要。だから、ひたすらにレベルをあげて、強くなるしかない」
その固有スキルの発動が魔王化に結び付いている可能性。
「佐倉凛という精神が確立されている今、本当に重要なのはあなたがさらなる力を求めるかどうかだよ」
そう言って、「私」はにやりと笑って、さらに続けた。
「だって、固有スキルが発動したくらいじゃ、リデビュ島は救えないよ」
急激に私の体温が下がっていくのを感じた。
 




