第十話 一息
夕食に向かった。ちょうど晩御飯くらいの時間なのか、人でごった返していた。
「なんだかいつもより遅くなっちゃいましたね」
「まあ、今日はいろいろ大変だったし、それよりさ、ねえ、シュワイヒナ。そんなにかつ丼ばっか食べて大丈夫なの?」
シュワイヒナはまたもやかつ丼を平らげていた。実は初めて、食べて以来、二日に一回のペースで食べている。正直、信じられない。まだ、毎日じゃないのが救いなのかもしれないが。
「え? なんかダメなところあります?」
シュワイヒナは首を傾げてそう答えた。心底何も考えていなかったらしいと私は推測する。
「いや、太らないのかなあと思って」
そう言った途端、シュワイヒナは笑顔のまま止まった。言ってはいけないことだったのかもしれない。
シュワイヒナは口をピクッ、ピクッと動かして、
「だ、大丈夫ですよお。運動だってしてますし」
そう言いながら、自らの腹を手でつかんだ。つかめてしまった。むっちりと確実につかめてしまったのである。それがどれだけの衝撃をシュワイヒナに与えたかというと、
「あああああああああああ!」
シュワイヒナは叫んだ。食堂でだ。当然、多くの人がこちらを向いた。それに気づいたシュワイヒナが顔を紅潮させる。
「ばつが悪いです……」
シュワイヒナは俯いた。そりゃあ、こんなにたくさんの人の前で大声出しちゃったらばつが悪いだろう。どう声をかけるべきか、迷っていると、
「どうしたの?」
と桜さんがこちらに来て、声をかけてくれた。
「いや、しょ、しょうもないことですよお」
シュワイヒナは顔を上げ、手を振りながらごまかした。
「そんなこと言ったって、あんなに叫んじゃって、何かあったのかと……」
「……太ったんです」
シュワイヒナはしょうがないとばかりにぽつりとそう言った。だが、桜さんには聞こえなかったようで、
「え?」
と聞き返した。
「太ったんです!」
シュワイヒナは二度と同じ言葉を言わせんなよと言いたげだった。そりゃあ、何度もそんなこと言いたくないのだろう。
「ああ、そんなことか」
と桜さんは言ってから、
「幸せ太りかもね」
と言った。シュワイヒナはなるほど、と納得した。
「そういえばさ、シュワイヒナ。私がアンさんの所で修業してる間、何してるの?」
「え? 寝てます」
「ふーんって、え?」
ごくごく自然に言ったので、あやうく聞き逃してしまいそうだった。
「寝てるって、本当に?」
「冗談ですよお」
そう言って、シュワイヒナは笑った。シュワイヒナは平気な顔で嘘をつくから、本当によく分からない。
「じゃあ、何してるの?」
「それは……」
シュワイヒナはちょっとためて、それからニコッと笑って、
「秘密です!」
と言った。
「秘密って……なんか変なことでもしてんじゃないんでしょうね」
「ええ、もちろんなにもしてませんよー」
わざとらしかった。
「嘘だね」
「さあ」
シュワイヒナはフフフと笑った。かわいらしいのはいつものことなのだが、どこか艶めかしかった。
「そうそう、君たちに言っときたいことがあってね」
と桜さんが言ってきた。桜さんはさっきの様子を何やらニヤニヤしながら見ていた。何をニヤニヤしているのか不思議でたまらないが、深く考えちゃいけないのだろう。
「明日、街に遊びに出ましょう」
「え、街にですか?」
と、シュワイヒナが尋ねた。
「そう。特殊部隊のかわいい女の子も連れてくるから、楽しみにしててね。二人とも」
そう言って、ニコッと笑った。なんだかあんまり、人に知られたくないことが、知られているようで、その様子は美しかったのだが、心に気持ち悪い感触があった。
「はい、分かりました」
私はとりあえず、そうとだけ返事した。桜さんはそれを聞くと、なんだかわが子を心配している親のような表情をして――同情にも似たような表情だから上手くは表しづらい――その場を後にした。
「街に遊びに行くなんて、初めてですね!」
シュワイヒナは嬉しそうに言った。何度も言って、うざいかもしれないが本当にかわいい。
「いやあ、こりゃ実質デートですよね、凛さん!」
「デート……、それってなんなんだろう」
前々から思っていたことだが、デートって何を元に定義しているんだろう。
「え……それは、その……」
シュワイヒナはなんだか気まずそうで、やらかしたかのように頭を抱えた。そして、ゆっくりと頭を持ち上げると、
「デートと思ったらデートなんですよ、きっとそうですよ」
と言った。
「雑だなあ」
「でも、そんなもんじゃないですか?」
「まあ、そうかもしれないけどさ」
「なら、いいじゃないですか」
なんだかシュワイヒナはこの話を早く切りたそうだった。やっぱり私が変なこと聞いちゃったのが悪いのかなと思って、
「なんか、ごめんね」
と謝ってしまった。
「いやいや、凛さんが謝ることなんてないじゃいですかあ」
そう言って、無理に笑っていた。無理に笑わせてしまったことがなんだか辛い。
「まあ、凛さん、どんなのあってほしいですか?」
「どんなのって……そうね……おいしいスイーツとか?」
そう言って初めて気が付いた。スイーツなんてほとんどこの世界で見たことがない。一年も経っているのにまだまだ慣れないなと自らを戒めようとしていたところ、
「それは……どうでしょうね。さすがにあるんじゃないんですか?」
普通に通じていた。
「え? スイーツってどんなのか知ってる?」
「ええ、知ってますよ。シュワナにもマドレーヌがあったじゃないですかあ、忘れたんですか?」
「え……そんなのあったっけ……」
記憶にない。マドレーヌ? そんなものこの世界で一度も見たことない。
「いや、皆で食べたじゃないですかあ」
「そうだっけ……」
私の反応が芳しくなかったからか、シュワイヒナが訝しむ。
「え……まさか……」
などと言っているがなんのことだかさっぱりだ。
「いや……なんでもないです。たぶん、大丈夫ですから……あの人は、そこまで落ちてないはずですから」
「あの人って?」
「いや、凛さんは何も知らなくていいんですよ」
「なんでさ」
「凛さんの問題じゃないですから。私が解決しないといけないんですから」
「私が出来ることなら、なんでも力になるよ」
「いや、大丈夫ですから。それより、もう帰りましょう」
言われるがまま、私たちは部屋へ戻った。
「私、もう寝ますから。おやすみなさい」
シュワイヒナはベッドに入っていった。私も電気を消して、ベッドの中に入る。まだ五月だからか、かなり涼しく、まだまだ布団が気持ちいい。それに疲れていて、すぐに強烈な眠気が襲ってきた。
私は何か大事なことを忘れているような気がした。マドレーヌのことだけじゃない。それよりももっと、もっと大事なことが……。
考えなきゃいけないことがあるのに、眠気には抗えなかった。
目を覚ました。また、今日も夢を見ることは出来なかった。
「あ……遊びに行くんだっけ……」
私はベッドから降りて、クローゼットを開けた。
「あ……そうだった……」
私はほとんど服を持っていなかった。具体的にはシュワイヒナのを含めて六着しかなかった。しかも全て同じもので制服だった。そうだった。私たちは服に対してそんなに興味を持っていなかったから、どんな服を用意しようかと湊さんや桜さんに尋ねられた時に制服を選んだのだった。いつか、自分で好きなのを買えばいいと思っていたのだ。
というか桜さんもなんだか制服っぽいのだった。桜さんの趣味らしい。
「どうしよう……」
着ていくものがないのは問題だった。その時、シュワイヒナが目を覚ましたようでふわあという声を上げた。
「どうしたんですかあ」
まだ眠そうで、目を手で擦っていた。正直、その様子だけ見ると、本当に年下以外の何物でもない。
「いや、服、よくよく考えたら、これしかないなあって」
「いいじゃないですか。制服着ている凛さんもかわいいですよ」
でも、あなたが着たら、軍は幼女を採用しているのかと勘違いされますけどね。そんなことはもちろん、面と向かって言えるわけなかった。
「まあ、私はいいと思いますよ」
そう言いながら、シュワイヒナは水を出し始めた。そして、顔をけっこうごしごしと洗う。うがいをして、歯磨きをした。その歯磨きは、持ち手は木で作られているが、ブラシの方に関しては、私は良くは知らない。ただ、毎度、この世界は本当に技術が進歩しているなと感心させられる。
「さあ、行きましょう」
と言われたので、私も考えるのをやめ、制服を着た。
朝食を食べて、私たちは広場に向かった。そこには桜さんと、もう一人かわいらしい女の子がいた。どう形容していいものか悩むが、ぱっと思いつくものを挙げればいわゆる、アイドルのような雰囲気を纏っていた。髪は赤く、短い。とは言っても、少年のような髪型、というわけではなく、今の日本でも相当数の人がしている、ショートの形だった。それに、服装はなんだかふりふりしてるかわいらしいものだった。ある年を過ぎたら痛い目で見られるやつ。いや、その年でも十分初見はひくと思うのだが、それを感じさせない雰囲気を纏っているのは素直にすごいと思った。また、顔の造形も完ぺきだった。やはり、この世界には美人しかいないのかと少し心細くもなった。
「あ、おーい!」
と、その少女は声を張り上げて、叫んだ。これもまたよく通る声であったし、とてもかわいらしい声だった。ますますアイドルのようだった。
「すみません、お待たせしました」
というと、桜さんは、
「いやいや、そんなことないよ。さて、こちらが――」
「特殊部隊のアイドル! ランリス・アクビスだよっ! よろしく!」
キラって感じで、星が降りそうな自己紹介だった。ただ、一つ言うとするならば、シュワイヒナを差し置いて、アイドルとは何事か。まあ、シュワイヒナにアイドルをしてほしくはないが。と、私たちが、まさかの行動というか、今まで会ったことのないタイプの人間に圧倒されていると、桜さんが、
「ま、この子はこういう子だから。それにこういうところが買われて、特殊部隊にいるわけだし」
と言った。さあ、それがどういう訳か、よく分からなかったのだが、別に深く知りたくもなかったので、聞こうとは思わなかった。
「さて、行きましょうか」
桜さんに宮殿の門を抜けると、下り坂になっており、その先には大きな街が広がっていた。見るからに発展してそうで、建物の様子はさながら、中世のフランスのようではあったが、規模が大きく、非常に暮らしやすそうで、また、活気にあふれていた。
「すごいですね」
「うん。本当に湊はすごいよ。だって、この国をこんなに発展させて、皆、彼に感謝している。商売もやりやすくなったらしいし。だけど、この国はどうも他の国と仲が悪くてね、海の向こうの大陸にある国も私たちと国交を結ぶのは断っているし、シュワナもほんの一年前まで、あんな感じだったものね」
確かに湊さんは本当にすごい。私なんか一年かけて、復興をなんとか出来たような――と言っても首都だけ――なもんだから、やはり、湊さんは別格なのだろう。やはり、日本での知識を生かせているところが最も良いところなのだろうか。私はほとんど覚えていないのだが――実際、いつもの常識というのはそれが通用しない世界では、忘れてしまうものだったりする――湊さんはきっと覚えているのだろう。だからこそ、圧倒的なスピードで国を発展させることが出来たのだろう。
「本当に湊さん、うらやましいですよ。私も湊さんみたいになれたらなあ。私、政治苦手ですもの」
とシュワイヒナが言った。シュワイヒナは小さい時から両親などの身近な人々が国を動かしていたのを見ていたのだろう。だから、自分も国を上手く動かせるようになりたいのだろう。
「シュワイヒナはすごく役に立ってたよ。シュワイヒナがいなかったら、今頃あの国は大変なことになっていたよ」
「そうですかあ、えへへ。ありがとうございますう」
とシュワイヒナは照れつつ、笑った。
「そういえばさ、私たちがいないシュワナは今頃どうなっちゃってんだろ。あのシトリアとか、アリシアとかカリアってのが、私たちがいなくなったとたん、政治に積極的になってたりして」
と私が言うと、シュワイヒナは
「そうだったらそうでまずい気もするんですけどね……」
と、何やら心配そうに言った。
「えええ、シュワイヒナさん、私たちに隠してることでもあるんですかあ?」
とランリスがニヤニヤしながら言った。
「そんなこと、シュワイヒナがするわけ――」
否定しようとした。だが、そこで、アンさんの言っていたことを思い出した。シュワイヒナは何かを隠している――アンさんがそんな嘘をつく理由はない。それにランリスまで、そんなことを言っている。確かにシュワイヒナは何かを隠していた。私が何かを聞いても、お茶を濁すことが幾度となくあった。一体、何を隠しているのか。
「まあ、いいじゃないですか。私のことなんて」
とシュワイヒナは笑いながら言った。作り笑いだった。確実にそうだとは言えないが、なんとなくそう思った。
「ほら、街に着きましたよ」
桜さんがそう言った。
次回九月二十八日更新です
 




