第五話 罪
体は勝手に動き始めた。意識せずとも、剣は二人の男の首を吹き飛ばす。速度は圧倒的。
「は?」
素っ頓狂な声を上げた一際強そうな男相手に走り出す。と言っても、ただ地面を蹴っただけ。物理法則を無視しているかのような動きで私の体は敵の中心部に入る。そして、一見めちゃくちゃに見えるように剣を振るう。いくつもの命が一瞬にして失われた。
やっているのは私の体。私じゃない。一回こうやって闇覚醒を発動させてしまえば、私の意志に関係なく、体は殺戮マシーンとなり圧倒的な強さを手に入れられる。
ゆえに十分。
――発動させたのはあんただろ。
そういう思考が頭の中に浮かんだ途端、腕が止まる。刃は五十二人目の男の首の手前で止まった。
「あっ……」
腑抜けたような声を上げて男が倒れこむ。気づけば、残りの男たちは私の周りからかなり距離を取って立っていた。
「おい、お前、何者なんだ」
リーダー格らしき男が私の方へ一歩足を踏み出した。
「…………」
答えられない。
もう何が何だかわからない。やはり、私の頭は狂ってしまったのか?
思考がぐちゃぐちゃになって何かを考えるという動作そのものに支障をきたし、それは現状把握にも影響を及ぼす。とりあえず今、自分はピンチに陥っているのだということだけわかった。
頭がこんがらがって何もできなくなった時の対処法くらいならわかる。
目の前のタスクをこなすこと。
じゃあ目の前のタスクってなんだ? この質問に答えるのではなく、相手を殺すことか?
そうかもしれない。
「肉体強化」
一度犯した罪は消えない。私はそうやって気づく。
闇覚醒――その外見的な最大の特徴は体中に黒い何かの模様が現れることだろう。「体中」と言ったから、それは腕などにも当然現れる。そして、そこは私の視覚範囲の及ぶところだった。
全身を電流のようなものが駆け巡る。私は罪を自覚する。
私は闇覚醒を起こしていなかった。
私は自分に殺人を許容させる言い訳を必死に作っていた。自覚しなければ、それは誰からも指摘されることはなかっただろう。しかし、今、私はこうやって事実を認識してしまった。ゆえに、もうこれ以上、自分に嘘はつけない。
私は私の意志で人を殺した。あんなにしたくなかった行いをただただ自分が闇覚醒を起こして本能でそうしているのだと言い聞かせるだけで、超えてはいけないボーダーを超えてしまった。
もうこれ以上何を恐れるというのだろうか。
そうやって罪は重ねられていく。
私は確実に命を奪うため、走った。シュワイヒナのように全身に肉体強化を使うことはできないが、体の一部分だけなら使える。相手との距離は約五メートル。これなら、当然一秒もかからない。刹那、その言葉が最も似あうほどの時間で、私はリーダー格らしき男に肉薄した。
「化け物が……!」
その言葉は断末魔のようにも聞こえた。勝ちを確信し、私の限界まで砕かれた心の中に少しだけ、元とは全然違うはちゃめちゃな形を作るための接着剤が投下される。
大量の血しぶきが私の顔を濡らした。生暖かい感覚はそう簡単に忘れられるものではない。
「お前ら!」
叫ぶ。
「まだ戦う意思のあるものはかかってこい」
男たちは動かない。一分もしないうちに量産された死体の傍で、男たちはやがて武器を落とし、両手を上げた。
それを見た途端、状況整理が一瞬にして行われる。
私はこの手で五十三人の命を奪った。全員まだ若い。未来ある若者たちだった。
考えるな。
今、私のやるべきことはまだある。
「おい、そこのお前。どうやったら戦争は終わる?」
「…………」
指さされた男は今にも泣きそうな表情を浮かべる。役に立たない。
「死にたくなかったら答えろ」
「そっ……そんな言われても」
そりゃあそうか。私でも困る。
「おい、化け物!」
叫ぶ男がいた。剣を強く握り、そちらの方を見る。
「なに?」
「男だか、女だか知らねえが。戦争を止めるなんてやめとけ。もうこの戦争に統制はとれていない。八つの部隊が別々に最後の街の殲滅に向かっている。奴らは人殺しがしたいだけだ。俺らも含めてな」
「どうもご親切に」
優しい人もいるもんだ。
「じゃあ、その部隊を全滅させれば、戦争は終わるってことだろ」
目的が生まれる。決まった線が引かれ、私はそこを辿るだけで良い。
「そいつら、どこにいんの?」
「……わかんねえよ」
「あ、そう。とりあえず馬だけ頂戴」
「…………」
「ま、嫌って言えないか」
馬に跨り、走り出した。
ずっと走って、平原を抜け、森の中に入っていく。常緑樹に雪が積もり、白い葉をつけた木のように見えた。馬はあまり扱ったことがないから、非常に難しいけれど、私に懐いてくれているようで、今のところは振り落とされずに走れている。
「凛さん、なんで泣いてるんですか?」
「……なんででもいいでしょ」
「でも、凛さん、英雄ですよ。たくさんの人を逃がして、命を救った。五十三の屑の命に比べたら、快挙ですよ」
「……人ってあんなに簡単に死ぬんだってわかっていたつもりだったのに、わかってなかった」
レベル七十五を超えた肉体は一般人の域を遥かに凌駕し、今なら、オリンピック全種目で金メダルを取れるほどだ。頭の中で理想的な戦闘スタイルを思い描いても、体が追い付かないなんてことはない。むしろ、今の肉体レベルを考慮した戦闘をするべきだ。
それが剣を持ち、斬りかかれば、大概の人間は殺せる。剣は体の一部として動かせて、思うままに相手の首を斬れる。
それだけ人を簡単に殺せるのだ。
「私はそう簡単に死にません」
シュワイヒナが羨ましい。私も殺人を犯しても大義のためだと割り切れるような人間になりたい。
けれど、日本の現代社会でこの人は大量殺人者だったので私が殺しました、なんて言って許されるか? そいつもただの殺人者じゃないのか?
正義のための殺人なんてあってはならない。それは真の英雄じゃない。
じゃあ、英雄って何? ヒーローって何?
主人公なら人を殺しても許されるのか?
考える。考える。考える。
自分の殺人を肯定するための理由を見つけなきゃいけない。そうでもしなきゃ、私は……。
「凛さん。あなたのしたいことはなんですか?」
「私の……したいこと?」
「そうです」
「ささやかな幸せを……あなたと一緒に静かに暮らせたら、それ以上のことは……」
「だったら、それに向かって進めばいいだけのことじゃないですか」
「でも……あなたは」
口を紡ぐ。が、それを察したように幻は言う。
「幻の私と溺れてしまいましょう。幻影を見続けて生活すればいいんです。どうせ、もう本物には会えないんですから」
「…………」
そもそも私は何に喋りかけられているんだ。私の脳みそが作り出した幻ならこのセリフも私の思っていることなのではないだろうか。
「……そんなことしたって、意味ない」
吐く息は白い。
確かな体温で温めてもらいたい。心も体も温めて、何も考えなくていいほど熱く、熱く。幻じゃ、それはできない。
「そんなこと言っちゃあ、私消えますよ」
「それは……やめて」
「やっぱり」
もう何もかもがわからない。
とりあえずタスクをこなさなきゃ。
今目の前にある問題はレベリアの最後の街に向かっている八つの部隊。そのすべてを殲滅した場合、それで戦争は終結するのだろうか。
わからない。私は戦争について研究していた人間ではないし、好きでそういうことを調べていたわけもない。そんな人が戦争を止めるために動くということ自体、現代社会なら間違いなくタブー視されるだろう。
それに敵を全員倒せば戦争は終わるのではないかという発想自体短絡的な気がしてならない。どうせ関係ない人たちの集団なんだから放っておけばいいだろうと今になって思い始めたが、一度首を突っ込んでしまった手前、やはりそれはよくないような気がする。私のような部外者早く消えたほうがいいのかもしれないけれど。
「ま、凛さんがしたいようにすればいいと思いますけどね」
私は死ねるのだろうか。
先程の戦いでは一対五百でも圧倒できたが、あれは敵が皆一般人レベルの弱さだったからだ。あり得ない話だが、十人ほどの部隊でも一人一人が、ミチルほどあるいは、アンさんほどの強さを持っているのならば、一対一でも勝てるかどうかわからないのだから、一対十で勝てるはずがない。本当にパワーバランスとかいうやつにはこの世界でもっとちゃんと機能してほしいと思うが、そんな状況であるからこそ、今私は生きているのだと考えると、あまり大きな声で文句は言えない。
兎にも角にも強くなるか、死ぬか選ばなきゃいけない。
「全てを放り出して、死ぬだなんて言わないですよね」
いきなりそれが耳元でそんなことを言ってきたから、私は体をぶるっと震わせて、驚いた。
シュワイヒナは柔らかくほほ笑むと、
「本物の私がまだ生きているのに死ぬだなんてかわいそうだとは思いませんか?」
確かにシュワイヒナならおそらく生きているだろう。彼女の強さは文字通り異次元。殺人を大義のために行えるところを羨ましいと言ったが、それを周りに納得させるだけの力がある。それでいてもしあの闇覚醒が自由自在に扱えるようになれれば、祐樹すらも殺せるかもしれない。
それに比べ私は闇覚醒は扱えなかった。暴走状態に陥るあの力を扱おうと思うほうが馬鹿なのかもしれないが、やはり釈然としない。
けれど、私とシュワイヒナは運命共同体だと少なくとも私は思っている。私が死ねばシュワイヒナは他者の命を犠牲にして私に生を与えるし、シュワイヒナが死ねば、私も後を追う。確かにそう考えれば、世界のためにも私は生きていかなければならない。それが、間接的なシュワイヒナによる虐殺を防ぐ手立てになるからだ。
つくづく人間としてどうなんだという感じのシュワイヒナだが、私はほとんど本能的なもので彼女を肯定したくなる。だからこそ、これ以上間違いを犯させるわけにはいかない。
「自分みたいなクズのせいで死ぬ人たちなんていてほしくないって思ってるんでしょ」
「……なんで、そう人の心にずかずかと……。ま、私の心そのものだししょうがないのか」
「結局、凛さんは誰にも死んでほしくないんですよ。私はそれが悪いことだとは思いません。凛さんが誰も殺すなというのならば、私は必要に駆られていない限り、人は殺しませんよ。もっとも、いつもそうですけど。私だって自分の快楽のために人を殺すような悪魔じゃないんですよ」
「……だといいけど」
そう私が信じたいだけのようにも思える。
森を抜け、平原を抜け、雪に濡れながら、進んでいく。気づけば一週間と二日が過ぎていた。六月二十九日。まだまだ冬は終わりそうにない。寒いのは辛いし、体力も奪われるので早く終わってほしい限りではあるが、こればっかりは自然現象なのでどうしようもない。水平線の存在と、季節、昼夜の存在を考えれば、この世界はおそらく球状の惑星だから、リデビュ島があった北半球に戻れば寒さをしのげそうだが、それが叶うころには向こうが冬になっていそうだ。
自分がどこに行きたいのかわからず彷徨っているうちにもうこんなにも時間が経ってしまった。そして、今この場所で私はあまり見たくない景色を見ていた。
この世界における戦闘は殺傷力の高い魔法を打ちあったりもしているから、短期決戦になることが多いと思っていたが、今、私が出くわしている戦場を見る限り、そうでもないようだ。
魔法を魔法で防ぎ、二つの部隊がにらみ合いを続けている。数はおそらく同じくらい。私が介入しても事態は変わりそうにない。その戦場の遥か後方。レベリア軍が駐留しているテントにやってきた。
「君は……」
一週間以上前にあった人がいた。
「こんにちは」
「生きていたんだな……。ありがとう。君のおかげで……敵部隊はどうなった?」
「十分の一の死亡で壊滅して逃げました」
「すべて君一人でかい?」
「はい」
少し、否かなり後悔が残るものの。
「頼む。この膠着戦線もなんとかしてくれないか」
「……無理です」
「どうしてだ、君ならできるだろ!」
「…………」
あれは弱かったから運よくできただけ、とか言えない。間接的にあなたたちが弱いと言うことにもなり、それは煽ってるみたいでいやだ。
戦線はもはやどうしようもないように見える。情報操作でどうにかしようとも思ったが、負傷者が増え続けるこの状況はおそらくかなり時間が経ったのちに、前線に立てる人間がいなくなることで、解決されるだろう。そして、その場合はおそらくレベリア側の敗北で終わる。
私のできることは何もない。戦闘の様子を見るにレベルが高すぎるのだ。きっとシュワイヒナなら向こうの兵士を皆殺しにして強引に解決できそうだが、私にそこまでする勇気はない。
もう私は人を殺したくなかった。




