第四話 偽善者
モイメさんに一か月分の食料をもらい、彼女に別れを告げ、私は次の日には村を出発した。髪は切ったままにして、できるだけ男に似せた格好をするよう努めた。女であるというのはとても生きづらく、女と見るや否や弱者と思い込んで襲ってくる馬鹿もたまにはいる。私なんてかわいいわけでもないし、自分でもびっくりするくらいきつい目をしているからそういう心配はおおよそないものと思われるが、時に、変な趣味の人間はそこそこいるもので、特にシュワイヒナなんてなんで私に惚れたのかわからないのだから、気にしたほうがいいというのは間違いない。いくら私だからと言って気持ち悪い人間に犯されるのは死んでも嫌だし、この体はシュワイヒナのために存在する。
彼女のための命を投げうって戦地に向かうというのはそれはそれで何がしたいのかわからなくなってくるが、正直もうどうでもいい。シュワイヒナに会えれば、それが良いか悪いかは別として確かな幸せが存在していて、私はそれを猛烈に欲しているのだが、それを上回る勢いで今、私は死にたい。シュワイヒナに似合う人間はきっと他にいる。いや、こんな私だからシュワイヒナも扱いやすいと思っているのかもしれないけれど――そう考えると、やはり死ぬのはもったいないような気がしてきた。
普通に首を吊って死ぬのはなんだか嫌だから、とりあえず戦争なんてよくないことをやめさせたいという当事者たちの意向を無視した傲慢な、偽善的思考を愚かな――愚かな人間からは普通の人間は愚かに見えるものだ――人間たちに押し付けようと思った。迷惑をふりまいて死のうと思ったのだ。突然の横やりに彼らは何を思うのだろうか。兵士を殺したくはないけれど、仮に私が殺人に躊躇がなくなって、剣を命を奪うために振るうようになるとするならば、今は亡き葦塚湊さんの「レベリングコントロール」により与えられた力で多人数相手でも圧倒できる。結局人の力を借りないと何もできない私だが、どうせ死んだら思考も何もなくなるんだし、いいかなと思った。
にしても、こんだけ、心の中で死ぬ死ぬ言っているのに、神は未だ何も言ってこない。私の説得はもう諦めたのだろうか。それとも、私が戦いで負けるようなことがないと踏んだのだろうか。そんなこと言ってたら、私簡単に死んじゃうぞ。さっき、圧倒すると言ったけれども、やはりその人数には限りがあって、私にも体力というのが存在するのだから、勝てるはずがない。そうやって、私は死ぬ。いやはや、それじゃあ何の目的も果たせていないじゃないかと思われるかもしれないが、そこはご愛嬌。死にたがりの変な独り言だとでも思ってくれ。自分の死が誰かの役に立つなんて言う自己犠牲から起こるビターエンドに自分を重ねて妄想するのは日本人の性ではないだろうか? あれ、違う? 別にそれはそれでいいけど。
「あー、もうわけわかんない」
まだ夕暮れ時であるにも関わらず、歩くのも面倒になってきて、木の上の枝に座って、眠ろうと思った。テントでも持っていたら便利なんだろうなあとか思ったりしたが、やはりどんな化け物がいるかわからないから、なるべく地面で寝るわけにはいかない。この世界やけに人食いの獣多いらしいし。火でも焚くかと思ったが、シンプルに面倒くさい。
いや、寒いな。乾パンしか食べていないからエネルギーも足りない気がする。それに、木の上で眠ろうとすると、枝がごつごつしていてお尻が痛い。もう幾度となく経験していることだから、そろそろ慣れろという話なんだけれども、やはりきついものがある。
今更になって、普通に家に帰って温かい毛布に包まれて眠るという至福の生活が恋しくなってきた。あの時、当たり前だと思っていた幸せをもっと素直に享受しておけばよかったなと今更になって思うけれども、いやはや普通に生きていたはずの十六の女子高生にそれを求めるのはどだい無理な話である。
と、こんな感じで散々悪態をついてきたが、この私、結構すぐに眠れます。
何か嫌な夢を見たような気がする。人が死ぬ夢だったと思う。見たことのない人々が目の前で散っていっていた。私はただの傍観者。そこから動くこともかなわないし、いや、そもそも自分はその世界に干渉することすらできない。ただただ見ているだけ。
「助けちゃだめなんでしょ」
人の命を助けるのは必ずしも良いことじゃない。あの村で得た最大の教訓だ。どんなに私が生を望んだとしても、私はただの部外者で、身勝手な傲慢野郎。
大体、私なら助けられるなんて思うこと自体間違っている。
別に間違っててもいいや。
「行こう」
まだ外は暗かった。はやく目覚めてしまったようだ。関係ない。早く行ければそれはそれでいいだろう。
雪に香りはない。けれど、音はある。じゃりじゃり、と進むたび、足元でそんな音が立つ。うすい靴底だと水が入ってきて、とても気持ち悪く、また寒さは増すが、その音だけで十分楽しめた。雪が降っているときに家族や友達と遊んだなんて記憶がないから、ここで十分に楽しんでおこう。
そう思い立ったが、吉日。私は初めての雪だるまづくりにとりかかった。まだ暗いから、辺りはよく見えないけれど、こんだけ積もっているのだから、雪の量は十分。手が冷たくなって、少し嫌な気がするけれど、きっと大丈夫。
「凛さん、こんな趣味あったんですね」
「別に、たまにはいいでしょ」
「そうですね。私は凛さんとならなんでも楽しいですよ」
「じゃあ、手伝ってよ」
「いや、私はかわいい凛さんが遊んでるのを見ときます」
「そう」
触った場所が解けて、また新しいのを積みなおす。
小一時間が経過したころには良い感じのが出来上がっていた。
さすが、私。初めてにしては上出来。
「ね、シュワイヒナ」
朝日が昇り始めた。人は、いない。
わかっていたことだ。幻覚は消えない。私に笑いかけるシュワイヒナに手を伸ばそうとしても、彼女が避けるのは触れられないから。それを私の頭が誤魔化そうとしているから。
「どうしました? 凛さん」
「なんにも。どうこの髪型?」
「凛さんなら、なんでもいいですよ。それはそれで格好いいですね。女の子に惚れられますよ」
「別に、シュワイヒナ以外はいらないかな」
「嬉しいです」
私に近づく。すぐに触れられるくらいの距離に。なのに、届かない。
「行きましょうか」
「うん」
私は一人だ。私の周りに人はいない。
それなのに、一人じゃないのは私がもう戻れないところまで来てしまっているからだろうか。
「凛さん、なんか悲しそうな顔してますね。なんでも話していいんですよ」
「シュワイヒナに話しても意味ないから」
「そんなこと言わないでくださいよ」
「……そこにいないくせに」
「いますよ。ずっと、凛さんの隣に」
「……ありがとう」
二週間と少しが経過したころ、
「あれ……」
「わかってる」
軍の宿営地らしきところが目に入った。レベリアかヴァルキリアかはわからない。
「こんにちは」
低めの声で挨拶してみると、
「何者だ!」
叫ばれた。むしろここまで近づいても気づかなかったのか。
「僕はリクと言います。ここはレベリア軍ですか?」
「あ、ああそうだが。何しに来た?」
「ミチルって人知ってますか?」
「ああ、あいつか。もっと前線の生き残りだという話だが、なんだそいつを探しに来たのか?」
「前線の生き残り……あなたたちが戦わせたんですか?」
そう言った時、どうやらそこのボスらしき人物が来て、
「何者だ?」
「敵ではありません」
「場合によっては殺すつもりでしょう?」
シュワイヒナが横から口を挟む。幻影のくせに話をするな。
「まあ、お前一人で俺たち全員を殺せるとは思わないからな」
「今の凛さんなら殺せるでしょうに」
しないから。
「戦争、してるんですよね」
「……ああ、そうだが」
「負けてるんですね」
「うるさい!」
図星。どうせ、みんな死ぬとか言ってたミチルだからそれだけこの国は追い詰められているということだろう。
「講和できないんですか? って愚問でしたね。できないから、困ってるんでしょ」
「お前はさっきからなんなのだ」
「じゃあ……」
その時、
「報告です! ヴァルキリア軍、五百人がここまで迫っています!」
「なっ……」
「ここ、何人いるんですか?」
「戦えるのは、三十」
「少ないですね」
「もう、終わりだ」
戦えるのは、という言葉的におそらく負傷者を抱えているのだろう。彼らを置いては逃げられない、とでも言いたいのだろうか。
どっちでもいいや。
「僕が代わりに戦いましょう」
「は?」
「五百ですよね。僕が代わりにやります」
「……やれるわけがない」
私もそう思う。けれど、死に場所としたらちょうどいいんじゃないか。負傷者を含めて逃げさせる時間を作り、散る。命を少しは救えるんじゃないんだろうか。
「凛さんは死にませんよ。神の加護がありますから」
「そうだね」
死ねなかったら、その時はどうしよう。ま、どうでもいいけど。
「僕が戦っている間に逃げてください」
「それじゃ……お前、死ぬぞ」
「それでいいんですよ」
手を振って、歩き出す。怖くない。死んだら、すべて終わり。ただ、それだけなんだから何が怖いのか。
「もう一度言いましょう。凛さんは死にません」
幻がそう囁くのは自信からではない。じゃあ、なぜそんなことを言い始めるのか。私にはわからない。
一時間くらい歩くと、だだっぴろい平原にたくさんの人が集まって移動しているのが見えた。確かに五百人くらいだ。
「あんたら!」
叫ぶ。距離は百メートルほどだろうか。
その集団は動きを止めた。聞こえていたようだ。
「ヴァルキリアか?」
「なんだ、お前ら」
再び集団は動き始め、こちらへ距離を詰め始める。
「殺せ」
二人ほど走ってこちらへ向かい始めた。多分、ミチルよりもずっと弱い。一般人レベルかな。
「凛さん。殺すんですか?」
「どうしよう」
剣を抜いて、構え、彼らの表情をじっと見つめる。血に飢えている。殺害を心から楽しみにしていそうな顔。
それでいて走る姿は弱そうだ。ただの猟奇殺人者。殺すつもりでかかってくる人間は普通よりも多少強くなるものだ。それで戦場を生き残ったのだろう。
そういう殺すための理由付けをして、私は覚悟を決めた。剣を振るう。
「おらっ!」
気合の声を上げながら、飛びかかってきた男たちに私は――
「なんだ、お前?」
剣を振るえず、攻撃に対して防御するという態勢しか取れなかった。
「…………」
目の前で命が飛ぶというビジョンが見えた途端に、剣を振るえなくなってしまった。人を殺しちゃいけないって、それは、
「……殺せない」
絶対に守らなきゃいけない最終ボーダー。
「凛さん……」
私はまだ自分の手を汚したくなかった。けれど、自分の限界を感じた今、それは遅すぎた。
目の前には五百人の敵。殺さなくちゃ勝てない。あんな風に啖呵を切って飛び出したのに、私はださい人間だ。
本当は戦えないくせに!
私は、何もできない私が、憎い。みんなに生き残ってほしいなんて思うのは、私の身勝手だ。そう気づいたのに、私はそれを捨てきれない。
だから、シュワイヒナに何人も殺させたんだろ。
「ごめん」
せめて、あなたが本当にいれば、私はこいつらを殺せたのかもしれないのに。
「凛さん」
「来ないで」
憎い。私が、憎い。みんなを守る英雄にならなきゃいけないのに、それから逃げ出して死にたいなんて思った自分が憎い。たくさんの未来ある人たちの命の上に生きている自分が憎い。レベリアの兵士たちを逃がすって言ったのに、何もできなかった自分が憎い。
英雄にならなきゃ。
勝てる人にならなきゃ。強く、ならなきゃ。戦争も私一人で止められるくらい、相手を生かすも殺すも自由になれるくらい。
でも、もう遅すぎる。私は死ぬんだ。これから、殺されるんだ。
怖い。死にたくない。
なんで、私だけこんな目に合わなきゃいけないんだ。死線を潜り抜け続けた女子高生なんてこの世にそういないだろ。なんで、なんで、なんで。
剣が振るわれる。私の命を奪うために。
戦わなきゃいけない。生き残るために、死にたくないから。
私は私に殺人を強制させる。それしかない。一度だけ使ったあの力。シュワイヒナが私のために使った力。そのデメリットを今、私は自分自身をごまかすために悪用する。
「闇覚醒」
 




