第三十九話 仲間
時間というものはいつも一定方向へと流れていて、この世界には確かに例外もありますが、それを除いてしまえば、昔に戻ることなど叶わないのです。
そして、私たちはその元に戻す力を完全に失ってしまいました。闇覚醒を起こさないと発現しない能力と、大賢者の使えた能力。それらをもう一度使うことは、できません。
したがって、失われた命を元に戻すこともできず、私たちにはその魂が安らかに眠ることを祈ることしかできませんでした。
外で吹き荒れていた吹雪は収まり、夜も明け、太陽の光が見え始めたころ、私とテールイは身を忍ばせていた洞窟から出て行って、歩き始めました。
別にどこかに行く当てはありません。ただ、太陽の向きから見て、私たちは登ってきた方向とは逆のほうへと落ちてしまっていたようです。
「リンバルト王国……ね」
しかも一年半後。おそらく距離的には一年半以内にリンバルト王国へとたどり着くことはできますが、大賢者の発言は凛さんが一年半後にリンバルト王国につき、そしてそこで何かが起こることを示唆しています。さらに、こことは別の世界で見た凛さんの姿と発言から考えるに凛さんはおそらく今はエゴエスアかレベリアにいることになります。このままリンバルト王国へと向かうよりも凛さんに会いに行くほうがいいかもしれませんが、しかし、向かうとなるともう一度山越えをする必要があり、そのためにはこの山脈の構造を良く知り、さらに数多く巣食うとされる魔獣と戦わねばなりません。私から闇覚醒が失われてしまった今、私に魔獣と戦う力はなく、テールイが戦うことになってしまい、どの程度の強さの魔獣がいるかどうかが分からない以上、山越えは断念せざるを得ません。
「人を助けたいんですよね」
テールイは私の顔を覗き込んで、そう言いました。
「たくさん失ってきましたから、敵も味方も。だから、だからこそ、失いたくないんですよね」
「……、うん」
「私も同じです。私も失わせたくありません。大賢者様にあれほどの恨みを抱いていたモイメさんの本心なんて知りませんでした。しかし、知らなかったで済まされる問題ではありませんから」
テールイは自らの小さな手を見て、続けます。
「私はこの手で救えませんでした。もっと、私が考えれば、もっと、私に勇気があれば、大賢者もモイメさんも救えました。さっきも言いましたが、だからこそ私ももう命は失わせたくありません。シュワイヒナさん、だったら、もうこれから何するか決まっていますよね」
「そうだね」
ずっと前に答えは出していました。
一週間が経過しました。下山はなおも終わっていませんでしたが、私たちはゆっくりと確実に歩を進めています。
「さすがにおなか減りますね」
「そりゃあ」
別に何も食べてないというわけではありませんよ。そんな状況に陥っていたのでしたら、とっくの昔に死んでいます。
しかし、それと近い状況ではありました。
やけにこの辺りでは木の実がならず、さらには生き物もいくつか見つけましたが、どれもかなり手ごわそうな魔獣で、勝てるかどうかはわかりませんし、それどころかおそらく肉が硬くて、まともに食えるものじゃありません。
そういうわけで食料にはだいぶ困っており、食べる量は半分以下にまで減っていました。
はてはて、どうしましょう。
「あっ」
テールイが声を上げました。何かを見つけたようで、指をさします。
そこには倒れた馬車がありました。馬はところどころ食べられていて、食べれる場所はもう残ってそうにもありません。
まあ、食べる気もないんですけどね。
そして、少しだけ近くによると、テールイが
「やっぱ、やめておきましょう」
と言いました。
「どうして?」
そう尋ねると、
「死の匂いがします。この感じですと、男性の命が二つ、死後十日ほどです。見ないほうが良いと思います」
「……、そっか」
命が失われることなんて毎日どこかで起こっていることで、この命は私たちがどうあがいていても救うことはできませんでした。
だから、関係ないと割り切ることはできますが、少しだけ心が痛みます。
手だけ合わせて、その場を後にしました。
歩いて、歩いて、歩いて。
それから五日ほど、私たちはようやく人里に巡り合うことができました。あの死んでしまった馬と一行を見た時点で、人里が近いことはわかっていましたが、それにしても時間がかかりました。私たちの運がわるいのか、はたまた、私たちの運が今まで良すぎたのか。
おそらく、地図を持っていないのが悪いのだと思います。
のどかな村でした。田畑があたり一帯に広がり、家はぽつんぽつんと少しだけ。おそらく住んでいる人の数はかなり少ないでしょう。家畜として飼っているであろう牛の鳴き声が低く響くほどには静かな村でした。
歩いていきますと、農作業をしていたであろう女性がこちらを振り返って、
「君たち、どこから来たの」
と尋ねてきました。
「ちょっと山から」
と答えますと、
「見かけによらず、不思議な話もあるもんねえ。ほら、飯でも食っていきな」
と誘われましたので、私たちにその申し出を断る理由もなく、彼女の家へと向かいました。
質素な家でした。しかし、それはこの大きさの村としては貧しく見えるものではなく、平均的と言えば、そう言えそうな家です。
しかし、嵐が来ると簡単に倒壊してしまいそうではあります。
出された食事はまともな食事をしばらくとれていない私たちからするとそれはもう、この世界の最上級であるかのように見えますが、しかし、そういう時ではなくて、例えば、私が王宮にいたころには絶対に食べないであろうものでした。
王宮での豪華な食事を食べられなくなって、もう長いこと経つので、今更どうということはありませんけれども。
「ごちそうさまでした」
十分もかからずに食べてしまい、少々はしたないことをしてしまったかのように思います。
「随分と、腹減ってたんだねえ。まあ上にまともに食える飯なんてあるわけないかあ。それはそうと、どこに向かうんだい?」
「……、別にどこかに向かうと決めているわけではありませんが」
「そうかい。このところ、世界が滅んじまうんじゃないかと思っちまうほど、世の中物騒だからね。あのくそ王のせいで……。ま、私らはこういうときに儲かるからまあ悪いことばかりじゃないんだけど」
「こういう時に儲かる……ですか?」
「ああ、食べ物は誰もが欲しがるものだから。まあ、それだけじゃないけれど」
そう言って、その女性が笑ったとたん、強い眠気と、倦怠感が私たちを襲いました。
「……、き、づか……」
テールイが途切れ途切れに言葉を発します。
「そりゃあ、獣人だろうと気づかないだろうさ。なんせ、これはそもそも毒じゃないんだからね。なーに、命を奪おうとは言っていない。それに、こんな山の中に乗り込んでくる奴なんて、大抵が訳アリだ。神様もきっと許してくれるだろうよ」
私たちを売りさばくつもりでしょうか。
そんなこと、許すわけにはいかない。そう思っても、そもそも疲れがたまっている体が言うことを聞くわけもなく、意識は段々と遠のいていきました。
そして、申し訳なさそうな顔をする女を見て、私の意識は虚空の中に吸い込まれていきました。
目が覚めると、謎の浮遊感があって、多少焦りましたが、その正体がわかると、すぐに安堵し、私は周りを見ました。
そこは、木の上。森の上を、テールイが私を抱えて、走っていたのです。
「おはようございます。シュワイヒナさん」
「あ……おはよう」
「大変だったんですよ。目が覚めたら、ちょうど売られようとしていて。でも、収穫もありました。ここから先、三十キロメートルもしないところに街があります。ほら、だんだん、森も開けてきました」
「で、なんでこんなところ走ってるの?」
「追われてるからに決まってるじゃないですか!」
前から思ってたことですけど、この世界は本当に悪意の塊です。それだけ、みんな追い詰められているということでしょうか。
そう考えたとき、ふと、私がある時願った思いが戻ってきました。
私は、シュワナ王国の王になる。
ただ漠然と浮かんだその思いは、しかし、私のやるべきことを示唆しているように思えてきました。
私と同じように、一般に悪いとされている行いをしている人たちはきっと、それが悪いということを自覚して、罪悪感にさいなまれているのでしょう。もちろん、違う人たちも中にはいますが、悪いと思っているのに生き抜くためにそんなことしなければいけないようにさせている社会のほうが悪いように思えてくるのです。
それならば、私が変えてしまえばいい。
少なくとも、シュワナだけは救うことはできる。そう私は信じています。
街が見えてきました。
街は全体的に暗い雰囲気を持っていました。というのも、道行く人の数は少なく、さらにはところどころ落書きやら、血の跡やらが目立っていて、治安も悪そうだったのです。
「おい!」
声をかけられました。金髪の、荒れた格好をした男です。
「誰の許可で、入ってきてんだ?」
「……どなたですか? とても国の人のようには見えませんけれど」
「俺たちが、この街を支配しているんだ。俺たちに金か金になるもん、寄越せ」
「お断りします」
「なにー!」
「そう怒らないでください。それよりも、どうしてあなたたちが支配してるんですか?」
「あ? 教える義理なんてねえよ。さっさと、金目のもの寄越して、出ていけ」
王は殺されでもしたんでしょうか。それで、この人たちのグループが国を乗っ取ったとか。
「それで、この国の人たちは幸せなんでしょうか――そうじゃなさそうですね。あなたたちの態度を見ればわかります」
「だから、早く!」
どう答えればいいかわからず、私たちは無視して進み始めました。
「無視するんじゃねえぞ!」
「待て!」
剣を抜いた男が私たちに斬りかかろうとしたその時、一人の男が躍り出て、金髪の男に斬りかかりました。
「あ……」
「私が行きます。本能覚醒」
あやうく殺し合いに発展しそうになったところをテールイが飛び出して、金髪の男を気絶させ、さらに躍り出た男の手に握られていたナイフを叩き落としました。
「ちょうどいいですね。話を聞かせてください。この街がどうしてこんな風になっているのか」
男は顔を引きつらせて、首を縦に振りました。
話は実に簡単なことでした。この街、というよりこの国の王は政治が嫌で引きこもってしまったらしいです。それで、街を守っていた国による組織も力を失い、国は荒れていきました。そのことが、あんな感じのちょっとよろしくないような人たちが街を支配するという事態を生んでしまったのです。
つまり、問題解決のためには王と話をしてみないといけません。
「テールイ、王宮にでも行きますか」
「そうですね」
教えてくれた男にお礼を言って、私たちは走り出しました。
次第に、空も夕闇に染まり始め、私たちも今晩寝る場所を探さなければいけないであろう時間帯になって、私たちは王宮にたどり着きました。
部屋は明るく光っており、まだ人がいる様子がわかります。しかし、門番もおらず、私たちの侵入を食い止めようとするものなどいません。
「あそこ……ですかね」
「わからないけど、そんな気がする」
テールイが指さしたのは最上階の部屋でした。暗く、灯りはついていません。しかし、閉じたカーテンの隙間から見える部屋の中は豪勢な作りになっていて、それなりの地位の人物が住んでいると思えます。
「まあ普通に入りますか」
中に入ってもやはり人はおらず、さきほどの明るかった部屋にのみ人がいるのだろうと予測できます。
何の障害もなく、階を一つ、また一つと上がっていき、最上階へとたどり着きました。
カギのかかっていない部屋に入ると、
「誰だ?」
「……、誰と言われても」
男が二人いました。片方は随分と豪華な服を着ており、もう片方は質素な服を着ていました。
「王、と誰ですか?」
「私たちの質問には答えず、自分だけ聞いてくるとはなんのつもりなんだか。まあいいだろう。私はこの国の宰相だ」
と豪華な服を着たほうが答えました。
「うーん、じゃあ、そっちの方が王なんですか?」「
「そうだな。で、お前たちは王を殺しにでも来たのか?」
「いいえ。逆です。王様、あなたが政治をしないせいで、ギャングが幅を利かせて、多くの国民が困っているようです。この状況を変えようという気はないのですか?」
そう言っても、王は縮こまって首を振るだけでした。そして、代わりに宰相が答えます。
「この王は政治などしない。私の支配下にあるのだからな」




