第九話 アン・インカ―ベルト
あれはまだ、私が十六の時だった。もう十四年にもなるのか――アンさんはゆっくりと感慨に耽るような口調で喋り始めた。
アンさんが十六の時、この国は海の向こうの国と戦争をしていたらしい。きっかけはリーベルテ側の侵攻だったようだ。戦争はかなり長引いていて、子供たちには兵士になるように教育をしていたその対象にアンさんが漏れることは当然なく、アンさんも幼いころは兵士になることを志していた。それが当たり前だったようだ。
アンさんは住んでいた村を出て、兵士になり、海の向こうへと向かったらしい。
訓練兵時代に友達になった人が二人いたらしい。片方は固有スキル使いで、もう片方は固有スキルは持ってなかったらしい。固有スキル使いだった方はトナミといって、もう片方はコロロといったらしい。
トナミとアンさんは軍からも重宝されたらしい。そして、コロロはとても心優しい人だったから後方の部隊に所属していた。
コロロというのは女の人だったらしく、トナミとコロロは恋仲だったらしい。
海を渡った向こうは地獄だったようだ。味方の兵士は次々と命を落とした。そして、それは向こうの国も一緒だった。まさに一進一退の攻防で膠着状態が続いていた。
固有スキルを使えたのはラインさんとアンさんとトナミの三人のみ。向こうには一人しかいなかったらしい。
結局、それが勝敗を決めた。トナミの固有スキルはレべリングコントロールだった。
「へえ、同じ固有スキル使いがいることもあるんですね」
とシュワイヒナが言った。
「ああ、そうだな。固有スキルってのはマジックポイントの使い方らしいしな。それに実際トナミと湊はすごく似ていた」
トナミの投入からリーベルテは一方的な戦闘を続けていたらしい。あと一週間もすれば決着がつく。トナミはコロロにプロポーズしたらしい。いい返事だったらしい。幸せがもう目前まで迫っていた。でも、この世は無慈悲だった。だから、「それ」が起きてしまった。
優勢に進めていたと言っても、人員が不足していた。それで後方部隊のコロロもアンさんやトナミと一緒に前線の方へ進んでいた。
森の中だったらしい。
「そうだな、ちょうどそれはシュワナ方面からあの森に入った時の森と同じように深い森だったな」
とアンさんはその森を表現した。
その森に敵兵はほとんどいなかった。だから気が抜けていたのかもしれないらしい。
「現れたんだ。奴が」
そうアンさんは忌々しそうに言った。
「固有スキル使い二人を派遣しないといけなかった理由がそこで初めて分かったんだ」
アンさんたちが出会ったのは、海の向こうの国の二人目の固有スキル使いだった。
「奴は名乗らなかった。死にゆく者に名乗る意味なんてない。そう言ったんだ。自信に満ち溢れていた」
その人は手を上げ、こう言ったらしい。
「ミリタリーオブデッド」
それがその人の固有スキルだった。その人がそう言った瞬間、大量の兵士が現れたらしい。それがアンさんたちに向かってきた。
数が多かった。トナミとアンさんだけで対処できるような量じゃなかったらしい。
「この場所に調査しに行った兵士は誰も戻ってこなかった。だから上層部は何も知らなかったのだろう。それに人員も不足していた。だからしょうがなかったんだ。でも、でも……」
アンさんはしばらく黙った。それから首を横に振ると、また喋り始めた。
対処できなかったということは攻撃がコロロの方へと向かったということで。
コロロは剣を抜けなかったらしい。それくらいに心が優しい人だった。優しすぎた。それが明らかに命とりだった。ただの作り物の兵士にも剣をふるえなかった。助けは間に合わなかった。大量の人の波に押され、身動きが出来なかった。
コロロの首はトナミの目の前に飛んできた。血が空中に綺麗な弧を描き、綺麗だったらしい。そんな幻想的な光景が仲間の死によって引き起こされたものだと認識するのは仲間の首が目の前を飛んだというのを目の当たりにしたにも関わらず、難しいものだったようだ。
「しばらくは静かだった。ただ、敵兵の、作り物の人形の足音だけが響いていた。それから悲痛な叫び声が聞こえた。私は動けなかった。声をかけてやることも出来なかった」
アンさんの後悔だった。悲しい声だ。私もシュワイヒナも一言も発せなかった。
「トナミの背中から黒いものが噴き出した。それとほぼ同時にトナミの体に黒い線が浮き上がり始めた。そして、その黒いものはトナミの体を覆い尽くした。それからトナミが立ち上がると周りの兵士は一瞬で跡形もなく、消えた」
衝撃的な発言だった。
「一瞬でって本当ですか?」
「ああ、一瞬で体が朽ちた。その時、私にあった感情はなんだと思う?」
「えっと……」
分からなかった。突然、問いかけられて、それを想像することが出来なかった。
「恐怖だ。姿が変わってしまったトナミと首しか視界に映らないコロロを見て、私には助けようという感情もなかった。ただただ怖かった」
アンさんは溜息をついた。
「相手の固有スキル使いは逃げた。だが、その状況から逃げ出したいのは私も同じだった。でも、逃げられなかった。仲間を置いて逃げることは私の理性が許さなかった。私はそのとき闇覚醒というものがどういうものか知らなかった。私はトナミを元通りに出来ると信じていた。そして、一緒に帰れると信じていたのだ」
「ということは……」
「ああ、その通りだ。トナミを元通りにすることは出来なかった――」
アンさんはトナミに対していろいろなことをしたらしい。しかし、近づくことがまず、容易ではなかった。黒い塊に当たったら体が、朽ちてしまうことは他の例を見て、分かっていた。だから、近づくのは怖かった。
何度問いかけても、戻ってこなかった。
「あの時の、トナミの心の中は真っ黒だった。もう既に闇に食われていた。だから私は諦めてしまった」
もう打つ手がなかったのだ、と言い訳のように言った。
「私は隙をついて、トナミの首をはねた。その首は……」
アンさんは黙った。涙が流れていた。涙を抑えながら、アンさんは
「コロロの……首のところに落ちたんだ。そして……私は気づかなかったんだ。自分が助かるために必死で……足元なんて見てなかった。トナミの体が崩れ落ちた時、私は初めて、下を見たんだ。……そこには……コロロの……体があった」
と、途絶えとだえに言った。
かける言葉がなかった。そんな偶然があるのかと思った。そして、私にはその時のアンさんの気持ちが想像できなかった。ただ一つ分かったのは……
「後悔」
「ああ、私はその時、初めて仲間を失ったことに気づいたんだ。仲間を失うということがどういうことか分かったんだ」
それからアンさんは来た道を引き返したらしい。仲間はどうした――その質問に答えることは出来なかったらしい。ただただどうしようもない絶望感が、虚無感が心を覆って、そして、自分だけが生き残ったことを認めたくなかったのだろう。
「そして、私は大きな失態を犯していた。例の固有スキル使いが私の跡をついてきていたことに気付かなかった。彼の攻撃で私たちの本拠地は壊滅的な被害を受け、私たちの軍は逃走した。船を停めていた場所についたのは私を含めて、八人だけだった。上層部を含めてほとんどが死んだ。丸一日待ったが、誰も来なかった。私たちは諦めて、国へ帰った」
それからアンさんたちを待っていたのは非難の嵐だった。二千人で行ったのに八人しか戻ってこなかった。信じられないほどの大敗。誰も言い返せなかった。
「それから私はずっと後始末に追われていた。敵国がそれから攻めてくることはなかった。もともときっかけが私たち側にあるのだから当然と言えば当然かもしれないな。その時の国王は暗殺された。死んだ兵士の父親がやったらしい。まあ、どうでもいいことだがな。そのあと、私は上のものを変えながら、ずっと一人でトレーニングをしながら、闇覚醒について調べていた。昔の文献にトナミと同じような状態に陥った男のことが書かれていた。激しい欲望、悲しみ、怒り、憎しみ、それらによって引き起こされる稀な現象で、その男は結局は元に戻らず、勇者によって討伐されたらしい。ただ、研究を続けていくにつれ、段階があることが分かった。フェーズワンなら気絶させればもとに戻ることが分かった。だが、フェーズツー以降はどうしようもないようだ。結局は私のしたことは間違っていなかった。ただ、私はそんな結果を望んでいたわけではないんだ。救う方法があった、そういう結果が欲しかったんだ。それが見つかれば、私にも死ぬ理由が出来る。そんなこと出来ないくせにそんなことを望んでいたんだ。本当なら軍を壊滅させた、それだけで死に値することだからな。でも、私はまだ若かったのだろうと思う」
まだ十六の時に、そんなことを経験するにはつらかったのだろう。私はもうすぐ十七だが、そんなことを経験したら自殺してしまうかもしれない。それほどに壮絶な経験だったのだと思う。
「それから十二年が経って、湊たちがこの国に来たんだ。たくさんの仲間を引き連れ、敗戦後、荒み続けていたこの国をたった二年でここまで盛り返した。それから彼の固有スキルを聞いたとき、私は全身に電流のようなものが走るのを感じた。私は彼の元でトナミへの罪滅ぼしをしよう。そう誓った」
アンさんは一息、おいた。こんなに長いことを話して、喉が渇いたようだった。
シュワイヒナが「水、持ってきましょうか」と言ったが、いやいい、と言って話を続けた。
「だから、私はもう仲間を失いたくない。だが、私は無力だ。自分一人ではどうにもできない。だから最低限、君たちには自分のことを守って欲しいんだ」
それが、私を挑発してまで、私に気づいてほしかったことなんだと私はその時、初めて気づいた。
アンさんはそれからその場を離れた。
私とシュワイヒナは二人でお風呂に向かった。
「アンさんにあんな過去があったなんてね……」
「まあ、この世界は理不尽ですから」
シュワイヒナはいつになく落ち着いた口調で言った。
「こんな世界で、私にもこれから何か起こるのかと思うと、不安でたまらないよ」
弱音をこぼしてしまった。でも、シュワイヒナは笑って、
「じゃあ、今を精いっぱい楽しみましょうよ。戦争なんて物騒なことありますけど、この一瞬一瞬は今この時にしかないんですよ。だから後悔しないようにしないと、それに……」
シュワイヒナはシャワーで、泡を流して、言った。
「私は今、凛さんとこうやって、何の心配もなくいられることが一番の幸せですよ」
その時のことを上手く言葉では表せない。ドキドキした。なぜだか感動した。そんな安っぽい言葉でしか表せないけれど、私も今、この瞬間が一番、幸せだって思えた。
それから私たちは風呂を上がって、食堂へと向かった。その道中、庭の向こう側にアンさんの姿を見かけた。声をかけようとしたが、シュワイヒナに裾を引っ張られ、とどまる。
見ると、アンさんは何かを埋めていた。目を凝らして見ると、それは今朝の大男の死体だった。一瞬ぎょっとしたが、アンさんのしていることを理解するとそんな感情もすぐに消えた。
「埋葬してあげてるんですね」
シュワイヒナが言った。
「うん」
それからアンさんは手を合わせていた。じっと目を瞑って、一分以上手を合わせていた。
「なんだかんだ、優しい人なんじゃん」
「うん、そうですね、本当に」
私たちは声をかけず、そっとその場を離れた。なんだかすがすがしい気分だった。なんでかは分からないけれども、私はこの世界にもう少しだけ、いや、もうしばらくはいれそうだ。理不尽な世界だけど、悪い人ばかりじゃない。良い人もたくさんいる。そう思った。少しだけ、この世界にも希望を見いだすことができた。
次回九月二十七日更新です
 




