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月光  作者: えっくす
5/8

五話

風が轟、と吹く。

意識が現在に立ち返ってくる。

どうやら、随分と長く考え込んでいたようで、陽が登り始めていた。

井戸までもう少し。

視線を感じ、顔を上げると、声を掛けられた。


「…良かった、平気そうだね。声を掛けても返事がないから心配してたんだよ」

「…なんだ。来ていたのか」



声をかけてきたのは人間ではない。

体長約50cm程の、浮遊する蜥蜴だ。

自らを精霊、と称している。


「いつも一緒に出てきているじゃないか。起こしてくれないだなんて、君も人が悪い」

「…寝起きだったから。それに、君も、気持ち良さそうに寝ていた」


彼はため息をついた。


「ともあれ、元気ならいいよ。さ、早く帰ろう。まったく、寒くてかなわない」

「…そんなに寒い?」


水を汲みながら聞く。


「今はね。慣れるまでが大変なんだ」

「…ふぅん」


気のない返事を返す。

一つ。二つ。三つ。四つ。

桶に水が満たされていく。

(よ…っと…)

それらを宙に浮かす。


「じゃあ、帰ろう」


精霊―ヴェルと連れ立って歩き出す。

最も、彼は浮いているので、歩く、という表現に些か誤謬はあるが。


ヒュゥゥ…


今日は風が強い。確かに、これは、寒いかもしれない。


「おぉぉ…寒い、寒い…」

ブルブルと体を震わせて、彼が独りごちる。


「中に入る?」

上着を広げる。

脇腹あたりにくるまれば、少しは寒さを凌げるだろう。


「…君は何を言っているんだ…」

呆れたように首を振るヴェル。

「もう少し自覚を持て…これだから…」


…何を言っているか聞き取れないが、流石にそれはやり過ぎか。見目も悪い。

悪くない提案だと思ったけれど。


お互い無言で歩き続ける。

風の音、靴の音、動物の鳴き声、私の息…


「ねぇ」

「…うん?」

唐突にヴェルが口を開いた。


「君は毎朝、ここまで来て水を汲んでいる」

「うん」

「三十分。三十分も掛けてだよ」

「…先生にそう言われたから。それに、それ以外に私の仕事はない」

「…なぁ、君さ、気づいてるだろ?井戸なら家の裏手にもある。そっちに行けばいいじゃないか」

「…ごめん。迷惑をかける」

「いや、別に僕は構わないよ。…ただ、うん、純粋な疑問」

「…先生は、水を汲む井戸として、ここしか紹介しなかった。それにはきっと意味がある」

「それに、何度も言うけど、仕事はこれしかない。いい運動にもなる」

「こんなに寒いのに?」

「…それはヴェルが寒がりなだけだと思う」


ま、君がいいならいいんだけどさ。

そう言って、ヴェルは会話を切る。


また無言が続く。

私は地面を見て歩いている。



視線を感じた。

目で、何か用?と、問う。


「いやさ。君と初めて会った時のことを思い出したんだ」

「…あぁ…」


あの時。私が、はじめて人を殺したあの時。

目を閉じたあと、やはり、恐怖から、何度も目を開けてしまった。

―その何回目かに見えた、炎の奥の人影。


それが、私の救い主であった。

私は彼を「先生」と呼んでいる。


「いや、懐かしい。寝た振りをした君が、僕を見て奇声を上げたところとか、今思い出しても面白い」


くくくっ、と笑っている。悪かったな。


「…知らない天井、謎の老爺、布団の上…目覚める直前の出来事も出来事だから、仕方ない」

「や、や、冗談だって」


少し不機嫌を装って返すと、慌てて前足を振って否定するヴェル。

短い前足が揺れるのがなんとも滑稽で、笑いが零れる。


「驚いたよ。朝起きたら、隣に女の子が寝ているんだからね。アフェクションのやつ、ついに誘拐に手をつけたのかと思ったよ」



驚いたのは私の方だ。…御伽噺の中にしか出てこない存在が目の前に居るのだから。


そうだ。ここは非科学的なもので溢れている。

…あの夜、私が人殺しに使ったのもそのひとつだ。

即ち、超能力。

それは、魔術という名で呼ばれている―この世に住む人達の、生命線。


ヴェルの言うことには、脳の奥にある「松果体」という機構が、イメージによって形作られた像を、生体エネルギーを以て現実に投影することによって発生するだとかなんとか―




「…名前は?まだ思い出せない?」

いつもより幾らか饒舌である。

寒さが、彼をそうさせているのだろう。

「…うん」


名前が思い出せない。嘘だ。

私は、おれの名前を知っている。

…けれど、元とは似ても似つかぬ少女の姿になり、さらには、人を殺めてしまった「私」は、果たして、おれのままなのだろうか…


それに何より―この身は既に…


…ああ。以前であれば、考えられないことだ。

流石に、それを「変化」だと言える程、私の精神は強靭ではない。


カァァ…ピィィ…


鳥の鳴き声が聞こえる。

少しの沈黙。


「よし、着いたね。お疲れ様」


「ただいま」

「おかえり」

家の扉を開けると、声が返ってきた。

リビングに向かうと、紅茶を飲みながら本を読んでいる先生の姿があった。

白い髪。白い髭。温和そうな顔立ち。如何にも、近所の優しいお爺さん、という体だが、少しばかり近寄り難さを感じる。


―恐らく、その理由は彼の目付きにあるだろう。

鋭く、充血した瞳は、常に何かと戦っているようだ。


「あの…」

「…いつも済まないね。助かるよ」

そう言った切り、本に目を落としてしまった。


階段を登り、私の部屋に上がる。


「なんだかね。…自分で攫ってきておいて、君には関心が薄いように見える」

「…昔は、あんな目はしてなかったんだけど、ねぇ…」


…私は、ヴェルにも、先生にも、あの夜のことを話していない。

…もちろん、「おれ」の記憶も。

しかし、ヴェルはともかく、先生はそれを知っている可能性がある。

あの場所にいたのだから。


(…ヤバい)


意識すると、身体の震えが止まらなくなった。

動悸が激しくなるのを感じる。


(彼が私に無関心なのは、私が人殺しだと知っているからでは…家においているのは、そのうち、保安警察にでも突き出すつもりだからではなかろうか―)

(そう言えば、彼の態度は、妙だ。自然体ではない、何か装っているように見える―)

(…また、あの地獄に戻るのか?)

(嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ…)


私の悪い癖だ。思考の悪循環。

深みに嵌って行く。


「…おい?おい!大丈夫か?」

「…ん…うん」

「なぁ、やっぱり体調が良くないんじゃないのか?今日は休んでもいいんだよ?」

「…いや、大丈夫。考えごとをしていただけ、だから」


こいつは、良い奴だ。

三ヶ月にも満たない時しか付き合っていないけれど、それは確からしく感じられる。


こちらの世界の知識を、嫌な顔ひとつせず、一から教えてくれたのも、対価もなく魔術の指導を付けてくれているのも、本来敬われるべき精霊と立場でありながら、常態で話すのを許してくれていることも、それの表れだ。



だから―だからこそ、失いたくないと思う。

(なぁ。君は、離れないで、いてくれるか?)


…言葉には、できなかった。


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