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月光  作者: えっくす
1/8

一話

…ただ炎のみがあった。


痛みを感じて目を閉じると、肉の焼ける匂いが強く感じられた。


快感。


下腹部から伝ってくる熱。

それは、呼吸をするたびに激しく湧き上がってくる。

苦しくもなければ、痛くもなく、熱で体が示す反応は愉悦、快楽、快感と「楽」の感情ばかり。


後数分もしないうちに、おれは、きっと、燃え尽きる。


早く灰になってしまいたかった。


楽になってしまいたかった。


どうせこれは夢だ。

早く目覚めなきゃ。


………


炎の向こうに影がひとつ。


それは、こちらに近づいてきて―










ブウウン…ブウウウン…


「―ッ…」


五時を知らせる大時計の音で目が覚めた。

少し頭が重い。不快な感じがする。

風邪でも引いただろうか。


カーテンを開ける。

晩秋であって、日はまだ登っていない。


「うぅん…」


寝巻きの上に簡素な上着を羽織り、鏡に向かい、髪を整える。

…未だ慣れない。


―けれど、映るのは、当然「私」だ。


「…うん、私、だ」


私の口の動きと同じように、鏡の中の少女も口を動かす。

表情は不安げで、葡萄酒のような紅い瞳は怯えているようだった。




首を振り、意識を切り替える。

視界の端に、銀色の糸がたなびくのを認める。


「水を…」


水を汲みに行かなければならない。

それが、私の仕事だからだ。

同時に、貴重な外出の機会でもある。


「彼」はまだ寝ている。静かに出ていこう。

足音を殺して降り、玄関で靴を履く。


「行ってきます」


彼には、聞こえていないはず。

扉の閉まる音を背に、家を出た。



―パタン。

ドアが閉まる。いや、閉める。

息を吸い込む。冷えているが、寒くはない。


朝の、涼しく、静謐な空間は好きだ。

昼は嫌いだ。

…夜は。月と星があるから、最も好みだ。



「…よし」


水を汲みに向かう。一本道を真っ直ぐ、30分歩かなければならない。


冷たい風と代わり映えのしない風景は、嫌な記憶を蘇らせる。

脳裏にこびり付いた、炎と闇…






―目を開けた。閉じている時と風景が変わらなかったから、おれはそれを、暗闇だと初めて認識した。


頭にもやがかかっていて、どうにも、ぼうっとする…


(水…)


起き上がろうとするが、何かに突っ変えて、起き上がることが出来ない。


手を持ち上げて、感触を確かめる。

板のようであった。


少し力を入れる。

すると、持ち上がったようで、「それ」はギィィ…バタン………という音を立てた。

更に強く、押し上げる。

蓋は、存外に呆気なく持ち上がり、見たことがない白い天井がその姿を現した。


見回す。

天井に限らず、部屋は白かったが、生命の息吹が感じられず、如何にも薄暗い、と言った形容が相応しい。

(…喉が乾いたな…)


見たことがない天井や部屋に、不思議にも、私は違和感を示さなかった。

そして、それがさも当然のごとく、水を飲むために、階段を「上がっていった」のである。

階段は異常と言っていいほどに長かった。が、これも結局、後になって気付いたものだ。


「―?」


階段を登りきった。

外に出た。


すると―



砂漠があった。

本当に、そうとしか形容ができない。

ごく自然に、勝手知ったる我が家を歩くように、階段を上って、そしてあったのは、あたり一面の砂。


「は…?」


頭は明晰を取り戻したが、現実はより混沌としていた。

慌てて、今来た道を振り返る。


奇妙なことには、その階段は、消え失せていた。



空の太陽は中点にあり、空気は乾ききって暑さを主張している。


―理解が追いつかない。


昨日は、確か…


そこまで思い出そうとしたところでおれは愕然とした。


「―あ…」


(そんな馬鹿な)


…おれは、おれがおれ自身でないことを発見したからだ。

理屈ではない。

ただ、直覚。


おれは、当然、思考をしているわけだから、記憶があった。

だが、それは記憶、ではなく、何方かと言えば「記録」なのだ。


昨日のことは知らない。

何故ここにいるのかも知らない。

この、果てが見えない砂漠も、照りつける太陽も!


「知らない…」


…然して、おれは、自分のことを知っていた。


年齢。職業。姓名。住所。

何を好むか。なにを厭うか。

けれど、あくまで、それは他人としてのおれであって、「自分自身」ではないのだ。




…畢竟、「誰か他人の記憶のみを、限りなく詳らかに持っていた」ということである。


例えて言うなら、誰かの「人生」という映画を、画面越しに見たような。


兎に角、その記憶が、自分のもの、と言った感じは、全くもって受けない。


「君は、誰だ?…おれは?」


おれは、それに驚愕し、戦き、狂ったように大声をあげようとした。

した、けれど、出来なかった。

不格好に開かれた口からは吐息が漏れるばかり。


浮遊感を感じた。決して、比喩ではなかった。


映像越しに俳優の演技を見たからと言って同じことが出来るか。

曲芸を見たからと言って、同じ芸を披露できるか。




身体を起こす。

辺りを見回す。

四辺には、寂寞とした砂煙。


持っているものは何も無い。

ここがどこかも分からない。

自分のことすら手がかりはない。



しかし、そこで、途方に暮れたわけではなかった。


「おれ」は、「人を見つけることが出来れば、しようもある」

と考えていたからである。


(なんとかなるさ…ならないはずがない)


きっと、誰かが助けてくれる。

そうだ、電話を借りよう。

警察にでも行けば、おれが誰か、それがわかる。

それに―私が、まだ「おれ」でないと決まったわけでもないのだ。

いや、きっと、そうだ。

少し、ぼんやりして、妄想が思考に取って代わっているに過ぎない…




些か虫が良すぎる話だ。


けれど、仕方がなかった。

「おれ」は、平和な国で暮らした経験しかない。

超常的な体験をしたわけでも、ファンタジーな経歴を持つわけでもない。

一般人だ。


前方を覆っていた砂煙が晴れ始めた。

何も無い、と思っていた場所に、微かではあるが、街が見えた気がする。


―行ってみよう。


不安もある。


蜃気楼、じゃないければいいのだけれど…

そんな映画もあったな、等と考える。


きっと、大丈夫だ。少し気分が晴れた。

その映画の結末は知っている。

ハッピーエンドだ。間違いない。


立ち上がる。

靴を履いていたことにそこで気がついた。

黒の革靴。小さく見えるのは何故だろうか。

不安を誤魔化すかのような高揚感と共に、おれは歩き出すことにした。

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