魔王さまはダンジョン経営がお得意【中編】
十年前 イーストランド ペルポンの村
イーストランドの東の端にある、年中穏やかな温かい風が吹くこの村は、美味しいオレンジが沢山採れるため、当時七歳の少年であったグレイは、毎年母の作るマーマレードのジャムでパンを食べるのが大好きな少年であった。
この年もグレイの家のオレンジの木からは沢山のオレンジが採れたので、母はいつものようにマーマレードのジャムを作った。ジャムが出来上がり、母に隣の家に住む幼馴染の女の子であるカナリアの家へ、出来上がったジャムをお裾分けとして持って行けと言われたグレイは、隣にあるカナリアの家へ向かった。
カナリアはグレイの隣の家に住む同い年の女の子で、綺麗な長い金色の髪をしている村一番の美少女であった。グレイは普段は恥ずかしくて言えなかったが、少しだけカナリアの事が好きだった。
「ごめんくださいー!カナリア、いますかー?」
コンコン、と扉を叩くがノックはない。おや?と思い、ドアノブに手をかけるとギィ、と木製の扉が軋む音がしてドアが開いた。鍵がかかっていないようだった。
「……?」
はて、と首を傾げるグレイ。彼はおじゃましまーすと呟いて靴を脱いでから、カナリアの家へ上がった。
__物音が、しない。
カナリアの家は母子家庭だが、普段ならばカナリアか母のどちらかが常に家に居る筈の時間帯だ。誰も居ないのを少しだけ不気味に思い、グレイはゆっくり、ゆっくり歩を進めた。
廊下を通り、居間へと続く扉を開けようとする。しかし、何かに引っかかって開かない。
何かが挟まっているのか、そう思いグレイは思いっきりドアを押すと、少しずつドアが開き、扉の向こうで何かが倒れる感じがした。
不思議に思い歩を進めると、足元からぬちゃり、とした嫌な音がする。グレイが足元を見ると、
「う、うわああああああ!!!!」
グレイの足元には両足が切断され、左肩から右脇腹にかけて深い傷を負っている__血塗れになったカナリアの母の姿があった。
__その後パニックになりカナリアの家を飛び出したグレイは、異変に気づいた大人たちに保護され、村の大人たちがカナリアの母の遺体を調べた所、カナリアの母を殺害したのは魔族で間違いないだろう、という結論になった。
その夜、ひとまずグレイの家に泊まる事になったカナリアにグレイは言った。
「__カナリア。その、さ。お母さん……残念だったな」
「__グレイ。……ありがと。ほんとはね、まだショックで何にも実感とか、ないんだ。このまま隣の家に帰ったら、いつもみたいにお母さんが待ってるような気がして……」
そう言いながらカナリアの声が涙声になっていくのを聞いて、グレイは咄嗟に__カナリアを抱きしめた。
「俺が__俺が絶対に、カナリアのお母さんを殺した魔族を見つけて……絶対にぶっ殺してやる。だから……だから、それまで待っててくれるか?カナリア」
「うん……ありがと、グレイ」
そう言ってカナリアはグレイの胸の中で暫く、泣いた。
ひとしきりカナリアが泣いた頃、グレイはそうだ、と言ってカナリアに渡すはずだったマーマレードのジャムの入った瓶を手渡した。
「はは……グレイ。またグレイのお母さんこのジャム作ったの……?」
毎年の貰い物であるマーマレードの瓶を手渡され、カナリアは苦笑する。それを見てグレイは、
「ああ、今年はオレンジが大量に採れたからな。それ、すっげえ美味しいんだぜ?ちゃんと毎年食べてるか?」
「食べてるよ!もう、グレイひどいよ!私が貰い物を食べないで全部捨ててると思ってたの?」
「はは、冗談だよ冗談。__やっぱ、カナリアは笑ってる方がいいよ。今はまだ難しいかもしれない、けどさ」
そう言ってグレイは右手で頭の後ろをポリポリと掻く。それを見てカナリアはありがとう、と笑ったのだった。
__しかし、その後も悲劇は続いた。
立て続けに四件、ペルポンの村が再び魔族に襲われ、村人が犠牲になった。
どれもカナリアの母親と同じような傷跡であるため、一連の犯行は全て同じ魔族の仕業であると考えた村の大人たちは自警団を組み、魔族と徹底的に戦う意志を固めた。
ただ、謎なのは誰ひとりとして、その魔族がどういった姿なのか、目撃証言が一つもないということだった。
そして、ある日ついに、魔族の手はグレイの母親にまで伸びた。
ある日、グレイが家に帰ると家からカナリアが飛び出してきた。何事かと聞くとカナリアは、グレイの母親が台所で死んでいると言うので、グレイが台所へ飛び込むと、そこには血塗れになったグレイの母が倒れていた。
「母さん……」
目の前に血塗れになった母の遺体がある。しかし、十分すぎるほどショッキングな出来事の前に、この時のグレイの頭の中は別のことで一杯だった。
「なぁ……、カナリア」
「……もう嫌!なんで……!どうして……!あんなに優しかったおばさんが……!」
「カナリア」
「……何よ!グレイのお母さんがこんなになってるのに、グレイはどうして落ち着いてられるの!?おかしいんじゃないの!?」
取り乱すカナリア。しかし、グレイの眼はただ一点を見つめていた。
「なぁ、カナリア。一つ聞かせてくれ。お前は、台所に入ったら母さんが死んでいたって言ったな?」
「ええ、そうよ!あんなに……あんなに優しかったおばさんが……なんで……!」
取り乱す『ふり』をするカナリアをじっと見ながらグレイは口を開いた。
「じゃあ、なんで__お前の髪に血がついてるんだ?」
突然、カナリアが取り乱す素振りをやめ、グレイの瞳をじっと見る。その眼は、どこまでも__どこまでも、深く、暗い色をしていた。
「母さんは両足を切られて倒れて死んでる__お前が本当に母さんの死体を見つけただけなら、身長の高いお前の髪に血がつくわけないんだよ」
そう指をさすグレイの指の先には、カナリアの綺麗な金色の髪の右耳のあたりに付く血痕があった。グレイの母親の頭は立ったカナリアの胸の下あたりにある。返り血でも付かない限り、カナリアの耳の位置にまで血痕が付くハズがないのだ。
「なあ、カナリア。もし何か違うなら違うって言ってくれ。そしたら俺……謝るから__」
一言だけ、一言違うと言ってくれればそれで救われる。そう願うグレイの言葉はすぐにカナリアによってかき消された。
「このマーマレードを見るとさ……ほんッと胸焼けがするんだよね……砂糖ジャリジャリで甘ったるくてさァ」
グレイの家の台所にあるマーマレードの瓶を手に取りカナリアが言う。その表情はまるで生ゴミを見るかのような表情であり、いつもの__グレイが好きなカナリアの表情はそこには無かった。
「お前……なん、で」
「いやだからさぁ、このマーマレードがクソマズかったから殺したのよ。__このマーマレードだけじゃない。ホント、ずっとこの村自体が大ッ嫌いだった」
「魔族として生まれて__しばらくあの母親に育てられてきたけど、あの母親も最低だった。アタシにずっとずっとずっと我慢ばっかりさせて……!何度、クソ田舎の人間ばっかりのこの村を抜け出して、魔族の世界に帰りたいと思ったことか……!」
「アタシの種族はねえ、人間の母親に寄生して、魔族の子供を産ませて人間界を滅ぼす種族なの。だから、アタシの意志でこの村を滅ぼそうとしたわけじゃない。血に従っただけよ」
カナリアはそう言い、マーマレードの瓶を壁に向かって放り投げた。壁にぶつかりマーマレードの瓶が割れ、中にはいっていたジャムがべったり、と壁に広がる。
「血に__従ったって__全部お前は__全部、今までのは演技だったっていうのか!?毎年俺んちのジャムをうまそうに食べてたのも、母親が死んだ時に泣いてたのも……」
「ええ、全部演技よ。そういう魔族なんだから演技がうまいのは当たり前でしょう?……まぁ、あのマーマレードを貰った時に喜ぶ演技をするのは、少し骨が折れたけど」
そう言ってカナリアはクスクスと笑う。グレイは拳を握りしめた。
「この__ッ!」
握りしめた拳を躊躇なくカナリアに向ける。しかし、カナリアはその攻撃を見もせずに躱すと、重心の傾いたグレイの腹部を思い切り蹴り上げる。
「__ぅ、ぶッ!」
腹部を蹴り上げられたグレイは黄色い胃液を吐き、その場に腹部を押さえて蹲る。
「まぁ、アンタだけは……殺さないでおいてあげるわ」
そう言い、カナリアは台所から出ていこうとする。
「ま……でよ……ぜっだい……ゆる……さ……」
次の瞬間、グレイは意識を失った。
****************************************************************************************
__その日から、少年は修羅になった。
グレイが目が覚めるとあの後カナリアは、村の大人たちと戦った後、どこか村の外へ逃げていったらしく、村には居なかった。
少年はカナリアにただただ復讐することだけを誓い、十年間という時間で復讐は少年の肉体を鋼のように鍛え上げた。そしていつしか、少年は拳だけで大抵の魔物を屠ることが出来るほどに力を付けていた。
少年は一人の戦士になり、周りは彼のことを『修羅腕のグレイ』と呼んだ。
十年の間、カナリアに関する情報は手に入らなかったが、ある日グレイはペルポンの村の近くにあるダンジョンで魔王が復活したことを耳にする。
__魔王を締め上げれば、カナリアに繋がる道が見えるかもしれない。
そう思ったグレイは、カナリアに対する復讐を果たすため、ダンジョンに挑戦することを決意したのであった。
次回で終わります。