1.中学編その1
スポーツの描写が出てきますが、プレイしたことも観戦に行ったこともありません。おかしなところがありましても、目を瞑って頂けると幸いです。
「おーい、ひーちゃーん!」
ある晴れた土曜日、布団を干し終え、ベランダで煙草をふかしていると、どこからともなく私を呼ぶ声がした。
下を覗きこむと、手を降る男の子。
「おー。あーちゃん、おはよう」
「おはよう!僕、今からクラブなんだ。いってきまーす!」
「そっか、怪我しないように頑張れ」
ぶんぶんと大きく手を降る男の子に手を降りかえし、小学生は元気だなぁと独りごちる。
あーちゃん…鈴木 晃くん、お隣に住んでる小学校5年生…だったかな。
地域の野球クラブに入っているらしく、毎週土曜日は朝から元気よく出掛けている。
私はというと…やっと独り暮らしに慣れてきた社会人1年目の22歳。
藤井 秀美、それが私の名前だ。
2DKのアパートは築15年、最寄り駅から徒歩20分のところにある為、家賃はそこそこ良心的。
それこそ社会人1年目の私が独り暮らし出来るくらいに。
ファミリー世帯が多く、生活音がそれなりに騒がしいのも、良心的なお値段の理由のひとつなのだろう。
ちなみに、社会人1年目で何故ワンルームに住んでいないのかというと…私が田舎育ちだからだ。
閉鎖的な空間が苦手、というか…壁が迫ってくる感じがして、息苦しいイメージが払拭できなかったのだ。
そんなこんなで初めての独り暮らしに悪戦苦闘しつつも、充実した毎日を送っている。
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「…試合?」
ある夏の日の午後、あーちゃんが家を訪ねてきた。お願いがあるんだ、と言って。
暑いから、と中に入れ、冷えた麦茶を出してから話を聞くと…。
「うん、今度の日曜日に試合があるんだ。ひーちゃん、観に来いよ。彼氏もいないし、どうせ暇だろ?」
あーちゃん…晃は中学3年生になり、今も野球を続けている。
あーちゃんと呼ぶと怒るので、中学に入ってからは晃と呼んでいるが…何故か私はひーちゃんのままだ。もうすぐ27になるというのに。
解せぬ。
何度も止めるように言っても聞かないので諦めているが、26にもなって『ちゃん』付けで呼ばれるのは背中がムズムズして正直なところ落ち着かない。
「うるさい。そういうのを余計なお世話っていうのよ」
「ごめんごめん、そんなに怒らないでよ。中学最後の大会なんだ、予定がないなら…観に来てほしい」
「…しょうがないなぁ。晃の最後の大会なら観に行くよ」
日焼けが怖いけどな!!
「やった!俺、頑張るから!絶対観に来てよ!?」
「え、あ、ちょっ…晃!?」
そう言うと玄関へ向かって走り出す晃。
そのままの勢いで家に帰るのかと思いきや、ドアを開けたところで立ち止まる。
「??」
くるりとこちらを振り返る晃と目が合った。
「ひーちゃん、ちゃんと日焼け止め塗ってこいよ?シミが出来ても、俺のせいじゃないからな?」
「こら、晃!」
「へへ、冗談だよ。じゃあね、ひーちゃん。麦茶、ご馳走様!」
言うだけ言うと、晃は玄関を飛び出していった。
バタン、とドアが閉まる音が部屋の中に響く。
まったく、もう…と呟きつつ、コップを洗う為に立ち上がる。
最後の大会…あの晃が中学3年生か。そりゃあ私も年をとるはずだわ。
日曜日、雨が降らないといいな、と思いながら窓の外を見た。
「…しみが出来ても、俺は気にしない。むしろ、出来て欲しいよ…俺のモノだって言えるから…」
迎えた日曜日。
ジリジリと照りつける太陽の下、晃の最後の大会が始まった。
ポジションはキャッチャー。
キャッチャーマスクの隙間から、ちらりと真剣な眼が覗く。
試合が始まる前に「ひーちゃん!来てくれたんだ!」とニコニコ笑っていた面影はどこにもなく、まっすぐに白球を追いかける眼差しに何故か胸がざわめいた。
そういえば、晃の試合を観るのは初めてだな…。
今更ながら、そんなことに気づく。
あんなに喜んでくれるなら、もっと観に来れば良かったかな…、そんなことを思いながら声援を送った。
試合は2-3のサヨナラ負け。
9回裏、これまで調子の良かったピッチャーが急に崩れたのだ。8回までの投球がまるで嘘のように。
ストライクが決まらず、1人目のバッターがフォアボールで出塁した時、晃がピッチャーへ駆け寄った。
2人で何事かを話し、晃はぽんぽんとピッチャーの背中を叩く。
…大丈夫だ、お前なら出来ると言わんばかりに。
2人目のバッターは三振に打ち取り、調子を戻したかに思えたのだけれど…3人目のバッターにもストライクが決まらずストレートのフォアボール。
バッターが一塁へと走っていく中、また晃がマウンドへと駆け寄る。
1回目よりも長く会話をする2人を心配そうに観客が見守る中、何度も晃の手がピッチャーに触れる。
とんとん、と気持ちを落ち着かせるように…元気づけるように。
最後にぎゅっと肩を掴むと、ホームベースへと戻った。
そして迎えた4人目のバッターへの第一投は……甘いコースのストレート。
キィィ…ンと音を立て、打ち返されたボースは…観客席上段へと飛び込んだ。
一瞬の静寂、そして大きな歓声が空気を揺らす。
試合終了の挨拶の後もサヨナラホームランの興奮が冷めやらぬ相手チームを横目に、晃達はベンチを片付けていく。
グラウンドを去る時、俯いたまま下唇を噛む表情が目に入る。
見間違いじゃなければ、あの表情は……。
慌てて、駐車場へと移動した。
急いで向かった駐車場では、晃達が乗ってきたマイクロバスに荷物を積み込んでいた。
あー…話しかけられる雰囲気じゃないなぁ。話すのは帰ってからにしたほうがいいかも。
チームメイトの保護者達に混じってその様子を眺めていると、ふと晃と目があった。
バツの悪そうな顔で苦く笑う晃に手を振り、声に出さず唇の動きだけで『帰るね』と伝えると、目を見張る。
隣で作業していた子に何かを伝えると、慌てた様子でこちらにむかってきた。
ん?何かあるのかな?
「ひーちゃん、待って!この後、親が来てるメンバーは現地解散なんだ。一緒に帰ろうよ」
「え、でも…」
「いいじゃん、一緒に帰ろうよ!ね!?」
ちょっと待て。
私、あんたの保護者じゃないんだが。
お読み下さり、有難うございました。
なるべく早く、次話を投稿出来るよう頑張ります。