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第18話



ダヴィド様の背後の空が茜色に染まり始めているのに気が付いて、慌てて立ち上がった。

「もうこんな時間!帰らなくちゃ。」

「帰る?」

ダヴィド様の眉根が寄る。

そんな表情をされると、こちらのほうが驚いてしまう。

なにかおかしなことを言っただろうか。

「え?」


「もちろん泊まっていくんだろう?」

「いいえ、まさか。わたしは最初から帰るって言ってたじゃない。」

この屋敷に立ち寄った時にそう言ったつもりだったが、違っただろうか。

「だが、もうこんな時間だ。今から帰れば途中で陽が落ちて暗くなる。危険だ。」

「そんなこと言ったって。他にどうするのよ。」

「だから、うちに泊まればいい。すでに部屋も夕食も用意している。」

「そんな‥‥駄目だわ。そんなつもりじゃなかったのに。」


すると、ダヴィド様の妹が口を挟んだ。

「わたしが引き留めたせいね。ごめんなさい。」

口に両手を当ててうるうると見上げられて「そ、そんなことないわ。」と焦って答えた。

時間を忘れるだなんて、わたしの責任だ。

最初は言い出しづらかったのがあるが、途中からはすっかり時間を忘れていた。

本当なら、わたし自身が自分のことに責任を持って、時間に気を付けなければならなかったのに。


つまり、なにが問題かと言うと、ここは居心地が良すぎるのだ。

しっかり線引きをしておかなければならないと分かっていても、好意に流されてしまいたいくらいに。

しかし、やはり自分の人生に責任を持つのは自分自身だ。

きちんと自分の身をわきまえなければならない。

それに、ダヴィド様のお屋敷のかたがたに迷惑をかけてしまうのは申し訳ない。


「やっぱり帰るわ。大丈夫よ、ここからクレドルーまでの道は幅が広くてよく舗装された道ばかりだから、多少暗くても走れます。」

「駄目だ。承知しない。」

ピシャリと言い返されて、わたしの心にチリ、と火がついた。

「わたしの行動について、わたしが一番いいと思って、わたしが決めたんです。それに対して、あなたの許可が必要だと?」

ツンと顔を開けて、ダヴィド様を真っ直ぐに見返した。


「まあまあ、あなたがモニークさんね。」

いつからいたのかまったく気付かなかったが、ダヴィド様が現れた道から、年上の女性がにこにこしながら近付いてきた。

視線でダヴィド様に誰なのか聞くと「母だ。」と答えが返ってきて飛び上がって驚いた。

少しの距離をこちらから進み出て「ご挨拶もせずにお邪魔してしまって申し訳ありません。」と礼をした。


「いいのよ、そんなこと気にしないで。」

ダヴィド様のお母さまはころころと笑いながら、

「ごめんなさいね、この子ったら、すぐ高圧的な言い方するのよ。わたくしに対してもそうなんだもの、困っちゃうわ。女の子にはやさしくしなさいって、いつも言ってるんだけどね。」

息子の言動を弁解していたが、それを聞いてわたしは今すぐ消えてしまいたくなった。

では、わたしたちの言い争いを聞いていらっしゃったのだ。

人様の息子に対して、横柄な態度で接しているところを見られるだなんて、なんて恥ずかしい。


「でもね、それは守ってくれようとしてる、その裏返しなのよ。この子は、あなたのためを思って言っているの。だから今回は、うちに泊まってくれないかしら。おいしい夕食も約束するわ。」

「そんな、とんでもございません。ご迷惑をおかけする訳にはまいりませんので‥‥。」

固辞することが失礼に当たらないか内心ひやひやしながら答えた。

「迷惑だなんて、ぜんぜん。ね、泊まっていってちょうだい。お願い。」

お願い、とまで言われてしまえば、もう従うしかない。


気分を害していないか、ちらりと確認したが、女性は相変わらずにこにこ笑っているだけで本心が見えない。

言葉を選びに失敗したかもしれない、とほぞを噛む。

ご迷惑では?だなんて、あまりにも予定調和な質問だ。

たとえ本心では迷惑だったとしても、この質問をされて迷惑ですと言い切る人はそういないだろう。

急きょ男性の知り合いの屋敷に泊まるだなんて非常識だし、迷惑に決まっている。

もっと他の理由を言えば良かったと唇をかんだ。


ダヴィド様が言った通り、夕食は部屋でとった。

家族用の大きなダイニングルームとは違い、もともと小規模の客人用の部屋もあつらえてあるらしく、急ごしらえとはいえ、テーブルも椅子も調度品も、雰囲気のあるものがそろっていた。


ダヴィド様が養子だという話を聞いたばかりで、しかもそれを本人に聞かれていたことが分かっているので、わたしは気まずさを感じていた。

聞こうと思って聞いたことではないにしても、自分のいないところでこうした繊細な話をされているというのは、当然気分がよくないだろう。

あえて触れないほうがいいのか、それとも、謝るべきか、ぐるぐると考えていた。


「今日はすまなかったな。妹がわずらわせて。もっと休んでもらうつもりだったのに、結局疲れさせてしまった。」

「そんなことないわ。楽しかったもの。わたしも妹がいるけど、あんなに素直な子じゃないの。生意気よ。それにしても、仲がいいのね。」

「そうかな?仲がいい、かどうか分からないな。よく話すようになったのは最近なんだ。俺はずっとこの屋敷を出ていたから、まだ少しぎこちないよ。養子の話はどのくらい聞いた?」

ぎく、と背が震えた。

「‥‥少しだけ。おじさまの養子になったの?」

「そうだよ。伯爵位を継ぐために養子になった。おじの一人息子が、先の内戦で戦死したんだ。後継者がいなくなって、俺に白羽の矢が立った。」


ダヴィド様の言葉尻から感情はうかがえなかった。

親族が亡くなったことをさらりと話しているが、実際の彼の心情がその口調通りであったはずがない。

その時の彼の気持ちを想像してみようとしてみたが、なにも浮かばなかった。

もし自分が家族を喪ったら、平静ではいられないだろう。

傍迷惑な兄であろうと、冷たい姉であろうと、痛い目をみればいいと思うことはあっても、喪っていいと思ったことはない。

それに、両親が悲しむ。

両親の悲しむ姿は見たくない。


息子を喪ったおじさまを‥‥いとこを喪ったダヴィド様を想って「亡くなったかたは、お気の毒だったわね‥‥。」と口に出した。

ダヴィド様は、まぶたを閉じてしばし沈黙した。


「養子になって苦労したんじゃない?」

と質問すると、ダヴィド様は静かに答えた。

「最初は、反発した。おじと反りが合わなかったんだ。でも、おじを知るようになってからは、彼に近付きたいと思うようになった。彼のようになりたかったんだ。今は、もう一人の父親みたいに思ってるよ。」

「そう‥‥。妹さんとぎこちないっていうのは、どうしてなの?」

「たぶん、負い目のようなものじゃないかな。俺が伯爵位を継ぐとなれば、両親や妹の立場は安泰だ。おじのような生き方は、茨の道に見えるらしい。そこへ俺を放り込むことになったことに対して、ごめんなさいと謝られたことがある。」


他人事のような言葉に首を傾げる。

無理をしているようには見えなかった。

「あなたはそうは思わないってこと?」

「俺は‥‥。いまは、養子になってよかったと思ってるよ。でも、家族への態度は確かに変わってしまったのかもしれない。実の父よりも、おじの意見を重視するようになったから。それに、俺はもう父に守られる立場ではなく、父を、家族を守る立場だ。」


「立場が変われば意見も変わる。」

ダヴィド様がワイングラスに口をつけた。

「このワインは、小さなブドウ畑を持つ個人が趣味で作っているもので、年間数十本しか出回らない。毎年奪い合いになって、ちょっとした宝石なら買えるくらいの金を払うが、それだけの価値はある。」

このワインも、立場や意見と同時に変わったものの一つなのかもしれない。


両親の庇護から抜け、逆に両親を庇護すべき立場になったダヴィド様。

そうだ、ダヴィド様のお母さまもおっしゃっていた。

「でもね、それは守ってくれようとしてる、その裏返しなのよ。」と。

いずれ一族を背負う立場のダヴィド様。

守るという気持ちは人一倍強いのだろう。


口を付けたワインはとにかく飲みにくくて、これがおいしいものなのかどうか、わたしには判断がつかなかった。




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