第2話
ガーデンパーティーで、衆目を集める男女がいた。
立ち去ろうとする女と、引き止める男。
女のほうは、今年が三度目の社交シーズンで、まだ結婚相手の見つかっていない、いわゆる「売れ残り」だ。
一方、男のほうは、やっと重い腰を上げて結婚に対して乗り気になってくれた、注目の独身男性。
この二人のやりとりが延々と続いている。
「いえ、本当に大丈夫ですから。」
「そんな訳にはいかない。」
「ですから、ちょっとワインが飛んだだけですし。」
「ちょっとじゃないだろう。」
「ちょっとです!」
「どこがちょっとなんだ!見てすぐ分かるくらい目立つじゃないか。」
ぶつかった拍子に男の持っていたワインがはねて、ドレスにかかったのだ。
汚れたといっても、ポツポツと数滴付いただけだし、色も花柄の赤色にまぎれてしまって目立たない。
そんなことよりも、こうしたやりとりが注目されているほうが、よっぽど問題だ。
なにが悲しくて、こんなイケメンと言い合わなければならないのか。
もうほとんど言い争いになってしまっているではないか。
本当にわたしのためを思うなら、お願いだから放っておいてほしい。
誰か助けてくれないかと周囲を見回すと、さっと視線を逸らす人々の中に、ぐっとこぶしを握ったおばの姿が見えた。
興奮した様子でうんうんと頷いているところを見ると、仲裁する気はなさそうだ。
「ほら、そんなに頑固にならないで、こっちに来て。」
促すように背に手を添えられた。
ついでに、余計な一言が。
「ね、素直なほうがかわいいよ。」
頭にカッと血が上った。
手を振り払い、男に向き直った。
このわたしに、素直なほうがいいと、そう言うのか。
なにも知らないくせに。
言葉にならない怒りがこみ上げてきて、男を睨み上げた。
男は意外そうに目を見開くと、口元を手で隠した。
失礼なことを言ったと気付いたか、傲慢男め。
いくら顔が良かろうと、莫大な財産の相続人であろうと、気の利かない男はモテないぞ。
いや、この男はすこぶるモテている。
だからこそ、調子に乗っているのか。
ふぅ、と落ち着くために、一度深呼吸した。
「お気遣いありがとうございます。でも、本当に必要ありませんので。」
ぎこちなく口角を上げた。
睨んでしまった失態を挽回するために、努力して礼儀正しくふるまう。
ついでに、周囲の男性がたに「わたし、普段はこんなにキツイ女じゃないんですよ~」をアピールする。
そのまま立ち去ろうと、男に背を向けた。
「ちょっと待ってくれ。」
背後から男の声。
まだ言うか。
「怒っているのか。」
しつこいしつこいしつこい。
無視して歩き始めると、肩に手がかかった。
バッと振り返ろうとしたとき。
ビリッ
ドレスの袖が、男の手に引っ張られ、肩の付け根のところから破れた。
あまりのことに、ポカンと口を開けて、男の手に掴まれた袖と、次いで男の顔を見上げた。
二人はお互いの唖然とした顔を見合わせた。
取りなしをしようと近付いてきていた男の友人が「おやおや。」と笑いを含んだ声を出した。
「ダヴィドともあろうものが、まるで女性を初めて相手にする男のように、力加減を間違えるとはね。」
あごに手を当てて、そんなコメントをしたが、なんの助けにもならない。
口が開いたままのわたしの顔に、同じく固まっていた男が、ぷっと吹き出した。
「なにがおかしいんですか!」
「きみが意地をはるからだ。大人しくしていればいいものを。」
頭に血が上りすぎて口をパクパクと動かし、結局なにも言えずに、袖を男の手の中に残したまま逃げ出した。
背後から男の靴音がついてくる。
「ついてこないでください!」
「お詫びをさせてくれ。」
「嫌です!」
「困ったなぁ、俺は、詫びもしないケチな男だと思われたくないんだが。」
「はっ、そういうこと。要は自分の意地のためってわけね!」
「そういうことだ。諦めてお詫びされてくれ。」
男の声が笑っている。
イライラする。
「それで、どこに向かっているんだ?」
ぴたり、と足を止めた。
どこに向かうとも決めていない。
とにかく人目のないところで心を落ち着けたかっただけだ。
この男がついてきてしまっては意味がない。
「あぁ、俺のために用意された部屋がある。こっちだ。」
先導しようとする男を、半眼で見据えた。
ん?と口元に笑みを浮かべてこちらを見ている。
そういえば主催の伯爵は、この男のおじだ。
会場に馬車で来て、そのまま帰るだけの自分とは違い、この男は部屋まで用意してもらっているのだ。
イライラする。イライラする。
「帰ります。」
「ではお詫びはまた後日、改めて。帰りはうちの馬車を使え。馬車係に、ダヴィド・ヴィタリテの名前を出せばすぐ分かる。」
送ってもらっては家の場所が知られてしまう。
いや、そんな心配は無駄か。
どうせ調べればすぐに分かってしまうのだ。
どっと疲れを感じて、ここは素直に従うことにした。
「わたしのおばに、先に帰ると伝えておいてください。」
くるりと男に背を向けて歩き出した。
「シンデレラ、ガラスの靴を忘れているよ!」
ヒラヒラと、ちぎれたドレスの袖を振っていたが、無視した。
馬鹿にして!
家に帰ってからも怒りがおさまらず、枕をボカボカと叩いた。
一人になって今日のことを反芻してみれば、あの男、ありえないことだらけだ!
少し‥‥ほんの少し、憧れていただけに、がっかり過ぎる。
詫びを受ける側がいらないと言っているのに、なぜああもしつこく絡んでくるのか。
後日と言っていたが、対応はすべて家族に任せてしまおう。
わたしが出たら、また失礼なことを言ってしまいそうだ。
ああいう男に対する、優雅で、かつ毅然とした断り文句をマナーの先生に聞いておけばよかった。
しかも、しかもだ。
あの時は気付かなかったが、あの男、さりげなく自分の部屋へと誘い込もうとしていなかったか。
わたしの自意識過剰だろうか。
しかし、まさか他人の屋敷で不埒なことはすまい、と油断してはいけない。
毎年そういった事件は、一件や二件ではないのだ。
テンションが上がりすぎた若い男たちの乱痴気騒ぎに巻き込まれ、涙を飲んだ少女たちの多いこと。
人づてに耳にする噂や、たまたま聞いてしまった会話などから、状況はうかがい知ることができる。
傷が付くのはいつも女だ。
もしそうなってしまったら、誰にも祝福されずひっそりと嫁ぐか、一生身を隠しているしかない。
男側はと言えば、年長者にぽんと肩を叩かれ「やっちまったな。」と苦笑されるくらいだ。
以前、噂になった若い男が「こってり絞られましたよ」と弱り切った顔で返したのを見たときは、心の底から「もげろ。」と呪った。
あの男、ダヴィドとうちの父との力関係からいって、もしわたしになにかあったとしても、泣き寝入りに終わるのは目に見えている。
男の「なにもしないから。」という言葉ほどあてにならないものはない。
女たちの悲惨な末路を聞くたびに、わたしたち女は、自分の身に置き換えて、いっそう気を引き締めるしかないのだ。
話を戻そう。
あのダヴィド様とお話できたことは、正直にうれしいと思っている自分がいる。
しかし、そんな自分を、もう一人の自分が真正面から批判するのだ。
見下されているのに喜ぶなんて、馬鹿じゃないの?
わたしもそう思う‥‥。
間違ってもしっぽを振ってついていってしまわないよう、いっそう気を引き締めなければ。