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第12話




馬車といえば、がたがた揺れるもの。

田舎道を走れば、車輪が石を踏むたびに身体がぴょんぴょん跳ねるもの。

そんな固定概念が覆される。

さすがはダヴィド様のお屋敷の馬車。

こんなに走りが滑らかで座席のクッションがしっかりしている馬車は、これまで乗ったことがない。

それに車輪の音も静かだ。



ダヴィド様は四人乗りの馬車の斜め向かいに座っている。

なにを考えているのか分からないが、おもしろくもなさそうに頬杖をついて窓の外を眺めている。

こういうときにかけるべき言葉が思いつかない。

きっと社交的な女性だったら、会話のきっかけを言葉の引き出しから自在に出すことができるんだろう。

コンプレックスがむくむくと頭をもたげてきて、わたしを攻撃する。


わたしが社交的でないから。

わたしがつまらない女だから。

だからダヴィド様はなにも言ってくれないの?


さら、とドレスの衣擦れの音がした。

そうだ、わたしはいまこのドレスを着ている。

支度が終わり、鏡に映った自分を見たときの感動を思い出した。


すっと気が引き締まる。

このドレスを着ている間は卑屈な自分でいたくない。

わたしは姿勢を正して、せめて恥ずかしくない振る舞いをしようと心に決めた。

視線を向ける場所がなかったので、自分の正面の空いた座席のその縫い目に視線を置いた。


「きみは鮮やかな色のドレスが似合うんだな。」

唐突に声を掛けられて顔を上げると、ダヴィド様が頬杖をついたまま、わたしをじっと見ていた。

「いつもくすんだ色ばかり着ているが、これからはそういった色のドレスを着るといい。」

言うだけ言うと、ぷい、と顔を背けてしまった。

褒められたのだろうか。

思わず首を傾げてしまうほど、そっけない態度。


いつにない彼の様子がいったいなぜなのか、心当たりがない。

ふてくされたような横顔。

なにか彼を不機嫌にさせるようなことをしただろうか。


出発前に長く彼を待たせてしまったけれど、さっきまでそれに怒ったそぶりはなかったのに。

思い出してイラつくなんてことなんて、あるのかしら。

それとも、なにかわたしの気付かないマナー違反があったのかしら。

あれこれ考えてみたが、結局正解は分からない。


困惑しながら、彼の横顔に「ありがとうございます。」と小さく返す。


するとダヴィド様は、ちら、と視線を一度こちらへ投げて「敬語はいらないと言っただろう。」とまた視線を窓の外へと向ける。

敬語はいらないと言いながら、やはり不機嫌そうだ。

近付いているのか遠ざかっているのか、よく分からない。


沈黙が続く。

もう一度、彼がこちらをちらりと見た。

なにか言わなければならない空気を感じて、今度は「‥‥ありがとう。」と消えてしまいそうな声で呟くと「ああ。」とそっけない答えが返ってきた。

それきりわたしたちは黙り込んだ。



ぼんやりしていると、先ほど言われた言葉が脳裏によみがえってきた。


くすんだ色の服を着ている。


確かにそうかもしれない。

言われて初めて自覚した。

服を選ぶときに、汚れてもいいものを選ぼうとすると、どうしても汚れの目立たないような、くすんだ濃い青色や赤色を選ぶことになってしまう。


わたしは彼から見えないように、くす、と唇に笑みを刻んだ。

そう何着もドレスを作る余裕はないので、ずっと着られるものを無意識のうちに選んでしまうのだろう。

ダヴィド様は今度から鮮やかな色のドレスを着るように言うけれど、果たしてこの先着る機会があるのかどうか。

いま着ているドレスでさえ、次にいつ着るのか、着て行く場所の見込みがないというのに。


このドレスは、着て行く場所を選ぶ。

鮮やかなエメラルドグリーンに汚れが着いたら、さぞ目立つことだろう。

今朝のわたしのように、地面に足をつかないような生活をしていれば大丈夫なのかもしれない。

必要なものは使用人がすべて用意してくれて、馬車に乗り込むときも男性に手を差し伸べてくれるような。


わたしは日常は、自分で用意しなければなにも出てこない。

毎日あれこれ動き回る生活には不向きなドレスなのだ。


それでも、心が浮き立つのはどうしようもなかった。

たかだ服装。

されど服装。

不思議なもので、服装を変えただけで、まるで自分自身が変わったかのように思える。

このドレスにふさわしい自分でありたいと思い、振る舞いに気を付けるようになる。


心の奥底では、本当はずっと鮮やかな色のドレスに憧れていた。

こうして着ることができたのはダヴィド様のおかげ。

昨夜はいろいろと怒ったりしてしまったけれど、あれは気が動転してしまったからだと冷静な今なら分かる。


ダヴィド様には感謝してもしきれないくらい‥‥。






‥‥‥。








‥‥‥‥‥。








マリーがうらやましい。


いいえ、違う。


浮かんできたその声を打ち消した

相反する声が、わたしの中でぶつかり合う。


うらやましくなんてない。

だって、最初からこの人は手に入らない人なのだって、わたしは分かっていたから。


いまは、ダヴィド様はわたしに親切にしてくれているけれど、いずれマリーがそれを独占することになる。


マリーが本当にそうするかどうかは分からない。

でも、わたしだったら、自分の夫に気がある女が夫の近くにいたら嫌だし、いくら夫にその気がないと言っても、その女との親交を断ってもらうくらいのことはすると思う。


彼はいずれいなくなる男性。

わたしのそばにずっといてくれる訳じゃない。


だから、うらやましくなんてなんてない。


‥‥うそ。

本当はうらやましい。


わたしはこれまで、こんなに本気で誰かをうらやましいと思ったことはない。

他人を見て、自分があんな性格だったら、と考えたことはあっても、結局、自分は自分だと思えたのに。

ダヴィド様と一緒にいると、自分の知らない自分が顔を出す。


ダヴィド様の膝に置かれた、彼の男らしい大きな手を見つめた。

やがて、そっとまぶたを閉じた。



軍へ到着すると、ダヴィド様は御者へとてきぱきと指示し、先に下車してわたしが馬車を降りるのへ手を貸してくれた。

外へ出ると、立派な門構えに、体格のいい軍人さんが二人立ってこちらを見ていた。

普段接することのない種類のぴりぴりとした雰囲気に、一瞬、グラッと意識が揺れた。

そのとき、ダヴィド様がわたしの手をぐっと握って支えてくれた。

そこで初めて、馬車から降ろしてもらってから手をつないだままだったことに気が付いた。

ダヴィド様はわたしを気遣う表情で「大丈夫か?」と聞いた。

わたしが背筋を伸ばしてしっかりと立ち「ええ。」と答えると、どちらともなくそっと手を放した。


ダヴィド様は、セザール様のことを軍にいたころの上官だと言っていた。

軍にいたことがあるのなら、この施設も慣れたものなのだろう。

ダヴィド様がためらいなく前へ進み手続きを進めていくので、わたしはそれについて行く。

なにもする必要はなかった。

止められることなく、スムーズに門の中へ入ることができた。


軍の施設の中にこんな立派な建物があるとは、まったく想像していなかった。

殺風景なものかと思いきや、軍の男性に先導されて歩く廊下には絨毯が敷かれ、まるで貴族のお屋敷のようだ。

部屋はそれほど広くはないが、調度品が置かれて、雰囲気がいい。


どんな訪問客に対しても、こんな良い部屋が用意されているとは考えにくい。

ダヴィド様だからこそ通された特別な部屋なのかもしれない。


ダヴィド様は兄の名前を出して、呼んで欲しいと軍の男性に伝えたが、その際わたしがその呼び出した相手の妹だとは伝えなかった。

言わなくて大丈夫かな、と少し心配になったが、ダヴィド様が言わないのならきっと大丈夫なのだろう、と納得した。

ここでのことは、すべて任せることにする。


部屋には向かい合わせのソファが置かれ、4人が腰掛けられるようになっている。

その片側のソファに、わたしとダヴィド様は隣に座り、兄が来るのを待っていた。


やがてノックの音がして、いよいよ兄と対面かと身体が強張った。

しかし入ってきたのは別の男性で「彼は現在訓練中なので、少しお待ちいただくお時間が必要となります。」と言った。

身体の力が抜けて、ふう、と息を吐いた。

隣では、ダヴィド様が男性に兄の上官の名前を聞いていた。

どうやら出てきた名前はダヴィド様の知る相手だったようで、少し考えるようなそぶりをしている。

兄の上官が、なにか関係あるのだろうか。


バン!


突然、部屋の扉が開いた。


「ダヴィド、来てるってー!?」

軍の厳粛な雰囲気にそぐわない、語尾の伸びた声が響いた。

同時に、開いた扉の向こうから突進してくる熊のように大きな男。

ダヴィド様も背が高いが、この男性はそれ以上だ。

二の腕は、わたしのウエストくらいあるんじゃないかと思うくらいに太い。


身体をすくませたわたしとは対照的にダヴィド様は笑顔で立ち上がった。

そしてまるで体当たりするかのようにガッと音をたててハグする男を、受け止めた。

わたしはソファにお尻をつけながら、思わずのけぞり、二人を見上げた。

わたしに当たった訳ではないのに、衝撃がここまで伝わってくるようだ。


ダヴィド様はバンバンと背中を強く叩かれている。

痛くないのだろうか。


ダヴィド様がふと顔を部屋の入り口に向けた。

わたしもつられてそちらに視線を向け、固まった。


久しぶりに見る、兄の姿がそこにあった。

ひょろっとしているのは相変わらずだが、白かった肌が日に焼けて黒くなっている。

肩で息をしているが、走ってきたのだろうか。


兄も驚いた表情でわたしを見ていた。

わたしは兄に視線を固定したまま、ゆっくりと立ち上がった。


兄の背後では、軍の男性が部屋を出ていくついでに、開きっぱなしだった扉を閉めていった。





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