第11話※
話がひと段落ついたとき、モニークはまるでしおれた花のようになっていた。
もう夜も遅い。
必要なことはすでに話し終えているので、そろそろ眠ったほうがいいだろう。
しかし、モニークを部屋に帰すのは危険だ。
俺のベッドを使うように言って、彼女を無理矢理ベッドに押し込めた。
相当疲れていたようで、モニークはすぐに眠ってしまった。
「眠ったようです。」
とセザール様に伝えると、セザール様は「そうですか。」と言ってスツールから立ち上がった。
「では僕はこれで。」
すたすた部屋の出口に向かうのを「ま、待ってください!」と慌てて止めた。
当然セザール様もこの部屋に泊まるのだと思っていた。
まさか、この部屋に男女二人きりで泊まれとでも言うつもりですか。
そう目で訴えると、セザール様がにっこりと笑った。
「邪魔者は退散しますよ。」
「どうかここにいてください。お願いします。」
おや、とセザール様が眉を上げた。
「あれだけかっこよく攫ってきたんですから、当然そういう仲なのだと思ったんですが‥‥違いましたか。」
彼女を抱き上げたのはやり過ぎだったとは思うが、あのときは頭に血が上っていた。
今思い出すと恥ずかしくて、顔がカッと熱くなる。
顔を赤くした俺を見て、セザール様は「おやおや。」とため息をついた。
こほん、と咳払いをして気を取り直し「それに、クレドルーの話が終わっていません。」と言えば、
「まあいいでしょう。」
とセザール様はソファに戻り、俺も「失礼します。」と言って向かい合った位置に腰掛けた。
早速、これはしっかり確認しておかなければ、と思っていたことを口にした。
「それで、パルクスの件が解決した暁には、モニークのもとにクレドルーが戻るということでいいですよね?」
ダヴィド様はきょとん、と小首を傾げて「そんな訳ないでしょう?」と言った。
「なにを馬鹿なことを言っているんです。まさか、なにもせずに土地と屋敷が戻るとでも?そんな都合のいい話がありますか。」
涼しげな表情でキッパリと言うセザール様。
俺は愕然とした。
「そんな!では、クレドルーの問題を見て見ぬ振りをするとおっしゃるんですか。」
パルクスの罪が裁かれた後のクレドルーがどのような扱いをされるのか、セザール様に予測できていなはずがない。
パルクスの罪については、おそらく最近奴がクレドルーの南側によく出入りしていることと関係があるのだろう。
クレドルーの南側は、その土地を管理する者が音信不通で、ここ数年荒れている。
その問題について、伯父と相談し、近いうちに様子を見に行こうとしていたところだったのだ。
パルクスが裁かれとたきにクレドルーが奴の所有であればで、おそらくクレドルーは国に没収される。
そうなってしまった後では、権利を主張するのは簡単ではない。
王の裁下となればなおさらだ。
陛下が一度決定したことは、たとえ陛下自身であっても覆せない。
このままでは、彼女たちは二度と元の社会に戻れなくなる。
それを、みすみす見過ごすことなどできない。
「僕が口を挟むまでもないというだけです。モニーク嬢を守るのはダヴィドくんだと思っていましたが、違いましたか?きみにその力がないというのなら、僕が代わりますが。」
挑発的に目を細めるセザール様を見て、俺ははっと息をのんだ。そして理解した。セザール様は、俺を試しているのだ。
そうだ。
セザール様の力添えがなくとも、もともと俺が彼女を助けるつもりだった。
「いいえ、違いません。」
その答えを聞いて、セザール様がうっそりとほほ笑んだ。
「ええ、いいですね。僕はきみが足掻くところが見たいんです。頑張ってくださいね。」
セザール様のこの表情は、彼のファンの間では「魔王のほほ笑み」と言われている。
この笑顔を向けられた相手は、一月以内に悲惨なことが起こると、まことしやかに囁かれているのだ。
背筋が寒くなった。
「僕はもうこの調査を半ば以上終えていますし、僕の上司も早々に解決するつもりでいます。時間はありませんよ。」
ひとつヒントをあげましょう、とセザール様が人差し指を立てて身を乗り出した。
「彼女の兄が証文にサインしたとき、彼は酒に酔った状態で賭け事をしていました。」
酒と賭け事とは、最悪の組み合わせだ。しかも、相手はパルクス。
賭け事で土地を譲ることは禁止すると、陛下がおっしゃられたばかりだというのに。
呆れたものだ。
これは確実にサインは無効だろう。
しかし、それならなぜ本人は閉じこもっているか。
セザール様がその答えをくれた。
「実は彼は、ある夫人の秘密の愛人をしていましてね。部屋から出てくるところをパルクスに目撃され、弱みを握られたようです。賭博場に誘い出されたのも、それが原因です。」
それで、問いただされて理由を説明しなければならなくなることを恐れ、家族にも言わなかったのか。
よし、モニークの兄にはきちんと責任を取らせよう。
官舎から引きずり出し、パルクスと直接話をさせる。
それでパルクスが応じなければ裁判だ。
なんとしてもクレドルーを取り戻させる。
もしそこまで出来なかったとしても‥‥。
パルクスが財産を没収されたときは、クレドルーは他の誰かへ与えられるか国のものとなる。
これは、クレドルーが確かにパルクスの財産であった場合は、の話だ。
裁きの時点で「パルクスの財産」として疑いが生じていれば、この限りではない。
つまり、罪が裁かれる前にクレドルーの譲渡に関して訴えを起こすことで、クレドルーは必ずしもパルクスの財産だと言えなくなる。
専門ではないので断言できないが、正解からそう遠くもないと思う。
もしこの推測が間違っていたとしても、訴えの痕跡をたくさん残しておくことで、多少は留意されることだろう。
どちらにしても、パルクスが罰せられる前にモニークたちが動かなければ、クレドルーが彼女たち家族の手元に戻ってくる可能性は低いということだ。
夜が明けたら、すぐに行動を開始しよう。
狩りの館を出てから、モニークと二人、自然の中で馬を歩かせた。
昨夜のことが嘘のように平和な風景。
だが頭の中は、これからすべきことでいっぱいだった。
まずはモニークとともに軍へ行き、彼女の兄にパルクスと話すようにさせる。
同時に、クレドルーの土地の所有権が、国が保管する公的な書類上どのようになっているのかも確認すること。
それで解決しなければ、どの切り口で訴えを出すかを考える。
切り口が決まったら論理を組み立て、王への嘆願書を作ると同時に、裁判所にも提出する。
王への嘆願書は、毎日山になるほどだという。
その中から目に留めていただくのは難しいだろう。
裁判の方が現実的だ。
自分の屋敷に着いたことには、すっかり太陽ものぼり、人々が動き出す時間になっていた。
玄関前で馬を預けようとしないモニークの理由が「聞いていなかった」からだというのには驚き呆れた。
友達同士でも話の流れで「今からうち来るか?」なんて、よくあることだろう。
それとも、女性は違うのか?
なんにしても、俺が着替える間、外で待たせておくわけにもいかないので、中に入るように促した。
急な来客にも関わらず、屋敷のものたちは慌てず騒がず「応接間のご準備できています。」と来客を迎えてくれた。
温められた部屋は快適で、朝もやで湿った身体が冷えずに済んだ。
湯でしぼったタオルが渡され、それで顔をふいた。
モニークは手をふいている。
ゆっくりしている暇はない。
上着だけかえて、あとは少し軽装にしたらすぐ出かけるつもりだ。
モニークがなにやらキャンキャン言っているうちに身支度を済ませた。
さあ行こうというところで「こんな格好で!」とモニークが声を荒げた。
こんな格好、と言われても、なにもおかしくなく見えるのだが。
どこがおかしいのか考えていると、執事に「女性にはお仕度がございます。」と言われた。
モニークを見ると、執事の言葉に同意している。
そういうものなのか。
よく分からないが、支度さえすればいいなら、と彼らに任せることにした。
軽い気持ちで了承したら、とんでもなく待たされることとなった。
なににそんな時間がかかるというんだ。
イライラしながら待っていると、やっと支度が終わったと知らされて、モニークが待っている部屋の前へとやってきた。
中から話し声が聞こえる。
なにを呑気に。
「モニーク、支度ができたと聞いたが。まったく、いつまでかかって‥る‥‥。」
言葉が最後まで続かなかった。
振り返ったモニークに視線が釘付けになる。
これが「支度」というのなら、確かに彼女には支度が必要だった。
美しい。
その言葉以外、頭に浮かばない。
「お待たせしましました。」と軽く礼をする姿が、あまりに綺麗で、眩しいものを見たような気分になる。
はっと気が付くと、なぜか部屋に妹がいて、モニークに見惚れている俺を見ていた。
見られていたとは‥‥気恥ずかしい。
すぐにしかつめらしい顔で妹と会話したが、ちらちらとモニークを盗み見てしまう。
そういえば、このドレスは見たことがある。
妹が用意したのか。
勝手なことをするな、と言ったが、その言葉に力が入っていないのは自分でも分かっている。
今回のことは、まあ、いいだろう。
「もうご挨拶は終わったので、失礼します。」
まったく悪びれない妹。
どうせこの後は母の部屋に駆け込んであれこれ話をするのだろう。
このませた妹は、よく母と二人で盛り上がっている。
話の内容は、どうでもいいことばかり。
まあ、お花が咲いてるわ!
まあ、ドーナツに穴が空いてるわ!
そんなことは、言われたくても見ればわかるのだが、彼女たちはいちいち口に出す。
そして延々とおしゃべりしているのだ。
モニークと俺のことを、ヒマな女たちの話のネタになどされてたまるか。
さっさと退室してくれてほっとする。
二人きりになると、途端に静かになった。
俺はなかなか言葉が出てこなかった。
なにを言ったらいいのか分からない。
モニークは視線を床に投げたまま「このドレス、妹さんのものだったのね。また改めてお礼をさせていただくわ。」と無感情に言った。
伏せられたまつげが影となり、瞳の色を隠している。
それだけで、まるで宗教画の中の聖母に見える。
ふわ、と扇形のまつげが上に上がり、瞳があらわになる。
「ダヴィド様?」
ささやくような、空気をかする声が唇からこぼれる。
誘われるように視線を向けると、その唇は赤く色付いている。
対照的に、むき出しの首筋は白い。
唇の赤さは、冷たい肌の下に隠された彼女の情熱の発露なのだろうか。
そんな疑問が頭に浮かんだ。
この肌の下に、熱い血潮が流れている。
それが溢れ出して、唇が赤くなるのか。
触れたら熱いのか、確かめてみればいい。
そんなささやきが聞こえた気がした。
そう考えていたら、無意識に手が伸びていた。
いまにも肌に触れる、という寸前で我に帰った。
俺は、なにを。
手をぎゅっと握り、下におろした。
頭の中が霞みがかったようになっている。
触れてはならない神聖さをたたえているからこそ、逆に触れずにはいられなくなるものなのか。
モニークがなにかを言った。
意味が把握できずに、その言葉を繰り返す。
「おれい‥‥お礼?ああ、ドレス。」
ドレスのお礼、と言葉を組み立てたところで、すう、と意識が晴れてくる。
何度かまばたきを繰り返したら、今度こそ頭がクリアになった。
困ったような表情のモニーク。
いま着ているそのドレスの礼を?
‥‥妹が勝手にやったことだし、あれも礼を返してもらおうとは思ってないだろう。
なにより、モニークはそんなことを気にしなくていいのだ。
今は自分のことだけ考えればいいのに、人がいいというか、損な性格というか。




