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第11話




狩りの館を出たのは早朝だった。

昨夜はダヴィド様のすすめもあり、自分の部屋には戻らずにそのままダヴィド様のベッドを借りた。

部屋を割り当てられていた当人は、セザール様を部屋に引き留め、そのままなにやら秘密の話をしていた。


とうてい眠れないと思っていたわたしだが、気持ちのいいシーツに包まれて、あっという間に眠ってしまっていた。

パルクスから狩りの招待状を受け取ってからのここ数日、ろくに眠れていなかったせいだと思う。


起こされたのは夜明け前。

館の使用人が起き始める頃に、館を抜け出すこととなった。

「あとは僕がうまくごまかしておきますから。」

とセザール様はにこやかに送り出してくれた。


ダヴィド様と二人馬を並べ、明るくなり始めた空を眺めながら、帰り道をパカパカと進んだ。

分岐になり「わたしはこちらなので。」と別れようとしたら、慌てて呼び止められた。

「まさかそのまま帰るつもりか。」

他にどんな選択肢が、と首を傾げると「ついてこい。」と言われて後に続いた。


たどり着いた先は、門構えの立派な、大きなお屋敷だった。

二の足を踏んだわたしだが、ダヴィド様はなにも気にせずに門番に門を開けさせ、進んでいく。

わたしは門番の視線を感じつつ、うつむき加減でダヴィド様についていく。


入口の前でダヴィド様が馬を降り、控えていた制服姿の男に手綱を渡した。

わたしも馬から降りたが、手綱は渡さなかった。


ほら、とダヴィド様があごをしゃくる。

わたしの馬を預かろうとした男性が、手綱を持ったまま硬い表情のわたしを、困惑顔で見ていた。


「ダヴィド様のお屋敷ですか。」

質問すると、ここに来るまでなんの説明もしなかった男が、なにを当たり前のことをとでも言いたげな表情で「そうだ。」と頷いた。


「帰ります。」

「おい!ここまで来てなにを言ってるんだ。」

「あなたのお屋敷に行くだなんて聞いてなかったもの。なんの説明もなく、唐突すぎるわ。」

「意味が分からない。では、数日前からお伺いを立ててご両親の承諾もとり、その上でご招待すべきだとでも言うのか。」

「そういうことじゃないわ。」

「じゃあどういうことだ。」


睨み合いから、先に視線を外したのはダヴィド様のほうだった。

ダヴィド様が、ちら、と横目で制服姿の男を示す。

「とりあえず上がるんだ。こんなところで言い合いをするつもりはない。」

たしかに、ここは使用人の目がある。

わたしはしぶしぶ頷いて、馬を預け、屋敷の中へと足を踏み入れた。


前を歩くダヴィド様の広い背中を見ながら、わたしは心の中で呟いた。

ダヴィド様は分かってない。

わたしはただ、一人で落ち着く時間が欲しかっただけなのに。



応接間に通された途端、わたしは話の続きの口火を切った。

「それで、どうしてわたしをこの屋敷へ連れてきたんですか。」

「決まってるだろう。この機会に、一度きみの兄のところへ行くんだ。一体どうして証文にサインすることになったのか、経緯を聞きたい。」

わたしは応接間の入り口付近に立ったままだったし、ダヴィド様はカフスボタンを外して、そちらを見もせずに執事に渡している。

執事は心得たもので、無言でそれを受け取っている。

ちなみに、コートはすでに玄関ホールで渡し済みだ。


「会おうとしないのよ!?」

「きみはまだ試してない。」

わたしと会話をしながら、次々と使用人に指示をし、馬車を用意するように申し付けていた。

「父で駄目なら、わたしなんてもっと駄目じゃない。」

「話している時間が無駄だ。とりあえず、行こう。」

「こんな格好で!」

「なにもおかしくないぞ?」


ありえない。

わたしは昨夜から来ているドレスで、もうよれよれだ。


執事が進み出て「ダヴィド様。」と声をはさんだ。

「女性にはお仕度がございます。よろしければ、わたくしたちに任せてはいただけませんか。」

ダヴィド様はきょとんとした顔をして、執事の顔を見て、次に眉を吊り上げたわたしの顔を見た。

そこで初めて、わたしがなぜ怒っているのか悟ったらしい。

「あ、ああ。そうか。……頼む。」



一回家に帰らせてもらえれば自分で着替えられるのだが、それはダヴィド様が了承しなかった。

ダヴィド様が言い出したら聞かないことは、以前ドレスの袖を破かれたことや、パルクスの部屋から連れ出されたことから分かっている。


わたしはまたたく間に使用人たちに囲まれて部屋を連れ出された。

部屋を出る直前「ああ、モニーク。そういえば。」とダヴィド様がわたしを呼んだ。


「たまに敬語になるが、今さら取り繕う必要はない。普通に話してくれればいいから。」


恥ずかしすぎて顔が上げられなかった。


ダヴィド様は!

わたしが普段は敬語を使えないかのような言い方をして。


たまに敬語になるのではなく、感情的になったときに、たまに敬語が抜けてしまうだけなのに。

お屋敷の令息に対してわたしが失礼な態度をとっていると執事に使用人たちに思われたかもしれない。

こういうことはどういうルートなのかすぐに広まり、奥さまや旦那さまに知られてしまうものなのだが‥‥。

たぶん、ダヴィド様はそんなことまで考えずに口にしているに違いないけれど。



案内された部屋で、意気揚々と腕を鳴らす美容係たちにこねくりまわされた。

わたしはされるがままに、身体を固くしていた。


使用人たちはすでに湯を用意していて、手際よく支度を進めていく。

身体を清めた後は薔薇のいい香りのする液体をわたしの身体に塗ったり、軽くマッサージをしたり。


こうしている間も待っているダヴィド様が、遅いと怒りそうな気がしたが、それを想像するとなんだか胸がすいた。

振り回されてばかりでは割に合わない。

こんな体験は人生で一度きりだろう。

せっかく贅沢を味わえる機会なのだから満喫しようと決めると、居心地悪かったものが気持ちよく感じるようになった。


てっきりドレスは着てきたものを再び着るのかと思ったが、なぜかドレスが用意されていた。

これもなぜか用意されていた女性ものの下着を着せられた時点で「ん?」と思っていたのだ。

ドレスを数点手に持って部屋に入ってきた女性がいて、あれはこれはと使用人と話をしていた。


使用人のお仕着せとは違う服を着ていたので、いったいどのような立場の女性なのか気になったが、彼女が持っているドレスのうちの一点にわたしの目は吸い寄せられた。

深い湖のようなエメラルドブルーと、レースの白。

あんなきれいなドレスを着たら、さぞ誇らしい気持ちになるだろうと思えた。

そんなわたしの視線に気が付いたのか、女性はそのドレスを選んだ。


着せられたドレスのスカート部分を、手の甲でさらっとなでると、これまで触れたことのない生地の手触りがした。

わたしから見てもすぐ分かる。

間違いなく最高級品。

もし汚してしまっても弁償できそうにない。

裾を踏んづけて破いたり、泥をはねさせて汚したりしないように気を付けなければ。

いつまでも鏡に映るドレスに見入っていることはできなかった。

椅子に座らされ、パフで顔に粉をはたかれた。さらに口紅を刷かれ、髪も結い上げられる。


出来上がったのは、まるで本の挿絵に「良家のお嬢様」として出てきそうな、しとやかで上品な自分だった。

ドレスや髪型でこんなに変わるなんて。

自分じゃないみたいだ。


じっと鏡を見つめていると、背後から「まあ!なんて素敵なの。」という声がして振り返った。

そこには栗色の髪の美少女がいた。

髪がカールしているところや、アーモンド型の瞳など、ダヴィド様と似ているところがいくつかある。

思った通り、少女はダヴィド様の妹だと名乗った。


わたしよりも年齢は4つ下だという。

ダヴィド様の背が高いのは血筋なのか、この少女も背が高かった。

ドレスのことや化粧のことなどに合点がいった。

わたしの支度をしてくれていたのはすべてこの少女付きの使用人や侍女たちで、ドレスも彼女のものだ。


「ドレスをお貸しいただいてありがとうございます。」


しかし、身長が違うのに、なぜわたしが彼女のドレスを着れたのか、と疑問に思って、視線が彼女のドレスの裾に向かってしまった。

いま、彼女のドレスの裾は短くないし、ちょうどいい長さになっている。


少女が屈託のない表情でくすくすと笑いながら言った。

「実は、そのドレスはもう小さくなってしまったものなんです。ですから、どうかそのまま着て帰ってください。」

「そんな!いただけません。」

「わたしが着古したものを差し上げるなんて失礼だとは思いますけど、どうか受け取ってください。また着替えられるのも大変でしょうから。」

幼いながらも、すでに一人前の態度だ。

さすが、ダヴィド様の妹。


「失礼だなんてとんでもありません。では、ありがたくいただきます。」


少女は満足そうににこりと笑った。

しとやかというよりも、したたかな印象を受ける。

意志の強そうなところは、ダヴィド様に似ている。


「お兄さまが女性を連れて来られるなんて初めてのことで、みな浮き足立っていますの。わたしもなんだか浮かれてしまって、無断でご挨拶に来たんです。お兄さまに知られたら、きっと怒られてしまうわ。」


どうやら、わたしがダヴィド様と特別な関係にあるのだと誤解されているようだ。

ぶんぶんと胸の前で手を振って否定した。


「いえ、違うんです!事情があってお邪魔しましたが、わたしは決してそのようなものではありません。ダヴィド様とは、そんなに、あの‥‥なんというか。」

そんなに親しくない、と言うのもおかしいし、一体なんと表現していいのか分からなくて口ごもってしまった。


分かっています、と訳知り顔でほほえまれてしまい、非常にいたたまれない。

「わたし、あなたの名前がわかりますわ。もし間違っていなければ、あなたはマリー様とおっしゃるのではないですか?」


ガツン、と頭を殴られたような気がした。


ショックを受けたことを悟られないように、努めてさりげなく「マリー?」と首を傾げた。

まるで、初めて聞く名だとでもいうように。


実際は脳裏に浮かぶのは一人しかいない。

金髪の美少女。

ダヴィド様の隣に立ち、わたしをまっすぐに見つめていた、あの。


唐突に、部屋の扉が開いた。

「モニーク、支度ができたと聞いたが。まったく、いつまでかかって‥る‥‥。」

入って来たのはダヴィド様だった。

返事を待ってから部屋に入って、と怒るところだが、彼が来たことにほっとして、それどころではなかった。


少女が「モニーク‥‥?」と小さく呟いて、はっと息を飲んだ音を耳でとらえながら、ダヴィド様に「お待たせしました。」と軽く礼をした。


ダヴィド様は目を見張ってしばらくわたしを凝視していたが、隣に自分の妹がいるのを見て眉間にしわを寄せた。

「おい、なぜここにいる。」

「怒らないでくださいな。すぐに出て行きます。」

「勝手なことはするな。」

「分かっています。もうご挨拶は終わったので、失礼します。」

ダヴィド様は苦々しい顔をしながら、ちらちらとわたしに視線を向けてくる。


そうまでして、わたしと家族を遠ざけておきたいのか。

もしかしたら、ダヴィド様は近いうちにマリーを屋敷に連れてくると、家族に話していたのかもしれない。

それで、少女が勘違いしたのだとしたら。

想像がぐるぐると頭を回る。


ダヴィド様が最初から家族に伝えておけばよかったのだ。

マリーが金髪だってことを。

そうしたら、こんな誤解は起こらなかった。

言いがかりだと分かっていたけど、そうでもしないと気持ちがおさまらなかった。


わたしはマリーじゃないから、この屋敷に来てはいけなかったんだ。

少女の期待を裏切って申し訳ないような気持ちになる。


「モニーク様、またいつでもお越しください。」とにっこりほほえんで、少女は退室した。

同時に、使用人や侍女たちも荷物をまとめてぞろぞろと部屋から出て行った。


二人きりになり、なんとなくつまらない気持ちだった。

着飾った直後は気分が高揚していたが、そこから一気におちてしまった。

「このドレス、妹さんのものだったのね。また改めてお礼をさせていただくわ。」

顔を伏せたまま言ったが、いくら待っても返事がない。

不思議に思って顔を上げると、ダヴィド様がじっとわたしを見つめていた。


「ダヴィド様?」

名前を呼んでも反応がない。

なにかあっただろうかと考えて、でも思い当たるふしがなくて、視線が泳いだ。

再びダヴィド様の目を見つめ返すと、その視線が少し下がって、わたしの唇の上で止まった。

ぞく、と背筋に震えが走った。


視線は再び動き、まるで肌の上を撫でるように、ゆっくりとわたしの鎖骨へと向かう。

ふわりと伸ばされたダヴィド様の指がわたしのあごに近付き、触れる直前でピタリと止まった。

そしてきゅっとこぶしが握られ、そのまま下ろして身体のわきに戻された。


ふ、と細く息をついてから、変な雰囲気をごまかそうと、わたしは口を開いた。

「あの、妹さんに、ドレスのお礼を。」

話し方がぎこちなくなってしまったが、ダヴィド様はそのことにさえ気付かなかったようで、ぼんやりと「おれい‥‥お礼?ああ、ドレス。」と繰り返した。


ダヴィド様は何度かぱちぱちと瞬きをして、やっと目に光が戻った。

「礼は必要ないぞ。どうせ余っていたドレスだ。」

「でも‥‥。」

渋るわたしに、ダヴィド様はニヤリと笑った。

「そもそもそんな余裕はないだろう。気にするな。」

そりゃあ、こんな最高級のドレスに見合うお礼は出来そうにないけど。

こういうことは男性に言っても通じないのかもしれない。

この場ではなにも言い返さずに、後で妹さんにささやかなお礼の品と手紙を送ろうと心に決めた。


外に出ると、上品にまとめられたシンプルな馬車が用意されていた。

「さあ、お嬢さん。お手をどうぞ。」

差し出されたダヴィド様の手を借りて、わたしは馬車に乗り込んだ。





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