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第10話



斜め前には陛下の秘書であるセザール様。

そして背後には莫大な財産の相続人で、次期伯爵のダヴィド様。


改めて考えてみれば、その二人に挟まれてわたしがいるのは、ひどく場違いだ。

もともと、貴族と名乗っている者のうち、血筋や財産、立場などから言って、本物の貴族と呼べるものは一部だけ。


ダヴィド様は三代さかのぼれば王家の血に行きつく正真正銘、正統な貴族であり、一流の教育によって教養を身につけ、伝統通り軍に入隊して身体を鍛えた、心身ともに充実した青年だ。


セザール様は、その家柄は分からないが、陛下の秘書をされているからには、とても優秀なかたなのだろう。仮にたいそうな血筋ではなかったとしても、その身のこなしはまさにわたしが夢想する優雅な宮廷人そのもの。とても洗練されている。身に付けているものも、わたしにその価値ははかれないが、高級なものだということだけは分かる。


そんなきらきらしい方々を前にして、わたしの貧相なこと。

ドレスは染めが色あせているし、生地もぺらぺら。

そんなドレスでも、わたしが普段顔を出すパーティーなどでは、なにも違和感がないのに。

彼らを前にするまで、自分の服装が貧相だなどと思ったことはなかったが、今までは気付かなかったことが、この場になってひどく気になる。


わたしを含め、わたしの家族、付き合いのある貴族たちは、正統な貴族の一団からこぼれた大部分に属していて、社交界に出るときも、みんながみんな、貴族としての対面を保つことだけで精一杯だったように思う。

どうにかして貴族のくくりのなかに入っていようと必死だった。

ただでさえ貴族と名乗るぎりぎりの位置にあったというのに、クレドルーを失ったことで、もはや貴族と名乗ることもできないだろう。


それでも、わたしは精一杯、背筋を伸ばした。

セザール様の目をしっかりと見て話す。

出来るだけ落ち着いて見えるように。


ダヴィド様の前に出るもの、これが最後かもしれない。

二人に対して、みじめな姿を見せないように。

それが最後のプライドだった。



セザール様は、わたしの話に真摯に耳を傾けてくれた。

我が家の恥となる、情けない話なのに、馬鹿にした様子はまったくない。

それに勇気付けられて、わたしは止まりそうになる言葉をどうにか紡いだ。



これまで起こったことは、わたしにとってみれば天変地異と言ってもいいくらいの衝撃で、つい最近のことなのに、まるでずっとずっと長い時間が経っているように感じていた。

問題ががんじがらめになって解けず、最初は、なんと伝えればいいのかも分からなかった。


でも、セザール様を前にして、言葉にして説明をしてみればことは単純で、それはすぐに終わった。

要は兄がパルクスにクレドルーを譲り渡し、わたしたちはそこを追い出されただけの話だ。


こんな話は、世間にありふれている。

他人が聞いたら、きっと「大変だね。」で終わるのだろう。

これまでのわたしがそうだった。

わたしも、この立場になるまで、家を失うということが当人にとってどれだけ大きなことなのか、分からなかった。


家は単なる家ではない。

自分を自分たらしめている、自分の基礎となる部分なのだ。

それを失うことは、立っている地面を失うようなもの。

自分の定義があいまいになり、自分というものが分からなくなる。

自分がどこにいるのか、どこに帰ればいいのか、分からなくなる。


しかしそんな感傷まで初対面のセザール様に話すつもりはなかった。

話したところで、この感覚は味わった人にしか分かるまい。

わたしは事実のみを淡々と話した。


それにも関らず、セザール様は「つらかったでしょう。よく話してくれましたね。」と優しく頷いてくれた。

それだけで、わたしは泣きそうになり、うっと喉の奥がひきつった。


「では、今回はパルクスに誘われて、この狩りにいらっしゃったんですね。」

質問されて、わたしは唾を飲み込んで、一つ息をついて気持ちを落ちつけてから、返事をした。

「えぇ。先ほど、食堂を出たところで給仕から伝言を渡され、彼の部屋に行こうとしました。」

「そこでダヴィドに連れ出された、と。」


セザール様がちらりとわたしの背後には視線を投げてから、わたしに視線を戻した。

わたしはその視線をしっかりと受け止めて、頷いた。


「わたしがパルクス様にお話しようとしていたのは、事前に手紙で送っていた通り、クレドルーの屋敷の中の家財道具や家族の私物を引き取りたいということです。それがあれば、生活が多少は楽になるので。」

元が安価な家財道具を売ってもたいしてお金にはならない。その場しのぎだとしても、ないよりはマシだ。


背後から、唸り声のようなものが聞こえた。

ダヴィド様の怒りの気配を感じたが、わたしは振り向かなかった。

恐怖は感じない。

彼の怒りが、わたしのためのものだと、なぜか分かっていたからだ。

彼は、わたしの状況に対して怒りを感じているのだと、言葉にしなくても伝わってきた。


わたしはさっきまで泣きそうになっていたのに、身体がカッと熱くなって、弱くなりかけた自分を心の中で叱咤した。

みじめな運命に対する怒りがふつふつとわいてくる。

ダヴィド様の怒りが伝染したのかもしれない。

彼が近くにいると神経が刺激されるようで、どうも攻撃的な気分になってしまいがちだ。


セザール様にもダヴィド様の声は聞こえただろうに、それに関してはぴくりとも反応せず、柔和な表情のままわたしに続いての質問した。


「確認ですが、これまでパルクスと面識は。」


「ありません。名前も知りませんでした。父は、パルクス様の名前だけは、心当たりがあるようでしたが、初対面だと言っていました。」


「そうですか。お兄さんとは、直接会ってないんですよね?」


「はい。父も会っていないそうです。軍の官舎へ行っても、合わせる顔がないと言って、出てこないらしくて。証文のサインが確かに兄のものだと父が知ったのは、兄と同じ官舎にいた人に教えられたからだと言っていました。兄を訪ねていったときに、どうしても出てこない兄の代わりに、実は、と教えてくれた人がいたそうです。」


「その教えてくれた人の名前は分かりますか?」


「すみません。父に聞いてみないと‥‥。」


「けっこうですよ。あとは僕のほうで、なんとかします。ありがとうございました。」


たいして参考になる話でもないように思えるが、セザール様は満足そうだった。


話す前に比べて、不思議と頭がスッキリしている。

がんじがらめの状態から、すぅっと糸がほどけていく感覚。

誰かに話すということは、話す側の頭の整理をつけるという効果もあるらしいと気が付いた。


混乱した勢いでここまで来たが、冷静になってみれば自分はなんて馬鹿な真似をしたことか。

パルクスの様子を思い出してみても、あの男が荷物を返してくれるとはとうてい思えない。

家を追い出されて混乱しすぎて、そんなことにも気付かずに、わずかな期待にすがろうとしていたのだろう。


ダヴィド様が止めてくれなければ、今頃‥‥。

ゾゾゾ、背筋に寒気が走る。


この先のことは不安でたまらない。

姉のところにずっといられるとは思えないから、なんとかして生きていく道を見つけなくてはならない。


わたしに、なにができるだろう。

ダンスやピアノや裁縫は素人レベルだし、誰か頼れる男性と結婚できるような美貌もない。


いま富を持つ市民の間では、娘に貴族の教育を施すことがさかんに行われているらしいと聞いたことがある。

そのため、没落した貴族の女性でも、そうした金持ちの娘の話し相手や教師として身を立てる道があるのだ。

わたしも貴族の端くれとして、さすがに教師は無理にしても話し相手としてなら、雇ってくれるところがあるかもしれない。


それも視野に入れて考えなければ。


セザール様からの聞き取りはここで終わりだった。

わたしは気になっていたことがあり、立ちあがろうとするセザール様を引きとめた。


「あの、聞いていいか分からないんですけど‥‥質問してもよろしいでしょうか。」


セザール様はすぐに座り直し、居ずまいを正した。

「なんでしょうか。」

その聞く姿勢に力を得て、わたしは思い切ってたずねた。


「セザール様は、なにを調べていらっしゃるんですか?」


たしか、セザール様は主催者とパルクスのことで知りたいことがあり、わたしにも関係することだと言っていた。

なにか疑いをかけられているのだろうか。

クレドルーのことは話し終わったが、それで疑いは晴れたのか。


わたしなどがセザール様のしようとしていることを聞くことは許されないかもしれない。

でもいま質問しなくては、自分たち家族が疑われているのではないかと、これから心配して過ごすようになってしまうだろう。

それは嫌なので、思い切って聞いてみることにした。


「その疑問ももっともです。もちろん、聞いていただいていいですよ。」

セザール様は安心させるように、にっこりと笑った。


笑顔になるとまるで天使のようで、こちらまでほっこりしてしまう。

セザール様のほほえみには、不思議な力がある。

緊張で引き絞られた神経が緩み、肩の力が抜けた。


「そう心配しなくても大丈夫です。僕が調べているのはあくまでパルクスのことなので、モニーク嬢たち家族にはなにも害はありませんよ。」

セザール様はわたしの心配を見越して、そう答えてくれた。


「僕がパルクスを調べているのは、個人としてではなく、仕事としてでしてね。あの男は、叩けばいくらでも埃の出てくる奴です。国土の安定のため、泰平な陛下の治世のために、秘書といえど、時にはこうしたこともするのですよ。ええ、秘書の職務を超えていると僕も思うんですけど、これも上からの指示ですので、仕方なく。僕も上には逆らえませんからね。つらいものです。」


セザール様が冗談めかして言うので、思わず笑顔になった。

わたしが笑ったのを見て、セザール様も笑う。


陛下の秘書という立場にありながらおごらず、下の者の目線になって話してくださるセザール様。

その無垢で美しい見た目もさることながら、中身もまるで天使のように清らかで。

なんて気遣いのあるかたなんだろう、と一気にファンになってしまった。


最初の濡れ場うんぬんのセリフも、心が綺麗だからこそ、包み隠さぬ表現になってしまったに違いない。



「ああ、それにしても困りましたね。」

唐突に、セザール様は笑みを消し、顎に手を当てて瞳を伏せ、憂いの表情になった。

「こんなところへ呼び出されるということは、モニーク嬢がパルクスに狙われているということです。今のご家族では、貴女を守れるかどうか‥‥。誰か、他に頼れる男性はいらっしゃいませんか?」


「‥‥。」

わたしは言葉には出さなかったが、苦笑いで返した。


頼れる男性なんていない。

優しく見えた姉の夫でさえ、いざとなれば冷たい。

人間というのは、こういうときにこそ本性が見えるのかもしれない。


パルクスは陛下の秘書にまで目を付けられる危険人物だということは分かった。

もう手紙は送らないし、もし次にあの男から誘われることがあっても、きっぱり断る。

それ以前に、パルクスの部屋を見たときの恐怖がよみがえって、本能的に足が向きそうにない。


パルクスと関わろうとしなければ大丈夫だろう、というわたしの甘い考えは、ダヴィド様の言葉によって覆された。


「またモニークが狙われるかもしれないということですか?」


「ええ、すぐにでも守りを固めたほうがいいでしょう。」


「そんなっ、だって今回はわたしから何度も手紙を送ったから、呼び出されただけで‥‥こちらからなにもしなければ、なにも起こらないはずです。」


「セザール様、モニークは責任を持ってわたしが保護します。」


は?と目を丸くしてしていると、セザール様が「それは頼もしいですね。」と賛同した。

わたしを置き去りにして、なにやら二人の間では話が終着しそうになっているではないか。

わたしは慌てて声を張った。


「ちょっと待ってください!そんなことをしていただくわけにはいきません。わたしは大丈夫ですから。」


「大丈夫なわけあるか!今夜のことだって、俺がいなければどうなっていたか。」


「そのことは感謝してますけど、これ以上は必要ありません!」


「モニーク嬢、あなたが思う以上に、パルクスは危険な男です。むやみに怖がらせるのは本意でないので伝えていませんでしたが、パルクスは脅迫によって女性を言いなりにし、自分と取り引きのある複数の男の、夜の相手をさせているんです。しかも、被害にあった女性は一人、二人ではありません。これはすでに調べがついている奴の悪行のうちの、ほんの一部です。用心するに越したことはありません。」


わたしは息を飲んだ。

衝撃的すぎて、二の句がつげない。

もう少しで、自分も被害者の一人になるところだった。


そんなひどいことをする人間が世間にいるだなんて。


いや、この世のどこかで非道なことが行われていることは知っていたけれど、遠い世界の話だと思っていたのだ。

こんな身近に、しかもさっきまで目の前にいた相手が、そんな‥‥。


今までは犯罪とは無縁の明るい世界に生きていたというのに、クレドルーを追い出されたことを皮切りに、ズブズブと暗い沼に足が沈んでいくようだ。


これまで自分は周囲に守られていた。

クレドルーに、父に、身分に。

そのことを、初めて知った。


それらを失いどんどん転がり落ちていく。

一体どこまで。





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