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第5話※




たいして付き合いのない人物が主催する質素なパーティーに顔を出したが、知り合いはいないし、特に見るべきものもないし、早く帰りたいとばかり思っていた。


なぜそのパーティーに参加することになったかというと、最近騒がれ始めている音楽家が主催者と個人的に仲が良く、そのパーティーで珍しく演奏するというからだ。

俺は音楽にたいして興味がないが、マリーが目を輝かせて「ぜひダヴィド様も」と言うので、付き合うことになった。


結論だけ言えば、彼女の目当ての音楽家の素晴らしさはよく分からなかった。

うまいな、と思う程度だ。

それはたいていの音楽家に対して思うことなので、マリーが興奮して語ることの半分も理解できない。


マリーは少し前に、社交界に広く顔の利くラタ夫人の前で、ピアノの腕前を披露したことがある。そしてラタ夫人にその腕前を絶賛されたことは、広く社交界でも広まっている。

ラタ夫人は俺の父のいとこで、その気難しさはよく知っているので、あの婆さんによく認められたものだと思う。

音楽の才能のあるマリーが素晴らしいと言うのなら、このパーティーで演奏した音楽家はきっと素晴らしいのだろう。



俺はいま、会場のすみでグラスを二つ手に持ったまま、待ちぼうけをくらっている。

マリーが知り合いを見つけ、申し訳なさそうな顔をして「少し挨拶をしてきていいでしょうか。」と言ったので、快く送り出した。

彼女はその際、抜け目なく自分のグラスを俺に持たせることを忘れなかった。


グラスを預けるのは「すぐに戻って来るので隣を空けておいてください。」というメッセージになる。もともとは「このシャンパンの泡が消えるまでに戻ってきます。」という言葉を添えていたらしいが、いまはグラスを預けるだけで「すぐに戻ってきます。」という意味を持つ。なので、グラスを二つ持っている男がいたら「グラスの持ち主の女性を待っているので誘わないでください。」と周囲にアピールしていることになるのだ。


これは社交界では初歩的なルールで、知らないと恥をかく。

俺の友人が初めてのパーティーで、仲良くなった女の子がいた。

話が弾んでいたとき、ふと、女の子が席を外さなければならなくなった。

女の子は「すぐに戻るから。」と言ってグラスを預けたが、友人はなぜグラスを渡されたのか分からず首を傾げ、そのグラスを給仕に下げさせたらしい。

戻ってこようとした女の子は、男の手に自分のグラスがないことに気付き、戻るのをやめたそうだ。

女の子がもう戻ってこないことを知らない友人は、その場で待ち続けたという。


友人がグラスを下げさせたのも仕方がない話だ。

彼は、グラスを預ける女のサインを知らなければ、もちろんグラスを下げる男のサインも知らなかったのだから。

預けられたグラスを給仕に下げさせることは「もう戻ってこなくてもいい」という意思表示になる。

他にも、預かる前に断るのは「きみを待つつもりはない。」という意味がある。

結局その友人は、そのときの女の子と別のパーティーで再会し、お互いの誤解をといて結婚した。

今となっては笑い話だ。



マリーがそのルールを分かってグラスを預けたのは明らかで、俺もそれに乗ったかたちだ。

俺が彼女を待てば待つほど、彼女が俺の本命だと周囲に印象付けることになる。

マリーは俺がどう反応するのか探って、求婚までの距離を測ろうとしているのだろう。

俺は俺で、マリーが結婚相手に相応しいかどうか見極めているのだから、マリーが俺を試すことになんの異存もない。

それに、この会場にいる人間と今後特に付き合う予定もないので、話しかけられても面倒だ。

グラスを二つ持って連れを待っていると示しておけば、うかつに近付く人間は少ないだろうと見越してのことでもある。

狙い通り、ちらちらと向けられる視線は感じても、話しかけられることはなかった。


ところで、グラスを預けたらその持ち主が絶対に戻ってくるかといえば、実は必ずしもそうではない。

この、二つグラスを持って待つ男の姿について、間抜けな顛末もある。

それは、女性がしつこい男性を断るときに、グラスを渡すことで戻って来るように見せかけてその場を逃れるために使うからだ。

もちろん、女性は戻って来ない。

戻らなかったことを後で責められても、長話に捕まってしまって、と言えば済む。

いつまでも戻ってこない女性のグラスを持ってひたすら待つ男性の姿は、間抜けだと嘲笑を買うことになる。

同じような目にあったことのある男性からは同情の視線が向けられるが。


俺の場合は、それを承知の上で待っているので、彼女が戻らなくても特に気にしない。

ひたすら、早く帰りたい。

一緒に来た以上、責任を持ってマリーを送り届けなければならないので、こうしてお行儀よく忠犬をしているわけだ。



ふと、背にしている柱の反対側から、ボソボソと男の声が聞こえてきた。

こもった声なので一部しか聞きとれないが、内容からいって、誰か女性に対して話しているようだ。

最初は婚約者かと思ったが、よくよく聞いてみると、まだお見合いの段階だろうと思われた。


失礼なことを言っているな、と呆れながらも、こういう男はどこにでもいるんだなとも思っていた。

軍にいるときも、相手を貶めて上下関係を作ろうとする奴はいた。

あまり相手にしていなかったが、あるときじっくり話を聞いてみれば、なんてことはない。蓋を開けてみれば、ただのコンプレックスの裏返しだったのだ。

コンプレックスをバネに努力するわけでもなく、他人の足を引っ張ることにばかり熱心になるなんて、エネルギーの無駄づかいなことこの上ない。

「眠っている能力があるかもしれないのに、もったいないな。」と言ったら「なんでも持ってるお前に言われたくない!」と逆上させてしまった。

そのときは、そいつの心の問題に対して俺がしてやれることは何もなさそうだったので、放っておいた。


柱の反対側にいる顔も知らない女性が、そういった男のコンプレックスに巻き込まれているのは、不幸としか言いようがない。

父親に言われて仕方なく結婚するのかもしれないし、将来のことを考えて妥協しているのかもしれない。はたまた、意外にもこんな口の悪い男に惚れてるなんてことがあるかもしれない。

どれも、よくある話だ。



ちょっとした興味で、顔をそちらへ向けてみると、女性の髪の一部と、ドレスの端が見えた。

なんとなく引っかかるものがあって、もう少し身を乗り出した。

女性の白いうなじを見た途端、すぐに女性の正体が分かった。


なぜモニークがこんなところに?


しかも、男と二人きりとはどういうことだ。

こんな男と、こんなところで二人きりでいていいはずがない。

なぜ彼女は、いつものようにピシャリと言い返さないのだろう。


お見合い?

ーーありえない。


普通に考えてみれば、適齢期の女性が紹介を受けて男と会話をすることなど当たり前のことなのに、このときは「なぜ?」ということばかりが頭に浮かんだ。


すぐにこの無礼者を追い払わなければ。

もし縁談を断るにしても、いや、断るに決まっているが、モニークやその家族からだと、この執念深そうな男に逆恨みされるかもしれない。

ここから立ち去るように、俺から言ってやろう。

そのほうが、モニークに嫌がらせをしたら俺が黙っていないということが男に伝わって、後々のトラブルがないだろう。


グラスを持ったままだと格好がつかないので、二つとも、ちょうど近くを通りかかった給仕に渡した。




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