第三話 世界樹を救ってみる
はじめに火竜が火を吐き、炎の世界を創った。
次に風竜が風を吹かせ、雷竜が雷を轟かせると、水竜が雨を降らせた。空から絶え間なく注ぎ込まれた水は、火を鎮めるとともに広大な海を創り出した。
火が消えると地竜が大地を形成したが、その地はいまだ熱に包まれていた。しかし、氷竜の氷に閉ざされたことにより大地に残った熱も消えた。
そして、氷が融けるとともに木竜が生みだした世界樹が、世界に緑の豊かさを与えていき、この世界を生命で満たしていった。
というのが、ダイジェストなこの世界の起源だそうである。ファンタジーな世界の誕生の瞬間にしては、妙に科学的だ。理科の時間にビデオで見た教育番組の地球の誕生と大雑把だが似通っている。
いやまあ、竜が世界を創ったなんて、充分にファンタジーな設定が入っているけども。
とにかく最初にこの世界を創った七頭の竜――火竜、風竜、雷竜、水竜、地竜、氷竜、木竜――は、七大神竜と呼ばれている。
文字通りこの世界では神に等しい存在であり、それぞれの神竜が精霊を通じて気候や自然を調整しているおかげで、世界は安定して保たれているらしい。
そんな世界最強の神竜だが、実はたった一度だけ一頭の神竜が斃されている。実に運の悪いその神竜は、俺が転生してしまった木竜だ――俺は二代目だから、正確に言うと斃されたのは初代木竜になるのだが。
火竜というのは、なんといっても一番最初に世界の原型を創ったすごい神竜で、その強さは七大神竜の中でもトップ。
そんなめちゃくちゃ強い初代火竜様は、困ったことに手がつけられないほどの戦闘狂だったらしく、いつも他の神竜相手に戦いを吹っかけてやりたい放題していた。
世界樹を守っていた木竜も火竜に襲われ、世界の地形が変わるほどの壮絶な戦闘の末に木竜は斃されてしまい、神竜初の戦死者第一号になってしまった。
木竜が犠牲になったことでさすがに他の神竜もヤバイと考えたらしく、全員で初代火竜を袋叩きにして、強引に引退に追い込んで代替わりさせたようだ。
それ以降の火竜は一線は超えない程度にまともらしく、以来神竜による同士討ちは発生していない。
火竜に斃されてしまった木竜だが、不幸中の幸いというべきか木竜が担当していた世界の緑の管理というお仕事は、木竜が生んだ世界樹が引き継いだ。
おかげで今まで世界から緑の豊かさが失われることもなく、木竜がお亡くなりになったせいで世界崩壊という事態は避けられていた。
幸いにして、木竜の魂自体も完全に失われることはなく、世界樹に宿って復活まで長い眠りに入った。
で、長い年月をかけてついに世界樹から復活した二代目木竜に何の因果か転生してしまったのが、俺ということらしい。
「しっかし、本当に夢みたいな話だな……」
「は?」
俺の独り言を聞きつけたのか、大鷲――フレスヴェルグが、怪訝な声を出した。
世界樹を救ってほしいと言われた後、やっぱりちょっと得た知識をまとめたいから待ってくれと言ったのだが、律儀にこの大鷲は考え込んでいる俺を待ってくれていた。
俺が得た知識によれば、このフレスヴェルグはあの巨木――世界樹のてっぺんに棲んでいるらしく、木竜亡き後も世界樹を守り続けてきたらしい。
素晴らしい忠君だ。さすがに忠実なる僕と自分で言うだけはある。毒殺しようとしたなんて疑って、大変申し訳ない。
それに対して、あのラタトスクとかいう栗鼠は傍目に見てもわかるほどに退屈しているようで、今にも居眠りしそうだ。
というか、一度目を閉じかけたが大鷲に怒られて、慌てて居眠りはやめた。こいつ、頼りないぞ。
「なんでもない、もういいぞ。それで、世界樹を救うためには、具体的にどうすればいいのか教えてくれれば助かるんだが」
今までこの世界の緑、要するに木や草なんかの植物を精霊を通じて維持してきた世界樹だが、生みの親といえる木竜がいなくなってからはそれまでにため込んだ力でどうにかしてきたのだが、それが尽きかけているせいで弱っているのだとか。
言われてよく見てみれば、確かに幹の一部が腐り落ちていたり、地面の上を這っている根が力無く縮小していたりもする。
「御身をウルズの泉にお浸し頂ければ、それで貴方様のお力が泉を蘇らせるはずです」
ウルズの泉というのは、水面に映る自分の竜の姿に仰天したあの泉のことだ。
そういえば、今いるこの場所は島だったりする。島の真ん中に大きな山があり、その山に覆いかぶさるようにして世界樹が鎮座しており、俺達がいるのは島の頂上というわけだ。
ちなみに山から麓にかけてまで世界樹の根は伸びており、麓には俺にこういった知識を与えてくれたあの不思議な水が湧き出ているミーミルという知識の泉があるようだ。
この世界樹の島にはもうひとつ泉があるが、今はそれは置いておく。
「この泉に入ればいいのか……」
本当にそれで、あんな大きな世界樹が元気になるのだろうか。さっきからこう、仮にも神竜なのだから内なる力みたいなのが感じられないかどうか試しているのだが、さっぱりだぞ。
まあいい、さっきの水と同じだ。物は試し、やってみなければわからない。それにできなかったら、なんかヤバそう。リスペクトが下がってしまうではないか。
フレスヴェルグに見守られながら、ゆっくりと俺は足を泉に入れた。水の冷たさが、鱗越しにも伝わって来る。
そのまま泉に入り、泉の中ほどまで行く。浅いといっても、俺の肩の辺りまではあった。
「な、なんだ……!?」
肩まで泉の水に身を浸していると、不意に泉が光り出した。正確には、泉の底が白く輝いている。
同時に俺の体が泉の冷たさを忘れるほどの温かみをもち、それが泉へと伝わっていくような気がした。
やがて時間の経過とともに光は消えていったが、泉には変化が生じていた。泉の底が、白くなっている。
「白い泥?」
少し浅い場所にまで下がった後、泉の底に手を突っ込んでみたのだが、その手には白い泥がたっぷりとついていた。
泉の底が白くなったのは、この泥が原因のようだ。
「素晴らしいです、木竜様。これで世界樹も救われます」
俺と泉の様子を見ていたフレスヴェルグが、心底嬉しそうに大きな翼を広げて言った。
「泥が白くなっただけだぞ」
「貴方様のお力がウルズの泉を蘇らせた証です。あとは私達にどうぞお任せを……ラタトスク、ラタトスク!」
足元で寝ぼけ顔をしていたラタトスクに業を煮やしたらしく、フレスヴェルグは呼びかけながら片翼でつついた。
それでやっと覚醒したらしく、栗鼠はぴょんとひと跳ねした後に勢いよく喋り出した。
「はいはいー起きてます、起きてますってば!」
「起きているなら、木竜様が蘇らせた泉で世界樹を救うのです。さあ、早くしなさい!」
「た、ただいまー!」
栗鼠が前脚を掲げて万歳のような格好をして、何やらもごもごとつぶやく。
「うおっ!?」
いきなり泉の水が球状になって浮き上がったので、俺は驚いてしまった。水の球はかなり大きく、フレスヴェルグの頭と同じくらいはある。
「えー混ぜ混ぜしておいてと」
栗鼠が掲げた前脚をぐるぐると回すと、それに合わせて水球も回って中の水と泥が混ざりあう。
重力を無視したこの所業は明らかにこの栗鼠がやっていると思われるので、これがファンタジー世界定番の魔法のようだ。
どうやらこの栗鼠は、何か物を浮かせたり運んだりする魔法を使えるみたいだな。さっきはいきなりコップを出していたし。
「運びまーす」
水球の中で水と泥が充分に混ざり合ったのを確認すると、栗鼠がオーケストラの指揮官がタクトを振るような動きで前脚を動かすと、その方向へと水球が宙を飛んでいく。
「落としまーす」
山の頂上に広がる草原の上をのたくっている世界樹の根のひとつ、すっかり元気を失って縮こまっているそれの上に水球を移動させた栗鼠が、そう言って指を鳴らすようなしぐさをした。
大きさが大きさなので堰が決壊した時のような派手な水音を鳴らしながら、破裂した水球から泥が混じって白く濁った水が世界樹の根へと降り注ぐ。
「おお?」
泥水をたっぷりとかけられた世界樹の根が白く発光すると、先程までのひび割れて今にも枯れそうな様子はどこへやら、ぐんぐんと伸びていく。
さらに白い輝きは根を伝って幹にまで辿りつくと、腐り落ちていた部分がたちまち修復される。
とはいえ、この世界樹はなにしろ東京タワーを思わせるくらいでかくて幹は太いし、根っこは数え切れないくらいあちらこちらへと放射線状に伸びている。
そのせいでまだまだ痛んでいる箇所はたくさんある。これは一朝一夕には終わりそうにないな。
「すごいですねー本当に治りましたよ!」
やい栗鼠、お前信じてなかったのかよ。俺だって半信半疑だったけど、出来なかったらヤバそうだからなんとかなることを願ってたんだぞ。
そんなんだから、俺はお前をラタトスクとかいう名前じゃなくて栗鼠で済ませてるんだ。
「木竜様のお力をもってすれば、当然のことです」
フレスヴェルグが、誇らしげに言う。まあ、ここまでリスペクトされてもどう反応すればいいのやらだが。
俺としてはただ泉に入っただけなので、正直あんまりすごいことをしたのだという実感がわかないし、すごいのは俺ではなく木竜の力だ。
「あー他に急いでやるべきことはあるか?」
「いえ、火急のものはありません」
「まだ世界樹は傷んでるみたいだけど?」
「これから毎日あれを続ければ、直に治りましょう。あまり急ぎ過ぎても世界樹には負担になりますので」
毎日あの水球ぶっかけをやるのか? 地味に面倒だ。
直にとかいっているが、世界樹の守護者であるフレスヴェルグの時間経過感覚は人間のそれと比べてとんでもないズレがありそうなので、二桁どころか三桁以上の年数続けるとかだったらどうしよう。
「とりあえず、木竜様は復活したばかりですし、今日のところはお休み願ってはどうでしょうかー?」
おお、ナイスだ栗鼠。お前もいいこと言うんだな。でも、本当のところはお前が休みたいからだろう、そういう顔してるぞ。
「それもそうですね……では、本日のところはごゆっくりお休みください、木竜様」
木竜二代目としてのお勤め初日は、これで終わりのようだ。
なんか気疲れしたし、さっさとあの世界樹のうろに戻って寝よう、そうしよう。