第二話 シャベッタアアアア!
「さて、これからどうすべきか……」
ひとまず元の人間の俺は、自室でインフルエンザにより死んでしまい、どういうわけかこの緑色のドラゴンに転生してしまったのが今の俺、と仮定してみたがそれでどうなるものでもない。
わからないことだらけで、頭を抱えるしかないのが俺の現状だ。
俺がいた世界にドラゴン――面倒だから竜でいいか、とにかく竜なんてものはいなかった。あくまで創作である。
しかし、今の俺の姿はその創作の竜そのものであるから、ここはやはりファンタジーな別世界だと考えられる……たぶん、おそらく、きっと。
「大体、こういう時って神様とかが親切に設定について説明してくれるもんじゃないのか?」
サンタクロースみたいに立派な白ひげを生やした爺さん風の神様が、どうして転生することになったのかとか、転生先の世界はどうなっているのかとか、そういう説明をしてくれる設定がないとはとんだ不親切転生だ。
別に神様でなくてもいい。転生先で王様や神官様が説明してくれれば、それで済む話なのに。
今の俺のような竜への転生なら、親竜が面倒を見てくれるとか……まあ、卵から孵った直後というわけではなさそうだが。
「よく考えたら、今の俺ってかなり無防備じゃ……」
いくら竜だといっても、俺は生まればかりの赤ん坊も同然。竜がやる定番の最強攻撃、火炎を吐くブレスの仕方も知らない。
そんな状態で、たとえば他の竜や天敵の魔物に襲われたり、あるいは人間からおいしい獲物と認識されたら。
「死ぬ!」
さっと青くなった――人間じゃないから青くなった気分――俺は、あの巨木のうろに逃げ帰ることを考えた。
あそこはあそこで袋小路だが、こんな遮蔽物も何もない場所で見つかって襲われるよりは、あそこで隠れて様子を見ていた方がいいに決まっている。
――しかし、俺がそれに思い至った時には、もう手遅れだった。耳に力強い羽ばたき音が届くとともに、それが天空から姿を見せたからだ。
最初は大きな黒い塊だったそいつは、あっという間に俺に近づいてきた。青空をバックに上空から急降下して来るのは、巨大な鷲だ。
相手が空にいるから大きさの感覚が掴みにくいが、車よりも大きいことは確かで、文字通り鷲掴みにされたら今の俺など潰れてしまうこと間違いなしのサイズ。
「逃げなきゃ食われる……!」
急降下して来る大鷲はどう見ても捕食者だ、このままではやられてしまう!
が、あいにくとここは隠れる場所などなにもない草原の泉のほとり。今から全力で走って巨木に戻っても、たぶんあの大鷲についばまれる方が早い。
泉に飛び込んで水中に緊急避難……いや待て、この泉は明らかに浅い。テレビで見たが、あいつら平気で川や海で大きな魚を捕っていたぞ。
こんな浅い泉に飛び込んだところで、普通に鷲掴みにされるだろう。
「つ、詰んだ!」
もうだめだと思った俺は、思わず目を閉じてしまった。
翼が風を切る恐ろしい音が響き渡り、急降下の勢いが巻き起こす風が俺の体を叩いているのが鱗越しにもわかる。
「……?」
鉤爪に引き裂かれる自分の姿を想像していたが、不意に風も音も消え去り戸惑った。
ゆっくりと目を開けてみて、やっぱり開けなきゃよかったと思った。
もちろん、その理由は大鷲が目の前にいて、猛禽の鋭い両目で俺を射止めているのがわかってしまったからだ。
鳥の王者の風格というのだろうか、とにかくすごい威圧感だ。俺は蛇に睨まれた蛙みたいになっていた。
地上に降りて来たことで大きさがわかりやすくなったが、やっぱりでかい。軽トラック以上だ。
そんな大鷲に睨まれた無力な竜の俺に何が出来るだろうか、このままおいしくなさそうだからとかいう理由で、俺を喰うのは中止して帰ってくれることを願うばかりだ。
ひたすらお慈悲をと心中で唱える俺だったが、大鷲の行動は俺が考えもしないものだった。
「……貴方様の復活をお待ちしていました。偉大なる我らが君、木竜様」
そう言って、大鷲は深々と俺に向かって頭を下げたのである。
やばい、今なら世界的に有名な某ハンバーガー屋のCMで、喋る玩具を前に絶叫していた子供の気持ちがわかる気がする。俺の場合、驚き過ぎて声も出ていないが。
とにかくこの大鷲は喋った。さらに重要なのは、こいつが喋った内容だ。
俺の復活を待っていたというのは置いておくとして、我らが君と言ったぞ。確か君は、国を治めている人とか、自分が仕えている主人とかを意味する言葉だったはず。
となると、この大鷲は俺の部下ってことなのか?
それに木竜様ってなんだ、俺が緑色で木属性っぽいから? だとしたら、とんでもないネーミングセンスだが。
「どうかされましたか……?」
俺から何の反応もないことを不安に思ったのか、鷲は大きな体を極力縮ませながら聞いてきた。
どうかしたも何も、この竜に転生したっぽくて困ってるんですが……とは言えない。
わけのわからないことを言って、殿は御乱心だ! みたいな反応をされたらまずい。とにかく何かそれっぽいことを言わなければ。
「悪いが、何も思い出せない……お前が何者で、俺が何者かも。復活するまでの間に記憶を失ってしまったようだ」
困った時の記憶喪失設定。ファンタジー世界の現地人に身元とかいろいろと都合の悪いことを聞かれた時、転生者などはこう言って誤魔化す。
俺も偉大な先人達に見習ったというわけだが、果たしてこれが効くかどうか。
「なんと……いえ、よく考えれば貴方様は二代目。先代とはまた異なりましょう」
よくわからないが、大鷲は勝手にうんうんと頷いている。
とりあえず、この大鷲が主君として仕えていたのは先代らしい。
先代がどうなったかは知らないが、とにかく復活が必要な事態に追い込まれ、二代目として復活したこの竜に俺が転生してしまったということだろうか。
「そういうことでしたら、さぞ混乱されているでしょう……わたくし、木竜様の忠実なる僕であるこのフレスヴェルグが、全身全霊をもってお力になります」
この大鷲の名前は、フレスヴェルグか。どっかで聞いた名前だが、長い。面倒なので、落ち着くまでは大鷲でいいだろう。
相変わらず事情はさっぱりだが、幸いにもこの大鷲の俺に対するリスペクトはマックス状態らしい。
右も左もわからない俺のことをサポートしてくれそうだ。実にありがたい。
「それなら、俺はどうすればいいんだ?」
「はい、少々お待ちを……ラタトスク、来なさい」
大鷲がそう言うと、例の巨木の方から勢いよくまた新たな動物が走ってきた。
「はいはいーラタトスク、ただいま参りました!」
草をまき散らしながらやって来たのは、一匹の栗鼠だった。こいつも喋ったが、もう驚く気力もない。
ラタトスクとかいう名前らしい栗鼠も大きかった。といってもこいつはまだマシで、大型犬サイズにとどまっていたが。
「木竜様にミーミルの泉の水を御出ししなさい」
「はいはいーただいま!」
そう応じた栗鼠の前脚の間に、何の前触れもなく水が入った木のコップが現れた。まさに瞬く間にというやつで、コップが瞬間移動して現れたとしか思えない。
ファンタジーってすごいな、俺は半ば自棄になってそう考えていた。
「どうぞお飲みくださいー」
栗鼠が、コップをその場に置いたまま下がる。
この栗鼠は語尾を伸ばす癖があるのか、なんか喋りが軽く聞こえるな。
「これをお飲みになれば、今貴方様が欲する知識が戻られるはずです」
鋭い爪がついていて、人間とは構造が異なる竜の手に苦戦しながらコップを手にした俺に大鷲が告げる。
こんな水を一杯飲んだだけで、今俺が知りたいことがわかるようになるのか?
わけのわからないことを言っている主を毒殺してやり直すための毒入り水だったらどうしよう。
ちょっと悩んだが、ここはこの大鷲を信じて飲むことにした。ひと息でコップの中の水を飲み干す。
感想は、おいしい水だったというだけで、すぐには何も起こらなかった。
「別に何も……っ!?」
突然、頭の奥にズキリと痛みが走った。思わず手で角の生えた頭を押さえてしまう。
誰かに何かを無理やり頭に押し込まれているようで、ひどい痛みだった。吐き気までしてくる。
畜生、やっぱり不甲斐ない主を毒殺するためだったのか――そう思ったが、すぐに痛みは和らいで、なんだか逆に爽快な気分になった。
なんだこの感覚、なんか危ない薬をキメてしまったようで、これはこれで猛烈に不安になって来る。
「も、申し訳ありません! 木竜様なら大丈夫かと思ったのですが」
「あーあ、やっちゃった。フレスヴェルグ様ってば、これ子供には刺激きついよ」
お前ら、一体何の水を俺に飲ませたんだよ。覚せい剤でも溶かしこんでたのか?
「この水はなんだ、説明を……?」
そう問いかけて、俺はその答えがわかっていることに気がついた。
これは知識の泉の水で、飲んだものにさまざまな知識を与えるというものであることに。
変な感覚だった。疑問に思ったことを考えると、すぐにその答えが思い浮かぶのだ。
俺なりに考えてみたが、さっきの知識の泉の水を飲んだ者は、アカシックレコード的なものとつながるようだ。
とはいえ、俺はまだコップ一杯しか飲んでいないので、得られる知識はまだ限られているらしい。
しばらく疑問に思ったことをあれこれ脳内でこねくり回し、浮かんで来る答えを理解するという作業を続けた。
最初は慣れない感覚に戸惑うばかりだったが、慣れればなんてことはない、非常に便利な知識サポートだ。
「……確かに知りたいことはわかった。あんな頭痛つきとは思わなかったけどな」
「誠に申し訳ありませんでした、ご注意を怠ったことはいかようにも処罰を」
大鷲は平身低頭といった具合だ。ただ俺の方が圧倒的に小さいから、あんまり頭を下げられているという実感がわかないな。
「いや、いい。それで、次はどうすれば?」
どうやら俺はまだ子竜らしいので、大人の竜になるまではこのフレスヴェルグにいろいろと頼らなければならない。そんな相手をこんなことでいちいち処罰していては切りが無いので、俺は次を促した。
「わかりました……では、どうか世界樹をお救いください、木竜様」