第一六話 流行
「ヴァルトさんにとっておきの情報を特別に教えちゃいますよ!」
昼下がり、小さな食事処の中。机を挟んで椅子に座るエリアルが、身を乗り出してやたらと嬉しそうに話しかけてきた。
「とっておきの情報?」
「はい、ちょっと前に急ぎでギルドに通達が来たんですよ」
「おいおい、ギルドの情報を勝手に話しちゃ駄目だろ?」
「どうせすぐに一般公開される情報ですから、大丈夫です。それにもう噂になっているじゃないですか?」
「ああ、あの木竜様についての話か」
「そうです、実はあの噂は本当で……」
そう言って話し始めたエリアルが言うところのとっておきの情報とは、やはり木竜と聖女に関する話だった。
巡礼の途中で宿泊先を襲撃されそのまま行方不明になっていた聖女が、なんとホーリス教国の総本殿にあの幻の木竜の背に乗って帰還したというのだ。いや、それはただの帰還というよりは、凱旋に近かったらしい。
木竜といえば、初代の火竜に倒されてしまった運の悪い、というか一般的な認識だと神竜の中でも一番弱いとされてきた竜だ。
しかし、そうはいってもこの世界を創った伝説の神竜の一頭。それが復活を遂げ、さらには聖女をその背に乗せて連合王国で最も高い宗教的影響力をもつホーリス教の総本殿に舞い降りた。
まさに一大事だ。最初は木竜と信じられず、聖騎士が動員されてあわや一触即発となりかけたらしいのだが、木竜が証明として配下の大精霊を呼び出すことでその危機は回避されたらしい。
さらに木竜は神竜を崇め奉っているホーリス教とそれが広まっている連合王国と敵対する気はなく、むしろ友好を望んでいるという。
とはいえほかの神竜と同じく過度の干渉をする気はなく、何かの災厄に遭った際に気まぐれに助けてやるという程度のもので、やはり一定の距離を置くようだ。
「その話が、どうして冒険者ギルドに急ぎで通達されたんだ?」
「それはもちろん、連合王国内で木竜様が冒険者などに襲われないようにするためですよ」
ホーリス教は件の竜を正式に木竜であると認め、各国に木竜の特徴を伝え、絶対に手を出してはならないという布告を出したらしい。
せっかくの貴重な友好的神竜を、くだらない諍いで失ってはたまらないということだろう。
「えーと、木竜様の鱗の色は緑で、体の一部がきれいな薔薇が咲いた茨に覆われていて、頭に宝石のように美しい鮮やかな緑の角が……」
そこまで言ったところで、じっとエリアルが俺の角を見て来た。
「ちょうどヴァルトさんの角みたいですね。ひょっとして、木竜様の眷属だったりするんですか?」
と言ったエリアルだが、さすがに冗談のつもりらしく笑っている。
「俺が木竜様の眷属なわけないだろ?」
「ですよね!」
何が面白いのかエリアルはケラケラと笑いだした。
俺は嘘は言っていない。木竜とは俺自身なのだから、眷属などではないことは確かだからな!
「そういえば、聖女様を襲ったのは帝国の暗殺者達だったって?」
「あ、それも本当ですよ。ホーリス教は帝国に抗議して、連合王国にも帝国の密偵に気をつけるようにっていう通達が回っています」
聖女様の証言で宿を襲ったのは帝国の暗殺者達とわかり、それが大々的に公開されたらしい。
傷病人を無償で助けて回っていた聖女様の人気は高く、その聖女様を襲った帝国への敵意は連合王国内でさらに高まったようだ。
もちろん帝国は根も葉もないデタラメだとして逆に抗議し返したらしいが、聖女様の証言を疑うような奴はほとんどいないから、逆効果だった。
まったくいい気味だ。神竜など存在しない、ホーリス教が崇拝するものは邪竜であるなんてことをいう帝国の連中は、俺にとっても敵である。
そんな連中の影響力が、この連合王国内から少しでも減るのは喜ばしいことだ。
「あの、実はヴァルトさんに後で手伝って欲しいことがあるんですけど……」
「何だ?」
「買い出しです、食料品の……たくさん買わないといけないので、力持ちなヴァルトさんに手伝ってもらいたくて」
「別にいいけど、なんでまた?」
俺が尋ねると、エリアルは不思議そうな顔をした。
「知らないんですか? 七日熱が流行しているせいで流通が滞り出して、食料品の値段が高くなり出しているんですよ」
あーそういえば、そんな話があった気がする。俺は外食ばかりしてたし、別に自分で果物などをいくらでもつくれるから、食料品の買い出しなんてしないせいでそこまで気にしてなかった。
確か七日熱というのは、感染して発症するとなんと丸一週間、つまり七日間もずっと高熱にうなされる羽目になる病気だったはずだ。
主に冬の間に流行する病気で、感染方法は接触感染や飛沫感染だったはず。患者を隔離すればいいのだが、潜伏期間という発症するまでの期間が長いせいで、感染者がそれとは知らずに病原菌をばらまき続けるせいで感染が拡大しやすい。
致死率は低いが、感染した人が一週間以上働けなくなるせいで社会的な影響が大きく、流行が認められた地域はただちに封鎖される。
しかし、仲冬草という薬草からつくられる特効薬が効果抜群で、これさえ服用すればひと晩で治る病気なので、封じ込めのために封鎖した地域の住民が全滅するのを待つなんていう非人道的な事態には陥らない。
封鎖した地域の人にさっさと特効薬を与えて、すぐに治せばいいだけの話で、これはこれで冬の風物詩のひとつとなっていたはずだが。
「今は冬じゃないのに、なんで流行ってるんだ?」
「まだ原因はわかってないそうです。これまでこんなことはなかったせいで、仲冬草の特効薬が不足していて、大変なことになるんじゃないかってもっぱらの噂ですよ」
仲冬草は冬の半ばの間だけ、生えて来る薬草だ。発生する期間は短いが、その分たくさん生えて来るので今まで特効薬を賄うだけの充分な量が確保されていた。
七日熱が流行する時期とも一致していたので、七日熱が流行する前後に採取が行われて特効薬の量産が行われるので、これまで特効薬に困ったことはない。
ところが、今回は冬でもないのに流行したせいで、仲冬草の特効薬が不足しているらしい。そのせいで有効な治療ができず、ずるずると感染が拡大してしまっているのだとか。
あちらこちらで散発的に流行する七日熱のせいで街道が封鎖されたりして、流通に支障が出ているうえに不安になった人々が食料の買い出しに走ったせいで、食料品の価格が高騰中とのこと。
「そういうことなら、わかった。後で行くか」
「はい、お願いします!」
その後、俺はエリアルを手伝って乾物などの保存ができる食料品を多めに買った。市場では確かに不安を顔に浮かべた人々が食料品を買いあさっていて、ピリピリとした空気が漂っていた。
買い出しを終えると礼を言うエリアルと別れて、俺はずっと泊まり続けている新緑亭の自室へと戻った。
少し休んでひと息入れてから、さっきエリアルから聞いた話について考える。
季節外れの七日熱の流行――これは俺が木竜として手を貸すに相応しい事案ではないか。俺はなんでもできるわけではないが、特効薬の仲冬草を大量に生み出すことなどたやすい。
このまま感染が拡大すれば大きな問題になるし、たとえ致死率が低くとも感染者が増えればそれに応じて死者も増える。
そうなったら社会も混乱して大きな被害が出るだろう。それを未然に防ぐことができるならば、やって損はないはずだ。
神竜は下々の営みに過剰な干渉をしてはならないという決まりがあるが、今回のような事態は人の身にはどうしようもない天変地異のようなもので、そういった事態に際してちょっと手を助けるくらいなら問題無いだろう。
別に俺はなんでもかんでも助ける気はない。こうやって俺の耳に入って、木竜の力がないと助けられなさそうな事案だけ、手を貸すスタンスでいくつもりだし。
よし、そうと決まれば行動開始だな。約束通り、聖女様に連絡を取って根回ししておくか。
「……聖女よ、聞こえるか?」
俺は念話を通して、聖女ことシルヴィアを呼び出した。シルヴィアを送り届ける前に、ラタトスクに頼んでシルヴィアに通話先が俺限定の念話の魔法をかけてもらっておいたのだ。
もちろん本人の了承を得たし、もし必要無くなればいつでも解除可能だ。まあ、シルヴィアの方からそんなことを言ってくることはないだろうが。
『はい、聞こえます木竜様!』
「話がある、今は問題無いか?」
『問題無いです、自室にいましたので』
念話では今相手がどういう状態にあるかわからないから、ちゃんと確認してから話をするようにしなければならない。
幸いシルヴィアは自室にいたようで、話をする分には問題なさそうだ。
「早速我が手助けすべき時が来たようだ。オーフェリア王国やその周辺国で、七日熱が流行していることは知っているか」
『存じてます。もしもの時は、私の力を借りたいと相談を受けていましたので』
どうやら七日熱の流行が抑えられそうになかったら、聖女様が担ぎ出される羽目になっていたようだ。うーん、すごい回復魔法が使えるとこんな事態にも対処しなくちゃいけなくて大変だな。
というか、シルヴィアでなんとかなるなら俺が出なくてもよかったかな……いやいや、いくらなんでも感染爆発が発生したりしたらシルヴィアでも手に負えなくなるだろうから、やはり今のうちに鎮静化させておくに限る。
「七日熱の特効薬となる仲冬草を我が用意しよう。我が動けるよう、よろしく整えておくがいい」
しっかしまあ、威厳を出すためとはいえ、我ながらクサ過ぎてうんざりしてくる話し方だ。世間様の神竜に対するイメージを保つためには必要なことだが、もう誰かに代わって欲しいくらいだぞ。
『願ってもないことです、木竜様! 早速こちらの方で準備をさせて頂きますので、しばしお時間をください』
「準備が出来次第、また我を念話で呼び出すがいい」
『はい、失礼いたします木竜様!』
さて、世の中最初が肝心だ。木竜が初めて危機に瀕した人々を助けるわけだから、ただ仲冬草を用意するだけでなく、もうひとつ何かあった方がいいだろう。
向こうの準備が終わる前に、こっちもそれについて考えておくとするか。