第一〇話 冒険初日の終わり
「ヴァルトさん、無事に初依頼達成ですね、おめでとうございます!」
カウンターの向こうで、依頼用紙の確認を終えたエリアルが笑顔でそう言ってくれた。
俺は家庭菜園の草取りの依頼を終えておばさんから依頼用紙に完了のサインをもらうと、冒険者ギルドに依頼達成の報告に戻ったのだが、戻って来てもやっぱり誰もいなかったエリアルのところでそれを済ませたのだ。
「エリアルさんのおかげでもありますよ、地図は助かりました」
依頼用紙の裏に地図を描いてくれてなかったら、通行人に尋ねでもしないとわからなかっただろうからな。
「いえ、お役に立ててよかったです」
エリアルはとても嬉しそうだ。もし犬系の獣人だったら、尻尾がぶんぶんと振られてそうである。
「それでは、依頼の報酬を……」
「あ、その前にこの依頼なんですが」
俺は戻って来た時に掲示板から剥がした一枚の依頼用紙を差し出した。
「三日月草の採取依頼ですか?」
鎮静作用がある薬草の一種で、森の比較的浅いところに自生しているのが三日月草だ。
街の周囲の平原で採れる薬草の採取依頼は、魔物と遭遇する確率がかなり低いので最低のGランクだが、この三日月草は平原と比べればずっと魔物との遭遇率が高くなる森に一応は入らないといけないので、Fランクとなっている。
「今日この街に入る前にたまたま採取したのがあるんですけど、それでも大丈夫ですか?」
というのは嘘で、先程の家庭菜園でどうやって時間を潰そうか悩んだ時にこの依頼があったことを思い出して、菜園の一角をお借りしてぱぱっと栽培したものだ。
たとえ種も何もなくても俺の脳内データベースに登録さえしてあれば、荒れた原野を緑豊かな森に変えることもできる木竜パワーを使って、無から薬草を生みだすことなどお茶の子さいさい……今時古いか、この表現?
あ、菜園を借りて自分用の三日月草を勝手に栽培してしまったお詫びとして、あそこで育てられていた野菜やハーブの生命力を強化しておいたので、しばらくは収穫量がアップするはずだ。
「その三日月草を見せてくれますか?」
「はい、これです」
その名の通り葉の形が三日月状の薬草の束のまとまりを、マントの下に吊った道具袋から取り出して見せる。
この道具袋自体は布などを詰めて適当に膨らませてあるだけのカモフラージュで、実際にはインベントリから取り出していたりするのだが。
あまり冒険者のランクが低いうちからインベントリなんてチートを見せびらかすと、どんな目に遭うかわかったもんじゃないからな。余計な面倒事はノーサンキューだ。
「とても状態がいいですね、ヴァルトさんは本当に植物を見る目があります」
そりゃ木竜の俺が手ずから育てて採ったばかりだからな、高品質なのは間違いないはず。
「三束で一〇〇〇ウエルの買取になります。九束あるので三〇〇〇ウエルですね」
九束でやっとGランクの単純労働系の依頼と同じくらいの報酬額だが、普通は討伐系の依頼と並行してやるらしいので、それと合わせればGランク依頼よりは稼げるんだろうな。
「さっきの依頼の報酬額六〇〇〇ウエルと合わせて、九〇〇〇ウエルです」
エリアルがカウンターの上に並べた九枚の大銀貨を受け取り、懐に入れる振りをしてインベントリに仕舞っておく。
「この調子ならすぐにランクアップできますから、頑張ってくださいね!」
「はい、頑張りますよ。あ、この辺りでおすすめの宿はありますか?」
俺は自分が望む宿の条件を伝えた。
「その条件なら『新緑亭』がおすすめですが……でも、あの、その」
俺が伝えた条件の宿はGランクの底辺冒険者が泊まるような場所ではないため、きっとそこを言いたいんだろうな。
「大丈夫です、初日は今までの旅の疲れがとれるようにゆっくりしたいと思っただけですから」
「そ、そうでしたか。冒険者は健康第一ですものね!」
「です、その宿はどこにあるんでしょうか?」
またエリアルに地図で宿の場所を教えてもらった。今度はわかりやすい場所だったので、さすがに宿までの地図を描いてもらうことはなかったが。
「今日はありがとうございました、それでは」
「応援していますから、これからもたくさん依頼を受けに来てくださいね!」
うーん、やっぱり人が全然来なくてさびしいんだろうか。自分のところで依頼を受けに来てほしいという思いのこもった言葉だったぞ。せっかくだし、しばらくはエリアルのところで依頼を受けるかな。
冒険者ギルドを出ると、すでに陽が傾きつつあった。草取りを終えた帰り道、物珍しくてそこらをほっつき歩いたりしたから、思っていたよりも時間が経っていたようだ。
石畳の上に伸びる影を見ながら、宿がある通りに入る。
通りを進んだ先、中央広場の喧騒が届かないくらいには離れた場所にエリアルに教えられた宿屋はあった。木の葉の絵とともに新緑亭と描かれた看板が外に出ているから、間違いない。
新緑亭は、コの字を左に九〇度回転させた形の木造三階建ての宿屋だ。通りに面して凹んでいる部分は中庭になっており、新緑という名を冠しているだけあって木や花が植えられていて趣がある。
建物の左側は厩舎や倉庫になっているようなので、右側の本館へと入る。
「いらっしゃいませ、お泊りですか?」
木の扉を抜けた先のフロントにいた、どことなく優しそうな雰囲気の漂うナイスミドルが、どうやらこの宿の主人らしい。
「そうです」
「朝食と夕食付きで一泊六〇〇〇ウエルになります」
うわ、やっぱり高いな。今日の草取り分の報酬が全部吹き飛ぶぞ。でも、これより下の宿に泊まるのはなぁ。
Gランク冒険者が泊まる宿は一泊一〇〇〇ウエルと格安だが、大部屋に二段ベッドを並べられるだけ並べて、そこに宿泊客を詰め込むような宿だ。もちろん食事なんて出ない。
周りや同じベッドで寝る相手は当然見ず知らずだし、たとえば美人が寝てくれていれば最高かもしれないが、体臭もいびきもひどいおっさんだったりすると、もう悲惨。
おまけに盗難も多発しているとなれば、現代日本で恵まれた生活を送っていた経験のある俺には耐えられそうもなかった。
「わかりました、一泊します」
背に腹は代えられない、俺は大銀貨六枚を主人に支払った。とりあえずは一泊だが、ここが快適なら明日以降も泊まろう。
「お客様のお部屋は二階の三号室になります。こちらが鍵です」
そう言って渡されたのは、ギルドカードに似た水晶板だった。まさかのカードキーだが、まず間違いなくこれも魔法を利用した代物なんだろうな。
「夕食はすでにこちら奥の食堂でお出ししております」
別に部屋に置きに行くほどの荷物があるわけではなかったので、早速受付の右奥にある食堂で夕食をとることにした。
まだ夕食を出し始めたばかりらしく、人がまばらな食堂で先程フロントにいた主人の奥さんだという、おっとりした感じの女性に夕食を出してもらった。
夕食は、肉などの具材がたっぷりと入ったシチューと焼いた黒パンだった。異世界ものでは薄味でいまいち、という場合もあったが、全然そんなことはなかった。
シチューは肉の脂身で濃い味付けがなされており、焼いて硬くなった黒パンもそれにひたすことで柔らかくなったので、労せずして食べることができたのだ。
昼食と同様、あっという間に夕食を平らげた俺は、奥さんに御馳走様を言ってから二階の部屋に行くことにした。
そういえば、この世界でも普通に御馳走様の概念は通じてるな。もしかしたら、この世界流の言葉に変換されて向こうに伝わっているのかもしれないが。
「さすがに冒険者ギルドでおすすめされただけはあるな」
ノブの下にある差し込み口にあのカードキーを差し込むと鍵が開き、部屋の中に入ってひと通りチェックを終えた俺はそう言っていた。
部屋に入ってすぐ横のドアはシャワールームとトイレにつながっていて、トイレは素晴らしいことに水洗だった。
たぶん水属性の魔法を使っていると思うのだが、スイッチひとつできれいに流せるのは本当にいいし、臭いが下水から伝わって来ていることもなかった。
残念ながらシャワーは、水だけしか出なかったが。昼間のうちに水浴びをしろってことのようだ。
でも、確か前世の近世ヨーロッパだと風呂は数か月に一度くらいしか入っていなかったとか。誰だったか忘れたけど、フランスの王様で一生のうち二度しか風呂に入らなかった奴もいたし。香水が流行ったのも風呂に入らなくてひどい体臭を誤魔化すためだったらしいしなぁ。
それと比べるとこちらはずっとマシで、古代ローマ帝国ほどではないが公衆浴場はあるし、最低でも水浴びくらいはみなしているようだから、やっぱりこっちの世界の方が街の衛生状況はいいな。
さすがに個人の家に風呂があるのは王侯貴族くらいのもので、風呂付きの個室がある宿ともなれば一泊で金貨一枚以上が飛んでいく高級宿しかないが。
「なんか思ったよりも疲れたなぁ……」
シャワールームで水で湿らせたタオルで顔などを拭いた俺は、そのまま清潔なシーツが敷かれその上によく干されて陽の匂いがする羽毛布団が置かれたベッドの上に倒れ込んだ。
「一応初めて戦ったし……」
そういえば、馬車が襲撃されていた時に初めてゴブリンとはいえ一応は人の形をした魔物を殺してしまったが、正直に言うと何も感じなかったな。
フレスが木竜様の強い魂ならその程度のことで心が動じることはありえないです、と言っていたが本当のようだ。
となると……やはり、相手が人であってもそうなのだろうか。俺、正当防衛とはいえ一度人を殺してしまっているから、もう動じないかもしれないな。
「ああもう、そんなこと蒸し返すなよ俺……」
前世で俺が引きこもりになった原因の事件が思い起こされて、心底嫌な気分になってしまったじゃないか。こうなったら別にもう今日はやることもないし、さっさと寝るのが一番だ。
俺は布団に潜り込むと、あの事件の悪夢を見ないようにこれからの楽しい異世界生活について思いを馳せながら眠りに落ちた。